スカーフェイスの死
「お前、まだ生きてたんだ」
面白げに言う声。
青司の気配に気づかなかった自分を
嘲けて、幸は「ハハ」と小さく笑う。
次に弓を足下に置く。
無防備な体勢で大きなミュータントの前に、
……大きな黒い影の前に立ったのだ。
学園に敵など存在しないが、
自分の命を狙うモノは居た。
屋上に明かりは無い。
が、
やがて
稲光が青司の顔を
碧い髪と瞳を照らす。
翔太を殺した自分を憎んでいるのは知っている。
次の瞬間殺されるだろうと、幸は、ぼんやり考える。
「これ、お前の矢だろ。いつか俺と翔太がタワーの屋上にいたとき、お前が、此処から、放ったんだ。……昼間何となくタワー周りを歩いていたら、見つけた」
差し出す矢の先には
翔太の羽根が一枚、刺さっている。
「そんな事もあったな」
幸は自分の矢を受け取る。
母親殺しの犯人、ミュータントを探し出そうと
羽根を集めていた頃を思い出す。
数ヶ月前なのに、随分遠い過去に感じる。
地球上の人類が、今は、環境不適応で半分、死んでいる。
母は殺されなかったとしても、
今、生存している確率は低い。
母は病院の屋上で、ミュータントに抱き上げられ
地上に落とされ死んだ。
それは不意の出来事で、<死>が間近に迫っている恐れは無かっただろう。
……赤い空
……夜の稲妻
……ぱたりぱたりと、数分苦しんで死んでいく人々。
幸は、
母は、この地獄を見る前に死んで良かったと、今では思っていた。
「お前、ミュータントの羽根を集めてたな……なんで、そんな事、してた?」
青司は聞く。
幸は、手短に、母がミュータントに殺された。そのカラダに羽根が付着していたと説明する。
「……そんな事情があったのか。親の仇を捜してたんだな。……言っとくけどソレは俺じゃ無い」
青司はその場にしゃがみ込んだ。
タワーのミュータント達は
カストロ学園の様子が気になっている。
地下のラボに保存されている翔太の、(里奈は死んでないと言う)様子を見たがっている。
校庭には未だ戦車が並び、自衛官が(数は減ったが)警戒態勢だ。
<警戒>の範囲にミュータントも含まれているのか?
学園側(国側)から全く接触が無い。
ミュータントを管理出来ない状況下で、あえてコンタクトを取らないのか、
それとも(国)はもはや崩壊し、ミュータントは完全に自由なのか、
タワーの中では知る術が無い。
もし、完全に自由なら、
学園の敷地全部を自由に飛び、
被災者が居る体育館はどうなってるか
学園長は生きているのかも、確かめたい。
が、
スカーフェイス、香川幸は、今日も本館の屋上から
タワーを威嚇している。
もしも本館にむけて飛んでいき、
幸の矢に首を射貫かれたら
ミュータントは即死だ。
田坂翔太のように死ぬのだ。
(スカーフェイスをなんとか出来ないか?)
(アイツ、ほら、今も本館の屋上に居る)
(しぶといな、死んでないんだ)
タワーのミュータント達は
この国の空を自由に飛べるのに
すぐそこの、建物には行けない。
隻眼の旧人類、小柄で痩せた女一人のせいで。
青司は皆の不満は尤もだと受け止めた。
いや不満が出る前から
翔太を射落とした幸を
機会があれば抹殺したかった。
社会と学園が機能していた、安定した社会では
安易に<人殺し>は出来ない。
相当のリスクと引き替えにするほど
重要でも急ぐ事でも無い。
しかし
今や世界はカオス状態。
人殺しを裁く機関は消滅している。
(もっと早い時期に、コイツを始末できたんだ)
それなのに、行動に移さなかったのは何故か?
青司は自分に聞く。
(多分、里奈が、コイツを殺すのを反対すると、知ってたから、かな)
幸がありのままを語ったので、
青司も習って
正直に話した。
殺しに来たと。
里奈は二日前から、ずっとタワーに居る。
<旧人類>を、もう見たくないと言った。
ミュータントの<天使>は、学園を(旧人類を)見限ったのか?
「里奈は、旧人類に子供の時に世話になった。今まで恩返しに学園の仕事をしてた。……でも、ソレも終わった。充分働いて、本来自分がいるべきミュータントの仲間のところに帰ってきたんだ。アイツは、お前が死ねば悲しむ。でもそれは、平川の死と同じ重さだ。単なる同情。里奈の精神は大きなダメージは受けない。俺が今、お前の母親がミュータントに殺されたと聞いて、ちらっと可哀想になったのと同じレベルの、些細な感傷だと思う」
「里奈は、タワーに居るのか?」
幸が、嬉しそうに、高い声をだす。
「……ああ、居るよ」
殺す前に、礼儀として、語った言葉の……意外な箇所にだけ反応されて、
戸惑う。
「そうか。……無事ならいいんだ。姿が見えないのが心配だった。自分の心残りはそれだけだった。……タワーに居るならいいんだ。てっきり、鷹志の側に行ったのかと思ってた。里奈はミュータントに産まれたけれど飛べない。島からボートで陸へ渡るとして、長野まで、どうやって行き着けるだろうかと、勝手に色々心配してたんだ」
「……なんで、里奈がタナトスのところに行くんだ?」
里奈の生い立ちは聞いている。
貧しい母のために羽根を売って金に換えた。
母は犯罪を犯し捕まった。
幼い里奈は<旧人類>に保護された。
学園の指示で動いているのも
早くから察しは付いていた。
しかし、
鷹志と交流があったと聞いていない
スカーフェイスと、とても親しいとも、聞いた覚えが無い。
「お前と、里奈と、タナトスは……どういう関係?」
青司がしゃがんだので、
今は幸も同じ体勢。
二つの
俯いた頭の
髪の毛が触れるほど近い位置に居る。
「関係?……幼なじみかな。三人とも別の事情で、国の長野の施設で訓練を受けたんだ」
「長野か。俺も、親殺して、長野の施設に収容されてたんだけど……会わなかったな」
青司は長野の施設にいる間、教官二人以外、接触していない。
……施設の記憶を辿る。
広大な敷地は、高い塀で囲まれていた。大きなドーム型の建物が中央にあった。
銀色に光る丸い屋根。
一度も、その中に入ったことはない。
青司が数年過ごした<寮>は
ドームの周りを囲むように建っている
校舎のような、五階建てのビルの一棟だった。
「別のビルに自分はいた。国の特殊児童保護施設だ。当時、政府は、超地震の孤児から身体能力の高い子供を選抜して、未来の戦闘員を育成していた。自分は孤児では無かった。でも、母子家庭で元々貧しいうえに祖母に介護が必要になり、母は働けなくなった。自分はテストを受け、父の才能を受け継いでいると判断された。自分が施設に入ることで母も十分な援助が受けられる。迷い無く入所した。……七才の時だ」
「そこに、里奈と鷹志がいたのか?」
「違う。鷹志と里奈は、それぞれ別の場所で隔離されていた。三人一緒になったのは10才の時かな」
幸は、顔の傷のせいで、施設の孤児達から疎外されていたという。
「黒いミュータント、翼の無いミュータント、醜い人間、他の子供と異質な三人を、ひとまとめに、したんだよ。面白いだろ?」
稲光が
幸の微笑む顔を青司に見せる
自虐の笑いでは無い。
楽しかった、幸せだった子供の頃を懐かしむ笑顔だった。
……スカーフェイスが笑ってる。
初めて見る<敵>の笑顔に、何故か、プラスの感情が沸いてくる。
「……なあ、ちょっと待てよ。俺も同じ施設に居たんだ。でも、教官以外、誰にも会わなかった。つまり、ひとりぼっち。なんで俺を、お前ら、はくれ者の中に入れてなかったんだろう?」
……もう少し、幸と、なんでもいいから喋りたい。
……殺す時間が数分後になっても問題ないじゃないか。
「お前が、一般タイプ、普通のミュータントだったからじゃないか? それか、青司は良い子じゃ無かった。凶暴で悪い子だったんだ」
冗談めいて幸が言うから、
思わず青司は笑ってしまった。
幸も笑う。
笑いながら、冗談の続きに
「死ぬ前に……、お前に知って欲しい事がある」
と早口で、接げ足した。
次の瞬間、
幸は立っていた。
矢を弓の前で構えている。
……うわ、油断させといて、俺を矢で突き刺す、つもりだったか?
幸の動作と同時に反射的に
青司の片翼は大きく開いていた。
(翼を一振りすれば、幸は後ろへ吹っ飛ぶ)
だが、
幸の矢の先は
青司にではなく
自分の喉に向いていた。
「成る程、おれに殺される位なら自決するというワケか?」
「……お前に殺されたくはないし、お前を殺したくもない。……自分は、さっき鷹志の血を食べたんで、頭の働きがクリアじゃ無い……ヘンになってるんだ。そんな自分が、もう嫌かも」
幸の声が上ずっていて、か細い。
喋り方に力がない。
「お前、ナニ言ってんだ? タナトスの血? なんの事だよ」
青司は幸の肩に触れようとした。
だが幸が避けたので
指先は届かない。
「血が……増殖してるんだ。説明するから、自分を殺すのは……二分待って欲しい」
「……?」
幸は、ラボの異様な状況を語る。
鷹志の血が増殖した赤いゼリーは
麻薬のように人間の精神に作用するようだと。
そして、ゼリーを口にした者は全員、生き延びている事実を。
「翔太は生きてるのか?」
「それは、自分で確かめたらいいんじゃないか? ……あ、でも、ラボに行くなら、気をつけた方がいい。地下室では、翼は役に立たない。接近戦では不利だ。……カストロ学園長は里奈に、お前をラボに誘えと指示した。ラボにはミュータントを捕まえる罠があるんだ……報告はコレで終わり。じゃあ、な」
幸は、矢を自分の喉に刺した。
「あ、バカ」
青司は叫び、近寄り、
倒れていく幸を、かき抱いた。
また稲妻が
妙にはっきりと
死にゆく幸の顔を
見せつける。
青司は長い間、幸の亡骸を抱いていた。
華奢な身体は柔らかく温かだ。
ふっくらした頬と細い顎。
まるで幼い子供のような顔。
翔太は、幸を愛していたのだと
青司は
初めて理解した。
自分の頬を今流れる
制御不能の涙が
<旧人類>の言う
愛かもしれないと。




