三日前
規制高度を超えても、チョーカーに反応はない。
青司は翼を大きく広げ規制幅を超えて旋回する。
「やった、俺たち自由だ」
安全を見て取ったミュータント達は一斉に上に跳んだ。
見下ろす街の灯は白っぽい。
稲妻に怯え、どの家も眠ってはいない。
繁華街の派手なネオンが消えている。
さすがに居酒屋もパチンコ屋とかも店を閉めてるらしい。
<地軸が動いた>の発表後、テレビは特別番組一色。
専門家を座らせ、解説を委ねる。
が、長々と喋ったあげく、
今後の地球、人類への被害は予測不能で終了する。
でも、
ミュータント達にとって今はそんなこと、どうでも良かった。
自由に飛べる。
翼が喜んでいる。
この身体は、こうやって空を飛ぶためにあるのだ。
何処へだって行けるかも。
それに、南の空に絶え間なく降りる稲妻のおかげで
夜空は明るい。
「旧人類達は非常事態。集団で上空を飛んでるミュータントを制御する余裕も手段もないんだろ」
来夏が近づいてきて、大きな声で言う。
「うん、多分」
答えかけた青司は、
本館屋上に、スカーフェイス、を見た。
雷光が、闇の中に立っている香川幸の姿を照らした。
SWATみたいな黒の戦闘服に身を包んでいる。
暫く姿を見なかったが、仕事に復帰したらしい。
……あの女が、翔太を殺した。
もしも弓を構えたなら、疾風のごとく飛んでいき
頭を掴み校庭に振り落としてやろう……。
青司は幸に向かって、さあ射てと挑発するように
翼を広げて見せた。
幸は、足下にある赤い武器に手をかけなかった。
直立不動の姿勢で、やや顎をあげ、こっちを見ていた。
遠すぎて、表情が見えない。
近づく。
本館屋上まで、幸の頭上まで行く。
目が合う。
と、幸は右肘を上げ……手を顔の前に掲げる。
「敬礼? 俺に敬礼するわけ? なんで?」
バサリバサリと翼を動かし空中で聞いてみる。
幸は答えない。
その片目は今もう青司を見ていない。
視線は地上に降りている。
「やばい、」
下の戦車を、校庭の自衛隊を忘れてた。
銃で撃たったりはしないと、それくらいは分かる。
が、飛行禁止命令、威嚇発砲はあるかも。
しかし、見える範囲に居る自衛官は
幸と同じように、自分に向かって敬礼ポーズで
静止しているではないか。
「どういう意味だ、あれ」
また来夏が聞きに来る。
「わからん。でも、自由に飛んでもいいみたいだ、ぞ」
それから
青司を頂点とする三角形の隊列で、
彼らの飛翔能力の限界を試すかのように、
西は四国、東は長野、北は佐渡島と
一〇七人のミュータントは、
朱色の朝がくるまで飛び続けた。
六月四日朝
青司は来夏と、朝食を食べていた。
フレンチトースト、ホタテとほうれん草のソテー、
オレンジジュースに、パンプキンスープ。
一晩飛んでいたから空腹だ。
まるで、その事を配慮しているかのように、
今朝の朝食は豪華でボリュームがあった。
「なあ、俺たちは首輪が効力を無くして自由の身になったというのに、結局、このタワーへ帰ってきて、温かい朝飯を食ってる。ちょっと、情けないな」
来夏が言えば、他のテーブルのミュータント達がアハ、と返事のように笑う。
「『餌付け』されちまってるのさ。カラスと一緒に生ゴミを漁るよりましだろ。それにこの非常事態に関わらず、タワーは機能させている。大切にされてるってことだな」
青司は来夏に敬礼してみせる。
「青司、ミュータントは戦闘要員か。センサーが壊れて首輪の制御が不能になったんで、急に態度を変えやがったんだな」
「そういう事だろうな」
「で、俺たちは自衛隊に協力して何と戦うんだ? タナトスじゃ、ないだろうし、」
大切に育てている黒いミュータントに危害を加える筈は無い。
来夏も良く分かっている。
「戦うんじゃ無いさ。多分さ、これから日本中がパニックになるよな。いや、もうなってる」
まず、買い占めが始まっていた。
スーパーは開店早々品切れ。
食料品や必需品を求める人たちで道路は大渋滞。
全ての鉄道は止まり、学校も休校だ。
テレビやインターネットで、異常事態が伝えられている。
しかし、それも夜明けと共に終了した。
「今朝からテレビが映らなくなったと、平川からラインがあった。受信トラブルじゃ無いらしい。『放送を中断しています』って画面になってるんだと、コレ」
来夏は平川が送ってきた画像を見せる。
「平川の親父は、今日は会社に行かなかったらしい。食料とガソリンの確保に、早朝から出て行ったってさ」
「まず、食料だな。考えることは皆同じだ。でも、普通の災害じゃ無い。台風や地震とは違う。数日分の食料では安心できない。もう奪い合いは始まってると思う」
「暴動か。超地震の時でも日本人は冷静で集団パニックに陥らなかったらしいが、さすがに今回は無理か。軍隊で押さえるしか無いんだ。ほんで俺たちにも協力させるつもりだな」
青司達は、日本が三国(アメリカ・中国・ロシア)を敵に回す覚悟を、まだ知らなかった。
14時10分
<今日の>地震は近畿地方では震度5強を記録した。
だが、<地震速報>はない。
避難勧告の指示も無い。
政府や自治体に電話が殺到するが、どこも繋がらない。
情報が供給されない状況は、人々の不安と恐怖を煽る。
タワーはみしみしと音を立てて揺れた。
地下のラボも大きく揺れた。
「お前、生きてたの?」
香川幸は、水槽に指を触れ、翔太に話しかけていた。
ゼラチン液に浸かった身体が、ゆっくり呼吸を始めたかのように動いている。
地震の揺れのせいだと、もちろん分かってるのだが、
サンプルになったミュータントは<死体>に見えない。
母の顔に有った死の<烙印>がない。
「死人の顔は、堅くて黄色いもんじゃないのか?」
「そうだよ、彼は死んだが、彼のパーツは死んでないからね」
独り言に、スタッフの一人が答える。
「パーツ?」
幸が首を傾げると、大柄の白衣にマスクの男が、ラボの片隅を指さす。
白衣に<相場>の刺繍がある。
「あっちに輪切りにしたサンプルがある」
サンプル2。
伊藤甲斐の右腕が五ミリ幅でスライスされた状態で
ケースに保管されていた。
「樹脂で固めたんじゃ無いんだよ。自力で、その状態を保ってるんだ」
「……?」
「良く断面を見てごらん。動いてるのがわかる」
スライスされた一片は、確かに動いていた。
骨の周りの肉は、たった今切断されたように瑞々しい。
初めからこの形状の生物だったかのように
「ミュータントの身体はね、翼を除いては我々にそっくりだ。全ての内臓は同じカタチをしてるし、機能も同じだ。ところがだ、身体を流れる血液が全く違ってるんだな」
肉片は赤い。
血管を血液が満たしているからだ。
「この五ミリ幅の中で僅かに残っていた血液が増えていった。血液と呼んでいいのかも疑わしいがね。新しい血は凝固反応が無い。なのに、スライスから血が垂れてないだろう」
そこまで喋ってマスクを外す。
口ひげに白いモノが混じっていた。
相場は、ラボの責任者だった。
「驚くことは他にもあるんだよ。むこうに、サンプルの血液を培養したのがあるから、見てごらん」
シャーレが二十個ほど並んでる。
それぞれに、入ってるのは
緑、黄色、ピンク、茶色の、三ミリ程の、粒だ。
一見、ビーズの欠片のように見える。
だが幸には、小さな虫に見えた。
「うっ」
気味悪くて後ずさる。
「動いてるのが分かったな? さすがだな。……コイツら、随分大きくなったんだ。これからも成長を続けるかもしれない」
相場は、そこまで喋って不意に黙る。
何かを言いあぐねている。
「つまりね、……ミュータントは、体内の血液に、地軸が動いた後の、赤い空の地球に適応できる生物の種を、持って生まれてきた可能性があると、私は考えてるんだ……誰も聞いてはくれないがね」
幸は、相場が困惑しているのは分かった。
学園の上層部は、今や鷹志を<神>扱いしている。
日本にミュータントが生まれ、
現代科学の想定外の鷹志が有ることが、
<神に選ばれし国>という、スケールの大きな言葉を生んでしまっている。
二千人の青いミュータントの存在よりも
今は、只一人の巨大なミュータントを最重視している。
相場は、ミュータントの血液について
現代医学も、科学も
正確なデータを出せはしないという。
それでも、明日は研究成果を世界に発表しなければならない。
「君をラボに呼んだのは、実は、頼みたい事があったんだ。極秘の個人的なお願いだ。私は強大化した鷹志君の血液を調べたい。彼のことは、ずっと私が診てきたんだが、学園長室に籠もってから一度も会ってない。彼の父親は、私を息子に接触させたくないらしい」
幸は、鷹志が明後日、学園を飛び立つ前に一度は会いたいと思っていた。
自分の願いを学園長、リカルド・カストロは拒む理由が無い。
そして、鷹志が採血を拒否する筈は無い。
「了解しました」
きっぱり答え、採血キッドを受け取り
幸はラボを出る。
最後にもう一度、翔太を見る。
やはり
死んでるようには見えなかった。




