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Winged<翼ある者>  作者: 仙堂ルリコ
40/50

赤いゼリー

「やっぱり、髪が伸びてる」

田坂杏里は妹の沙理にスマホで撮った兄の画像を見せる。

三日前に撮った画像だ。

ゼラチン液のなかで静止している翔太の髪(青い巻き毛)は

今は、耳を隠していた。


「お兄ちゃん、生きてるんだ」

田坂翔太の、十五才と十三才の妹、

杏里と沙理だった。

 二人とも柔らかい茶色の髪をしていて、

 翔太と同じようにキツイ天然パーマで

長い髪は縦ロール。

細い顎も兄に似ている。

丸顔の母には似ていない。

翔太の<人間殺しの遊び>を知って

自殺した父親に似ているのだった。


……翔太は、頭を下にして、

……裸体を翼で隠すようにして

……水槽の中に有った。


 翔太の二人の妹は、母祐子と共に、島に来ていた。

 内陸から島への陸路が遮断された後に、

金沢の家を出たのだ。

 

地軸が動き、空が赤くなった日から間もなく、姉妹が通っていた学校は

機能が止まった(日本中の学校が同じ状況だった)

 翔太の母、祐子が働いていたスパーマーケットも同時期に実質閉店になった。

 世界中がそうであったように、この母子三人も瞬く間に日常が崩壊したのだ。

 

 ……祐子は、そう遠くない死を覚悟した。

 そして、 

せめて家族一緒に最後の時を迎えたい、と願った。

 <サンプル>になった息子の側に行きたい。

 最後の時を、自分と三人の子供達、同じ場所で迎えたかった。



当時、ミュータントの家族は、特別措置で、神戸港から自衛隊の巡視艇に乗り込むことが出来き、三人はカストロ学園内の避難所(体育館)に移ってきた。


「幸さんも、そう思うでしょう?」

 杏里が、ラボ内の、

 そう遠くない位置でカップラーメンを食べている、

 香川幸に、声を掛ける。


「うん……」 

 ただ頷く。

 この頃、幸は学園本館の屋上で一日の大半を過ごし(相変わらず弓矢を構えて外敵を見張っていた)、

 日に一度の食事時(夜)だけ、地下のラボに降りていた。


聖カストロ学園体育館に避難していた(概ね学園関係者)は、一ヶ月前から、平川を襲った環境不適応の病で、半数が亡くなっていた。

情け容赦ない<突然死>に、天変地異の恐怖と不安で、ギリギリ理性を保っていた人々も錯乱状態に陥っていた。


翔太の母と妹たちは、学園や自衛隊の避難所スタッフが<突然死>で半減した状況の中、役に立つ働き(食事の世話や死にゆく人の看取り)をした。


<貴重な人材は、優遇すべきです>

学園長の指示で、母子三人は、二週間前から夜はラボで過ごすようになった。


 翔太の水槽正面を段ボールで囲ったスペースが母子三人にあてがわれた。

 最低限の食料と段ボールと毛布だけの寝床は避難所の体育館と大差は無い。

 それでも、ラボは体育館に比べれば天国だった。

 この地下の明るい場所には

 広い体育館に充満している<死臭>が

 無かった。


「ミュータントはね、カタチは翼以外我々と似ていますが、細胞レベルでいうと、全く別物なんです。……彼は、翔太君は死んでいるというのは、あくまでも我々の尺度です。我々の死がミュータントに当てはまるのかどうかは不明です。彼らのカラダには人類が知り得ない未知の成分が存在してるのは分かってるんですけどね」

 大柄の白衣にマスクの男が、誰に言うでも無く語る。

 ラボの責任者、相場だった。

 相場は<翔太>を眩しげに眺めて、


「幸さん、迎えに来たんです。皆あなたを待っています。さあ、行きましょう」

と、

幸をラボの奥に導いた。


衝立で隠されたスペースで、スタッフが<食事>を待っていた。

白衣を着た男四人と女三人。

学園がスタートした、初めからのメンバーだ。

つまり、一人も適応不能の症状で死亡していない。


七人は五十センチ四方の無菌ケースを囲むように立っている。

ケースの中には赤いゼリーのようなモノがある。

鍋で煮ているような小さな泡が表面に沸いている。


「昨日までは、24時間で元の大きさまで増殖していましたが……ごらんの通り、大きいでしょう? 増殖運動が速くなってるんです」

<赤いゼリー>は、元は鷹志から撮った血の一滴だった。

それが増殖し、大きな塊となり蠢いているのだ。


「幸さん、遠慮無く沢山食べて下さい。元々、あなたが鷹志さんから得たモノなんだから。あなたが先に食べてくれないと、我々は遠慮してしまう」

 さあ、と

 相場と七人のスタッフ、十六の目玉の先が幸に向けられる。

 同時に、赤いゼリーが入ったビーカーを胸の前に突きつけられる。

 右手にスプーンが握らされる。


「わかった。食べるから。それでいいんだろ?」

幸は鷹志の血が増殖したゼリー状の物質を、数回に分けて飲み込む。

決して舌の上に載せない。

コレの味覚に触れるのが恐ろしい。


幸が先に食べたので、スタッフ達は遠慮無く、食べ始めた。

とても小さなスプーンで少しづつ口へ運ぶ。


赤いゼリーは、僅かな量で人のありとあらゆる欲望を満たす、かのように

スプーン一杯舌の上に載せたとたん、

スタッフの顔つきは変化する。

エクスタシーか?

呆けたのか?

なまめかしいため息、

「あーああ」と押さえられない快感の呻き。


嫌な時間だと幸は思う。


一番最初に<赤いゼリー>を口にしたのは相場で

その次は幸だった。


幸はゼリーの中に人間の精神を錯乱させる、麻薬のような成分があると、本能でわかった。でも、吐き出すのは躊躇った。コレは麻薬のように精神には危険だが、身体には有益だと同時に分かったからだ。


「コレを食べたおかげで、私たちは、死なないんだ……幸さん、あなたのお陰です。あなたが鷹志様の血を頂いて下さった……黒い神の血の一滴が我々に生き延びる力を与えてくれた……」

 相場は潤んだ目で幸を見つめ、跪き拝むように手を合わせる。

 他のスタッフもそれにならい、同じ動作をし始める。

 異様な光景。

 しかし見慣れている。

 ……いつから、こんな儀式が始まった?

 ……いつから、鷹志の血を食べている?

 幸は答えを求めて考えた。

 でも、正確に何日前なのか

 どうしても分からない。


頭が混乱しているのは、非常事態の緊張が長く続いているせいなのか?

それとも、鷹志の血を食らって頭がおかしくなったのか?


「もう自分は充分食べたから、気にしないで、好きにしたら、いいから」

幸は息苦しさに、ラボを飛び出した。

向かう先は屋上だ。

他に行き場が無い。

雷光が幾筋も高い空から落ちている。

雷音も絶え間ない。


この世の終わりの地獄絵のような夜空が、頭の上にある。


幸は弓を構えた。

(一体、どんな敵が、此処を襲うというのか?)

敵など居ないと知っているのに、

他にやるべき事が無い。


幸は屋上で、弓を構えて立っていた。

とても長い時間、そうしていた。


長い時間前方に注意を向けていた。

だから、

青司が、背後に居るのに、気がつかなかった。


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