理想の主人公像?
まだまだ文章力が足りない作者です。
地の文が少ないかもしれません。
エッセイ風ヒューマンドラマを目指してみたいと思って書いたのですが、扱う内容は様々です。
日常で、なろうで、気になったことについて掛け合い風で自由に書いてみようかなと思います。
誤字脱字等が有りましたら、感想や活動報告で教えてもらえると助かります。
『バーテンさん。理想の主人公像ってなんだろうな?』
突然な質問だ。
仕事中、こういった事はよくある。
ここは特別区の中でも特別四区と呼ばれる地域のとある駅前でありながら少し裏手に入ったバーの中だ。
そして私はバーテンダーをしている。
現代日本の資本主義社会においての勝利者として私はバーを始めた。
どうしてバーを始められたか?
神様が機会を与えてくれたのさ。
そんなものはどうでもいい。
私に質問を投げかけた男の名前はタケさん
本名は知らない。聞こうと思ったことも無い。
いや、この場所において本名など意味を成さない。
この場所は自由に語らうことが許される場として提供しているからだ。
よって職業も本人がそう自称するだけであって実態がどうなっているかは不明。
年齢も酒を飲もうとする場合を除いて不詳で構わない。
タケさんは自称とある出版業界の編集者。
大手出版ではないとのことである。
おそらく彼は再来月の雑誌記事かなんかのネタのために私に意見を求めているのであろう。
通常、このBAR『Gold Ring』においてはお客様同士で語らうのが基本である。
しかし今日は雨の日であり、かつ開店してからそれほど時間は経過していない。
そういった場合は私が話し相手となる。
『近頃のエンターテイメント作品の主人公が理想的でないと受け取れますね』
『あっ わかるー?バーテンくん流石やん』
『ウチの所のコミック部門さ、近頃、大ヒットに全くめぐまれてないわけ』
『オレぁ雑誌関係で関係ないっちゃないんだが同期に何かアイディアねーかって言われてよぉ』
『バーテンくんは何か理想の主人公っていないの?』
『漫画という限定条件ではないならばアニメ版銀河鉄道999の鉄郎が一つの理想ですね』
『えっ……バーテンくん。君いくつよ?999なんてリメイクしとらんやん』
タケさんはあまりに驚いたのか酒を一口体の中に収めた。
銀河鉄道999
再放送はあるが放映事態は1970年代後半。
当然にして私が生まれる前の作品である。
『再放送を見たんですがハマったんですよ。生まれる前に放映されてはいたんですがね。』
『はー。古臭いと思わなかったのか。』
タケさんにとっては不思議なのかもしれない。
なまじ、まだ『見た目は』20代中盤程度の人間がそういうものに興味があるとは思わなかったのであろう。
だが考えを伝えたかったがためゼネララリストとして私は999について語ることとした。
――タケさん。少々私のお話を聞いていただければと思います。長いので飽きたら申して下さいね。
999のあらすじはタケさんもご存知のことでしょう。
地球が機械人間に侵略され、生身の人間はゴミ屑同然の扱いがされる中、
主人公である鉄郎が無料で機械の体を提供してくれるアンドロメダを目指して999に乗り旅立つ。
ここまではネット上でも散見される999のおおまかなあらすじです。
重要なのは999のTVアニメ版と劇場版一作目の双方は鉄郎の成長の物語であること。
劇場版ではかなり簡略化されていて物語としてはコンパクトにまとまっています。
というか劇場版はほぼ新規の作画ですが総集編でTV版の短縮版です。
ですが私がとにかくオススメしたいのはTVアニメ版、そして実質的にはその続編でもある999劇場版二作目。
これを連続で視聴することです。
ここに私が理想の主人公像の1つが鉄郎たる理由があります。
999は古い作品ですので細かい内容はネット上などでは探しにくいので知らない方も多く、またTV放映が多いのは999劇場版一作目のため認知されない方も多いのですが、
序盤の鉄郎は極めて病んでいます。
過去の経験によってPTSDの領域にまできています。
これはかなりマイルドな演出になっている劇場版からは想像がつかないほどヒステリックです。
それもそのはずで、キャプテンハーロック含めた戦える人類は殆どが地球からいなくなっており、
地球は国家という存在すら崩れかけていて鉄郎は機械人間に母親を殺されています。
ハーロックもハーロックで様々な思いで地球から離れたわけですがそんなのは鉄郎が知る由もありません。
機械の体を手に入れる目的は復讐などを含めた様々な鉄郎の思いが交錯した結果生まれた少年としての彼なりの結論です。(母親がそう進言したというのもありますが)
物語序盤では、とにかく鉄郎はどの惑星の住民もロボットも全く信用しません。
それはメーテルも含めてのことであり、メーテルに甘えつつも一方で裏切るとも思っています。
彼が何度か言う台詞にこういうものがあります。
『大人達は地球を捨てた!』と
『自分勝手で地球を守ろうともしない』と
『共に戦う仲間だっていやしない』と
『地球なんて守る価値もない』と
劇場版二作目をタケさんが認知されているならニヤリとしますが、中盤までこんな感じです。
一方で序盤からなんだかんだで人助けをしようとする姿勢から上記の台詞は鉄郎の嘆きであって本心とは違うのもこの時点でわかります。
そうやって様々な惑星に行くことで鉄郎は人間的に成長します。
特に私が好きなストーリーがあります。
地球の昭和の時代のような惑星でメーテルと鉄郎は999の切符や荷物などを全て無くすのです。
当然にしてお金もありませんので困惑しますが現地の住民が助けてくれます。
でも鉄郎はみんな自分を騙そうとしていると言ってメーテルの意見を聞こうともしません。
しかし住民は優しく、鉄郎達に寝食を与えてくれ、鉄郎達の荷物を届けてくれます。
記憶が間違っていなければ鉄郎は自らの行いを恥じて謝罪していたはずです。
中盤を過ぎ終盤になると鉄郎は一気に少年から青年に近い精神年齢に成長していきます。
この頃になると人を信じ始めるようになり現地の住民と心を通わして共同作業などを行うような話が増えていきます。
そして実は終盤にはすでに機械の体を不要と考える結論を出しています。
人間として生きるというのは実はラストに判断したわけではありません。
終盤にはもうその意識を持っています。
もっと重要な結論を出したのです。
実はあのラストは人間として生きるのではなく地球で生きるという意味です。
結構勘違いされています。
古いアニメの紹介では、あたかも機械の体を諦めたからメーテルと別れたように思われていますが違います。
鉄郎は車掌からも大変危険な旅だと言われますが母と父が眠る地球を何とかしてみせると覚悟を決めたことでメーテルと別れることになったのです。
つまりTV版999というのは鉄郎という主人公を8クールほどかけて成長させ確固たるキャラクターを成立させる物語といっていいでしょう。
続く劇場版二作目こそ私が考える理想の主人公の1つの姿です。
TV版を全て一通り見た人間は開始1分で号泣します。
序盤はTV版や劇場版一作目の序盤と比較してさらに荒廃した地球の状況が見られます。
そんな中で機械人間と戦う大人達とその中に混ざる鉄郎の姿があります。
TV版で何度も否定していた存在が初めて登場します。
そして鉄郎の心の叫びにあった共に戦う仲間もそこにいます。
人間的に成長した彼だからこそ出会えた仲間だといわんばかりのオッサンだらけの集団と戦い続けています。
ここから特に泣けます。
鉄郎にメーテルのメッセージが伝えられ、999が地球に再び来ている可能性があることと999に乗ることをメーテルから伝えられるのですが、999の周辺は敵だらけな上、駅もやられています。
周囲の仲間からそれでも向かうのかというと鉄郎は覚悟を決めている様子です。
そうすると仲間は「俺達のせがれを送り出そうじゃないか」といって鉄郎を999の場所まで命を燃やして向かわせるわけです。
そのオッサンの一人は紅の豚で主人公のマルコ=パゴット、いやポルコ=ロッソと名乗っていた者と同じ声なので極めて渋いですがいい味出しています。
そのオッサン達によって999に何とか辿り着きますが鉄郎以外はみんな最終的に死んでしまいます。
その時の鉄郎が泣きながら地球に向かって『逃げるんじゃないぞ』と己に言い聞かせるシーンまでの展開だけでいえばスタジオジブリ含めた既存の作品なんて足元にも及ばないアニメ映画至上屈指のシーンです。
このまま鉄郎は己の意思を最後まで曲げる事無く突き進み
機械人間の正体や機械人間の永遠の命の秘密などを知り、最終的に様々な状況に決着をつけます。
これが劇場版二作目の内容です。
劇場版二作目は二作目を単体で見てもさほど感動はありません。
そこらにある良作程度のアニメ映画だと評価されても仕方ないです。
一昨目も傑作ではありますがそこから二作目を見てもそこまで響くものはありません。
劇場版999一作目は最初から鉄郎がTV版でいう中盤以降の状態に近い上にビジュアルすらTV版より年齢が上がってイケメンになっています。
ですが、TV版から二作目を見た場合は全く違います。
まずあの鉄郎が成長した姿として二作目を見ることが出来ます。
劇場版だと一作目とビジュアルが全く変わってないのでそこは大きな違いです。
そしてTV版のヒステリックな序盤からゆっくりと人を信用するようになっていき、
現地の住民と心を通わせて課題や難題を攻略した上で地球で生きると強い意志を固めたからこそ
劇場版二作目の鉄郎の台詞1つ1つにグッと来るものがあるのです。
劇場版一作目はほぼ新規で1つの作品を作り起こしたようなものですが、実態としてはTVの総集編映画で、二作目はTVの後の話ということになっています。
そのためTV版を意識した台詞や設定が随所にチラばっていますが、とにかく機械人間などに対する台詞の説得力がTV版を見た後だと段違いです。
劇場版一作目からだと少々達観しすぎているきらいがある一方、TV版からだと全てがしっくり来ます。
私がこの長い話を通して何がタケさんに申し上げたいかというと、
999の全てがいい例だと申したいわけです。
最近の漫画はヒット作を作ろうと物語があまりにも性急すぎていてキャラが固まる事無く終わっている作品が多々見受けられます。
999劇場版一作目が世に出ても恐らくそれ単体ではそこまで評価されていなかったでしょう。
なぜなら、999劇場版一作目を当時見た方々というのは、
時期的には中盤以降のかなり落ち着きはじめたイメージの鉄郎を理解しているからです。
だからこそ劇場版を見た者には特にあの劇場版の鉄郎には違和感はないのです。
そして作り手もそれを理解しているため、あえてああいうキャラ付けを劇場版でしたという話をしています。
すでにキャラクター像が固まっているからこそ劇場版一作目は傑作として評価されたと私は思っていま
す。
一方で一作目だけでは鉄郎は理想の主人公とは言えません。
一作目の鉄郎から二作目に進んでも彼の台詞にまるで説得力が無いのです。
というか一作目だけを単体で見ると昨今のライトノベルなどで描かれる少年像から大きく乖離しません。
細かい描写が無いので当然ではあります。
二作目の鉄郎の一見するとちょっと上から目線な物言いはTV版を見た後だとかなり印象が変わります。
それらは全て過去の経験やそれぞれの惑星における歴史などに基づいていて、
彼が見た、学んで吸収したものなので極めて説得力があります。
そしてTV版のラストから一切揺らぐことなく鋼の意思と言っていいほどに己の敷いた道を突き進んでいくからこそ鉄郎というキャラは素晴らしいんです。
私が思うに理想の主人公像というのは、物語の終極点を決めた上でその場所に遠回りしてもブレずに突き進んでいく者達であると言えます。
性格描写がどうあれ、立場がどうあれ、終極点を決めてそこに只管向かわせるわけです。――
『思えば最近の漫画の主人公ってブレまくってんの多いよな』
『―おっと。バーテンくん。とりあえずもう1杯大ジョッキでウィスキーのソーダ割りくれる?』
タケさんは空になった大ジョッキを持ち上げてそれが空になっていることをジェスチャーによって示している。
話に集中しすぎて本来の仕事を疎かにするのがスペシャリストではない己の情けなさである。
どれほどの時が経過したかはわからない。
このBARにはあえて見える場所に時計を配置していないからだ。
ただ他に来店者はいなかった。
いやいなかったからこそ話続けてしまったのだ。
すぐさまタケさんには代わりのモノを用意して差し出した。
『なんでブレるんだろうな……』
そういってタケさんは喉の渇きを潤すようにかなりの量を一気に喉の奥に流し込んだ。
『簡単な話ですよ。終局点を用意していない。』
『最近は映画がよく評価されていますが、終極点がある程度決まっているからです。』
『真新しい漫画は話を広げることばかり考えていて目標が定まってません』
『じゃあ海賊王とか忍者の里の長とかやっとけば売れるか?』
『長編として組む場合はそういうのもありなのかもしれません』
『例えば終極点として王として設定したら王になるために突き進むということです』
『どうしたら王になれるかをとにかく考えてそれに合わせたストーリーと主人公と仲間を作る』
『王という本質は何かという点について作者が理解すべきです』
『王にさせるために必要な経験などを一切無駄なく劇中で描写するわけです』
『戦争とか、内政とかそういったものか』
『そこは世界観や時代描写によって変わってくるとは思います。』
『一番簡単な終極点は平和な日常だと個人的には思ってます』
『わかるわー。一番展開しやすいよな』
『完全に平和にならなくとも平和を乱した原因を解決すればいいだけですからね』
『むしろ王とかどういう形式の王なのか定めたりしないといけないんで難しい方です』
『君主制の実質的な王なのか、象徴的な王なのか、皇帝なのか公なのか』
『何よりも王たるや人身から評価されてなんぼなもんなんで、王にさせるために説得力を持たせるのは尋常ではありません』
『カリスマ性や器の大きさとかの描写はまさしく作者の力量にかかってそうだ』
『短期間でそういったものを読者にイメージ付けるのは難しいでしょうね』
『でも今の時代は何故かそれを求められる』
『となると長期で展開するのが確実でない限りは逆に王という題材は終極点として選択すべきではない』
『あれだ、見切りを付けるのが早いのと世に類似作品が溢れすぎてんだな』
タケさんはそう言ってスマートフォンの画面を見つめる。
それは残り時間が短い事を表している。
今日は本当に不思議なことに残業が終わり1杯飲むかといった時間帯に至っても誰も来ない。
『王道的な作品の中でもインパクトを与えなければ視聴者は寄り付きません』
『だから、王道から外れようと試みて異質な作品が出来上がる』
『真の意味で名作を今の時代に生むというならば、時間から逆算したキャラ作りが必要です』
『時間から逆算とは?』
『ゲームなら20時間~30時間、ヘタをすれば1000時間以上は付き合うことになります』
『1000時間やり込めるゲームは1000時間ずっと見ていて飽きないキャラクターにしなければならない』
『逆を言えば1000時間のために飽きさせないキャラクターを20時間で創造させるのがゲームにおけるキャラ作り』
『ゲームはなかなか余裕があるな』
タケさんはそう笑いながらジョッキ半分になった酒をさらに半分以下に減らそうと試みる。
飲むペースは確実に速くなってきていた。
『では漫画なら最低限打ち切りられない期間から逆算して主人公を形成する方法を考えなければならない』
『それが週間で15週ならば、18ページ前後を15回で主人公のキャラクター像と世界観を形成させなければ』
『アニメーションであれば映画なら最大2時間で昨今の深夜アニメなら最大6時間』
『限界となるタイムリミットをどうやって主人公に生かすのかを考えて作る』
『しかもアニメーションでいえば2時間と6時間は最大のタイムリミットでゲームで言う1000時間と同じ』
『実際のキャラクター像形成のタイムリミットはそれぞれ物語り開始から15分と30分前後』
『鉄郎が数十時間かけて形成したものをたったそれだけで生み出す荒業が必要です』
『タイムリミットと終局点を意識してのキャラ作りか』
『視聴者が限界タイムリミットである数時間程度まで最低限飽きないキャラクター作り』
『終局点を定め、それは作り手が作れる範囲内のもので限界リミットまでにほぼ達成可能なもの』
『覇道を進むがごとく終局点までブレずに進む』
『それが今の時代の主人公の理想像ではないかと思います』
『まだボヤーっとしているが言いたいことぁわかった気がする』
『悪ぃけど話の続きがあるならまた今度な。今日はもう帰らせてもらうぜバーテンくん』
『基本的に私は傍観者の立場ですよタケさん。今日は特別』
『まぁ、たまには会話にツッコミ入れたりするんですがね』
すでにタケさんのジョッキの中身は空になっていた。
支払いを済ませ店を出るタケさんの姿を見送り私はBARのカウンターに戻る。
恐らくもう今日は客も来ないので早めに閉めてしまおう。
このBARは一般の人間が家庭で夕食を採る頃に開くが閉まる時間は定まっていない。
時には近くの駅に始発の電車が来るまで開きっぱなしだ。
一方でBARにおいての限界タイムリミットはそこまでとしている。
最低タイムリミットは……日付が変わるよりも前だ。
そんな中で今日も明日も、私たちはBARで語り合う。