買収問題
特別区。
この国で東京という存在が生まれた後に生まれた存在。
明治時代に存在した35区を再編して生まれた23区の中の1つの場所にこのBARはある。
今日もこのBARでは盛んに――
「東芝の買収問題に政府が口出ししている件。もう少々報道した方がいいんじゃあねえの?」
「そもそも何でそんなに慎重なんです?」
何かを考えつつ仕事に没頭しようと思えばタカとキヨが今話題の話をしていた。
恐らくタカは会話に傘下させようとあえて釣り餌を垂らしているのであろうが、今日は気分が乗らないので無視している。
というより、私が参加せずとも成り立つだけの知識がタカにはあるはずだ。
『ったりめーだよ。東芝は国内の省庁にどれだけ自社製品下ろしてると思ってる?』
『国内の重要なシステム関係にはあそこの半導体パーツが必要なんだよ』
『10年前ぐらいか?他国製品の記録用ハードウェア製品を導入したら中にブラックボックスがあってそこにウィルスが入ってたって話は』
『他国で代替なんてできんぞ』
『国内でそういうことをやっている企業が中共に買収されたらどうなるか想像つかんわな』
その通りだ。
インフラを担う電力関係、原発や火力発電から始まり、
NTTなどの通信関係の施設。
首都高などの道路管理システム。
そういった所に東芝の半導体製品は使われている。
しかもそれらはヘタをすると汎用製品ではなく独自規格品だ。
任天堂のWiiUに東芝が作ったCPUが搭載されていたことをタカとキヨは知っているだろうか。
これも例の半導体会社が作ったもの。
半導体はメモリだけではない。
一般販売されているのが東芝メモリというだけでCPUなどの重要部品もあの会社は作れる。
それが国内の重要施設に導入されているんだから外部へ流出したらどうなるかわかったものではない。
ではなぜ米国では問題ないのか。
それは特許法の裏に潜むとある協定が関係している。
――防衛目的のためにする特許権及び技術上の知識の交流を容易にするための日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定――
これがあるからだ。
特許制度に多少詳しいものでも何故これをもって「米国なら大丈夫なのか?」と直接線引きするのは難しいであろうが
この協定は「米国内で出願された特許」であって、
「米国人が出願した特許」または「米国の法人が出願した特許」という限定条件ではないことに気づいて欲しい。
これは協定であるため日本と米国は5:5の関係でこの技術を秘密とすることを双方が要請することが出来る。
つまり、日本政府が「重要インフラに関わる技術である」という形で要請すれば米国が米国の国力でもって技術を秘密のものとすることが出来るのだ。
無論、米国には技術開示してしまう事になるが、米国内でもこの情報を閲覧できるのは特に限定された者たちだけの秘密とされ一般には一切公開されないため、同盟国でありつづける限りは安全なのだ。
恐らく日本政府としてのシナリオとしては米国に買収させた後に一連の日本の根幹を成すシステムの技術に関してはこれで秘密情報にさせてしまい米国は雇用創出などの恩恵だけで済まそうというものだ。
そのシナリオが頓挫する可能性が少しでもあれば同盟国といえど買収など許可しない。
私は件の会社が傾くと言われた時から政府が介入するのは目に見えていた。
周囲にもそのことをさも当然のごとく話していたのだが食いついてくるのはタカやキヨぐらいのものだった。
一般人においてはそれほど重要でないばかりか公的資金の投入への批判的な意見の方が多い。
国防にも関わる重要な案件だが、一方でそういうものにも東芝製品が使われているということをマスコミュニケーションが全く話題にしないからだ。
何しろ彼らは海外へ売り払わせた方が自社にとって利益があるようなふざけた構造をしたただの法人会社の集合体でしかないのだから当然なのであろうが、
私にとっては「どうでもいい幼稚園よりもよほど議論が必要な問題だろう」と言いたい。
まぁ、今の与党にとってはそれが大々的に話題にされると野党の連中が鴉のごとく騒ぐのであろうことからして、むしろ騒がれずに穏便に粛々と圧力をかけた方が良いのであろう。
国会審議中に与党からの参考意見で首相が思わず「東芝半導体事業は海外には売らん」と断言してしまったのは失策のようにも感じるが、野党のバカ騒ぎが掻き消してくれたおかげで特段ニュースにもなっていない。
――『ともかくだ、日立と東芝はよほどの事が無い限り潰さんから』
『そのうちSONYがその枠組みに入るんじゃないかって俺は思ってる』
『シャープの時もそうだが、例の半導体買収の件でも政府はソニーに出資する形での買収を提案している』
『シャープの時は採算が取れないからと拒否したが今回はそうじゃない』
『自社開発技術に拘りがあって絶対に売らないでござる!と必死で社員ごと保護して』
『最小限のリストラで今日も生きているあの会社は信用できる』
『パナとかよりもっスか?』
『当然だ。創設者こそ優秀ではあるが。二束三文で中共に技術を売り払った会社なんか潰れちまえ』
『サンヨーの件。俺は恨んでるからな。』
『うちの事務所で、あの会社との取引がないのも所長が俺と同じ考えだからだ』
『特許をやる人間にとって一番重要なのは特許の本質を理解すること』
『特許とは即ち国家が国力でもって本来は秘密とすべきものを守った上で公開するもの』
『国家の利益に直接関係するものをおいそれと他国に渡すのはこの本質に反する』
『といったって国際出願とかありますし』
『キヨはわかってねえな。国際出願の本質を』
『国際出願では出願人がその国の者に限定されてないだろ?』
『これはボールを投げて相手に国力による保護を迫るもんなんだよ』
『他国の技術であったとしても国家同士の関係によって尊重し、自国の国力でもって全力で守る』
『これこそが国際出願の本質だ』
『へぇー知らなかったっス』
『勉強しとけよ……』
『大体が技術なんていくらでも盗まれる可能性があるんだ』
『国が「他国への出願は認めん!」とかやってみろ』
『あっち側で盗んだ技術で成立したモンで他人に出願されて特許化されて』
『あっちで商売などが出来なくなるだけだろ』
『当然企業秘密ってモンも重要だが、特許も重要』
『それを権利ごと二束三文で売るとか頭パナウェーブかよ』
『タカ先輩。ネタ古いっス……』
『怪電波でも飛んできたとしか言えないだろ』
『そりゃあ……まぁ』
『ともかく、買収されるぐらいなら国内でどうにかするようにしろ』
『話は以上だ!』
――思わず白昼夢ふけってしまい彼らが何を話していたのかは断片的にしかわからないが。
大体同じような内容だったのであろう。
やはり私が会話に参加せずともタカがいれば十分な話題だった。
こうやってこの場所はまた1日1日とその語り合いの思い出が刻まれていくのだろうなと思いつつ仕事に没頭するのであった。