翔太2
翔太は静かに、路地へ降りた。
名も知らないオバサンの、
痩せた浅黒い顔は、落下の途中で壁に当たった。
赤く膨らんだ頬から血が滲み出てきた。
手足も、唇もぐずぐず動いている。
「まさか死んでないとか」
それなら、足で喉を踏み潰そうかと思う。
女の鼻と耳、目……顔面の全ての穴から、やや遅れて血が垂れてきた。
コレなら、心配ない。100パーセント、5分以内に死体になる。
翔太が殺した人間は、香川千鶴子、47才。
入院している義母の洗濯物を干しに屋上に居たのだ。
半袖のピンクのポロシャツ、下は黒いジャージのパンツ。
どっちもノーブランドの安物。
白髪交じりの長い髪を、黒いゴムで束ねていた。
翔太は、記念写真を撮る。
同時に、ラインが入る。
「ばか、GPS、切ってから遊べよ」
鷹志からだった。
反射的にGPSをオフにして
「お前どこ? もしかして、もう塀の中か?」
と返す。
「うん」
二文字の返信に、翔太は、何年かぶりに微笑んだ。
鷹志が、いる。
もうすぐ会える。
汚い死体など、どうでもいいと、路地を離れた。
戦闘ゲームのオンラインバトルで知り合った、同じミュータントの鷹志が、
すぐ側に居るのだ。
分かってれば、ヒレカツサンドも、どうでも良かった。
さっさと、塀の中に入るべきだった。
退屈しのぎの遊びも、時間のロスだったと、ちょっと後悔した。
「おっせー、」
小走りで戻ってきた母から、コンビニの袋をもぎり取り、キャリーバック二つに手をかけた。
「じゃあな」
母を置いて、さっさと門へ向かう。
祐子は後を追う。
「何で、付いてくんの?」
門の前で、翔太は立ち止まり、振り返った。
「入寮手続き、しなくちゃいけないでしょ?」
祐子は眉間に皺を寄せて怒っている息子に、遠慮がちに言った。
「入寮許可書出して、本人がサインするって、お知らせメールにあっただろ? 保護者って書いてなかったじゃ無いか。よく読めよ、ばか」
偉そうに言うだけでなく、ペッと唾まで吐かれ、祐子の足は止まった。
コンビニから息が切れるほど、必死で走って息子の元へ戻った。
鋪道にはキャリーバッグ二つしかなかった。
……何処へ行ったのよ?
<聖カストロ学園>の正門まで、あと、たった15メートル。
門の中に入れば、終わる。
息子から解放される。
正式に入学が決まってから、今日という日が来るのを指おり数えて待っていた。
……16年の、地獄が終わる。
「最大体積が大きいので、広い空間での自由が必要です」
保健婦の指示で、狭い建売住宅の、2階の2間を与えた。
翔太はミュータント、特別な子供。
大切に育てなければいけない。
天使のような美しい息子を……最初は愛した。
我が儘を全て聞き入れ、宝のように育てた。
しかし、息子は、少しも懐かなかった。
物心がつく頃には、両親、家族を生理的に嫌っているのが、はっきり分かった。
それでも愛し、尽くした。
息子は知能が高く、何かを教える必要が殆ど無かった。
最初から、自分は特別な存在だと知っていたように、傲慢だった。
成長に従い、あからさまに<翼の無い人間>を見下した。
下等な生物、飛べない奴ら、と面と向かって言われたこともある。
どれだけ愛を注いでも憎しみしか返ってこない……。
精神も肉体も息子のせいでボロボロになってしまった。
成長に従い、ミュータントは、飛ぼうとする。
しかし、飛べない人間の社会で、自由に飛ぶ事で起こりうる危険は、計り知れなかった。
街で飛ぶのは禁止され、保護者は、違法行為の監視を国から義務づけられてた。
それでも、拘束はできない。虐待は御法度だ。
結果、保護者の監視の目を盗んで、窓から飛んで出るのを止めるすべが無い。
「飛べない人間は高いとこから落っこちただけで、潰れて死んじゃうんだ」
ある日、翔太は、
面白い遊びをしてきたと、悪びれずに言った。
滅多に見せない笑顔で報告した。
10才だった。
「アノ遊びをしてきた」
いつから、そういう言い方をしたのか、祐子は覚えていない。
恐ろしすぎて記憶から消した。
アノ遊びをしてきた、翌日には、
家から遠くないところで、高い所、マンションや商業ビルの屋上から、
落下して死亡する事故が報道された。
夫は、息子のアノ遊びが何なのか、知って自殺した。
祐子も後を追いたかった。
踏みとどまったのは二人の娘の存在があったからだ。
それでも、毎夜眠りに落ちる時には、朝が来ないで、自然に死ねたらいいと願ってもいた。
中学3年の2学期になり、高校進学を決める頃、新たな恐怖が祐子を捉えた。
翔太は、小学校の途中から、殆ど登校していない。
人並みに、高校へ進めない。
ずっと家にいるのか。
下僕のように一生、仕えるのか。
先を思い、絶望した。
<聖カストロ学園>から授業料、寮費免除の特待生スカウトの案内が来たのが、
あと1月後だったら、翔太と無理心中していたかもしれないと思う……。
特待生の条件はミュータントである事だけだった。
学園は全寮制で特待生だけの特別寮がある。
そして、特別寮のバルコニーから、自由に飛翔出来ると、書いてあった。
翔太は、そこに行っても良いと言ってくれた。
……何故、翔太はいない?
途方に暮れて彷徨う視線は息子を、見つけてしまっていた。
……屋上で、何するの?
背中に悪寒が走る。
反射的に、先を見たくなくて、目を伏せた。
そうして、来た道を、また走って戻った。
息が切れるまで、走れるとこまで走って……。
息子の、おぞましい行為が済んでしまったころに、
何も知らないと、疑われない頃合いを見計らって
今戻ってきたふうに装ったのだった。




