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TS転生~してみたシリーズ

乙女ゲームの攻略対象にTS転生したので悪役令嬢を捕まえてみた

作者: 星河雷雨

主人公は順調に成長しております。


 ―現在―







「潤いが欲しい」



 ベルナルトは無意識につぶやいていた。


 乙女ゲームの攻略対象にTS転生してからこちら、ベルナルトはすごく頑張ってきた。むさくるしい男に交じって剣を振り、学園では生徒会に入り休む暇なく生徒のために働いてきた。

 忙しいのが嫌いではないベルナルトにとっては結構充実した日々だったのだが、何かが足りなかった。そう、潤いだ。


 お年頃のベルナルトには潤いが必要なのだ。だが、潤いとは何か。ベルナルトには肝心のそれがわからなかった。





 現在ベルナルトは学園の二学年。入学から一か月あまり経っている。そろそろ一学年下のヒロインが生徒会へ入会してくる頃だ。


「ヒロイン…どんな子かな」


 ベルナルトは、まだヒロインに会っていない。生徒会の仕事が思ったより忙しく、とても好奇心のためだけにヒロインの顔を拝みにいっている時間はなかったのだ。悪役令嬢にしても同様だ。一度も出会わないままひと月経ってしまった。


(出来れば、良い子がいいんだがな)


 もちろん、可愛い子という意味ではない。性格の良い子という意味だ。正規のヒロインであれば、その心配はないだろう。乙女ゲームの正規の主人公は多少のあざとぶりっ子感はいなめないが、基本性格は良い。しかし…。


「ベルナルトせんぱぁ~い!」


 背後から聞こえてきた猫なで声に、ベルナルトの肌が粟立った。嫌な予感がする。


(おい、まてこら!まさかこれがヒロインだとか言わないよな?この甘ったるい人工甘味料のような猫なで声をだすこいつが?)


 うっかり口に出しそうになってしまい、ベルナルトはあわてて口をつむぐ。


「あ、あのベルナルト先輩。わたし、一学年のルルっていいます!エルネスト先輩に、ベルナルト先輩の仕事を手伝えって言われて…」


 振り返ったベルナルトの目に、体をくねくねさせて上目遣いに見つめてくるヒロインと、その背後に金魚の糞のように並ぶ王太子であるエルネストと以下四人の攻略対象の姿が映った。


(ああ、マジか…。やっぱりこいつがヒロインか…。ダメだ、こいつはダメだ。というかまだ一か月程しかたっていないぞ?まさかもう攻略したのか?)


「ああ…ルル君、だっけ?悪いが手伝いは必要ない。もうすぐ終わるから」

「え?」

「せっかく来てくれたのに悪いね」


(そもそもお前らが手伝えよ!生徒会メンバーだろうが!この馬鹿殿下以下四人が!)


 ベルナルトはそれだけ言うと、そそくさとルルの元を離れる。ルルの背後のエルネスト以下四人が何やら騒いでいたが、遠くなのでよく聞こえない。しかし、ルルのつぶやき声はしっかりと聞こえた。


「あれ?何かベルナルト感じ違う…。髪短いし」


(やっぱりか!やっぱりお前も転生組か!)


「勘弁してくれ…」


 転生ヒロインほど面倒くさいものはない、というのがベルナルトの持論だ。逆ハーなんぞ狙われたらたまったものではない。さきほどのヒロインの様子を見れば逆ハーを狙っているのはほぼ確定だろう。

 なぜ転生ヒロインたちは皆、逆ハーを狙うのか。前世よほどのハンターだったのだろうかと思うのだがそのくらいビッチでなければ実は乙女ゲームのヒロインは務まらないのかもしれない。

 それにしても、ヒロインが転生組ということは、もうひとつの可能性も考えなければいけない。もうひとつの可能性。それは何か。



 ――転生悪役令嬢。



 それは下手をすると転生ヒロインよりもやっかいな相手となりかねない。


「いや、別に悪役令嬢嫌いじゃないんだけどさ…」


 嫌いじゃないけど、やっかいだ。


 悪役令嬢には美人が多い。ベルナルトもどちらかといえば可愛い系のヒロインよりも美人系の悪役令嬢の方が好きだ。

 だがもし、悪役令嬢が転生組だった場合どうなるか。ヒロインと悪役令嬢の立場が逆転するのだ。


 乙女ゲームにおいての悪役令嬢は、ほとんどの場合ヒロインと攻略対象の恋愛を盛り上げるためだけに存在する。

 だが、悪役令嬢が転生組だった場合はその限りではない。転生悪役令嬢はバッドエンドを避けるため攻略対象を忌避するのが通常だが、転生悪役令嬢の思惑とは裏腹にその釣れない態度に狩猟本能を刺激された攻略対象たちが群がってしまい、別の意味で面倒くさい事態となる可能性が大なのだ。

 それにもし、転生悪役令嬢が転生ヒロインと同じように逆ハーを狙っていた場合などはもう目も当てられない。


 ベルナルトは別にヒロインが転生組でも構わないと思っていた。良い子なら何ら問題はない。それになんだかんだ言って、逆ハーはゲーム内では結構ふつうのことだ。魅力的な相手に異性が群がるのは動物としても当然のこと。もしベルナルトがヒロインを気に入ったのなら、他の攻略対象たちを蹴落としヒロインをゲットするのもやぶさかではないとすら思っていたのに―。

 

 だが、あれはない。ゲーム開始から一か月ほどしかたっていないのに、なぜ後ろにぞろぞろと攻略対象を引き連れているのだ。さすがに完全攻略したわけではないだろうが、それにしても早すぎる。それにルルは確かに美少女だったが少々子どもっぽく、残念ながらベルナルトの好みからは外れていた。ベルナルトはすでにヒロインを攻略する気を完全に失くしていた。



(これからどうなることやら…)



 ベルナルトが己の今後を憂いながら階段を上っていると、上から誰かが下りて来た。何気なく見上げたベルナルトは驚愕した。降りて来たのは、女神と見紛うばかりの美しい少女だったのだ。

 ゆるく巻いた豊かな黄金の髪。海を映したマリンブルーの瞳。学園に在籍する年齢にしては大人びた肢体。少しきつめだが、絶世の美女といってもよい整った顔立ち。



 一目見て分かった。彼女が悪役令嬢のアリアだと。



 見上げるベルナルトの視線と見下ろすアリアの視線が交差する。その瞬間、アリアがベルナルトに向かって微笑んだ。



「ごきげんよう」



 ―たったそれだけ。たったそれだけの事だ。


 しかし、その一瞬でベルナルトの魂は奪われてしまった。









 家に戻ったベルナルトはベッドに突っ伏して嘆いていた。


「マジか…。何だあれ?本物の悪役令嬢すげー。あれは理想だ…。消えかけていた前世の俺が叫んでいる…」



「あの体が欲しかったっっ!」



(どうせ生まれ変わるなら、あっちが良かった!)


 ベルナルトが理想の男の体現者なら、アリアは理想の女の体現者だ。もう完全に吹っ切れたと思っていたのに、まだ完全には前世のベルナルトは消えていなかったらしい。


「欲しい…」


 艶やかなゆるい巻き毛。小さな顔。大きな瞳。長い睫毛。シミひとつない白い肌。豊かな胸。細い腰。長い手足。どれもこれも、前世のベルナルトが必死こいて手に入れようとしていた理想のパーツたちだ。

 ああ、なぜ悪役令嬢ではなく、攻略対象に生まれ変わってしまったのか。しかし、嘆いていても仕方ない。現実は変えられないのだ。今のベルナルトは男。豊かな胸も細い腰も必要ないし、手足の長さではきっとアリアに勝っている。



「仕方ない…。あの体が自分のものにならないなら、せめて…」



 せめて、そばで愛でさせてほしい。



 ヒロインなど知ったこっちゃない。あっちは正直タイプじゃない。アリアが天然悪役令嬢だろうが転生悪役令嬢だろうが、もうどちらでも構わない。



「決めた…。アリアを捕まえる」



 ベッドから顔をあげ、ベルナルトは不適な笑みを浮かべる。その笑みはまさに腹黒鬼畜系に相応しかった。







 ―1年9か月後―







「アリア・ミストレット公爵令嬢!君には失望した!」



 エルネストがお約束の婚約破棄劇場を演じているあいだベルナルトはそわそわしていた。この日のために準備万端に道筋を整えて来た。他の攻略対象が順調にルルに落とされていくのを後目に、ベルナルトはアリアの味方を貫いた。

 しかし、あくまでアリアのことはエルネストの婚約者として、節度は守って接してきた。


 アリアの触り心地のよさそうな白い肌。艶々とした絹のような髪。ボリュームのある柔らかそうな胸。美しい凹凸を持ちながらも華奢な肢体。前世のベルナルトだったら、ふざけて抱きしめるくらいはできただろうに、今それをしたら変態まっしぐらなためベルナルトは血反吐を吐く思いで我慢してきた。

 ベルナルトはこれまで、アリアのことを女神と思って接してきた。前世のベルナルトの理想を詰め込んだアリアは、正にベルナルトにとっては女神に等しかった。


 そのベルナルトの女神を、エルネストは今、糾弾しようとしている。





「君はここにいるルル・ハーネット男爵令嬢に対し、数々の非道を行ってきた!とても未来の王妃のすることとは思えない!君のような女性は、私にはふさわしくない!ここに私と君の婚約を破棄することを宣言する!」


 エルネストがふざけたことをほざいているが、相応しくないのはエルネストのほうだ。エルネストこそアリアに相応しくない。

 自分の隣でほくそ笑んでいる女の本性にも気づかず、心優しく気高いアリアを陥れるなど言語道断だ。


(だいたい、何だあの細っこい体は?あんな体で愛する女性を護れるとでも思っているのか?いや、仮にもエルネストは王太子だから、自分で護らなくていいのか…。…いや、だめだろ。男としてだめだろ。愛する女性くらい自分の力で護ってみやがれ!)




「…殿下、発言をお許しください」


 アリアが凛とした声でエルネストに発言の許しを請う。


「何だ!言い訳でもしようというのか!言ってみろ!」

「…ルル・ハーネット様に行ったという数々の非道ですが、わたくしには全く身に覚えのないことでございます」

「「「「「何だと!」」」」」


 アリアの言葉に、エルネスト以下四人の攻略対象の面々が気色ばむ。ふしぎなことに、あの面々の誰一人として、何故かあの転生ヒロインの正体に気づかないのだ。あいつらの頭の中身は本当にどうなっているのだろうか、もしや強制力というやつでも働いているのだろうかとベルナルトは訝しむ。アリアの方が百万倍は素晴らしいだろうに。


「そんな~。殿下、嘘ですぅ。わたし、本当にアリアさんにいじめられて…うぅ」


 すかさずルルがエルネストに舌足らずな口調ですがりつく。エルネストの腕に自分の胸をすりつけているが、あのささやかな胸にいったいどれほどの効果があるのか。


(……結構きいている?そんな馬鹿な⁉)


 あれっぽっちのふくらみで何故あんなに鼻の下を伸ばすことができるのか、ベルナルトには理解不能だ。もし同じことをアリアにされたのなら、ベルナルトとて鼻の下を伸ばす自信はあるが。


「わかっているよ…ルル。アリア!貴様この期に及んで罪を逃れようとは…。こんな女を貴族の身分としておくなど、許されたことではない!衛兵!アリアを捕らえよ!王宮の地下牢へと繋いでおけ!」


 エルネストの言葉に従い控えていた衛兵たちが一斉に動き出した。衛兵の一人がアリアに手を伸ばすが、その直前でベルナルトに投げ飛ばされる。


「ベルナルト様…!」


 アリアが美しい瞳を見開き、ベルナルトの名を呼ぶ。


「ベルナルト!お前…その女を庇おうというのか!」

「ベルナルト!お前騙されているぞ!」

「そうだよ!ベルナルトさん!そいつはルルに対してひどいことばかりしたんだよ⁉」

「…血迷ったか…ベルナルト…」

「ベルナルト君…残念だよ」


 エルネスト以下四人が、口々にベルナルトを非難する。


「当然ではありませんか?何一つとして罪を犯していない令嬢を牢につなげなどと…とても看過できることではありません」


 アリアを背に庇い、ベルナルトはエルネスト以下四人と対峙した。



「エルネスト殿下、今この場に王はおりません。先ほどのお言葉…撤回するなら今の内です」


「何を…撤回などしない!その女はルルをいじめていたのだぞ!」

「その女…ですか。己の婚約者に対して、酷い言いようですね」

「酷いのはそっちじゃないか!ルルは泣いていたんだよ!」


 知っている。つばを目じりに一生懸命つけながら、泣きまねをしているところなら何度も見た。常にルルの半径一メートル以内にいる者たちには近すぎて見えなかっただろうが、遠くからならよく見えるのだ。下を向いて小細工をしているルルの姿が。


「親の形見のブローチをアリア君に捨てられたそうだよ?…ひどいとは思わないかい?」


 思わない。そのブローチをルル自身が買っているところを、ベルナルトは目にしている。アリアへのプレゼントを探しているときに偶然見かけたのだ。そして自分で窓から投げ捨てているところもばっちり目撃している。これは本当に偶然だ。


「…教科書を…破られたそうだよ…。陰湿だ…」


 …たしかに、陰湿だ。やはり自分には根暗系は無理だった。そもそも教科書を破いたのはアリアではない。ルルだ。整理されていない机の奥に教科書を突っ込んだまま、さらにものを詰め込んだために起きた悲劇だ。放課後の教室でそれに気づいてアチャーという顔をしたあとすぐにニヤリと笑ったルルの姿を、アリアを探しに来ていたベルナルトがちょうど目撃している。


「階段から突き落とされそうになったんだぞ!………お前が助けたから事なきを得ているが」


 あれには驚いた。突然降ってわいてきたから何事かと思ったが、一応は助けておいた。助けた後に頬を染められて気分が悪かったが。だが、あの時ルルのほかには誰もいなかった。逃げていく足音も聞いていない。恐らく自作自演だろう。


「…先ほどの話。そのすべてに証拠はあるのですか?」


 絶対ないだろうとは思ったが一応は聞いておいた。


「そんなものなくとも、いじめられていた本人の証言だけで十分だ!」


 ベルナルトの予想どおりにエルネストが叫ぶ。だが、いくらお約束とはいえ少々酷すぎないだろうか。これで本当に王太子なのか怪しく思えてくる。もしや影武者とかではないだろうなとは思ったが、影武者のほうが本物よりも優秀なのはお約束だ。やはり強制力なのだろうか。以前はここまで馬鹿ではなかった。


「…話になりませんね」


 ベルナルトはうっかりため息をついてしまった。王太子に対して不敬極まりない。

 エルネストの顔がみるみる赤く染まってゆく。もとより比較されがちなエルネストとベルナルトであったため、よけいに頭にきたのだろう。


「うるさい!おい、衛兵!こいつも一緒に捕らえろ!」


「そんな…ベルナルト様!」


 背後でアリアが心配そうな声をあげる。


 ベルナルトは床で伸びている最初に襲い掛かってきた衛兵から剣を奪い、それをまっすぐに残りの衛兵たちに向けた。ベルナルトの強さは王宮の者ならば誰でも知っている。この五年間でベルナルトの剣の才能は完全に開花していた。世襲制である宰相の息子でありながら王国騎士団からの誘いが絶えぬほどに。



「ベルナルト!お前…その女のために人生を棒に振るとでも言うのか!」



 エルネストの問いに、ベルナルトは見る者の心を奪う艶やかな笑みを浮かべた。その笑顔を直接むけられたエルネストの頬が心なし赤いのはきっと気のせいだろう。



「ええ。その通りですよ、殿下。今の身分も。未来の地位も。この命さえも。アリア嬢のために捨てるのならば、何も惜しくはありません」



 王族の命を受けた衛兵に剣を向ける。それは王家に剣を向けることと同義だ。


 本当に、アリアのためならば、すべてを捨てても惜しくはなかった。



 エルネストに蔑ろにされながらも気高さを失わないアリア。

 己もつらいだろうにルルに侍る婚約者を持つ令嬢をなぐさめる心優しいアリア。

 前世のベルナルトの理想の体現者であるこの世で一番美しく愛らしいアリア。


 何人たりとも、アリアの心と体に傷一つ付けることは許さない。

 アリアのためならば、たとえ火の中だろうが水の中だろうが、ベルナルトは喜んで突き進んで見せるだろう。



「ベルナルト様…」

「うう…ベルナルトぉ。カッコいいよぉ…」



 愛しいアリアの声以外にも何か聞こえたが、そんなものは無視だ。ベルナルトは剣を構え直し、アリアを後ろに下がらせた。さすがに数が多いため、殺さず捌く自身はない。さて、どうしたものかとベルナルトが考えていると、




「静まれ!お前たち!」




 国外へ出ていたはずの王の声が会場に響いた。王がいないことを分かっていたからこそ、卑怯にもエルネストたちは、断罪に踏み切ったのだ。


 王の登場に、ベルナルトはほっと息を吐く。ギリギリだがなんとか間に合ったようだ。









 今日、この卒業パーティーでエルネストがアリアを断罪することは分かっていた。ゲームでは、ヒロインのルルがどの相手を選んだとしてもアリアは断罪される。

 もしルルがゲームのままのヒロインだったなら事前にどうにかすることも出来ただろう。または、今のルルが普通の感覚を持っていたなら、それも話し合いでどうにかできたかもしれない。 

 

 だが、転生ヒロインであるルルは逆ハーを狙っていた。エルネスト以下四人に満遍なく愛嬌を振りまき、体を使って篭絡していた。攻略対象の様子を見ていれば察しがついたし、ベルナルトにも粉をかけてきたことがあったから、それは間違いないだろう。


 ルルがせめて誰か一人に的をしぼっていたのなら、話し合う価値はあったのかもしれない。だが、ルルはすべてを手に入れることを望んだのだ。


 それに、アリアとエルネストの婚約問題もあった。ルルを排除してしまってはアリアが手に入らなくなるかもしれない。アリアとエルネストは、何の問題もなければ、卒業後、すぐに式を挙げることになっていた。アリアを手に入れる一番確実な方法が婚約破棄という言葉をエルネストに言わせることだったのだ。


 もちろん、アリアがエルネストを愛していたのなら別の手を考えた。だが、アリアはエルネストを愛してはいなかったし、この世にベルナルトよりもアリアを幸せに出来る男などいないと信じていた。だから、ベルナルトは辛抱強く待ったのだ。今日、この時を。


「ち…父上。なぜここに…?」

「このたわけもの!私のいない間になんてことをしてくれたのだ!」

「ですが…!アリアはルルをいじめて…」

「そこの男爵令嬢をか?」

「そうです!アリアは嫉妬心から心優しいルルに対してひどいいじめを行っていたのです!そんな女に王妃はふさわしくありません!ルルこそが王妃にふさわしい!」

「そうか…王妃にふさわしいか。そこの娘は王家の影が提出した報告書に載っていた敵国の間者の可能性がある娘だったはずなのだがな?」

「な…⁉なんですか、それは!」

「この国の王太子と高位貴族の子息たちを手玉に取り、国を傾けようとした女間者であるとの疑いが、その娘にはかかっておる」

「そ…、そんな!何かの間違いです!」

「ほう…。ではお前はそこの娘に篭絡されていないと?」

「されていません!私はただ、いじめられて泣いているルルを慰めようと…」

「慰めようと…生徒会室でことに及んだと?しかも一度ならず何度も」

「な…!」


 エルネストはそれきり言葉を失う。違うと言い訳しようにも、すでにここまで知れているのならそれは無駄な行為というものだ。エルネストにもそれがわかったのだろう。  

 そもそも王太子である自分に監視がついていることを、なぜエルネストは知らなかったのだろうか。よほど信頼されていなかったのか、あるいはそのことに気づくかどうか、資質を見極められていたのか。

 どのみち、エルネストは王の期待を裏切った。それだけは確かだ。


「馬鹿め…王家の血を軽く扱いすぎだ」


 王位継承権の問題はいつの世も血なまぐさいものだ。一時の情熱でほいほいと関係を持っていたら、そこら中王族の庶子であふれてしまう。そういった教育もちゃんと施されているはずなのだが、エルネストには効果はなかったらしい。


 恐らくエルネストは王太子から降ろされる。だが、幸いエルネストの下には優秀な第二王子であるアランがいる。アランはまだ十にも満たない年齢だったが、むしろ王太子教育やその婚約者の王妃教育を行う時間がとれてよかったのかもしれない。

 ベルナルトは断然第二王子推しだ。アリアとも年齢差があるため、スライド式に婚約者のすげ替えなどという事態にもならないからだ。


「ル、ルルが間者など…、何かの間違いということは…」

「そちらに証拠はないのだろう?だが、こちらにはある。先ほども言ったように王家の影の情報と、あとはベルナルトも随時報告してくれていたからな。それに…」


「嘘よ!」


 王の言葉を遮り、ルルが大声をあげる。


「ル、ルルっ」


 ルルに侍る攻略対象たちもさすがに今の行動はまずいと思ったのだろう、全員顔色が悪くなっている。王の言葉を遮るなど、王太子であるエルネストにさえ許されていない。


「私が間者なんて嘘だわ!でっちあげよ!どうせアリアがベルナルトに嘘を吹き込んだんでしょ!」


「ほう。王太子のみならず、そちらにいる高位貴族の子息たち全員と寝ておきながら、間者ではないと申すか」

「ちょっ…」

「「「「「ぜ…全員?」」」」」


 王の言葉に、攻略対象たちは唖然としてルルを見つめた。さすがのルルも羞恥に顔を真っ赤に染めている。


「お前に間者の疑いがかかってからすぐに、お前にも影をつけた。…そちらの四人にもな。まったく、所かまわず盛りおって…親が泣いていたぞ?」


 真っ赤な顔のルルと違い、攻略対象は全員、顔色が青を通り越して真っ白だ。それはそうだろう。王から監視対象とされたうえ、ほとばしる青春のあれこれを親にまで見られたのだ。

 ベルナルトはさすがに少しばかり彼らに同情した。自分とてアリアと出会っていなければ誘惑に負けていた可能性もある。

 いくら好みじゃないとはいえ、ヒロインであるルルは普通に美少女だ。その美少女に肉体を駆使して迫られたら、お年頃の若者である彼らにとって、その誘いを毅然と断るのは至難の業だろう。ちなみにベルナルトはアリアと比べてしまうため、ルルにはまったく食指が動かない。



「エルネスト…残念だが、お前には王太子の座を降りてもらう。王太子の座は今日から第二王子であるアランのものとする」



 王の言葉を聞いたエルネストが、膝から崩れ落ちた。






 ルルとエルネスト以下四人は、王の命令で牢へと連れていかれた。アリアが入れられそうになった地下牢ではなく、貴人専用の牢だ。ルルは連れていかれるさい何かを叫んでいたが、すぐに衛兵に口をふさがれてしまったため、その言葉は誰の耳にも届かなかった。


「ベルナルト、すまなかったな。アリアを守ってくれて助かった。公爵家の令嬢に対して冤罪をかけたうえに地下牢に入れるなど…王家の信用が失墜するところだった」


「いえ。これは私の意思でしたことですので…」


 王からの労いの言葉に、ベルナルトは頭を下げる。



「…お前がいてくれれば、アランの治世は安泰だな」


 そうはいいつつも、王の声はどこか沈んでいた。―出来れば、エルネストを支えてほしかった。王はその言葉を決して口には出さないだろう。しかし、ベルナルトには王のその気持ちが痛いほどに伝わってきた。

 しかし、結局のところエルネストは王の器ではなかったのだ。それは親である王とて、すでにわかっていたことだろう。わかっていてなお、諦めがつかなかったのだ。


 ルルが現われてからのエルネストの評判は、どんどん地に落ちていった。長年の婚約者をないがしろにしたあげく、至る所で男爵令嬢との友人の枠を超えた行為を生徒に目撃されていたし、生徒会室で逢瀬を重ねていることなど学園中が知っていた。ひどいときには、廊下にまで声が漏れていたのだから。

 

 未来の臣下である学園の生徒たちは、とっくにエルネストを見限っていた。


 だが、王は側妃の子である第二王子よりも、こよなく愛した亡き正妃の子であるエルネストを王位につけたかったのだ。だから、取返しがつかなくなるところまでエルネストに見切りをつけることができなかったのだろう。

 

 エルネストのことに関しては、ベルナルトも多少の責任を感じている。アリアと出会ってからのベルナルトの行動原理は常にアリアを基にしていたためエルネストの救済までは手が回らなかったのだ。本来なら、ベルナルトはエルネストを支える立場にあったにも関わらずだ。


 ベルナルトは今回の断罪劇のことを事前に知っていた。それは前世の知識からでもあるし、現実に情報を手に入れてもいた。もしベルナルトがこの断罪を未然に防いでいたら、ペナルティを受けこそすれ、エルネストはきっと王太子を降ろされることはなかっただろう。

 

 だが、どうしてもベルナルトはアリアが欲しかった。


 アリアとエルネスト。その両者を天秤にかけたとき、ベルナルトは自分でも驚くほどに何の迷いもなくアリアに手を伸ばしていた。




「ベルナルト様…」


 王の傍を離れたベルナルトに、父である公爵に付き添われたアリアが駆け寄る。


「ベルナルト様…ありがとうございました」


 ベルナルトを見上げるアリアの瞳には涙が浮かんでいる。普段勝気なアリアが心細そうに眉を下げている姿に、ベルナルトはたまらなくなった。アリアを抱きしめようと腕がうずいたが意思の力で何とか抑えつけた。


(だめだ。我慢しろ。公爵がこちらを睨んでいる。というか何故睨む?娘の恩人じゃないか。もちろん、恩に着せるようなことは一切するつもりはない。するつもりはないが…)


 ――この状況は最大限利用させてもらう。



 ベルナルトはアリアの前に跪いた。



「ベルナルト様…⁉」

「アリア嬢。初めてあなたにお会いした時から、私の心はあなたのものです。これから先、何があろうともあなたをお護りします。たとえこの世のすべてを敵にまわしても」

「ぐぬぬぬっ!」

 

 公爵が心底悔しそうに絶妙な合いの手を入れるが、誰も公爵のことなど気にしてはいない。断罪劇から一転、突如はじまった愛の告白を、会場中が固唾をのんで見守っている。なかにはすでに感極まって泣いている者さえいた。


 エルネストからの不遇な扱いを耐え忍ぶアリアと、そのアリアを静かに見守るベルナルト。二人の悲恋は今や学園中の令嬢たちの心をがっちりと掴んでいた。二人ともまたとても美しいものだから、なおさらに想像を掻き立てられたのだろう。



「愛しています。アリア嬢。……どうか私の手をとってください」


「ぐぬぬぬぬぅっ!」


「…はい。ベルナルト様」



 幸せそうに微笑みベルナルトの手をとるアリアの姿に、会場中から祝福の声があがった。







 ―1年と半年後―







「アリア、とても奇麗だ」

「まあ、ベルナルト様ったら…」



 ベルナルトの賛辞に恥じらい俯くアリアは、最高に愛らしい。


 二人はあの騒動のあとほどなくして婚約を結びなおし、アリアの卒業を待って式を挙げることに双方の家が合意した。そして、今日がその人生最良の日。


 今日、アリアはベルナルトの妻となる。


(ああ。長かった…)


 白いドレスを着て幸せそうにベルナルトを見上げるアリアに、ベルナルトは感激のあまり泣きそうになった。

 




 今日まで平穏に過ぎたわけではない。アリアは公爵家の一人娘だったため、エルネストに嫁いだあとは養子が公爵家を継ぐはずだった。だが、こともあろうにあの断罪劇に出演していた者の中に、その養子であるアリアの義弟がいたのだ。


 もちろん、愛娘を陥れようとした義弟を公爵が許すはずもなく、それにより公爵家の跡継ぎ問題が発生してしまったのだ。

 通常ならばアリアが婿をとり公爵家を継げばよかったが、アリアが選んだベルナルトが代々宰相を世襲する侯爵家の一人息子だったため、そこで話がこじれてしまった。

 一時は互いの両親から婚約の見直しという話まで出てしまったが、それについてはベルナルトもアリアも頑として首を縦に振らなかったため、からくもその話は回避されることとなった。

 

 もとよりベルナルトはアリアと添うためなら何を犠牲にしてもかまわないと思ってはいたが、アリアにその犠牲を強いるつもりは全くなかった。

 もしアリアがベルナルトとの別れを望んだのなら、断腸の思いでベルナルトはそれを受け入れただろう。そこまで思っていたからこそ、ベルナルトを選んでくれたアリアの気持ちがベルナルトには本当に嬉しかったのだ。


 最終的には、宰相であるベルナルトの父がベルナルトとアリアのこどもの一人に侯爵家を継がせるという約束を公爵家に取りつけることで解決した。


 結婚後すぐこどもが生まれたとしても、長男はのちの公爵家の跡取りとなるため、侯爵家の跡取りは次男以降がその役を負うこととなる。だがベルナルトの父はまだ若く壮健だ。時間がかかろうが、そこは心配はいらないだろう。

 宰相の仕事については、父が元気なうちは父が行い、その補佐としてベルナルトがつくこと、もし父に何かあった場合はベルナルトとアリアの子が成長するまで、中継ぎでベルナルトが宰相を務めることとして解決した。


 公爵の仕事はアリアが行うこととなった。王妃教育を完璧に修めていたアリアならこれから公爵の仕事を学んでも十分にその役割を果たせるだろうと見越してのことだ。実際、アリアは学業と当主教育を同時にこなし、その優秀さを周囲に知らしめた。

 そしてそちらの補佐もまた、将来ベルナルトが行うこととなったが、ベルナルトの頭は驚くほど優秀だったため宰相補佐と公爵の補佐、両方受け持ったとしても何の問題もない。



「アリア、私は幸せだ。君と共に人生を歩めることが、本当に奇跡のように思える」


「わたくしもよ…ベルナルト。こんな幸せが待っていたなんて、一年前のわたくしは考えもしなかったわ」


 ベルナルトはアリアのこめかみに口づける。本当は唇にしたかったが、紅が落ちては大変だ。化粧直しには手間がかかるのだ。特に花嫁の化粧には。





 美しく、優しく、気高いアリア。前世の、いや、ベルナルトの最愛で、理想の女。今日までどれほど我慢したことか。アリアと出会い、ベルナルトは変わった。アリアとの何気ない日々が、乾いた己の心を徐々に潤わせていくのをベルナルトはずっと感じてきた。


 愛しい愛しい、ベルナルトのアリア。ようやく、思う存分愛でられる。



 ―ああ、今夜が楽しみだ!


 

 ベルナルトの顔には壮絶な色気を含む笑みが浮かんでいた。


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