三ヶ月後
「涼しいな。ちっとも暑くならないで夏が終わったな。これは空が赤いから、なのか?」
来夏は平川に聞いた。
「そうかも……でも僕は今暑くてたまらないんですけど」
平川は、大鍋から大量のパスタをザルに移す作業中だ。
六月六日から、三ヶ月が過ぎていた。
鷹志に毟られた来夏の羽根はまだ元通りに生え揃っていない。
飛行できない。
それで、調理係になっている。
映研部の部長だった平川は、鷹志が飛び立って間もなく、一家で<聖カストロ学園>体育館の避難所に来た。
時々タワーに来て、来夏の仕事を手伝っていた。
絶え間ない地震で地球上の多くの建物は倒壊した。
国中の生産流通、全ての機能は停止したまま、再生の目途もなく
国家という構造自体が、静かに崩壊へ向かっていた。
「あっ、また来たな」
窓の外が、夜のように暗くなる。
「あいつ、なんでいちいち、ここを通るんだろな?」
来夏はいまいましげに呟く。
三日に一度は同じフレーズが口から出ていた。
三日に一度、上空を過ぎる黒い大きな影は
鷹志だった。
「また、大きくなってますね」
影が通過する時間が長くなっているのに、平川は気付いている。
「もう、この島よりデカいって、青司が言ってたぞ。そのうち淡路島くらいになって……どんだけ大きくな るのか予想もつかないと」
「<タナトス>が人間食べてるのも、それも青司さん達、見たんですよね」
「うん。手から口の中へ入れてたらしい。まあ、食べてる、といえば、そうなんだけど……」
平川は(巨大な)人食いモンスターが
逃げ惑う人々を掴んで喰う姿を想像して、震えた。
「それが、違うんだ。人間を捕獲して、喰ってるんじゃないらしい」
「……?」
「平川、あのな、アイツが地上に手のひらを広げると、人間の方から寄ってくるんだって」
アメリカが主導する<地球連合軍>空軍も、
巨大化した鷹志に為す術はなかった。
(鷹志の存在を確認すると同時に、無人機偵察機グローバルホークが飛んできたが、鷹志の発する強烈な磁気でコントロールを失った)
赤い空を見上げ、世界の終焉だと諦めた人々は
山へ登り
海岸に集まり、<神>に祈りを捧げた。
そうして目前に舞い降りた<黒い神>の、
静かに地上に置かれた大きな手のひらに
すすんで載って
喰われていった。
「青司さん達が、見たんですか?」
「そう。<タナトス達>を追って、何してるか、観察してるんだ」
<タナトス達>、と来夏は忌々しげに吐き捨てた。
「ずっと……国外にいたミュータントが<タナトス>と一緒に飛んでるですね」
日本で産まれた2000人ほどのミュータントのうち<聖カストロ学園>のターワーに居る107人以外が、鷹志と行動を共にしていた。
日本政府が世界に流した、鷹志と<天皇>の動画を観て、集まってきたのだ。
「ミュータントじゃ無い僕には、それも不可思議です。どうして<タナトス>の元に集まったのか、分かりません。知能の高いミュータントにしては行動が単純過ぎる。思考以前の本能だとしたら、ここの、タワーの寮生が<タナトス>に付いて行かなかった説明がつかない」
「ここの皆は、セイジに付いて行ってるの。そうだよね、来夏?」
いつからか、厨房に里奈がいて、話に入る。
「そう、リナのいう通り。俺たちは一番強くて賢いヤツに付いて行くだけ。他のミュータントがタナトスについて行ってるのも同じ理由だろ」
「一番強い、ですか。どう見てもセイジさんより<タナトス>の方が、はるかに強そうでしょ? でも、一旦決めたボスを替えたりはしないって事ですか?」
「平川、お前はミュータントじゃないから、分からないんだな……セイジが本当はどんだけ恐ろしい奴か、全然感じてないらしい」
「あのセイジさんが恐ろしいんですか?」
平川のミートソースを混ぜていた手が止まった。
「平川君、あと替わるよ。汗びっしょりで顔色も良くない。無理しなくていいよ」
「あ、はい」
平川は、里奈の言葉に素直に従い、鍋の側を離れた。
「でも、ここに居てもいいですよね?」
厨房の壁にもたれ、そのまま腰を落とし、座り込む。
「ああ。セイジたちが戻ったら、体育館まで運んで貰えばいい。此処には薬もないし医者もいないから」
「薬も医者も何の助けにもならない。……僕は、例のアレ、だから」
「えっ?」
来夏と里奈は同時に振り返り、平川を見た。
そして作業を中断し、彼の側に駆け寄った。
「お前、間違い無いのか?」
「はい。じつは……先週、両親が死んだんです。僕もきっと生き残れない体質なんだと思います」
地軸が動いて起こった異変は
地震と、赤い空、夜の稲妻だけではなかった。
大気の成分に若干の変化があった。
それが生物にどの程度影響を与えるのか、
早急に調べるシステムが稼働しているのかどうかは不明だった。
地球のどこかで詳細な結果が出ているかもしれない。
だが、それを知るルートはない。
「なんだか、ちょっと息苦しかったんです。酸素が足りない感じです。両親も同じように言ってました……皆そう感じてると思ってたんだけど」
大気の変化に苦痛を感じる者もいれば
全く平気な者もいた。
前者は過敏なだけ。
当初は誰もがそう解釈した。
あっさり死んでいくと、
まさか予想もしなかった。
一月前から、ぱたりぱたりと、
軽い違和感があった者に限って、突然の死に倒れていた。
「おい、しっかりしろ。つまりは酸素が足りないんだろ? 酸素ボンベがあればいいんじゃないのか? セイジに言えば、きっとどっかで捜してきてくれる。もうすぐ戻ってくるから、な、心配すんなって」
「無理ですよ。僕が生きるために酸素ボンベが何個必要だと思います? 手に入るワケないです。……前に話したと思うけど、なんとなく長くは生きられないと知ってたから驚いてはいないんです。人類は滅亡すると知ってた。だからミュータントが出現したんだと。それは正しかったでしょう? 地球の異変はミュータントには無害だったんだから」
「苦しんだろ。喋るな」
来夏は、初めて感じる種類の不快感に顔をしかめた。
自分を見つめる、平川の眼差しが
一生懸命話す声が
耐えがたいほど不快だった。
「多分、もう喋れません、でも良かった。里奈さんは生き残る。人類滅亡じゃ無い。環境に適応できない遺伝子を持ったのが、自然淘汰されるだけだったんだ。僕は最後に二人を……未来を見つめてるんだ」
平川は最後に笑った。
そうして、ごううんと音が鳴るほど深い息をして……短い痙攣をみせ、眼を閉じた。
あまりに呆気なく、目の前で死んでいった。
来夏と里奈はしばらくの間、平川の前にぺたりと座り込んで
亡骸を見つめていた。
「くっ、そー」
来夏は突然立ち上がり、平川の頭を掴んで揺さぶる。
「ちょっと、止めなよ」
里奈は慌てて止めた。
「ラナ、部長の頭、引きちぎるつもり?」
「あん? それもいいかも。俺、コイツ、メッチャ腹立つ」
「あんた、何言ってんの? どうかしてるよ」
里奈は何故か凶暴化している来夏を、平川から引き離した。
「バカ、平川の大馬鹿、くそ野郎」
今度は死人に怒鳴り始めた。
顔を真っ赤にして、眼に涙を滲ませて怒っている。
まるで幼児が駄々をこねているように。
来夏は
初めて知った<悲しみ>に混乱していたのだ。




