青司ラボへ②
「ご覧の通り、彼は静止して見えます。呼吸していない。心臓も止まっている。だが、コレは死体では無い」
相場が側に来て説明する。
里奈はラボの責任者が短い間に変貌していると思う。
白衣は薄汚れ、無精髭で人相が変わっていた。
それに、
里奈と青司がラボに居る事に全く驚いていない。
学園長の指示(青司をラボで捕らえる)など、
もはや忘れている様子だ。
青司は裸で逆さまに浮かんでる翔太から目を背けた。
……これは死体だ。
「死体に樹脂加工したのか? 」
「お兄ちゃんは、死んでない。だって、髪が伸びてるもの」
翔太の妹、13才の沙理が言う
姉の杏里は……青司の全身を、食い入るように見つめていた
「お前、ミュータントを初めて見たの?」
翔太の妹のくせに。
「……兄さんと、家では殆ど顔を合わせなかった。ミュータントを間近に見るの、初めてなんです」
不作法を恥じるように頬を赤らめ視線を逸らせた。
二人の妹は、顔立ちと巻き毛が、翔太に似ていた。
「近づいて、よく見て下さい。手の、ここ、」
相場はケースに接触している翔太の手を指差さす。
静脈が浮き出ている。
暫く見ていると、ゆっくりだが、波打っていた。
「心臓は止まっているのに、血液は循環しているのか?」
「循環ではありません。狭い範囲でうごめいているようです」
相場が語る間、ラボは大きく揺れた。
震度4から5の地震は毎日のことで、
驚くに当たらないが、
揺れで翔太のカラダが滑らかに動いている。
濃度の高いゼラチン液に振動はゆっくりと伝わり
碧い翼の端々まで、順番に動いていく。
今にも瞼が上がり、
唇が動き出すかのように……。
妹たちは何度もこの様子を見ている。
兄が生き返ると期待するのも無理は無いと、
青司は若干哀れに思う。
「タナトスの血は、お前らの役に立ってるらしいな。俺たち青いミュータントの血はどうなんだ……調べたのか?」
同じように増殖しているのか?
「観察は続けていますよ。シャーレの中で数ヶ月……凝固していない。白血球は数が減り巨大化していますね。共食いしてるようだ。でも、残念ながら、増殖は見られませんね」
「ゼリーみないには、ならないってコトか」
「まあね。尤もアンタらを食する必要はないでしょう。鷹志様があれば充分です」
と、ラボの奥へ誘い、
これが<赤いゼリー>だと見せる。
「げっ、なんだコレ」
青司は鼻と口を塞ぐ。
臭いに耐えられない。
見た目もグロイ。
……魚の卵に様子が似ている。
血の色で中に茶色い血管のような筋がある。
「よくこんな生臭いモン喰えるよな」
相場は、側にいた男のスタッフと顔を見合わせた。
「先生、ミュータントは感じ方が異なるのですね。
この臭いに食欲を刺激されないんだ」
「本能だね。同種族の血や肉は食えない、そういう事、らしい」
二人は笑う。
青司はその様子にむかつく。
「おい、じゃあ、ミュータントは人間の同族では無く、人間の食い物だと、言いたいのか?」
「人間だけでは無い。鷹志様は、黒い神は、地球上の生物が新たな環境で生存するために必要な……食料でしょうね」
「……何だ、それ?」
知能の高いミュータントの頭でも、理解出来ない。
「……鷹志様は、進化論に異を唱えておられたんです」
「進化論?」
「そうです。根本的に誤っていると」
「……ソレで言うとミュータントは突然変異と解釈されてる。タナトスはソレも違うと言ったのか?」
「はい。昆虫の擬態を例に上げて、こう仰った。
空から自身の姿を見るはずも無い、地上を這う虫が、背中に猛禽類の目玉をくっつけている。
……それは、その虫の遺伝子が空を飛ぶ生物から引き継がれたからだと。
……地上の生物全ては巨大で完全な一体から分散したのだと。
鷹志様は誰に教えられたのでもなく、幼い頃から繰り返し、言われていたそうです」
青司の脳裏に、どうしてだか鷹志の目が浮かぶ。
湖のような大きな目が。
直近の記憶のように
とてもリアルだ。
巨大化した鷹志に顔が見えるほど近づくことは出来ない。
では現実の記憶では無く空想か?
違う。自分の頭が作った画像じゃない。
<セイジ、……そん時は、お前、頼むな>
つづいて、はっきりと鷹志の声が聞こえた。
……俺、どうした?
……能ミソ、誤作動してるのか?
「セイジ、大丈夫?……息してないよ」
里奈の温かい手が肩に触れる。
その瞬間
また、鮮明な光景が見える。
赤い空に浮かぶ漆黒の巨大な影が
巨大な塊が……カタチを崩し、散らばり、ゆっくりと地上に落ちていく。
「僅か血の一滴で、我々を環境不適応の突然死から助けて下さってる。それが証拠です。新しい時代の生物の元になる……まさしく鷹志様は黒い神なんです。神様です」
相場はヘラヘラしている。
「はあ? 神様? 血液になんらかの抗体があったんだろ?……お前らミュータント解剖して調べてるんだから、血の成分も分かってるはずだ。アンタ、教授なんだろ。もっと科学的な話しろよ」
「残念ながら、我々の化学では<神>を分析するのは不可能でした」
と、嬉しそうに言う。
「細胞一つがね、現代化学が細胞と名付けたモノの枠に収まっていないのですよ」
「どう違うのか調べるのが、お前の仕事じゃねえの?」
「推論は語れますが、無意味でしょう。
たとえば宇宙の果てが、どうなってるか推論はあっても、実際人間の頭では<果てしない空間>を理解出来ない。
人間は生存に制限時間があるという大前提で機能しているんです。
果てが無い、終わりが無い、永遠、それらの概念は生存に不必要です。
不必要な思考を考えるシステムは初めから搭載されてない。
……それと同じです。<神>をモノとして分析する能力が、人間に有るワケ無かったんですよ」
「つまり、考えることを放棄したんだな」
青司は、相場に不快感が湧いてきた。
終始ニヤけているのも気味が悪い。
「もういいじゃない。この人がチョーカーの外し方を知ってるか、重要なのはそれだけ」
里奈が二人の会話を止めた。
「ああ、それなら、彼が知ってる」
相場に指差された若いスタッフは
チョーカーが簡単に外れると口頭で説明する。
キーホルダーのリングと同じで継ぎ目が見えにくいが
斜めに力を加えれば裂け目が分かると。
「そんな、簡単なんか?」
チョーカーに手をやり、適当にシゴクと輪が開いた。
「簡単に外れたじゃ無い。良かったね。……ねえ、もう此処に用は無いでしょ? ついでに体育館も覗いてみよう」
里奈が青司の腕を取る。
里菜もまた、<赤いゼリー>の臭いに吐き気を感じていた。
見た目もグロすぎて耐えられない。
これに比べれば体育館に放置されている<人間の死体>の方が
ずっとマシだった。




