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第1話「コーデリア」

毎年恒例、夏のホラー企画に初めて参加致します。

拙いところもあるかと思いますが、よろしければご覧くださいませ。

 ブレーゼ伯爵は広大な領地を有する大貴族だ。

 中でも伯爵家は贅の限りが尽くされていて、内装や家財に至るまでありとあらゆるものが途方もない財力を感じさせる。

 もはや王国の中でもブレーゼ伯爵家よりも裕福な暮らしをしているのは王家の人間だけではないかとさえ言われているほどだった。


 日が暮れてから既に数時間。

 広大な敷地面積を誇る屋敷の食堂を、豪奢なシャンデリアが煌びやかに照らし出していた。

 壁面には額縁に入れられた絵画がいくつも飾られ、花を生けた花瓶には複雑な装飾が施されている。


 誰もが羨むようなその食堂の中はしかし、異様な緊張感に満たされていた。

 テーブルに座っているのは、この屋敷の現当主であるレイナルド・ブレーゼ伯爵である。

 波立っているような金髪をした美青年であり、服装は宝飾が目に眩しい豪華な装いをしている。

 彼はずいぶん前に食事を終えた後、テーブルの向かいに座る人物をじっと見つめていた。


 その人物こそ、コーデリア・ブレーゼ。レイナルドの妻その人である。

 美しい金髪はレイナルドとは違って直毛だ。腰まで伸びたその直毛には枝毛の1本もない。手入れにどれほどの気を遣っているかは想像だに出来ないほどであった。

 華奢な体格の彼女は白いドレスを身に纏っている。高価なものには違いないが、派手さを厭う本人の気持ちが色濃く表れている出で立ちだった。


 コーデリアの目の前には、豪華な食材をふんだんに使った料理の皿が大量に並べられている。

 彼女は物憂げな表情をしながら、器用にナイフとフォークを使い、絶妙な火加減で炙られた牛肉を口にした。

 一口。二口。彼女は優雅な仕草とは裏腹に、高価な食材の味などまるで気にしていないかのように肉を口に入れ、少し咀嚼しただけですぐに飲み込んだ。

 淡々と。黙々と。彼女の目の前の皿が空になる度に給仕が片付ける。そしてまた新しく炙られた肉を載せた皿が運び込まれる。


 明らかに異常な光景だった。

 晩餐が始まってから既に3時間以上が経過している。

 にも拘わらず、彼女は少しも手を休めることもなく黙々と食べ続けているのだ。

 運び込まれてくる皿には、肉しか載せられていない。彼女がそれしか求めないから。


 やがてコーデリアが新しく運ばれてきた皿の中身を平らげる頃合いになった時、うっとりと彼女を見つめていたレイナルドが言った。


「どうだい、コーデリア? 君のために用意した肉は絶品だったろう? もちろん明日の分も」

「あなた」

「なんだい?」

「お腹が、空いたわ」


 無表情で呟くコーデリア。

 レイナルドは一瞬間を開けたが、すぐに口を開いた。


「わかった。今日の君はずいぶんとお腹が空いているようだね。――おい、早く次の皿を用意してくれ」

「は、はっ! ですが、残っている食材は明日の晩餐にも使うものでして」

「そんなことはどうでもいい! コーデリアがお腹を空かせているんだ! 早く支度したまえ!!」


 穏やかだったレイナルドは近くの給仕に怒鳴りつける。

 彼は美しいものに目がない。豪華な宝飾や家具に骨董品のみならず、その対象には当然女性も含まれている。

 レイナルドにとって、コーデリアは他の何よりも重要な存在だった。彼女の望みなら何でも叶えてやりたい。レイナルドの心中にはもうそのことしかなかった。


 足早に食堂から厨房へと駆けてきた給仕は、料理長に注文を述べる。


「次の料理を出せと旦那さまが仰せです」

「……流石に、おかしくねえか?」

「奥さまがご満足なさらないようですので」

「明日の食材どうするんだよ……ったく」


 料理長が呟き、他の料理人たちもいそいそと支度を始める。

 今日はいつにも増してコーデリアの食欲が激しかった。普段はこのくらい食べれば満足するというのに。

 その様子を隠れて見ていたメイドたちが小さな声で囁き始める。


「奥さま、本当にどうなされたのかしら……」

「本当にね。以前は食の薄いお方だったのに」

「気味が悪いわ。だって、そうでしょう? もう何十人分の料理を食べたと思う?」

「20人分以上、かしら。しかもお肉しかお食べにならない」

「旦那さまは本当に何も感じておられないのかしら」


 そう呟いたメイドはそっとレイナルドの様子を窺った。

 彼は無言で椅子に座り続けるコーデリアに様々な話題を振るが、彼女の表情は芳しくなかった。

 レイナルドを見ているようでいて、実は虚空をぼんやりと見つめているだけなのではないか。メイドにはそう感じられた。

 結局、その日はコーデリアが満腹になるまで後10人分以上の料理が必要とされたのだった。




 レイナルドはコーデリアを引き連れて寝室へと戻る。

 様々な調度品が飾られ、天蓋の付いたベッドにコーデリアを座らせる。

 その時、不意に彼女が呟いた。


「ごめんなさい、あなた」

「どうしたんだい、コーデリア」

「私……またあんなに食べてしまって。使用人の皆も不気味に思っていたに違いないわ」

「そんなことはどうだっていいさ! 君が満足するまで美味しいものを食べればいい! そうだろう、コーデリア? 使用人たちのことなんて気にするな。彼らは君が平民の出だからと言って、やっかんでいるだけなんだから」


 コーデリアがレイナルドに嫁いできたのは16歳の頃だった。

 レイナルドは彼女よりも2つほど年上で、貴族だけが通う学園に通っていた時に何気なく歩いていた街中で彼女を見つけて一目惚れしたのだ。

 その時のことを思い出しながら、レイナルドはコーデリアの髪を梳って言う。


「君は本当に美しい。その金糸のような髪も。そのサファイアのような瞳も。その小鳥の囀りのような声も。すべてが私を魅了してやまないのだよ」

「……あなたは大袈裟よ。私なんてそんな風に魅力的な人間じゃないわ」

「何を言うんだい、コーデリア。私が君に出会ってから既に5年。今までも、そしてこれからも君に優る女性など現れないさ」

「そうやって、あなたはいつも私を持ち上げるわ。もう決まっていた幼馴染の公爵家の1人娘との婚約まで反故にしてしまって」

「当たり前じゃないか。君のような女性を知ってしまったらもう、他の女なんてどうでもいい」


 その言葉はまるで自分よりも美しい女性がいたらすぐにそちらになびいてしまうよと言われている気がして、コーデリアは悲しげに眉根を寄せた。


「いいかい、コーデリア。私は今まで数多くの女性たちと交流を持ってきた。確かに見目麗しい女性は多かったよ。でもね、それだけなんだ。そんなことだけでは私の氷のように硬い心は溶かされない」


 レイナルドはコーデリアの薄い唇に口付けてから、彼女の青い瞳を間近で見つめる。


「私にはね、透けて見えるんだよ。私に言い寄ってくる女たちの誰もが、私ではなく『私の地位と財産』しか見ていないのだということがね。でも、君は違った。そうだろう?」


 見つめ返してくるコーデリアの視線を受けながら、若き伯爵家当主は続ける。


「最初、君は私がいくら誘っても気乗りしてはくれなかった。私だけじゃない、他のどの男の誘いも丁重に断っていた。平民の身でありながら、どんな貴族の地位にも財にも興味を示さなかった青い鳥。そう、私にとって君は青い鳥そのものなんだよ、コーデリア」

「……」

「私が君を口説いていた時、どんな心境だったか想像もつかないだろう? 私はね、とても緊張していたんだよ。まるで一国の女王陛下を前にしたかのようにね。口説いている最中にも何度も舌を噛みそうになった。そして君が誘いに乗ってくれない度に、私はひどく落胆してしまった」

「あなたはいつも饒舌だったわ。本当にそんなに緊張していたの?」

「本当だとも。少しでも口籠もってしまったら、ただでさえ薄かった君の私への興味が無くなってしまうんじゃないかと思って必死だったさ」

「おかしな人。でも、少し違うわ」

「何がだい?」


 伯爵夫人はまだ幼さの残る顔をくすりと綻ばせた。


「私の方だってあなたのことが気になっていたのよ? どうしてこんな私なんかのために愛の言葉を囁きかけてくるんだろう。あなたを取り囲むようにしていた女の人たちはみんな明るくて美しくて、野に咲く一輪の花のような人たちばかりだったのにって」

「そうだったのかい……? 君はいつも私に対して素っ気なくしているから、本当に見向きもされないんじゃないかとばかり思っていたよ?」

「だって、そうしないとあなたの周りの女性たちから恨みを買ってしまうもの。あなたは知っているかしら。饒舌に愛の言葉を囁くあなたの後ろから、怨嗟を込めた眼差しを私に向けてくる女性たちがいたことを。本当に怖かったんだから」

「いや……いや、知らなかったよ。興味もなかった。さっきも言っただろう? 私に擦り寄ってくる女共に価値なんてないと」

「貴族のご令嬢たちには意中の殿方が、他の女……しかも平民の私を口説いているのが我慢ならなかったの。色々な嫌がらせだって受けたわ」

「ほ、本当かい? すまない、そこまで頭が回っていなかった。もっと早く言ってくれれば、いくらでも対処出来たというのに」

「平民の私が貴族さまに文句を言えるはずないじゃない」


 レイナルドはコーデリアを抱きしめた。

 ひどく華奢な体格だ。身長は平均的だが彼女の身体は痩せ形だ。

 そう。あんなに大量の食事をしておきながら、彼女はまるで病的なほどに痩せている。


「君には辛い思いをさせてしまったね」

「いいのよ。いま、こうしてあなたが傍にいてくれるならそれだけでも……」


 いきなり、ぎゅるぎゅると滑稽な音が鳴った。彼女の腹部から鳴ったのは明白だった。


「コーデリア、お腹が空いたかい?」

「え……ええ、ごめんなさい、あなた」

「いいんだよ。すぐに用意させよう」

「でも、もうみんな寝てしまった時間じゃない」

「構うものか。彼らにはしっかりとした給金を払っているのだから何も問題はない」


 レイナルドはコーデリアに軽く口付けをしてから、すぐに部屋を出ていった。

 薄暗い部屋のベッドにぽつんと残されたコーデリアは虚ろな瞳をしながら腹部を擦る。

 常に続く空腹が彼女を苦しめていた。大量の食事を摂れば一時的に満足するが、最近は空腹感も食べる量も常軌を逸していた。


「……お腹が、空いたわ……」


 そう呟くコーデリアの口端から一筋の涎が垂れ落ちた。

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