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第6話「亀裂」

 公爵が夫人を伴って訪ねてきたのは昼を過ぎた頃合いだった。


「やあ、レイナルドくん。元気にしていたかね」

「ええ、おかげさまで。まずは客室へどうぞ。美味しい紅茶とちょっとしたお菓子を用意しております」


 年老いた公爵夫婦の隣には小さな女の子がいた。癖っ毛の金髪を短めに切り揃えていて、まだ6、7歳といったところだ。

 そんな少女が夫人の後ろに隠れてこちらを窺っている。


「おや? そこにいるのは、もしかしてアミラかい?」

「……」

「アミラ。きちんと挨拶なさいな。そんなことでは立派な淑女にはなれないわよ?」


 夫人に言われても、もじもじとした態度を崩さない少女。

 レイナルドはふっと笑うと、上着のポケットからハンカチを取り出してから彼女に目線を合わせるようにして見せつけた。


「これは何だと思う?」

「?」


 意味がわかっていない少女に向けていたハンカチをばっと翻すと、レイナルドの手にはいつの間にか赤いバラがあった。

 アミラがびっくりした様子でそれを眺めている。


「先程はすぐに君だと気付けなくて申し訳なかったね。この1年であまりにも美しく成長していたから驚いたよ。今の君はまるでこのバラのようだ」


 彼女にバラを差し出す。

 もちろんトゲはきちんとあらかじめ切り落としてある。

 公爵夫婦に連れられてやってくるであろう少女のために、最初から用意していたものだった。


「まあまあ、素晴らしいわ。ほら、アミラ。お礼は?」

「……ありがとう」


 バラを受け取った少女は少し恥ずかしそうにしながらお礼を言った。

 レイナルドは優しく頷くと、客人たちを案内する。




 客室に通した後は世間話が続いた。

 最近の王侯貴族の動向や経済の話から、隣国との関係など様々な話題が振られる。

 それだけの話題についていけるくらいの教養があるレイナルドはしっかりとした受け答えで応じた。


「――それにしても、最近は奴隷の処遇について盛んに議論されるが君はどう思うかね」


 貴族による奴隷への虐待などは今に始まったことではない。

 だが、一部の貴族が度を越した虐待を行ない、不休の労働を強いることが徐々に問題化していた。

 そのせいで犠牲になった奴隷の数は年々多くなっている。


 極めて難しい問題だ。下手な返答をすれば、それだけでレイナルドの信用は大きく落ちることになる。

 公爵のどこか値踏みするような視線をあえて見つめ返しながら言った。


「今まで通りで何も問題はないでしょう」

「ほう。君には奴隷への愛着などはないと?」

「最近の騒動はあくまでも一部の貴族の暴走に過ぎません。奴隷の待遇を良くしたところで何が変わるわけでもありますまい」


 厳しい目付きをしていた公爵がふっと笑った。


「いや、安心したよレイナルドくん。君はわかってくれていると信じていた。奴隷に対して何かをしてやったところで見返りなど何もないのだからねぇ」


 公爵は保守的で極めて頑迷な思想を持っている。

 富める者に奴隷の気持ちなどわかるはずもない。特に王族とも親しいような彼には最下層の者など同じ人間とすら見ていない節が見受けられる。

 温厚でありながらも強い権力主義を掲げる彼のような男の前では、こういった意見を述べるのが正しい。自らの思想などは関係なかった。


 レイナルドと公爵が話をしている間、公爵夫人は退屈そうにしているアミラのご機嫌取りを行なっていた。

 傍に控えていたメイドがお菓子を用意しようかと言うと、アミラが嬉しそうに頷き、夫人はその行動を窘めながらも「お願いね」と告げた。

 ティーカップを持って香りを楽しんでいた公爵はその様子を横目で見ながら言う。


「あのメイドは確か……子爵家のご令嬢だったかな?」

「ええ。最初こそ不慣れなところもありましたが、最近では頑張ってくれていますよ」

「そうかそうか。使用人に奴隷を使わない方針は今も変えていないのかね?」

「もちろん。貴族家やそれに縁のある者が多いですよ。少数ながら平民の出の者はいますが」

「安心したよ。奴隷のいる屋敷になど長居したくはないからね。あんなものを使うのは貧乏人のすることだ」


 紅茶を一口飲んだ公爵は「そういえば」と呟く。


「レイナルドくん。君の奥方の名前は……ああ、何だったかな」

「コーデリア、です」

「おお、そうだ、コーデリアだ。失礼。この歳になると、どうも記憶力が落ちてしまっていけないね」


 白々しい、とレイナルドは内心で毒づいた。

 公爵は身分を重んじる。故に貴族のレイナルドと平民の出のコーデリアが結ばれたことに対して思うところがあるようだった。

 それは侮蔑や嫌悪の感情だけではなく、一種の優越感とも言えるかもしれない。


 公爵夫人もまた名門の貴族の出である。

 年老いて白髪が増え、顔に皺が刻まれた今となっても凛とした佇まいをしていて実年齢を想起させないほどだ。

 彼らが結婚した当初は国中で祝われたほどだという。それほどに影響力のある貴族なのだ。


「ブレーゼ伯爵家の嫡男が、平民の出の女性と結ばれるとは……今になっても夢まぼろし、あるいは見間違いかと思うほどだ」


 公爵は元々レイナルドのことを快く思っていなかった。

 彼が若くして当主となったことに加え、ブレーゼ伯爵家の財は公爵家と比べても同等かあるいはそれ以上だった。

 それが気に入らなかったのだろう。最初のうちは話しかけてもまともに取り合ってもらえないことばかりだった。


 しかしレイナルドがコーデリアと結ばれてから、公爵の態度は一変する。

 今までろくに顔を見もしなかった彼が友好的に話しかけてきたり、こうして伯爵家の晩餐会に招かれたりと何かとレイナルドと親しく接するようになってきた。

 すべてはコーデリアが平民の出だからに他ならない。この男はそれが愉快で堪らないのだ。彼が裏でレイナルドとコーデリアに関してどのようなことを噂しているのかも聞き及んでいる。


「それで、コーデリアはどこにいるんだね?」

「妻は体調が優れず、部屋に籠もっております。せっかくの晩餐会だというのに申し訳ない」

「んん? そうなのかね? いやいや、それはかわいそうだ。私も妻もコーデリアの美しい顔を見るのが楽しみだったと言うのに」


 公爵夫人は微笑を湛えたままだ。その裏にある感情が透けて見えるような気がして、レイナルドは人知れず握り拳を作って耐えた。

 昨年の晩餐会で公爵は終始ご機嫌だった。何かとレイナルドに話しかけては、コーデリアとの馴れ初めや夫婦生活などを聞きたがり、それを話す度に口角を上げるのだ。

 コーデリアは聡い女性だ。貴族からの嫌がらせも受けていたという彼女は、公爵の優しい仮面の奥にある感情を敏感に感じ取ったのだろう。決して表には出さなかったが、公爵のことを酷く嫌っている様が見て取れた。


「コーデリアは大丈夫なの? あの愛らしい顔を少しだけでも見ていきたいわ」


 夫人もまた公爵と同類の人間だ。

 コーデリアの平民とは思えないほどの美しさに嫉妬を覚えているのは見るだけでわかった。

 若い女性への妬みもあるのか、執拗にコーデリアに話しかけては彼女があまり話したくないような事情にもずけずけと踏み込んできたものだ。


 今の不安定なコーデリアをこの2人に会わせるのは躊躇われた。

 だから、彼女には今は寝室から出ないようにと告げていた。

 厨房では今もなお、コーデリアのために料理が作られ、寝室へと運ばれている。幸い、客室とは離れているから不審に思われてはいないようだった。

 公爵が連れてきた馬車の運転手や少数の使用人たちは屋敷の離れへと案内している。こちらも気にされることはないだろう。


「体調が戻れば、晩餐会だけでも参加するように言っておきます」


 嘘だった。今夜はコーデリアには寝室に籠もってもらい、公爵たちの相手は自分1人で務めるつもりでいた。

 もしかしたら公爵は無礼だと言って怒り出すかもしれない。ブレーゼ伯爵家の名に傷がつく可能性も高い。

 だが、今のコーデリアを見た彼らが何と言うかは火を見るよりも明らかだ。その言葉でコーデリアの内心には深い傷痕が刻まれるに違いない。伯爵家の名誉などそれに比べれば、大したことではない。

 レイナルドはそれからも続く公爵家の者たちとのくだらない会話に付き合い続けた。




 晩餐会はつつがなく進行していった。

 いつもの晩餐の時間よりも早めに食事を始めていた。

 少しでも早く公爵家の者たちを食堂から追い出して、客室へ移動してもらうために。


 料理人たちにはとにかく早く準備をさせる。

 食べ切れないほどの量の皿を次々とテーブルに並べ、必然的に会話よりも食事に専念させることにした。

 公爵家の者に対して無礼にも程がある対応だったが、仕方がないとしか言えない。


 目の前に運び込まれてくる料理の多さに辟易としていた風だった公爵だが、ふとこんなことを口走った。


「皿を別の場所に運んでいるようだが、奥方にかね?」

「……ええ。どうしても体調が優れないようですので、今晩は仕方がなく」

「ふむ、そうか」


 明らかに不満げな様子だったが、こちらは素知らぬ顔で通した。

 早く満腹になってもらって、一刻も早くこの場所から離れてもらいたい。

 そうしなければ、コーデリアが満足に食事を出来ないじゃないか。そう思っていた時。


「お、奥さま……! いけません……!」


 メイドが押し殺すような声で言うのが聞こえて振り向くと、そこには茫洋とした表情を浮かべたコーデリアが佇んでいた。

 公爵も夫人も揃ってそちらを見る。

 かつての姿とはあまりにかけ離れた女性を見て、彼らは露骨に眉根をしかめた。


「か、彼女は……誰だね」


 レイナルドは用意していた言葉が頭の中から吹っ飛んでいた。

 コーデリアには事前に厳しく諭していた。すぐに公爵家の者たちとの晩餐会を終わらせるから、それまでは我慢していてくれと。

 だが、それに頷いたはずのコーデリアが立っている。何者をも寄せ付けないような雰囲気を纏って。


 彼女はテーブルに置かれている料理を見つめると、メイドが止めるのも聞かずに歩き始めてテーブルにだんと両手を付いた。幼いアミラが状況を飲み込めずに泣きそうな顔をしている。

 そして野菜やスープなどが盛り付けられた皿を乱雑に掻き分け、ローストビーフの載った皿をひったくるように掴んで引き寄せると高級な牛肉を手掴みで食べ始めた。

 酷く異様な光景だった。顔に複数の出来物のある太った女が、まるで飢えた獣のような仕草で料理を食べ始めたのだから。

 レイナルドにとっては見慣れた光景だったが、当然公爵家の者たちは驚愕を露わにしていた。


「な、何なんだね!? この女は……彼女は一体!?」

「もしかして、コーデリアなの……?」


 夫人の問いかけにも答えることなく、コーデリアはあっという間に料理を平らげて次の皿に手を伸ばし始めた。

 容貌こそ1年前とは大きくかけ離れているが、それでもあの頃の面影はある。長い金髪に美しい青い瞳は紛れもなく彼女のものだった。


「コーデリア、だと……? れ、レイナルドくん、これは一体」

「……ご覧の通りです。どうかお気になさらず」


 レイナルドはもはや説明を放棄した。何をどう言い繕ったところでこの場を治めることは不可能だからだ。

 コーデリアのあまりの異様な風体と乱雑な食べ方を見て、アミラがぐずり始める。

 夫人はおろおろとしながらも孫娘を宥めるが、公爵はコーデリアの顔と所作をまるで化け物でも見るかのような目で恐る恐る窺う。


「こ、コーデリア。久しぶりだね。私のことは覚えていないか?」


 その問いかけに答えることなく、コーデリアは皿の上のものを平らげ続ける。

 大皿を持ち上げて中身を一気に口の中に流し込む。口の中に入り切らなかった食材がこぼれ落ち、彼女の唾液がだらだらと垂れた。

 そしてとうとう我慢できなくなったのか、アミラが泣き始めた。


「なに? なに、あれ? どうしてお顔にあんなぶつぶつがあるの? どうしてあんなに太ってるの? きもちわるいよ……」

「だ、大丈夫よアミラ。落ち着いて……」

「コーデリア。今すぐその無礼極まる行動をやめなさい! 誰の前でそんなことをしていると思っている!?」


 食欲に支配されたコーデリアにはその言葉は届かない。

 レイナルドはおろか、使用人たちもその光景には慣れてしまっていたので誰もが口を挟むようなことをしなかった。

 遂に公爵はテーブルを叩きつけて椅子から立ち上がった。


「レイナルド!! 何だこの女は! こんなにも汚らしく醜い女は見たことがないぞ!」

「お鎮まりください、公爵。妻はいま、精神的に不安定で」

「ふざけるな! 私を誰だと思っている!? そもそもお前のような半端者の晩餐に来たのが間違いだった! 今すぐにでも帰らせてもらう!」


 公爵は荒々しく言って、妻と孫娘を立ち上がらせた。

 夫人は口にこそ出さないものの、おぞましいものを見て吐き気を堪えているのがよくわかった。

 アミラに関しては、もはや完全に人を見る目ではなかった。お伽噺に出てくるような化け物に怖がる少女そのものだ。


「大変な失礼を働いたことをお許しください。ですが、妻は心の病に冒されているのです。どうか責めないでやってくださ」

「あのコーデリアがこんな豚の化け物のようになってしまうとはな! なんだ、あの顔の吹き出物は! ぶくぶく太った醜い身体は! 物語で出てくる化け物でももう少しは品のあるものだ! 汚らわしい!!」

「……」

「所詮はどこの馬の骨とも知れぬ下賤な娘だったな! 伯爵家に嫁いでおきながら心の病とは笑わせる! レイナルドくん、こんな化け物はすぐにでも外に放り捨ててしまいなさい!! 君の地位と財があれば代わりの女などいくらでもいる」

「撤回して頂きたい」

「なんだと?」


 それまで何とか堪えていたレイナルドだったが、先程から握っていた拳には爪が食いこんで血が滲み出している。

 もはや我慢の限界だった。


「コーデリアは私の妻です。代わりなどいようはずもない……!」

「こんな化け物が妻だと抜かすか!!」

「当然だ!! どんな姿になろうともコーデリアは私の大事な女性だ!! 私が誰よりも愛するこの世でただ1人の存在だ! 彼女を貶して辱めることはたとえ王や神が許してもこの私が許さん! 今すぐに撤回しろ!!」

「貴様ぁ……!!」


 公爵とレイナルドが掴み合いになったところで両家の使用人たちが一斉に止めに入った。

 夫人とアミラはすぐにその場から立ち去り、使用人に半ば引き摺られるようにして出て行く公爵が言い放つ。


「この私に恥をかかせたことを一生後悔させてやるぞ!! ブレーゼ家もこれで終わりだ!!」


 その後、公爵はすぐに屋敷から出て行った。恐らくもう二度と交流を図ることはないだろう。

 使用人たちに支えられていたレイナルドは「大丈夫だ、離してくれ」と言って1人で立ち、コーデリアのもとへと向かった。

 彼女はあれほどの騒ぎにもまるで無関心かのように食事を続けている。顔は既に料理の肉汁やスープに塗れてぐちゃぐちゃになっていたので、急いでハンカチーフを取り出して彼女の顔を拭った。


「君は食べるのに夢中だね。いいんだよ、そのままお腹いっぱいになるまで食べなさい」

「……」

「聞いていたかどうかわからないけれど、あんな老いぼれの言うことは忘れていいんだよ。君は私にとってのすべてだ。何があっても君を離したりしないからね」


 コーデリアは答えなかったが、その瞳から一筋の雫が流れるのを見てレイナルドは彼女の身体を抱きしめた。

 そんな夫妻の姿を、使用人の誰もが一言も発しないままじっと見つめていた――。

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