20話 花の噂
ちょっとした事件と言うか、喧嘩と言うか、面倒な出来事があった翌日。
私は、『ゆりかご亭』の食堂で頬杖をつきながら、いつも通りベルを待っています。
勿論、一緒に朝食を食べるためです。
ベルを待つ間、思い出すのは昨日のこと。
それも、面倒だった方ではなく、あの後にベルとしたお勉強の方です。
〜〜〜
「では…まず最初に、リン。この国の名前を知っていますか?」
「はい!わかりません!」
「ていっ」
「あ痛っ!」
元気良く回答したら、ベルに小突かれてしまいました…。
場所はハンターギルドの酒場の1席。あの後、私はベルに有無を言わさずに席に座らされたのです。
「と言うか、ベル〜。最初も何も、国の名前なんて知らないって、私、さっき言ったじゃん〜」
「え〜…冗談だと思ってた……」
そもそも、このお勉強をやることになったのは、私がこの国の王都も名前も知らないと言ったことが始まりです。
知らないって言ったのに、それを聞いてきて、答えられなかったら攻撃なんて…理不尽です……。
私はプクーっと頰を膨らませます。
しかし、ベルは気にしたようでもなく、ポンッと手を打ちます。
「わかった!リンって、洞窟にでも籠もってたりしてたでしょ!ね?」
「私は、俗世から離れた賢者ではないよ〜」
ベルの指摘に、膨らんだ頰も萎みます。
まあ、確かに街どころか国の名前さえ知らないというのは、変ですよね。
国の名前ぐらいは、辺境の農民でも言えるでしょうし。
長らく穴に籠もっていたか、籠もっていた人の子供だとか思われても、仕方がないでしょうしね。
「ま、いっか。コホンッ…それでは、リンにこの国…いや、この大陸について教えてあげたいと思います!」
「お願いします!」
礼を忘れてはいけません。
ベルは咳払いをすると、口調を戻して話し始めました。
「最初にこの大陸からね。私達がいる、この大陸の名前は『ロズ大陸』。大小様々な7つの国からなる大陸で、因みに、形はこんなの」
「ふむふむ………オーストラリア…かな?」
「何?おーすとらりあ?」
「ううん。何でもないよ」
おっといけない。オーストラリアなんて、こっちの世界にはないですもんね。
ベルがコップの水を指先に付けて、テーブルに薄く描いてくれたロズ大陸の形は、前世の世界地図で見たオーストラリアに似ていました。
大きさはこちらの方が上なのでしょうか?1つの大陸に7つの国があるというのですから。
「じゃあ、次は国についてね。7つって言ったけど、主な大国は4つ。『スルプレイ海洋国』、『リーズワルト王国』、『ベイルロウ公国』、『アルシュペイン王国』」
ベルは先程描いた大陸の一部を指差し、説明していきます。
「大陸の北西…上の方?まあ、そっちの方にあるのが『スルプレイ海洋国』」
「海洋国?」
「うん。別の大陸と一番近い場所に建国されたんだ。船を用いた貿易が盛んで、国内外の物資が集まってるの」
なるほど。それで、海洋国ね。
他大陸に渡る時は、この国に行けば良いのかな?
「この『リーズワルト王国』は、この大陸の食料庫。国土は一番大きくて、その半分が農地なの」
「ほんとだ…大きいね」
次にベルが指差すのは、リーズワルト王国です。
ベルがなぞり区切った面積は、ロズ大陸の3分の1ぐらいありますね。
半分が農地なんて、想像できませんね。
「お次はここ、南の『ベイルロウ公国』。険しい山に囲まれているけど、道は整備されてる。山に囲まれているだけあって、内側の生態系は少し変わってるんだ」
「ベル〜、公国って?」
「え?公国?あー…えっとぉ……王国が国王を君主としているから…公国は、確か貴族を君主とする国…だったかな?」
「ほぇ〜。ベルって、物知りだね!」
「いや〜、それ程でも〜」
ベルは照れたように頭を掻きます。
にへらぁ〜とした顔をしちゃってます。
そんなベルを私が見ているとわかったベルは、コホンッと咳払いをします。
「さて、最後に紹介するのは、ここ。中心部分に位置し、様々の人が行き交う『アルシュペイン王国』。因みに、今、私達がいるのがこの国だよ」
「アルシュペイン王国…」
アルシュペイン王国。
それが、今いる国の名前。
この世界に来てから、やっと知ることができました。
遅すぎかな?まあ、自分から知ろうと動いていた訳ではないですからね。
「ベル、ルメイラは王国の中でも、どの辺にあるの?」
「外縁だね。馬車に乗っても、王都まで2日か3日は掛かるかな」
「大変だね…」
〜〜〜
いや〜、とても勉強になりました。ベルには、感謝しないといけませんね。
自分の知らない世界。異世界についての話は、外国の話を聞いているようで、ちょっぴりわくわくします。
カランッ。
昨日のことを思い出して、ニヤけていると、扉の開く音。
「おっ待たせ〜!」
「おはよう、ベル」
「おはよう、リン」
ベルがやって来ました。
あれ?
いつもなら挨拶をすると、私の前の席に座るのですが、今日はそのまま私の隣まで来て、ガシッと肩を掴んできました。
「ど、どうしたの、ベル?」
私が戸惑っていると、ベルはニコッと笑います。
「リン、お買い物しよ!」
「……お買い物?」
場所は移り。ここはルメイラの大通り。
その場を満たす喧騒は、いつにも増して大きいです。
それもそのはず、ルメイラには今は行商人達が来ているのですから。
「ベル、どこ行く?」
「ふぎは…あの、ほにくやはん」
「次は、あのお肉屋さん?」
口をもごもごとしながらも、うんうんと頷くベル。
はい。絶賛、買い食い中です。
朝食を食べずに来たので、これが朝食の代わりです。
とててっと店に小走りするベル。
その背中を見つつ、私は周りを見渡しました。
「これ。王都で仕入れたんだけど、ベイルロウ産なんだよね」
「おーい!まだ、運び終わってないのか!」
「この剣、王都で鍛えられたの?よし、買った!」
何とまあ、商魂逞しいと言うか…元気ですね。
売る人も、買う人も、熱を帯びているようです。
行商人が来たことによる影響は、すごいです。
「リン〜!」
おっと、ベルの買い物が終わったみたいですね。
手には、こんがり焼けた骨付き肉が握られてました。
焼きたてほやほやです。
「ベル、まだ食べるの?」
「勿論!」
「あはは…」
思わず、苦笑してしまいました。
買い食いできる程度とは言え、ベルが食べたのは、もう6品目です。
朝食の代わりなので、いつもと同じ量かと聞かれれば、同じ量ですが…。
こういう時に、ベルが大食いなのを実感しますね。
ベルの食べっぷりを見てると、私もお腹が空いてきます。
そこで、お目当の物がないか、キョロキョロ探します。
「ねぇ、ベル~…どこかに花を売ってるとこ知らない?」
「ん~?…花かぁ……王都ならあるかもしれないけど、この辺には、ちょっとないかな…花の種なら、そこに売ってるけど…」
「はぁぁあぁ…………」
「リン~?おーい…大丈夫?」
崩れ落ちてしまいました。
周りを見渡した時に見付からないから、薄々そうだろうとは思っていました。
思っていましたが…悲しいです……。
ルメイラでの生活から、この街に『お花屋さん』がないことは知っていました。
ただ、今は行商人が来ています。中には、花を取り扱っている人がいても良くない?…と思いましたが、いないようですね……。
う~ん…花単体って売れないのですかね?ベルが言っていたように、種を売っている人はちらほら見付けましたが。
探しているのは、咲いた花なんですよね…。この街に自然に咲いている花は、もう全部一度は味わいましたし…。
行商人に期待したのですが、ダメなようです……。
王都とかにはあるのでしょうか?お花屋さん。
「リン…花が好きなのは知ってるけど、今は朝ごはんを先に食べよ?」
「…うん。そうだね、食べるよ…」
私にとっては、花、それも花の蜜こそが最高の食事になりますが、このことはベルにはまだ内緒です。
ベルと一緒に来ているのに、蜜を採りに行くために、ベルを待たせるのは嫌です。
なので、今は代用できる物で済ませましょう。
また、大通りを見渡します。
「あの店にしようかな」
「じゃあ、私はもうちょっと物色してくるよ〜。すぐ戻るね」
「うん」
奥の方に王都産の果物を売っている店が見えたので、買いに行きます。
ベルは、私が買っている間に他の店を見て回るようです。
店の前に来ましたが、いっぱい置いてますね。
どれにしようかな〜。
選んでいると、1個の果物が目に入りました。
「あのー、この果物って何ですか?」
「これかい?レミンだよ。酸っぱいけど、美味しいよ」
それは、黄色の紡錘形をした果物でした。
レミン…どう考えても、レモンだよね、これ。
レモンにしか見えなかったので、店番の女性に聞いてみれば、返ってきた答えはレミンとは…。
「お嬢ちゃん、買うかい?」
「そうですね…じゃあ、1個ください」
「小銀貨2枚ね」
「どうぞ」
「丁度だね。毎度あり!」
と言うことで、1個買いました。
スンスンと匂いを嗅いでみましたが…やっぱりレモンですね、これ。
「リ〜ン〜、何を買ったの〜?」
私がレミンを買っている間に、どこかに行っていたベルが戻ってきました。
「これ。レミンって言うんだって………んちゅ……」
「美味しい?」
「美味しいよ」
レミンに切れ込みを入れて、そこから溢れ出る果汁を吸います。
酸っぱいですが、苦味はありませんね。美味しいです。
蜜には及びませんが、お腹も膨れますしね。
「そうだ、ベル。ベルは何してたの?」
「ん?…え〜っと……内緒」
「内緒?何で〜?教えてよ〜」
「内緒は内緒なの〜」
くっ…そう言われれば、気になります!
しかし、この後も、教えてもらおうとベルとじゃれ合いましたが、内緒にされたままでした。
何はともあれ、私もベルも、朝食を買ったので、二人で座れる場所を探します。
大通りを離れると、比較的に人も少なくなりました。
程なくして、ベンチを2つ見つけました。
1つは先客がいましたが、もう片方は空いていたので、ベルと並んで座ります。
私はレミンの果汁を吸い。ベルは両手の料理を食べ始めます。
通りの向こうから微かに届く、たくさんの人の声を聞きながら、静かに私とベルは朝食を摂ります。
おしゃべりしながらの食事も楽しいですが、こうしてゆったりとした食事も良いですね。
「ねぇ、リン〜」
少しして、ベルは私に話しかけてきました。
ベルは、既に完食しているようです。早いですね…。
私は未だにちゅーちゅーとレミンの果汁を吸っていますが、話せないこともありません。
「何〜、ベル〜?」
「リンはさぁ…見たことのない花に出会いたいんだよね?」
「…?そうだよ〜」
ベルと初めて会った時に、私の夢をそう答えましたね。
でも、突然そのことがどうしたのでしょうか?
ちゅー。
「リンがレミンを買っている時にね、荷物を運んでいる行商人の会話を盗み聞いていたんだけどさ…」
「…うん?」
これが、内緒にしていた内容ですね。行商人の話を盗み聞きしていたとは……。
でも、折角、私に内緒にしていたのに、話しても良いのかな?
ちゅーちゅー。
「近々、王都にある庭園でね…王族並びに上級貴族だけが入れる一画を公開するんだってさ」
「へぇ〜…」
庭園かぁ〜…。確か、木とか石とか花を綺麗に並べた庭だっけ?
偉い人達だけが入れる場所なんて、すごく綺麗なんだろうなぁ〜…。
でも、これって私に内緒にする程のことかな〜?
ちゅー。
ちゅー…………………あれ?待てよ?
「ね、ねぇ…ベル。今、庭園って言った?」
「言ったよ~」
「庭園って、あれだよね?木とか石とか花とかを並べたやつだよね?」
「大雑把だけど、リンの想像通りだと思うよ」
「じゃ、じゃあ…!」
新たな花の蜜に出会えるチャンスじゃん!
そうです、そうですよ!
よ〜く考えてみれば、これって素晴らしいことじゃないですか!
だって、庭園ですよ!それも、普段なら入れない場所にも入れる!
そんな場所に咲いてる花なんて、きっと……!…じゅるり……おっと、涎が…。
はっ!でも、それもこれも王都に行かなくては、話にもならない!
ど、どうしよう……!「近々、公開する」って言ってたけど、いつなんだろ?!
期間とか限られてるのかな?ま、間に合わなかったら、そんなぁ……!!
「べ、ベル!ど、どうしっ…………あっ…」
期待と不安が駆け巡り、冷静さは何処かへ飛んで行ってしまいました。
そこで、助けを求めるようにベルを見てみれば、ベルはニヤニヤとした表情を浮かべ、私を見ていました。
そ、そう言うことかぁ!
ベルめぇ…私が喜び、焦るとわかっていたから、内緒にしていたのかぁ!
人混みでパニックにならないように配慮してくれたのは嬉しいけど……けど…悔しい!
「ふふっ。ねぇ、リン。花が好きなリンなら…行きたいよね?」
「い、行きたい!」
ベルの笑みが更に深まります。
くぅ…!行ける方法があるなら、勿体ぶらないでぇ!!!
私がぐぬぬぅとした表情を見て、満足したように頷いたベルは、私がどう答えるか、わかっているかのように聞きました。
「行商人が王都へ戻る時の護衛依頼が出ると思うんだけど、一緒にやる?」
「やる!!!」
即決しました。
リン「…嬉しいけど……ベルの意地悪ぅ…」
ベル「ふっふっふ。良い表情だったよ〜」




