04. 薬草を摘みに(2)
「……っ」
振り返って息を呑む。町や森の入口で見かける小鳥とは違って大きな鳥だ。私の身長の半分くらいはありそう。
広げられた羽が日光を遮って暗い。赤く光る目に見下され、強い威圧感に鳥肌が立った。
――怖い。
走る足がもつれそうになる。黒い鳥が鋭い前足を私のほうに突き出してぐんぐん近づいてくる。
突然、鳥の顔に小さな炎が当たった。鳥は顔を少し横に動かしただけだったけれど、空中で動きを止める。
「キ……キャウッ!」
鳴き声が聞こえたほうを見ると、茂みの向こうに隠れたはずのユユちゃんが鳥を睨みつけていた。
でも尻尾は下向きにくるんと丸まっているし、小さな体が震えてる。
ユユちゃんに比べれば倍くらいの大きさの鳥。怖くて当たり前だ。
「クァッ」
怒りの色が浮かんだ鳥の目がユユちゃんを捉える。鳥がユユちゃんに向かって突進していく。
「ユユちゃんっ!」
慌てて鳥を追いかけたけれど、私の足で間に合うわけがない。
でも鳥のくちばしがユユちゃんに当たる前に、ルディが鳥を体当たりで吹き飛ばした。
「グルルルルゥ……」
聞いたことがないくらい低い声でうなって、ルディが私たちを背にかばうように前に出た。
ルディがちらっと私に目を向ける。私ははっとして、ユユちゃんを抱えて駆け出した。
「キュ、キャウ!」
「ごめんユユちゃん、じっとしてて!」
腕の中で暴れるユユちゃんを落とさないよう気をつけながら、必死で走る。
ルディとは一瞬目が合っただけだけど、ユユちゃんを連れて逃げろって、そう言われた気がしたから。
「きゃっ」
木の根を踏み越えようとしたら足が滑った。ユユちゃんを落とさずにはすんだものの、思いっきり尻餅をついてしまって痛い。腕に下げていたかごからも薬草がこぼれ落ちた。
座り込んだまま肩で息をする。私の腕から抜け出したユユちゃんが、落ちた薬草を拾ってかごに戻してくれた。
「ルディならきっと大丈夫だよ……ね?」
何の根拠もないまま声をかけてみる。ユユちゃんは黙ってうつむいた。
走ってきた方向を振り返ったけれど、草木に隠れて何も見えない。ただ遠くで鳥の鳴き声がした。
ルディに何かあったらどうしよう。
魔物に会ったら逃げると即答していたルディは、魔物と戦ったことなんて無いんじゃないのかな。
ポーションは家に帰らないと作れないから、もし怪我をしていたら薬草を使うしかない。でも薬草の効果はあまり高くないから、軽い傷くらいしか治せない。
さっきの鳥の足の爪やくちばしの鋭さを思い出したら震えてきた。
「ごめんね。私が二人みたいにもっと速く走れたら、ルディを置いて逃げる必要もなかったのに」
膝に顔をうずめる。やっぱり採集は森の入り口だけにすればよかった。そうしたらこんなことには――
ぺろん、とユユちゃんが私の手の甲を舐める。顔を上げたら、ユユちゃんが私の膝に手をついて、私の頬にふわふわの頭をすりつけてきた。
慰めてくれてるのかな。
「ユユちゃんは優しいね」
初めて会ったときだって、お父さんを探すことを諦めたばかりで辛かったはずなのに、泣く私をずっとなでてくれていた。
「助けてくれてありがとう」
あったかいユユちゃんを抱いていたら、次第に震えはおさまった。
どうしよう、ルディの様子を見に戻る?
鳥は怖いけど、もしルディが怪我で動けなくなっていたら手当てをしなきゃ。でももしまだ鳥がいるところに戻ってしまったら、ルディが私たちを逃してくれた意味がない。
迷っていたら、ユユちゃんが鼻をぴくっと動かして、私の腕の中からするりと逃げた。
「ユユちゃん?」
「キャウ!」
走り出したユユちゃんを追うために慌てて立ち上がる。
振り返ると、ルディがこっちに向かって走ってくるのが見えた。
「ルディ!」
ユユちゃんはもうルディのところまでたどり着いて、尻尾をぶんぶん振りながらルディの周りを回っている。
私もルディに駆け寄ると、彼の前で両膝をついた。
「大丈夫!? 怪我してない!?」
「わふっ」
頷くルディ。白い毛皮に血は見つけられない。
ほっとしたら視界がにじんで、私はルディの太い首に抱きついた。
家を出るときはふわふわだった毛が、あちこち絡まって玉になっている。
でも、あったかい。夢でも幻でもない。ちゃんと生きて――ここにいる。
「わ……わふっ」
ルディが戸惑ったような声で鳴いたので、私はゆっくり体を離した。
◇
家に帰ってすぐ、ルディとユユちゃんは人間の姿に戻った。
三人で食事の準備を始める。たくさん歩いて走って、もうお腹はペコペコだ。早く食べたいからパンとサラダとスープ、焼いたお肉くらいにしよう。
「あーやん、今日はごめんな。怖い思いさして」
野菜を洗いながら、申し訳なさそうにルディが言う。
「ううん。ちょっと大変だったけど、薬草がたくさん集まって助かったよ」
「なら良かったけど……次からはオレとユユだけで行くようにするわ」
「取ってきてもらうなんて悪いよ」
「あーやんには世話になってるし、薬草くらい取ってくるって。なあユユ」
テーブルに食器を並べてくれていたユユちゃんは、「うん、行く!」と笑顔で手を挙げた。
ルディがちょっと笑ってから私に視線を戻す。
「と、いうわけで、次に薬草が必要になったらかごだけ貸してな」
「うん……」
確かに私は二人についていけないし、森を歩くにも逃げるにも足手まといだった。私がいなければ鳥の魔物からもさっと逃げられただろうし、私がいないほうが二人は安全かな。
「そういえば、あの大きな鳥はルディが倒したの?」
「追っ払っただけや。あんなんオレに倒せるかい。あーんな鋭い嘴と爪で刺されたらオレなんか瞬殺やで……あ」
突然ルディが力をなくしてその場にしゃがみ込む。私は手にしていた包丁を慌てて置くと、その場で両膝をついた。ユユちゃんも駆け寄ってきて、ルディの隣に座る。
「どうしたの? 大丈夫?」
「はは……思いだしたら今頃怖なってきたわ……」
ルディはうつむいていて、どんな表情をしているのかわからない。でも床についた手が震えてる。
「オレ、こんなやからユユにヘタレって言われんのよなあ……」
「そんなことない!」
私はルディの手の上に自分のそれを重ねて軽く握った。
「あの時のルディ、すっごく格好良かったよ! ね、ユユちゃんっ」
「……うん。ヘタレ言うてごめん」
ユユちゃんは少しバツが悪そうにしているけれど、素直に頷いた。
ぱっと顔を上げたルディは、私たちを順に見てから頬を赤くした。
「あ、ありがと」
もうルディの手の震えは止まったけれど、代わりにすごくぽかぽかしてきた。ルディの耳に目を向けると、予想どおりに赤くなっている。
私より体の大きな男の人を相手に、可愛いって言うのも変だけど。狼の姿を見慣れてしまったせいか、そう感じる。
真っ赤な耳もきっと温かいんだろうな。つい空いている手をルディの耳に向かって伸ばしかけたけれど、
「あの、あーやん、そろそろ手ぇ離してくれる……?」
消え入りそうな声でルディがそう言ったことで、はっとして重ねていた手をどけた。
私、いま何しようとしたの!?
自分からルディの手を握ったこと以上に、顔に触れそうになったことに動揺した。今更恥ずかしくなってきた。何やってるんだろう。
動悸がしてきたことをごまかしたくて、急いで立ち上がって調理を再開する。ルディも少し遅れて野菜を洗う作業に戻った。
顔が熱くてルディに視線を向けられない。でもルディも、持っていた野菜をシンクに取り落としてあたふたしている。
「……、やっぱりお兄はヘタレやわ……」
背後でユユちゃんがぼそっと呟いた台詞は、聞こえなかったことにした。