六日前
「スカーフェイスは今日も学校に来ていない。それでな、替わりに矢沢センセが山田と入って行ったんだ」
清司は、食堂の調理場を指差す。
昼休みがまもなく終わる時間、
まだ食堂に残っていた。
里奈が、
「私たちを気にしながら入って行ったね。見られるのはマズいけど、どうしても行く必要があるんだね」
言って、ギブスで肘を固めた右手で、青司の腕に触れる。
バルコニーから落ちた傷跡が、痛々しい。
青司は里奈が<学園側>かもと今は疑っていない。
柔らかい感触の細い指が、昨晩は太い鷹志の手に触れていたとは
夢にも思っていない。
映研の部長平川と高橋七海は、向かいに座っている。
この二人にも、<巨大化したタナトス>を見たと話した。
秘密のエレベーターで、山田と香川幸が大量の肉を運んでいた事も
食堂のオバサンに聞いたと、説明済みだ。
「巨大化したタナトスは、校長室に身を隠してる。先生二人は彼の食料を運んでる。それに間違いない訳ですね」
平川は、学生手帳になにやら書き込む。
「天井の高い校長室に、座って、尚且つ、頭を下げていた。……って、ことは、えっ?最低でも体長十五メートルって事か」
とても信じられないというように首を横に振る。
「お前、俺たちを疑ってるのか?」
来夏が片眉を下げる。
「疑ってはない、けどね、タナトスは、入学当時は、デカイといっても百八十五くらいだ。それが、二ヶ月で十倍近く背が伸びたって事だ。自然に反してる。そう考えても、あり得ない」
「それが、ミュータントの成長かも」
高橋七海が口を挟む。
「おい、じゃあ俺たちもデカくなるのか?」
来夏が大きな目を見開いて七海に問う。
「あ……違うかも」
七海は、助けを求めるように里奈を上目遣いで見る。
「可能性はあるんじゃない? あんた達とタナトス、黒いか青いかの違いだけでしょ」
里奈にさらりと言われて、
「その違いは大きいって」
青司は反論した。
だが、内心は動揺していた。
自分も巨大化するとは、全く想定外だったから。
「セイジもラナも、大きくなるの、嫌なんだね」
里奈が面白そうにいう。
「当たり前だろ。だってな、アレじゃあ、モンスターじゃないか」
来夏の答えに、里奈は笑った。
「ミュータントは、元々異形でしょう。青い髪と青い翼。充分モンスターじゃない。巨大化もアリかなって、なんで思わないの?」
青司はミュータント達が、タナトスのごとく巨大化するとイメージできない。
何故か?
里奈の指摘は当たってる。
ミュータントの発生が科学的に解明されていない現状では、
巨大化が無いという根拠もない。
それなのに、
タナトスのようなモンスターになりたくないと思う。
どうしてか?
大きくなっても、困ることなど何もないのに。
「ねえ、ラナ。ミュータントは超地震の年に発生した、突然変異よね。成長過程も人間と同じでは無いかも。人間は二次成長で身体が完成するけど、ミュータントは違う。三次成長があってそれが巨大化だったりして」
「三次成長で巨大化か、」
平川は納得して、また学生手帳に書き込む。
七海も頷いている。
しかし、
青司とラナは<三次成長>を受け入れがたい。
巨大化は、気味が悪い。
「それは、僕らの、人類の大きさがノーマルと、すでに刷り込まれてるからでしょうね」
平川は嬉しげに言う。
「そう……かもな」
<旧人類>と大きさまで違いたくない、その感情は確かに在る。
「私たちは、ミュータントが巨大化しても、怖くないよ。ファンタジーな存在だからね。大きくなっても、驚かないよ」
七海が慰めるように言葉を掛ける。
「うん……」
来夏も自分が巨大化する未来を憂いているのか、素直に頷いた。
「セイジさん、ラナさん、今、頭に浮かんだ事があるんだ。……聞いてください」
平川は背筋を伸ばした。
「……僕らは常に世界の関心と視線を浴びるミュータントの陰にいた。同時に誰よりも近い場所でミュータントを見てきた。ずっと同級生だったから」
「ウザかっただろうな」
ラナが呟く。
「そうじゃないけど、」
と七海が真っ直ぐに来夏を見る。
「ミュータントは天使、救世主、希望の光とプラスイメージで呼ばれてた。しかし、一番近くにいた私たちは、それは違うと感づいてはいたの」
「そうか。突然変異の超奇形は、無愛想なクリーチャー、いや悪魔だって、バレてたんだな」
来夏の眼が青く光っている。
人間を殺したミュータントは、自分が何者か、わかってはいるようだ。
「そういう分類じゃ無いの。天使か悪魔かなんて、些細な事。私たちがあなたたちミュータントに見てきてのは……なんて表現したらいいかな」
七海は言葉を探しあぐね、また里奈に助けを求める。
「里奈、アタシ巧くしゃべれないよ」
自分の思いを里奈が代弁してくれると信じている。
それほどに、同級生の<旧人類>の間では共有できて当然の
感覚だという訳だ。
「うん」
里奈は微笑んだ。
でも、続けて言葉は出ない。
ミュータントの里奈には、わかり得ないのだ。
やがて若干上がっていた口角は下がり、今まで一度も見せた事の無い
強ばった表情で平川へ顎を向けた。
「部長が、話してたんだよね」
「僕らは、<超地震>からの復興と共に育った。赤ん坊の頃から、繰り返し津波の映像を見せられた。僕らは、まず、ミュータントは飛べるから、津波も平気なんだって、羨ましく思った。その次に、翼があればと、人類が願望したから、突然変異でミュータントが産まれたんだと学習する。でもさ、気付いたんだ。……もっと大きな地震が来て人類の殆どは死んでしまうんだと。絶滅の回避するために新種が産まれた。逆を返せば絶滅は逃れられない運命だとね」
「新種なら、どんどん増えていくはずじゃ、ないのか? 俺たちのあと、ミュータントは一人も産まれてないぞ」
来夏が反論する。
それに青司が、
「<超地震>への反応だから、一回きりなのさ。予防注射と同じだな」
と口を挟む。
「なんじゃ、そりゃ。俺たちは抗体か?」
とミュータント二人笑う。
青司は平川が、感傷モードになってる、と考える。
短い間に、顔が痩せて骨張ってる。
その替わり、目つきが柔らかくなってしまってる。
「で、お前は、ミュータントの発生理由を喋りたかったのか?」
「セイジさん、突然変異体以外は、絶滅する運命なんだ。そう遠い未来じゃ無い。人類の絶滅は、近いと、僕らは、知っている」
「はあ? なんでそんなの解るんだ? お前ら予知能力があるんか、すごいや」
<未曾有の天変地異>が迫っているのを旧人類も予感しているのだ。
青司は驚いたが、自分たちも感じていると言えなかった。
ミュータントが頭に描く未来予想図に、地上の荒廃はあっても、
自分たちの<死>はなかった。
折れたタワーを空から見下ろす未来は近い。
津波、崩壊するビル、火災、逃げ惑う人々……。
ミュータントは地上の地獄絵巻を、高い安全な場所で眺めるに違いない。
「幼い子供が、いつの間にか、自分がやがて大人になり老いて死ぬ存在だと知っているように、僕らは、大人には成れても老いるまでは生きられないと、知っていた。……多分、ミュータントが教えてくれたんだ」
「いや、でもな、」
青司は言いかけたが、次の言葉に出てこない。
隣で、来夏がわざとらしく笑う。
「はは。平川、俺はお前の言いたいことはわかったぞ。心配すんな。また大地震が来ても、お前と七海は俺が助けてやる。安全な高い場所に運んでやる。里奈は当然セイジが、何とかするさ。つまりそういう事だろ? 巨大地震で旧人類が絶滅しても、お前らだけは生き延びる。平川、お前は賢いよ。旧人類なんて虫けらにしか見えなかった俺を、手懐けたんだからな」
青司は、来夏の冗談めいた言葉の裏に、平川達への気遣いを感じて驚く。
「助け無くていいんだよ。私たちは絶滅する運命なんだから。でもね、その言葉だけで、嬉しいよ。ね、里奈」
七海の笑顔に、里奈はあいまいに頷く。
同級生達に<早世の覚悟>という連帯感があったと全く知らなかった。
「絶対助けるって。お前、俺を見くびってるのか? お前らは、運が悪い。ちょっとの差で<超地震>からずれて発生した。可哀想だから助けてやる。」
来夏はなんでだか、ムキになっている。
「あ、ソレなんですけどね、突然変異の原因は地震、そうなってるけど、違うかも知れないって、それが言いたかったんです」
平川は人差し指を立て、天井を差した。
「タナトスの三次成長、まだ途中かもしれない。もっと大きくなるかも。そんで、生肉しか食べないかも。生でなくていいなら、広い調理場で料理してから持って行くでしょう?」
平川は、巨大化したタナトスにとって、地上の哺乳類で食料として一番捕獲しやすいのは人間だという。
「そうなの? 私たちの最期は津波に流されるんじゃ無くて、黒い巨大生物の餌になるってことなの?」
七海は身体を震わせた。
「タナトスの出生はミュータントより早い。超地震の三月十日には二ヶ月の胎児だった。二ヶ月だから胎芽かな、正確には。魚みたいなカタチだけど、中枢神経も臓器も出来てる。モンスターに育っていく身体の基礎が、あの日には出来上がっていたんだ。だから突然変異をもたらした脅威は、地震ではなく、タナトスの可能性もある」
「……俺たちはタナトスを、やっつける為に出てきたのか?」
来夏は青司に聞いた。
平川の仮説には説得力があったのだ。
「どうかな、タナトスはでっかいだけじゃなく、磁気飛ばしてやがるから、ややこしいヤツには違いないが」
話の途中でチャイムが鳴った。
「鷹志・カストロは、敵じゃ無い。今のところはな」
青司は教室へ移動しながら、来夏にだけ聞こえる声で呟いた。
昨夜見た、大きな黒い瞳は悲しげに潤んでいた。
大きな身体を窮屈に折り曲げて……なんだか哀れに見えた。
「俺たちも、巨大化したら仲間だもんな。一緒に人間喰うかもしれないんだ。平川は、それは、考えないんだ」
来夏は笑う。
面白くてしかたないというふうに。
笑い声に、サイレンが被さる。
直後に足下が大きく揺れ始めた。




