1-2
肉球ぷにぷにと握手を終えると、どこからか大きな物音が聞こえてくる。
何かが倒れ、連鎖的に崩れ落ちる音。多分物置からだと思う。
「すごい音がしたけど……」
「あぁ、私の主人が起きたようだ」
「寝起き悪いの?」
「部屋が汚いだけじゃ」
がさがさと何かを漁る音がしたと思えば、また物が崩れる音。あの物置部屋―― 寝室にはどんな人が住み着いているのだろうか……
「ぎゃぁぁっ!」
家が揺れるほどの大きな音と悲鳴。たぶん何かに足を取られて盛大に転んだと思う。
かなりの衝撃があったはず。相当痛いと思う。
「カトレアよ、大丈夫か?」
「大丈夫じゃなーい!どうしてこんなに物が散乱してるのさ!」
「それはお主が魔導書の整理をしないからじゃ」
「私のペットなんだから、少しは片付けなさいよ!」
「猫の手を借りる前に自分でなんとかするのじゃ」
うまい返し方だ、黒猫よ。
それから数分後に重い足取りでリビングにやってきたのはここの主人。カトレアさん。
見た目は私よりも少しちっこい。妹みたいなかわいいオーラが出ている……気がする。
魔法使い特有?のとんがり帽子は載せていないけど、ひらひらのモノクロワンピースの上に黒いローブを掛け、星型のペンダントをぶら下げている。
「ふぁっ…… ケシと行き倒れの―― お姉さんおはよ~う」
「うむ。今日はいつもより早い起床だな」
「この家がこんなに賑やかだったの初めてでねー、話し声で目が冷めたわ」
「うるさかったですか?安眠妨害は謝ります」
「んーと、賑やかはいいことね。古臭い家が少しだけ若返った気分だわ」
カトレアさんは「ふわあぁぁ」と大きなあくびをしながら、台所のやかんに火をかける。
どういう原理かわからないけど、勝手に火がついたように見えた。
「お茶ならわしが入れたハーブティーがあるぞ?」
「あんたのはぬるすぎてまずい!」
「仕方なかろう。猫なのじゃから」
「はいはいー猫だからね―」
二分ほどでやかんが鳴り始める。
カトレアさんはすぐにティーポットにお湯を注ぎ入れ、ティーコゼーをかぶせる。
「えっとーすみれも淹れたて飲むでしょー?」
「えっ!?あーっ…… いただきます」
何気なく私の名前を呼ぶカトレアさん。自己紹介した覚えはないのだけど……
「はい。ちゃんとしたティーカップも用意したからね」
「ありがとうございます」
「こいつが入れたやつよりは美味しいはずよ」
「美味しくてもわしは飲めん」
「飲まなくて結構」
この二人(一匹と一人)は仲が悪いのか、これがデフォルトなのかわからず混乱する。
喧嘩……はしてないと思うけど、互いに口が悪い。
「とりあえず自己紹介ね」
「唐突じゃな」
「私はカトレアね。猫から聞いたと思うけど、よろしくね」
「よろしくおねがいします。私は青葉すみれです」
「うんうん!よろしくー!」
カトレアさんはニッコリと微笑んで握手を求めてきたので、私も笑顔で返す。
私より少し小さい手。ただ彼女からは暖かさがない。
「それじゃあ早起き記念で下ろうか!」
「まったく唐突じゃな」
1-2
先頭にケシ、その後ろを並んで私とカトレアさんが山道を下る。
緑が太陽を遮り、空が心地よい風を運んでくれるので、快適な散歩道だ。
「今日はおひさまが高いからいろいろいるかなー!」
「月が出ていないから安全じゃしな」
カトレアさんとケシは少しわくわくしている。風にみえる。
しかし私はというと、かなり不安でいっぱいだったりする。
同じ群馬県内だけど、極端に田舎は行ったことが一度もない。こんな道を女の子と猫で歩いていたらくまさんやら現地の方にやられちゃいそう。
「回復祝だからね、お肉がいいなー」
「それには同意じゃ。最近は草ばかりじゃったからな」
「あんたは魚たべてたでしょうが」
「肉と魚はべつじゃ」
下り坂も終りが見えてきた。
森を抜けるとそこは荒れ果てた田んぼと畑。砂利道でアスファルト舗装された道はない。
「田舎ってやばいな……」
「大丈夫!もう少し先に行けば人工物あるから!」
わくわくが止まらないカトレアさんは荒れ果てた土地を直線距離で突き抜けて、遠くに見える橋へ向かっている。
私達もそれに続いてあとを追う。
橋の手前までやっと到着。カトレアさんは私達を待っていたみたい。
この橋は普通に舗装された橋で、渡った先には信号機が見えているのだけど、動いている様子がない。
というか、この舗装はだいぶガタガタでこんなところを車で通ったら腰が痛くなりそうだ。
「こっちにでっかい構造物があるんだけど、なんだろうね」
「うーん?これって……」
辺りをよく見ると右側のフェンスで囲まれた場所。ここは多分工場の跡地。建物は壊さないでそのまま長い時間放置されているようだ。
そして右側。川が流れているそばに少し高くなっている場所があり、ドーム状の建物からして体育館らしきものが見える。うーん……見覚えがなくもない。
「昔の人が放置した名残っぽいのがいっぱいあるんだよ。橋を渡ったところはどうやら昔の街みたい」
「そうなんだ………」
三百メートルほどの橋の中腹まで着たところで私は見覚えのある場所を次々と発見する。
「あの交差点の先って…… 駅だよね?」
「うん。昔も無人駅だったみたいだけどね」
「線路を挟んで向こう側は大通りで………」
「よくしってるね。あの通りは建物がいっぱいあってね!」
それはよく知っているさ。
交差点を右に曲がってすぐ左には役所があるし、その通りをまっすぐ進めばでっかい木がある交差点がある。その近くにはホームセンターもあるし警察や消防、ガソリンスタンドや金物店も。
「どうしたの?こんな道のど真ん中で」
「ここ……しっている」
見える景色は違えど、高校に入ってから日曜以外通いつめた場所だからわかる。
空気がある。雰囲気がある。いくら廃墟になっていても、私の体に刻まれた物が。
「あっちょっと!」
私は駅へ走り出す。
駅の改札手前を右に、病院がある方へ曲がり、線路脇の歩道を全力で走る。
病院の駐車場を横切り、踏切のある道路を渡る。そしてまた細い道に入ってから神社の参道を過ぎた先にある十字路で私は止まる。
カトレアさん達も私のことを追いかけ、十字路の真ん中に立ち尽くす私に声を掛けてきた。
「どうしたのいきなり、ここも廃墟になっててなにもないよ?」
「知っているの、ここが何なのか」
「そうなの?」
「うん。だってここは………」
少し前まで、私はここに居たのだから。