前夜
鷹志は震えていた。
「どっか、痛いのか?」
幸は鷹志の、漆黒の羽根に言葉をかける。
背を、向けて座っている。
そして小刻みに震えている。
「幸、鷹志は返事が出来ない。声を出せば、皆の鼓膜が破れるからね」
広い室内には学園長と幸の他に
数人の自衛隊員が居た。
彼らは窓辺で作業をしている。
明日の朝、鷹志が飛び立つ出口を造っている。
キーンと、
壁を(コンクリートと金属)切断する音が凄まじい。
「それと、作業の間邪魔にならぬよう、自分の力を押さえている」
鷹志は体内から発生する磁気をコントロールする術を
今は、備えていた。
「かなりの苦痛を伴うらしいが、鷹志は耐えている。長い時間では無い。夜が明ければ自由の身になるのだから」
幸はポケットに採血キッドを隠し持っていた。
「喋れないんだ。じゃあ、どうしたらいい? 」
悲しげな、一つの瞳に、学園長は首を横に振るしか無い。
最愛の息子が親しくしていた、数少ないトモダチのひとり。
短い別れの時を邪魔する気など無い。
車いすを操作し、背中を向けた。
幸は黒い巨大な塊となった鷹志を、遠慮無く観察し、速やかに鷹志の手を探し当てた。太い小指の先を掴む。
爪のカタチが異様に先細りだ。
短時間で巨大化した痕が、はっきりと有った。
ぴくんと、鷹志の指は反応する。
自分の二の腕より太い指の先に……採血キッドの針を刺した。
鷹志は反応しなかった。蚊に刺されたよりは弱い刺激であったに違いない。
あえて了解を得る程のコトでは無かった。
約束の仕事を終え、幸は鷹志の指に両手で触れた。
明日の朝、鷹志は長野の巣へ飛び立つ。
幸は学園に残る。
学園と……つまりは、この浮島と運命を共にする。
与えられた任務は、二度と鷹志に会えない可能性が高い。
「昨日、地下のラボに行ってきた。自分が、打ち落とした、ショウタがいたよ」
別れの言葉は口にしたくない。
だから何か話そうとして、とりあえず昨日の話をしていた。
鷹志の指がさっきより、大きく動く。
<ショウタ>に反応している。
どれ程の執着か幸は知らない。
でも、興味を持っているのは分かる。
「ゼラチン液の水槽にいた。…頭が下で、顔は上向いて、翼広げて。生きてるみたいに……綺麗だったよ」
今にも振り向きそうに、ガグンと鷹志の肩が動く。
「ラボのドクターは『パーツは死んでない』と言っていた。どういう意味かわからないけど」
言えば、鷹志の動きは止まり……続いて安堵のため息。
部屋の空気が大きく揺れて、幸の髪は乱れる。
鷹志は田坂翔太に特別な思いがあった。
薄々は解っていたが辛い。
鳴り響いていたチェーンソーの金属音がぴたりと止まる。
「今より撤去作業に入ります」
作業員が告げ、
窓枠ごと、学園長室から全ての窓を外していく。
午後8時半。
空は不気味な赤から、見慣れた夜の色に変わっている。
「鷹志、あいつら、来るかもしれない」
幸は、
剥き出しになった室内を、ミュータント達が好奇心に駆られて覗きにくるんじゃないかと懸念する。
彼らの首に取り付けられたチョーカー、制御装置は現在は無効。
自由に飛び回っている。
が、食事時にはタワーに皆戻ってくるらしい。
丁度皆の夕食が終わった時刻だった。
窓が外れたと知れば、見に来るかもしれない。
実際、
ミュータント達は、屋上から本館を眺めていた。
「今度は何が始まるんだ」
「カーテンを外した」
「中が見えるか?」
「いや、奥までは見えない」
と、ガヤガヤ喋り合ってもいた。
だが、
学園長室の中が露わになったとたん、皆、黙った。
暗い室内の一部を、作業用のハロゲンライトが照らした。
鷹志の黒い片翼が、はっきり見えた。
「あらら、またデカくなってる。どうする? 挨拶しにいくか?」
来夏が青司に聞いた。
「いや、今は、そっとしといてやろう。なんか衰弱してるみたいだぞ。ああして出口を造ってるんだから、近々、外へ出てくるだろうから。……待とう」
鷹志の磁気が弱いのを青司は感じていた。
鷹志自身がコントロールできるとは知らなかったが。
「タナトスは弱ってるだけか? 全然動いてないぞ。あれ?……スカーフェイスがいるぞ。アイツは学園の手先でショウタを殺した、刺客だ。ヤバイぞ。タナトスも抹殺されるんじゃないか?」
青司は、<旧人類>が鷹志を殺すだろうかと、考えてみる。
自分たちを自由にさせ、三食与えてくれてる(御馳走を)。
ミュータントに危害を加える気配は全然無い。
「<旧人類>にしたら、俺たちと、アイツでは決定的にリスクが違うだろ? この非常事態に大量の生肉を食わせるだけでも厄介だ。そもそも、青いミュータントは<天使>だけど、あいつはデカい化け物だ」
役に立たない、大きな荷物でしかない。もっと大きくなる可能性もある。
「今のうちに殺処分されても不思議じゃない。セイジ、俺はタナトスに同情はしないが、……ショウタを殺したあの女は、消したい」
「おい、待てよ来夏」
制止も聞かず、来夏は上へ飛んだ。
闇に紛れて碧い翼は見えなくなる。
数分後に、来夏は本館の屋上に着地した。
学園長室から見えないルートで移動したのだ。
「アイツら、おとなしくしてるみたいだ。こっち見てるけど、飛んでこない」
今、来夏が三メートル上の屋上に居るのも、
自分襲うタイミングを伺ってるのも知らず、
幸は<窓辺>に立った。
丁度
今夜最初の稲光が南の空に走った。
遅れて響く雷鳴。
その瞬間が来夏の襲撃のチャンスだった。
ひらりと幸の前に出でて、
左の二の腕をしっかり掴み、高く跳んだ。
学園長室に残っていた作業員が「おお」と声を上げる。
校庭に常駐している自衛官達もざわめく。
「馬鹿かお前は。さっと落としちまえばよかったのに」
青司は届かぬとわかってはいたが、上空へ叫んだ。
窓から入ろうとしたように装えば、事故だと言い逃れもできる。
(暗くて人が立っているのが見えなかったとか)
すぐに引き返せばどのミュータントか特定されない。
なのに、
来夏は高い位置から幸を落とすつもりらしい。
確実で残酷な殺し方をしたいらしい。
公然と人殺しをやってのけたらどうなる?
<旧人類>はミュータントを必要としているが、
こんなに居るんだ、一人ぐらい減っても大きな損失では無い。
来夏は殺人現行犯で打ち落とさないか?
青司の足は屋上の床から浮いていた。
……やはり、阻止するべきだ。
飛んだ。
が、高くは飛べなかった。
突然の、凄まじい強さの風に煽られ、
タワーの外に出られない。
「……あ、」
黒い、巨大なモノが、本館の上に……いる。
鷹志、だった。
ゆっくりと翼を動かしている。
バサリとも音を立てずに。
突風と、強い磁気。
青司は飛ぶのを諦めた。
雷光が鷹志の姿を見せる。
体長は20メートルを超えている。
広げた翼は屋上の幅をはみ出している。
青司は、巨大化した鷹志の姿を知ってしまい、
抗えないと、瞬時に解った。
鷹志の身体が屋上から浮いて垂直に移動する。
羽ばたいているが音は無い。
すぐに、また屋上に着地し、
肘を伸ばし、両の手に何かを掴んだしぐさをする。
……来夏と幸を確保したのだ。
右手を慎重に、屋上に降ろす。
幸だ。
ダメージは軽かったようで、歩行のカタチは健常だ。
続いて鷹志は、左手の中で蠢いている青い翼を右手で摘まむ。
青司は、一秒後に、来夏は握り潰されると予測した。
鷹志の行動が幸を救うためだと、もう解っている。
来夏を許す筈は無い。
ところがだ、
鷹志は予想外の、行動に出た。
右手で捉えた来夏の羽根を、空いた右手の太い指で、毟っているではないか。
随分手間取る作業だ。
何の為にそうするのか?
青司には全く読めない。
全ての羽根を毟られ、飛行不可能になった身体で、来夏は鷹志の広い手のひらから解放された。
わりあい丁寧な、しぐさで、幸と同じように屋上に、そっと放たれた。
同時刻、日本時刻午後九時。
米国、ロシア、中国が声明を発表した。
今後予測される大パニックの被害を
最小限に抑えるために……
現時点より三国連合軍が世界を統治すると宣言した。
世界中の電波が凍結していると思われていたが、
この宣言はメールで一斉配信された。
五分遅れで日本政府からの、動画いりメールが同じ経路で発信された。
27分の長い動画だ。
聖カストロ学園地下ラボで録画と最初にテロップ。
ドクター相場が、(基本的な生活能力が未発達で、学園生活に適応できず事故死に至った)三体のミュータントを解剖した結果を、淡々と語る。
事後100日過ぎても腐敗しない、生きているスライスされた太ももの断面を見せる。
幸に見せた、ミュータントの血液が増殖した、色とりどりの生命体も。
「未だ経過観察の途中で、ミュータントの全貌解明には程遠いのです。今、我々人類は地球の変化を受け入れられず混乱しています。わからないから、想定外だから、赤い空に怯え、地震に震えるのです。つまり人類はまだ、自分たちの周りの環境の全てを知ってはいないのです、」
そこまで喋って、画像は不意に途切れた。
二つのメールは、世界中の携帯電話に送信された。




