12話 ある雨の日のこと[1]
「雨かぁ…」
朝、窓を打つ雨の音で目が覚めました。
空はどんよりと曇っていて、きょうは太陽を拝めそうにありません。
昨日は、雨の気配は全く無かったというのに、天気の移り変わりは不思議ですね。
「………今日の蜜……どうしよう……………」
そうです。蜜をどうやって取りに行きましょうか?
私は雨具を持っていません。と言うか、普通の服さえありません。『幻惑』に甘えて、全裸のままです。
『鱗粉』で翅が濡れないのはわかっていますが、体が濡れるのは防げません。
それさえ我慢すれば、蜜を取りに行けないこともないのですが……う~ん。
傘は売ってあるのを見ましたが、恐ろしく値段が高かったです。防水性の上着は、まだ比較的安かったですが、翅が邪魔して着れません。
ベッドの上で考えること約10秒。
よし。今日はあれを試してみましょう。
あれとは、私が蜜以外の食べ物を食べれるかどうか、です。
私は蝶の魔物ですが、生前とほとんど変わらない姿をしています。当然、口もあれば、歯もあります。
もし、蜜しか受け付けない体なら、大人しく雨の中へ蜜を取りに行きましょう。
蜜以外でも食事ができるなら、今日は我慢しましょうか…。あぁ、でも他の食材には関心が向かなかったんですよね〜。あの蜜の美味しさには敵わないだろうしなぁ……。
まあ、自分のことをさらに知る良い機会ですし、何事も挑戦です。
「エレーナさん、おはようございます!」
「おはよう!今日は朝ごはん食べていくかい?」
「はい!お願いします」
「おや?誘っておいてなんだけど、珍しいね…任せな!今日のメニューはクシコのサラダとアマゴのフライだよ」
エレーナさんが食堂の奥へ引っ込むと、私は適当に椅子に座って待ちます。
アマゴのフライはわかりますが、クシコのサラダとは、どういったものなのでしょうか?
気になりますね。
テーブルに頬杖をついて、雨の音を聞いていると、エレーナさんがお盆に2つの皿を乗せて持ってきてくれました。
「はい、お待ちどうさま」
「ありがとうございます。いただきます」
アマゴのフライは予想通りでしたが、クシコのサラダは大量の赤とか黄の実とキャベツの千切りのようなのが入ったものでした。
豆ではないようですが、ビーンサラダが一番近いですね。
では、実食といきましょうか。
クシコのサラダから、食べましょう。
フォークを使い、まずクシコを一口。
「………味が薄い?」
味はあることにはありますが、とても薄いです。プチプチとした食感はありますが、クシコはもともと味が薄いのでしょうか?それとも料理が全体的に薄味とか?
まあ、不味い訳ではありませんし、食べますけど…。
次に、アマゴのフライです。
この街では、魚料理を出せるのですね。近くに川でもあるのでしょうか?
ガブッと齧ります。
「……これも、薄い」
んん?これはどういうことでしょうか?
クシコよりも味がしません。魚を食べている感じがしないのです。
「エレーナさん!」
「なんだい?口に合わなかった?」
「いえ、そうではないのですが…調味料って何か使ってますか?」
「普通に塩を振っただけだけど」
「そうでしたか…」
エレーナさんは小首を傾げながら食堂の奥へと戻っていきます。
う〜ん?おかしいですね。アマゴのフライからは塩の味さえしません。
少々振っただけだったとしても、食べればわかるはずです。
それと、お腹も膨れた感じもしません。いつもなら、蜜をコップ1杯程度飲むだけで満腹になるのに、お腹に溜まっていく感じがしないのです。
お残しをするつもりはないので、全部食べますが、完食した後もお腹がいっぱいになった気はしませんでした。コップ1杯などとっくに超えているはずなのに。
『鑑定』で自分のステータスを確認しても、異常は見当たりませんでした。
考えていると、エレーナさんが何やら持ってこちらに歩いてきました。
「ほいっ。飲みな」
それは、グラスに入った飲み物でした。
「えっと…これも朝食のセットですか?」
「いや、別料金だけど…リンが朝食に納得いっていないようだったからね。お詫びと言うか、口直しと言うか。まあ、奢りだよ」
「そんな!貰えませんよ!それに、朝食は悪くありませんでした!」
「はははっ!そうかい?まあ、飲みなよ。私が飲ませたいんだ」
「え……?あぁ…はい…すみません。ありがとうございます。いただきます」
私がグラスを受け取ると、エレーナさんはうんうんと頷き、また食堂の奥へと戻ります。
あぅ…エレーナさん、ごめんなさい。
私の態度で、気を遣わせてしまいました。奢りと言っていましたが、後でちゃんとお金を払いましょう。
渡されたのはジュースでした。何かの果物でしょう。
ゴクッと飲みます。
「あれ?これはちゃんと味がする…」
どうせ味がしないと飲んでみると、ちゃんと果物の味がしました。りんごですね。
それに、蜜程ではありませんがお腹が膨れた感じがします!
「もしかして、液体じゃないとダメなの?」
自分のお腹を撫でて呟きます。
クシコのサラダ、アマゴのフライはダメで、ジュースは良い。導き出される答えは、蜜と同じ液体であることなのでしょうか?
これは、面倒臭いですね。
自分の体のことながら、特殊過ぎますね。あくまで、蝶ということでしょうか…。蜜ではないので『蜜の奇跡』も解放されませんし。
それに固体を食べた時、食べたそれはどこに行くのでしょう?胃袋に溜まってない可能性があるのですが…。
まさか、そのまま出てくるなんてことはありませんよね?
と言うのも、この世界に来てから私はトイレでは小しか利用していません。
蜜しか飲んでいなかったからなのか、この体が特殊なのか、尿意しか感じることはありませんでした。
今回、初めて固体を食してしまった訳ですが、消化している気がしないのです!
ど、ど、どうしよう…!私、どうなっちゃうんだろう……!?
1人であわあわしていると、エレーナさんが心配したような顔で近づいて来ました。
「リン。今日はどうしたんだい?お腹でも壊したのかい?」
「エ、エレーナさん…!そうでは、ないのですが…ちょっと衝撃の事実とまだ見ぬ結末に不安を抱いていて……」
「はぁ?」
「うぅぅ…気にしなくて大丈夫です…」
「そうは言ってもねぇ…」
うぅ、確かにず〜んとした空気を纏っていると、心配しますよね。
「今日はギルドに行くのはやめておいた方が良いんじゃないかい?」
「他のハンターの人って、雨の日はどうしていますか?」
「そうだねぇ…お金に困っている奴や生真面目な奴は働くだろうけど、余裕があったり、びしょ濡れになりたくない奴は宿で駄弁っているか、休息してるかだね」
なるほど。雨の日は、それぞれやりたいようにしているのですね。
「あ〜…それなら、今日は私も休みます」
「そうした方が良いよ」
なんか変に疲れました。ジュースで少しはお腹も膨れましたし、改めて蜜を取りに行く気力も抜けてしまいました。
ただ、私が美味しく食事できるのは蜜だけだとわかったので、これからは蜜だけを食事としましょう。ジュース類は緊急の時だけということで。
「あぁ!そうそう、こんな日だけどさ。戻ってくるらしいよ、ワイバーン討伐に行っていた奴らが」
「へぇ〜、この街のハンター達が帰ってくるのですね」
そう言えば、ギルドのフィリアさんが数日で帰ってくるとか言ってましたね。今日でしたか。
「この宿もまた賑やかになるね〜。嬉しいことだよ」
「そうなんですか?」
「ああ、そうさ。これでも『ゆりかご亭』はハンターからは愛されているんだよ。仮拠点にしてくれているパーティーも何組かあるしね」
「エレーナさんが良い人だからですよ」
「あっははは!言ってくれるね!昼頃には帰ってくるみたいだから、食堂が騒がしくなるかもしれないし、騒がし過ぎたら言いなよ?黙らせるからさ」
「え?いやいや、頑張ってきた皆さんも羽を伸ばしたいでしょうし、私は気にしませんよ。もてなしてあげてください!」
「そうかい?まあ、何かあったら言いなよ。まあ、一緒に昼飯でも食べて、先輩達と親睦を深めるっていうのもありだけどね」
なるほど。確かに、この街に来てからというもの、あのアンクさん達以外のハンターとは関わりを持っていませんね。
何か学べることもあるかもしれませんし。ご一緒させてもらいましょう。ハンターの仕事先で見た、花のことを聞くのも良いかもしれませんし……ジュルリっ。
「そうですね。一緒に昼食を取るのもありかもしれませんね」
「あいつらが来たら、すぐにわかるだろうし、部屋で休んでおいで」
「そうします。これ、ジュースのお代です」
「ちょっ、奢りだって……ったくもう」
エレーナさんにお金を渡すと、とっとと部屋へと戻ります。
部屋に入るとベッドにダイブして、ぼーっとします。
どんな人と会えるかな?少し楽しみ。
そう思いながら。
そして、雨音に紛れ、出会いの足音は近づくのでした。
異世界トイレ事情
落下式便所で、下に汚物を餌とするスライムを飼っている。
人は襲わないが、放出する酸が少し強い。




