学園長と里奈
「そっか。運がなかったんだな」
青司は、厨房に横たわる平川の遺体の耳元に囁いた。
その次に、若干固くなり始めている身体を抱き上げた。
「来夏、皆は腹が減ってる。メシの支度が出来ていない理由は分かった。責めない。今から急いで作ってくれたらいい。俺は、平川を広い海へ連れて行く。特別に、そうする。他にコイツの為に出来るコトは、何も無い。来夏、お前はコイツの為に何も出来ない。出来るのは俺たちのメシを作るコトだけ。分かってるよな?」
青司は平川を抱えたまま、厨房の窓から飛んだ。
陽は沈みかけていた。
赤い空に墨を流したような灰色の雲。
青司は
校庭をチラリと見遣る。
黄色い明かりがポツポツ灯っていた。
戦車が見える。
数ヶ月前、校庭に入った時の位置で並んでいる。
自衛隊員が警備の体制で立っている。
その数は見るたびに減っている。
(こいつらは、仲間がバタバタ死んで、
自分もいつ死ぬかわからないのに働いてるのか?)
高度を上げる。無数の人工的な明かりに混じって、<火>が見える。
<突然死>に怯え、狂った輩が、あちこちに火を付けていた。
「ずっとタワーに居ればいいのに」
青司は、<学園>に戻ろうとする里奈を引き留めた。
里奈は、昼間はタワーで食事の用意や洗濯をしていたが、夜は<学園>で過ごしていた。
「避難してきて体育館に居る連中は、ひどい状態なんだろう?」
死体と狂人と廃人が群れているんだろ?
日本中、いや世界中そうだけど。
「心が壊れてしまった人は多いね。……でも理性を保ってる人もいるんだよ。食事の世話をしたり、亡くなった人を弔ったりしてるの。少しでも、手伝いたいんだよ」
「お前、マジで天使か?」
来夏が話に入ってきた。
「それにね、子供達が気になるの。親が死んじゃった子が、いっぱい居るんだよ」
「……子供か。平川みたいに、ガキも突然苦しんで死んでるんだな。……里奈、お前が何かしたってヤバイ現状は変わらないだろ。体力消耗して悲しい気分になるだけ。……俺たちミュータントだって、今のところは何の不調も無いが先の保証は無い。旧人類の為に力を使うのはロスでしかない」
青司は食堂から出て行こうとする里奈の前に立ちふさがった。
「確かに、………そうなんだけどね」
外したエプロンを握った手が震える。
里奈は、どうしても<学園>に戻らなければいけない事情があった。
タワーでミュータントの世話をしているのは自分の意思では無い。
学園長から与えられた<仕事>だった。
<学園>内では、
地軸変化後の大気不適応による呼吸機能不全死者は半数を超えていた。
それでも、<学園>は機能していた。
ライフラインに不自由はない。
そもそも、この人工の浮島は超震災後に当時の先端技術を集結させ
実験的に作られたモノだ。
瀬戸内海の渦潮を利用した水力発電装置を装備している。
碇を外せば、たちまち巨大な船にもなるのだ。
学園長は健在だった。
地下のラボも機能している。
里奈は学園長の指示で動いていた。
「でもね、皆の世話をしてる人たちと友達になったからね。その中には、田坂翔太君の家族も居るんだよ」
嘘ではない。
田坂祐子と翔太の妹二人、病人の介護をしていた。
「えっ?……あの、翔太のか?」
来夏が驚く。
射るように里奈を見据えていた青司の瞳が、揺れる。
「そうなの。お母さんは妹さん二人と、金沢から島に来ていたらしいの」
「何で、わざわざ来たんだ?……アイツは死んだのに」
来夏が聞く。
「息子は、まだ生きていると感じたと言ってたよ。此処に来れば必ず会えると信じていたと」
「願望から発展した妄想だな。そんだけ翔太は、愛されてたワケだな」
来夏はしみじみと語る。
「妄想でも無いんだよ」
里奈は早口で呟き、青司と来夏の間をすり抜け、タワーの出口に向かった。
「翔太が生きてるって事だな」
青司の声を背中で聞いて、
里奈はタワーから出た。
学園に戻ると、真っ先に学園長室へ向かう。
リカルド・カストロは、鷹志が飛び立ったあとも、この部屋を使っていた。
壊した窓は修復されていた。
以前はブラインドだったが、今は青いカーテンに替わっている。
二度と見れない空の色だ。
カーテンの隙間からはタワーの明かりが見えた。
「お元気そうで何よりです」
里奈は学園長の無事に安堵する。
「いつ死んでも不思議で無いと、心配してくれているのだね」
答える笑顔が、今夜は昨日までと違う。
押さえ込んでも隠しきれない<死>への恐怖が無い。
「里奈君、実はさっき、礼子君から良い知らせがあったのだよ」
山田礼子は鷹志と共に長野県にある国の施設に居た。
「良い知らせ、ですか?」
天変地異に突然死多発で人類滅亡の危機……この地獄でどんな<良い知らせ>があるというのか?
「鷹志の部下の鳥たちに、ちょっとした調べ物を頼んでいたんだが、予想以上の結果だったんだ」
リカルド・カストロは、大気の変化に全く身体の不調を感じていなかった。
毎日大勢死んでいるのに、ハンディのある自分は元気だった。
むしろ空が赤くなってからの方が、呼吸がしやすい。
突然死に家族性がある事は
避難者の死亡リストを見れば明確だった。
一家の中で母子、あるいは父子が、共に亡くなっていた。
「遺伝だと予測はつく。しかし耐性の差を調べられる状態ではない。医療スタッフも半分、無くしてしまったのだから。……私は何が生死を分けているのか、外に現れている特徴があればいいのにと、ふと思った。しかし知り得る範囲で確実に健康なのは私自身と、礼子君と矢沢兄弟だけだ。矢沢兄弟と私や礼子君の血液型は違う。体格も肌の質も違っている。共通した肉体的特徴はない」
そこまで喋って車いすを操り、ワインバーまで移動した。
クリスタルグラスに赤い酒を注ぐ。
「冷蔵庫からなにか、ツマミを出してくれないかな?」
「……はい」
里奈は、高級な缶詰や瓶詰めで一杯の冷蔵庫から
サーモンとチーズを選び、オリーブを添えて皿に盛った。
「君も、座って飲みなさい」
言葉に従う。
学園長は満面の笑みで<乾杯>と、グラスを上げた。
「私に分かる筈は無いと、すぐに諦めたよ。ところがだ、田坂翔太の親族が体育館で素晴らしい働きをしていると君に聞いたあとで、閃いたんだ」
里奈が田坂祐子達のことを報告したのは五日前だ。
「私と礼子君と矢沢兄弟、そして田坂翔太の親族。この七人には共通点があると気がついたんだ」
「……あ、」
そこまで聞いて里奈には分かった。
山田礼子は学園長の妻の血縁だ
矢沢兄弟にはミュータントの従兄弟が居ると聞いた覚えが或る。
七人は、ミュータントと血の繋がりがある。
「ミュータントの家族をランダムに10件、生存確認させた。結果、ただの一人も死者は無かった」
「それは大気の変化に順応できる遺伝子を持ったグループからミュータントが生まれたという事ですね?」
里奈の問いに、学園長は深く頷いた。
理論などどうでもいい、自分は死なないと分かったのが、ただ嬉しいという顔で。
「ところで、奥地青司なんだが。……地下のラボに呼び寄せるのは無理かね?」
「いえ。多分、彼は自ら、近いうちに来るでしょう。他に方法が無いので田坂翔太が死んではいないと、申しました」
「……成る程。あのサンプルをエサにしたんだな」
学園長は、ちっ、と舌を鳴らす。
先ほどまでの温和な笑顔は消えている。
ぐいと車いすを操り窓辺へ移動すると、カーテンを少し開いた。
稲光と、タワーが見えた。
「ボスが居なくなれば、あの鳥たちも鷹志の元へ飛んで行くに違いない」
学園長は、
タワーの周りを飛んでいるミュータント達を指差し、忌々しげに呟く。
青司を捕獲するつもりなのだ。
翼を使えない地下のラボなら簡単だと考えている。
里奈は、ソレは不可能だと知っている。
翼の無い人間達など、青司の敵では無い。
里奈は、
<任務>で青司捕獲作戦を遂行している。
ミュータント達を裏切っている、スパイだ。
しかし罪悪感は無かった。
ミュータント達を縛り付けていた、
首のチョーカーの機能は停止している。
学園内の制御装置は鷹志の発する強力な磁力で壊れた。
タワーのミュータント達は今もこの先も自由だった。
翼の無い、旧人類の制御外に或る。
「では、失礼します」
暫く言葉が無いので、退散のタイミングだと見計らって
里奈は頭を下げた。
「ああ、下がってくれたまえ」
こちらに一瞥もせず、学園長は指図する。
……もの言う蟻だ。
と、
里奈は笑いを堪え学園長室を出た。
旧人類は、ミュータントから見れば蟻のごとく無力で小さな存在だった。
ミュータントに生まれながらも、翼を無くし、女性の身体を備えた里奈だが
車いすの初老の<旧人類>など、親指と人差し指二本で瞬殺出来る力はあった。
「どうして、学園長は、この私を恐れないんだろう?」
エレベータの中で呟いた。




