他人の話
今までの話の中にもよく出てきたと思う他人の話をしようと思う。
それは筆者である自分の思考の元になってるものだと思うから、当然短い。きっとこの話も数分で終わるだろう。
あと、ほとんどの人には理解し難いものだろうけど、まあそういうものだ。ヴォイニッチ手稿のパクリとでも捉えてくれ。
君たちの意識が絶対に確信できるもの、要はこれは絶対に存在する。といえるものはなんだろう。
まあ答えは既に出ていて、そう、それ。ここから「 。」を3つ越えて最初らへんにあるやつ。意識だ。
君たちには意識が存在する。だから人間だ。
ところで、死ぬ寸前の人が行う呼吸を見たことはあるだろうか。炎上上等でその時の自分の感想を記そうと思う。
#/caution!caution!/
最近誰かが死んだのを見た人は見ない方がいいかもね。
あれは獣だ。人間としての彼女はもうそこに居ないように感じたよ。例えるなら昆虫が死ぬ間際の様子みたいな。
さて、まず1つ目の思考回路の要素は、
人間とは意識である。
これだ。意識ではなく意思かもしれない。あんまり差はないだろう。だから気絶した人はその間人ではないし、死んでても考えられるのならば人間だ。意識を持った石があったならそれも人間だ。
そして2つ目の話だ。意識があるかどうか。それが本当にわかるのはきっとその自分自身だけ。だってその意識を意識できるのは自分だけだもの。
何かいろいろあるのかもしれないけれど、それが本当に正しいかは怪しい。何せ物事に絶対はないって言われてるからね。
だから意識する自分だけが絶対の存在なんだ。
これが2つ目の要素。
この世に存在するのが確定しているのは自分だけ。
屁理屈みたいなものだけれど、他人の意識は観測できない。
もしかしたら全て自分の作りだしたキャラクターなのかもしれない。
それらを観測しているのは自分だけだ。
だから観測者である自分だけは必然的に存在している。そして観測しているのは現在の自分だけだから過去の自分も証明できない。当然未来も。
次のは前の話でもしたように、
観測されることで初めて存在が認められるんだ。
これが3つ目かな。
だからもし幽霊が見えたのならその幽霊は存在する。多分これは普通とは反対の考え方なのだろうけれど、観測されるから存在するんだ。だから目を閉じたとき、そこには見えない何かしか存在しない。耳も鼻も塞げば、温度のある何かしか存在しない。って言うことになる。
道を歩くと曲がり角があった。その先は存在していない。曲がる寸前まで存在しない空間から急に穴が空いて転げ落ちる。そんなことがあるかもしれない。
目を隠してお前の血液と言ってぬるま湯をかけると貧血?失血死?をおこした。っていう実験があったと思う。これも、錯覚と言われているけれど、やられた人の世界では、出血したっていう事実になる。その後ぬるま湯だったと言われても、過去のその時は出血をしたということになる。なぜなら最初にそう観測したからだ。
まとめよう。
意識が人の証拠であり、それを認識できるのは自分のものだけ、そしてその認識という行為が世界を確定させる。
たったこれだけのことをこんなに長ったらしく説明してた。(なっていないのかもしれないけれど。)
まあ、この考え方3つをもとに筆者は世界を生きているってわけだ。まったくなんてマゾゲーに手を出したんだ。
そして当然死んだ時は観測者である自分がいない世界は無かったことになる。なんの因果も無くなり、無理すらも無い。きっと零次元の世界に行くのだろうね。
どう思う?
感想をいつでも待ってます。