五日前
六月一日
日本時間13時13分
北アナトリア断層、日本海溝、チリ沖
サンアンドレアス断層、南海トラフ、千島列島……、
地球のプレートが同時に、歪んだ。
結果、地球上の大陸が揺れた。
しかし、<巨大地震>の規模では無い。
震度3から5強の縦揺れが三十秒弱。
被害は大きくは無かった。
カストロ学園が位置する瀬戸内海では震度4と発表された。
日本列島の最大震度を観測したのは和歌山県、三重県で震度5弱。
この国の大震災を経験した世代にとっては、緩い数値だった。
「浮島だから、すっごく揺れるたんだ」
「揺れるように、わざわざ造ったんだ。もし、また、大津波がきても大丈夫なように」
スマホを盗み見た誰かが、地震の規模を広めると、
聖・カストロ学園が在る<浮島>では不安よりも、
日本中で一番安全な場所にいる優越感を確認し合う会話が飛び交った。
学園では、午後は授業にならなかった。
続く余震を警戒するようアナウンスがあったが、その日、余震は、無かった。
が、
別の奇妙な怪奇な自然現象が起こった。
空が
色を変えたのだ。
初めは、朝焼けのごとくオレンジ色に変化した、
午後二時
生徒達は、授業を放棄し校庭に出てた。
初めて見る昼間の夕焼け空、オレンジ色の空に興奮し
スマホで撮った。
が、
やがて、空の色がオレンジから……見た事もない赤い色になると、
大勢が泣き出した、
失神して倒れる者も出た。
「全校生徒は速やかに体育館に入ってください」
山田礼子のアナウンスの声は掠れていた。
「生徒を、帰宅させて、本当にいいんでしょうか?」
前川は廊下で、前をいく教頭に聞いた。
「あの空、見ましたやろ? いよいよ、世界崩壊ですわ。『黒い化け物』の予言通りやないですか。えらい事になりましたで」
教頭は、せかせかと階段を降りながら早口で答えた。
「それは、充分、解っております。ただ、帰宅させるのは早急すぎませんか? 学園は災害時には避難所の役目を担っています。その安全な場所から今移動させていいものかと……」
前川は地震と赤い空について、気象庁からの発表を待ち、安全確認の後に生徒を下校させてはどうかと意見した。
「何を、寝ぼけたこと言うてますんや」
教頭は足を止め、振り返った。
「避難所になんか、しますかいな。さっさと生徒を外に出して、島の住民が押しかけてくる前に門を閉めるんです」
「えっ、」
絶句し、立ち止まる前川に、背後から矢沢教諭が声を掛けた。
「前川先生、詳細は緊急会議で説明します」
もう前川の存在を忘れたかのように先を急ぐ教頭は、
「そうや、前川先生、」
と、何かを思い出したように立ち止まった。
「あんたは、生徒の心配してる暇、無いんや。直ぐに家族に連絡とって、学園に来るよう、言いなさい。ぐずぐずしてたら、間に合いませんで」
と早口で言い残し、行ってしまった。
「矢沢先生、どういう意味ですか、今の教頭の言葉は? ……私には、生徒も島の住民も受け入れない、職員家族、つまり関係者だけの避難所として独占する、と聞こえたんですが」
「……だいたい、合ってます。その通りです」
「……人道的ではないです。学園は島で一番安全で、うっ、」
興奮して声高になる前川の口を、
矢沢の大きな手が、塞いだ。
「教頭は、先生の家が島の外だと思い出したんです。きっと、親切で言ってくれたんです。……多分、陸と島を繋ぐ橋を遮断するんですよ。島へ避難民が入って来れないように」
「赤い空に動揺する必要はありません。……皆さん既に学習済みでしょうが、太陽の光は七色です。私たちが見る空の色は、その光が通ってくる大気の層の厚さで、変化するのであって、ですから、現在の……」
地学の若い男の教師が、まず体育館に設けられた演壇に立つ。
背の高い痩せた身体は、喋りながら揺れている。
生徒達を安心させる役目の筈が、言葉に詰まり……余りに長く沈黙したため、
矢沢教諭がマイクを取り上げた。
「先ほどの地震は、震度4と発表されました。そうです、強い地震では無かったんです。しかしながら、広範囲での揺れだったとの事です。被害状況はまだ解っていませんが、津波の心配はないとの事です」
そこまで言ってマイクを教頭に回す。
「今のところ、何も心配するような情報は無いんです。けどね、大事をとって、午後は休校にせよと、上のほうから言われましたんや。……この国は、過去に超地震で痛い目に遭ってますからな。どうしても過敏に慎重になるんです。……そういう事情で、非常事態が起こりうる可能性がゼロでは無いという、今現在の……安全対策なんです。大丈夫やからね、落ち着いて、教室に戻って、下校の用意をしてください。わかりましたね、」
ねっちゃりと笑みを浮かべて教頭が喋る。
重なるように、大きなアナウンス。
山田礼子の声だ。
「十分後に正門を閉めます。一般生徒は速やかに下校しなさい。寮生は寮に戻りなさい」
同時にサイレンが鳴り始めた。
恐怖を煽るように
早く出て行けと脅すように大きな音で。
一般生たちは、我先に体育館から出て行った。
一刻も早く家に帰りたいと、誰もが思っていた。
不安で、怖くて家族に会いたかった。
その夜、日付が変わった頃、
ミュータント達はタワーの屋上に群れていた。
全員がいるので狭い。
溢れた者は最上階のバルコニーに腰を掛けていた。
皆、南の空を見ていた。
「あれ、雷だよな」
「ゴロゴロ鳴ってるからな」
十分前に出現した稲光は、数を増し、途切れていない。
「ちょっと色入ってるよな」
「花火みたいで綺麗じゃん」
不気味な赤い空が闇に溶けて
おそれた余震もなく、
ようやく人心地が付き、平穏な明日を信じて
日本中の人々が眠りについた頃
新たな空の怪奇現象が始まったのだった。
「セイジ、旧人類はパニクってるみたいだぞ」
来夏は面白そうにスマホの画面を見せる。
「110番が繋がらない状態なんだって。あと気象庁、自衛隊も。そんなとこ電話してどうにか出来ると思ってんのかよ。笑わせるな」
「うん……アレ、一応雷みたいだな。避雷針めがけて降りてる。同じとこに」
青司は大量の稲光は大気が異常な状態だからかと、考えていた。
昼間の赤い空も、原因は大気にあるのだし。
と、視線を下に降ろすと、異様な光景が見に入った。
「おい、お前ら下見ろ」
島と神戸港に架かる橋を指差す
「デカイ、変な車がいっぱい渡ってくるな。何だ、アレ?……戦車っぽいのもある。戦争でも始まるのか?」
来夏は楽しそうだ。
ミュータント達が面白げに見下ろす中、
十数台の装甲車、その最後尾が橋を渡り終わった。
すると、来夏が甲高い声を上げた。
「セイジ、見ろ、橋が真ん中で割れて上がってきたぞ」
<はね橋>だったと、誰も知らなかった。
「橋を上げたら、旧人類は、船か飛行機で無いと島に来れないな」
来夏はニヤリと笑う。
変わった事が続けて起きるのが、単純に楽しいのだ。
「門が、開いたぞ、戦車が入ってくる」
誰かが叫んだ。
ミュータント達は、今は地上の異変に気を取られ、
南の空の、絶え間ない稲光など、もう、見上げもしなかった。
翌朝、
タワーでは、いつも通り朝食アナウンスが入った。
午前七時五分。
セイジはバルコニーから赤い空と、
校庭に並んだ迷彩色のイカツイ車を見ていた。
「朝メシは諦めてたけどな。ちゃんと食堂が機能してるのは良かったぜ」
来夏は、ツナサンドとカリカリに焼いたベーコン、ミカンゼリーの載った皿を、
何故か写真に撮る。
「平川に送るのさ。アイツ、戦車がここに入るの見て、俺たちの処遇を心配してくれてるワケ」
映研部の平川は島の中に住んでいる。
「そうか。あいつ、どうしてるのかな?」
「一家で一睡もしてないってさ。テレビ見てたって」
「テレビで何やってたんだろ?」
「赤い空と稲妻の映像流して、専門家が解説してたらしいぞ。なんら心配ない、一時的な自然現象だと」
しかし、一夜明けても青空は見えない。
昨日にも増して、空は赤い。
「それからな、全国に<余震警報>が出て、今日、日本中の学校は休校なんだってさ」
来夏の言葉に被さって
「本日は休校です。寮生は校庭、および校舎に入ってはいけません」
と食堂のスピーカーからアナウンスが流れた。
「休校か。俺たちは寮でゴロゴロしてたらいいって事だな」
セイジが呟くと、来夏は深く頷いたあと、
「昨日の地震は前触れで、今にも巨大地震が起こるんだな」
と、セイジに確認する。
「自衛隊が学園内に居るのは、国も、この先何が起こるか把握している証拠だし、な」
「いや、それがな……なんて言ったらいいか」
青司は自分が感じていることを、上手く説明できる言葉を探す。
「違うのか? 地震じゃないのか? あ、セイジ、分かったぞ。巨大隕石が飛んでくるんだろ?」
「えーとな、これから何か起こるんじゃないんだ……もう起こってるって言うか。いや、変化だ、もう変化しちゃってる」
「………なんだ、それ?」
来夏は青司が何を言いたいのか理解出来なかった。
13時13分
タワーが大きく揺れた。
日本全土で震度4から6弱の揺れを観測した。
二十四時間前と全く同じく、
世界中も揺れた。




