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とある化学の技術革新《ブレイクスルー》

なるべく専門用語などを避けてはいますが、分かりにくい部分もあるかもしれません。

誤字脱字や、ここ間違っているよ!という部分などございましたら感想等で宜しくお願い致します。

『BAR GOLD RING』

特別四区のとある駅前の裏手にあるこの店は、知る人ぞ知る店である。

ネット上や雑誌などで宣伝はしていないしさせていない。

この店で数少ないルールの一つ。


その看板は表になく、店内にある。

店は洋風な年代物のアンティークガラスでもって窓付けされており、

外から店内を覗き込めるようにしているので勇気ある者であれば誰でも入ってくることができる。


外から見ると店内はまるでファンタジー世界のBARそのものだが、

それは中に入店しても変わらない。


採算は気にしていない。

いや、採算は気にしなくていい立場にある。


そんな『GOLD RING』本日はそこそこ人が入っていた。

3グループいる。

1グループは男女合わせて3名

1グループはカウンター席にいる男2名

最後が男1名


男2名グループ以外は一見さんだ。

さて、今日は一体……『GOLD RING』は何で満たされるのだろう。


――『何がイノベーションだクソッたれが』


酔いの深まった男が声のトーンを上昇気味にして発した。

男2名グループのうち1名

男の名前はタカ。


彼は私の数少ない同年代の友人である。

そしてこの店にも訪れる唯一の友人でもある。


『口開くと経産省と大手企業の企画部門はその言葉ばっかっすよねえ』


溜息交じりにそう話すこの男はタカと同じ特許事務所にいるタカの後輩であるキヨ。

この2名はうちの店の常連であり、度々この店を訪れては、日夜技術系の話に花を咲かせている。


『おい、サク。どう思うよ今の日本の技術研究を取り巻く状況は。』


サクとは誰か。私を呼ぶときにタカが使う名前だ。

店内ではその名前で呼ぶなと注意をしているが、酔いが回り感情が高ぶると奴は私を名指しで呼ぶ。

あまり名前で呼ばれてほしくはないのだが。


『その名前で呼ぶなと言ってるだろう。』


『あーワリィワリィ。で、どう思うよ?』


『店やってる時は客1名で1対1にならざるを得ない限り俺は会話に参加しないぞ』


基本的に私は傍観者を貫いている。

いや、傍観者でありたいのだ。


話をするよりも聞く方がよほど自分にとって有用だ。

情報はいつだって手に入れて創造力へと変換し武器としたい。

創造力はいつの世でも武器になる。


このBARを開く理由の1つは己が知らぬ未知の世界を見たいという欲望からだ。


タカはいい友人ではあるのだが、重大な欠点を1つ抱えている。


それはタカと私は元々同じ道を進む同志だったということだ。

彼の知っている情報は大半が私も共有しうる程度のものだ。


つまり私にとってタカとの会話は未知との遭遇ではなく既知との邂逅である。

ただのバーテンダーとして存在していたい私を産業財産権におけるゼネラリストに引き戻そうという行為は私にとっては好ましくないものなのだ。


『いいかサク。お前も知ってるはずだ』

『1つの種別において技術革新が起こるのは20年に1度程度』

『だが、その技術革新が起こりうる発明が生まれるまで何年かかると思ってる?』

『例えば、今俺が担当している造船業関係では栄えある特許第一号として船体塗料が登録されてからその種で5回技術革新があったと言われている』


『船体塗料はその中でも90年代の技術革新が一番インパクトあったよ』


思わず答えてしまった。

奴は恐らく私を一番上手く釣り上げることが出来る。


『船体塗料ってなんかものすごいブレイクスルーがあったんすか?』


『プロジェクトXで取り上げられないのが不可思議な技術革新があったのさキヨ』


『キヨ、君は今24だっけ?なら90年代をギリギリ知っているかな』

『1990年代で世間でもっぱら騒がれていたことで何か思い当たるものは?』


『環境問題とかではないっすか?』

『うるっさくダイオキシンとかがどうのこうの、環境ホルモンがどうのこうのって』

『光化学スモッグがどうたらこうたら……そんな時代だった気がしますよ』


『いーい着眼点だ。キヨ』

『1950年代以降、ケミカル系技術が発達してありとあらゆる産業製品に用いられた結果』

『世間じゃしきりにこの手の化学製品における環境汚染について騒がれるようになった』


『船体塗料もその1つだよキヨ』

『自分が知る限り1960年代から海洋汚染についての研究論文で注意喚起が行われてたかな』

『このまま行くと100年後にはどうなるかわからないってね』


『まず船体塗料ってどういう目的があると思う?お前の専門じゃねえからわからんとは思うけどよ』


『そりゃ第一が錆止めでしょうよタカ先輩』

『だって、海洋上では腐食が一番問題になるんじゃないんすか?』

『俺だって特許系の人間の端くれ、第一号特許が船体の錆止め塗料であったことと』

『そいつが漆を用いた革新的なものでありながら』

『欧州と欧米じゃすでに石油製品による船体塗料が実用化されていて全然売れなくて廃れた技術だってことぐらい知ってますよ』


『確かに防錆は重要だ』

『だが、もう1つ重要な要素が摩擦だ』


『摩擦?』


『水の抵抗の強さを考えてみるといいよキヨ』

『船体を大型化しようものなら確実に障害になりうる』

『そんな中で船体塗料に求められるのはいかにして水の抵抗を減らすか』

『それはいうなればフジツボなどの存在も排除しなきゃならんほど重要なものさ』


『なるほど……戦時中とかだとものすごく重要にならないっすか?』


『さすがバカじゃねえなキヨは』

『20世紀に入って戦争において一番重要な要素だったのは海戦だ』

『海戦においては速度がものを言う』

『そしてより船体を大型化しつつ速度を稼ごうもんなら水の抵抗をいかに減らすかにかかっていた』

『船体の構造体だけじゃカタログスペックの理想値だけで実数値は話にならねえ』

『なぜならフジツボや海藻類などの船体の抵抗を増やす要因は大型化すればするほど洒落にならないほど影響を与えてくるからだ』


『そういえば子供の頃の客船はフジツボとかけっこーついてた気がするっすね』

『今は全然そういうのを見なくなったような』


『キヨが大人になる直前あたりに革新的な塗料が生まれて実用化されたからさ』

『そのもの自体の基礎研究自体は60年代から始まって30年以上かかってる』


『船体塗料においてフジツボや海藻類などの存在を排除する方法は2つ』

『摩擦抵抗を極限まですり減らして船体を高速化し付着させないようにする』

『もう1つが劇薬を用いて付着しようもんなら殺してしまうようなものを船体に塗布する』


『劇薬……人体にも有害そうな響きっすね』

『当時一般的に流通する石油系塗料は基本的になんら加工せずとも劇薬としての効果を発揮した』

『安価で生産性も良く塗布も楽で世界に流通するのは当たり前だった』


『それが1960年代あたりになると深刻な海洋汚染を起こしていることがわかったんだよね』

『趣味で良く読む技術文書は見ていて吐き気をもよおすレベルの結果が出てた』

『メダカのいる水槽に船体塗料を塗りつけたレンガを水につけて暴露試験を行った結果なんだけど』

『当時の船体塗料を使うとメダカのオスの精巣内に卵細胞が生まれオスの大半が生殖不能になった』

『逆にメスの中には単一性生殖が可能になった突然変異種まで表れる始末』

『そんなのをご丁寧にもとある技術系雑誌には画像付きで解説してくれちゃってた』


『オスのメス化……どこかで聞いたような』


『マスコミニュケーションが半端な知識で語っていた環境ホルモンの実態だ』

『河川向け小型船舶にも当時の船体塗料は使われていた』

『だから河川にも深刻な汚染が発生してたわけだ』


『そんな……』


『まぁ知識広げて考えてみれば世に石油関係の製品なんて溢れていたから』

『それらが船体塗料の試験と同じ結果をもたらすと思われても不思議じゃない』

『あの頃は世紀末で経済状況も最悪、不安を煽るにはもってこいの素材だ』


『カップめんの容器で生殖能力が失われるとかいう話あったねタカ』


『ひでぇ噂だ。でも昨今の不妊手術を受ける男性の増加状況を考えるとあながち間違ってなかったかもしれん』


『そんな中、100年以上もの間、夢の船体塗料に挑んできたとある会社はドイツが提唱していた次世代船体塗料に古くから挑み続けていた』

『完成した塗料自体は1960年代から基礎研究が始まった代物だが、それ以外にもいろいろ試してたわけだ』

『遡れば第一号特許に辿り着くんだ。アレは漆だから環境汚染とは無縁に近い理想的な塗料だ』

『ただし大型の金属の船舶には全く向かない』


『1994年だっけ1996年だっけ?新聞の1面にファインケミカルが環境配慮型の次世代船体塗料の実用化に世界で初めて成功したとかいうニュースが出たのは』


『俺は90年代としか覚えてねえぞサク』


『とにかくどっちかだよ。長年の苦労の末、それは完成した』


『どんな塗料だったんすか?』


『摩擦抵抗力を限界まで引き下げるものだ。海洋汚染を極限にまで減らしつつフジツボなどの付着を許さん』


『アレこそイノベーションと呼ぶに相応しい革命的なものだったと思う』

『何しろ、既存の石油タンカーに塗布しようものなら最大で燃費が3割改善という恐ろしいものさ』

『石油タンカークラスになると3割も燃費改善したらそれがもたらす収益は尋ではない』

『石油タンカーが2000年代を境にしてさらなる大型化がなされるようになった要因といえる』


『タンカーだけじゃねえ、パナマ運河すら通ることができないような巨大客船が次々に建造される要因にもなった』

『船体構造をどんなにがんばったってどうにもならないものをどうにかするものだったからな』


『この技術はすぐさま世界に広まり国内の造船業が今日も何とか生き残る土台になってくれている』

『ただ、世界各国では燃費改善などはしばらくの間上手く行かなかったよ』


『塗布させる技術もあの頃は日本が一番高い技術力を持ってたからな』

『摩擦抵抗を下げる塗料はただ塗るだけじゃ同じ効果を発揮しない』


『サク。俺が何が言いたいかわかるだろう』

『例の船体塗料は実用化までどれだけかかったと思ってる』

『戦時中に軍からそんな夢物語は捨てろと言われて小ばかにされたものだぞ』

『日本政府は大学にまでイノベーション学科を作り産業大国としての威信を取り戻そうと躍起だ』

『だが、奴らは必死に研究開発する各研究所や企業の研究部門への支援を怠っている』

『周囲に転がっている何らかの技術から創造力を生かして革新的な技術革命を起こせだぁ?』

『その前にやることがあるだろ。今必死で実用化にこぎつけようとしている技術を後押ししてイノベーションを誘発させるのが正しいんじゃないのか』


『こっちに言われたって困る』

『自分はすでに現場からは離れた』

『イノベーションが日本国を救うという考え方には賛同しているけど視点がズレているだけだよ』


『連中に言ったって聞かねぇよ。一流大大卒の文系と理系とは名ばかりの連中が大手企業でイノベーションがどうたらと言うのをよく耳にするがな』

『じゃお前この技術についてどれだけ語れるんだと問い詰めても、からっきしだめだ』

『大体が、最先端技術っつーのは大卒じゃ話にならねえんだよ』

『大学院出身の研究者とサクみたいな院卒の文系ゼネラリストだけが語っていい』


『一流大学出身者なら企業を先導できるみたいな変な傾向はあるっすよねえ』

『大手研究開発部門での最前線って大卒なんていないっていうのに』


『舵をそいつらに持たせたって何も生まれねぇ』

『世で発明を起こしてきたのは純然たる技術者か院卒の連中だ』

『何で英語で院卒をマスターって呼称してるか知らんのかと』

『学士は所詮バチェラー、ドクターでもなけりゃマスターでもねえ』


『なのに政府は大学支援はして院生の予算は減らしてる……ってね』

『ま、今の自分には関係ないことさ』


『冗談じゃねえ、お前もどうにかする方法考えろ』


『その話は俺の大学院の重鎮もしてたけど』

『SONYの今の社長のように技術系に見地がある人物が上に立てばある程度どうにかなるでしょ』

『自分たちはそのために存在するゼネラリストでしょ』


『東芝や三菱やサンヨーみたいに死んでからじゃ話にならん!』


タカは感情が高ぶり思わず机をコブシで軽く叩いた。


『東芝は殺せない』

『アレを殺させない理由は自分はとある公的な現場で見てきて知ってる』

『それを話すと長くなるしイノベーションからはズレるから今日は話したくない』


『バーテンさんってどうしてBARやってるんすか……』


キヨは不思議そうな表情でこちらを見つめている。

彼は産業大国日本をこよなく愛す男であり産業技術もこよなく愛す男だから私の感情は理解できないかもしれない。


私も嫌いではないが、今はBARで己の知らぬ知識を蓄えるほうが身のためになると考えている。

一方方向だけの視点で生きていけば躓く。

タカはそこに気づいていない。



『いいか、タカ』

『火種は必要だ』

『イノベーションを起こして世界の覇権を奪うという意識を植え付ける姿勢は間違ってない』


『だが実態として死んでいる企業もあるだろ』


『自然淘汰されていくだけものも無理に支援したってどうにもならない』

『米国のビッグ3を見てみるといい』

『アレのようになる』


『だがこのまま淘汰が続くと一元化されてお隣さんを笑えなくなるぞ』


『最低限の支援は必要』

『お前はもう答えを出してるはず』

『後は民主主義で法治国家であるこの国において旋風を起こして国に訴えかけるしかない』


『一般市民にそれは通じない』

『大企業だけ潤ったって』


『トリクルダウンを起こすんじゃない』

『中小も大企業も平等に支援するのさ』

『世には明日を夢見て諦めない技術者が大勢いる』


『自分らはそれら技術者を手助けするゼネラリストっすからねえ』


『特許系に携わる人間だけが知っている』

『輝く原石が大量にあって日本の産業はまだ国外と戦えると叫ぶ技術が埋もれていることを』


『じゃあお前はなんでバーテンなんて……』


『1つの視点で生きようとは思わない』

『多面的に物事を見定めて考え続けて苦悩し続けて最後の日を迎えたい』

『お前から見たら俺は逃げてるように思えるかもしれないが』

『視点を変えてくれれば俺もまた戦っていると理解してほしい』


『……』


タカは黙ってしまった。

水を口の中に仕舞い込み己の思考を巡らしている様子である。


『お前、裏で何かやっているのか』


タカが口を再び開く。


『そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない』

『話はここで終わりだ』


『話したくないならいい』


その後、タカはキヨと二人でどうでもいい日常会話を始めだし、

結局私もその輪の中に終始入ったままだった。


タカが今の私における立場を理解しているのかはわからないが、

少なくともそれ以上こちらについて伺うことは無かった。

だからこそ彼は数少ない友人なのだ。


これ以上彼が私に踏み入るようならば、私は容赦なく彼を出禁にして友人関係を解消するだろう。

誰しもが皆、事情というものがある。


たまにはこういう話をするのも悪くはないかもしれないが、毎日になると厳しいな。

そんな事を考えつつ私が話をする機会が今後増えるならばウェイターでも雇わないといけないなと思うのだった。

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