第5話「変化」
コーデリアがウサギを喰い殺してから1ヵ月が経とうとしていた。
彼女はもはや食器を使うこともなく、乱暴な手付きでローストチキンを手に取ってかぶりつく。肉汁が飛び散るのも気にせずに貪り続けた。
レイナルドはそんな彼女の様子をずっと見つめていた。
コーデリアの容姿は変貌していた。
シミ1つなかった顔には複数の出来物が発生し、細身で華奢だった身体は丸々と肥えてしまいもはや見る影もない。
使用人たちは誰もがコーデリアの姿に眉をひそめ、その醜悪な姿を視界に入れないようにしていた。
「コーデリア、おいしいかい?」
その言葉には答えず、彼女はただ貪り食らう。飢え死にそうな野生の獣が必死に獲物を喰らうように。
『奥さまは明らかに異常よ。旦那さまはどうしていつまでも放っておいているのかしら』
『気味が悪いわよね。早く追い出したらいいのに』
昼間にたまたま耳にした使用人たちの会話。
少し前までの自分なら激怒してすぐにでも解雇していただろうが、そうもしていられなかった。
今はとにかく人手が足りない。更に食欲を増した彼女の胃袋を満たすためには、もはや料理人だけでは足りなかったのだ。
そして深夜に近づくにつれ、コーデリアの食欲は徐々に収まりつつあった。
大半の使用人たちはやっと訪れた休憩時間を無駄にしないために、自分の部屋に戻っていった。
残された使用人は古参たちばかりで、誰もがレイナルドが幼い頃より知っている者たちだけだ。
コーデリアは素手で肉を剥ぎ取って口に放り込む。今までと変わらぬ暴食のように思えた。
だが、彼女は時折ずるずると奇怪な音を立てた。
泣いているのだ。青くて美しい瞳から涙を流し、鼻を啜りながら食らい続ける。
最近の彼女は食欲が収まってくると、こうして涙を流す。まるで自分の行なっている行為に罪悪感でも覚えているかのように。
やがて、彼女は食べかけの肉をそっと皿に置いた。
レイナルドが立ち上がり、コーデリアの傍にいって彼女の背中を撫でる。
「今日はもうお腹いっぱいかい?」
「……ええ……」
「そうかい。それじゃあ、まずは口許と手を拭かないとね」
様子を事前に察知していた古参の執事が布巾を持ってきたので、それを受け取って彼女の顔全体を優しく拭いてあげる。
夢中で食事を続けるコーデリアは食べることしか考えられなくなってしまうので、髪や服に肉汁やスープをこぼしてもまったく気にしない。
今日もまた酷い有様だった。顔や手だけではなく、ゆったりとしたドレスまでもがぐしょぐしょになってしまっている。
「着替えをする前に身体も拭かないといけないね。すぐに用意するから待っているんだよ」
コーデリアは静かに頷いた。
やがて身体を清潔にしたコーデリアと共に寝室へと戻る。
彼女はレイナルドのことを見ようとしない。
レイナルドは彼女と視線が合うと、その愛らしい顔を見つめるために顔を覗き込むからだ。今の自分の顔を見られたくなくてそうしているのだろうとレイナルドは思った。
ベッドに座り込んだコーデリアは俯いたまま溜息を吐いた。
そしてずるずると鼻を啜る。大粒の涙が膝の上に置かれた手にぽたぽたと落ちた。
「コーデリア。もう泣かないでおくれ」
顔を覗き込もうとした瞬間、コーデリアはレイナルドを払いのけるようにした。
「見ないで! お願い、見ないで!」
「大丈夫だよ、コーデリア。君の顔をよく見せておくれ」
「見ないで……見ないでよぉ……!!」
癇癪を起こした子供のように叫ぶコーデリアを宥めながら、ゆっくりと彼女の顔を確認する。
余分についた脂肪は脂ぎっていて、先端が赤黒くなっている腫れ物がいくつも出来ている。
「コーデリア。顔の様子はどうだい? 痛かったり痒かったりしないかい?」
「うぅっ……! ううぅぅ……!!」
泣きじゃくるコーデリアの背中を撫でながら、『大丈夫だよ』と何度も声をかけた。
「君は疲れてしまったんだね。伯爵家夫人としての重圧に耐えきれなくて、少しだけ精神が不安定になってるんだ」
「うっ……うぅ……ごめ、んなさい」
「何を謝ることがあるんだい。君を今の立場へと追いやってしまった私に責任があるんだ。君が気にするようなことではないんだよ」
「あなた、あなた」
「大丈夫だよ。私が君を守るからね。食事も取引先を広げて供給を多くしてもらっているし、料理人も募集している。何も気にしないで好きなものを食べるんだ。いいね?」
時間をかけてコーデリアを落ち着かせると、彼女はようやく眠り始めたようだった。
レイナルドは傍にあった椅子に座り込んで溜息を吐いた。
ここのところほとんど眠っていない。自分が眠りこけている間にまたコーデリアの身に何か起こったらどうしようかとそればかり考えていた。
最近はベッドではなく椅子に座って眠るようにしている。
いつ何があってもすぐに起きられるように。
倦怠感と頭痛に苛まれながらも、睡魔はなかなか襲ってこない。後少しもすればもう日が昇り始める頃だというのに。
今日は深い付き合いのある公爵家を招いた晩餐会の日だ。
コーデリアの様子を考えると外部の人間を招いていられるわけもないのだが、相手はこの国でも王室に近しい由緒ある家系である。
昨年、同じ時期に招いて晩餐会を開いた時に先方からとても気に入られてしまい、今年も楽しみにしていると手紙にはしたためられていた。
……公爵は普段こそ温厚だが、一度怒り出すと厄介な人物だった。今更断れるわけもない。
もう間近に迫った晩餐会での対応を考えながら、結局レイナルドは一睡もすることが出来ずに夜を明かした。