学園長室2
「木の枝にそっくりな虫は、その姿で鳥の餌になるのを守ってるの?
擬態という言葉で、類似の形態を説明してるね。
下等な虫が、遙か高い場所から、天敵の鳥に、自分の姿がどう見えるか知ってるって事だ。
生き延びるために複雑な肉体改造を試みた、つまり進化したわけ?
……蟻や蜂は初めから巣の作り方を知ってる。1ミリに満たない脳のなかでね。本にはそう書いてる。
巣の全体像が脳みそに入ってると。なんだか、変だと思わない?」
幼い鷹志の黒い瞳は礼子を見上げていた。
礼子は、神に出会ったように身体が震えた。
漆黒の翼、同じ深い色の瞳。
その中に、青白い自分の顔が映っている。
「虫が、遙か高い位置から自分の姿がどう見えるか知ってるって事でしょ?
どうして知ってるの?
かつて、空から地上を見下ろす視点を持っていた生物の記憶を持ってるからじゃないの? 何故、こん あ簡単なコトが、わからなかったのかな」
もどかしげに、黒い翼を震わせた。
「人類は、進化の頂点だと勘違いしてるんだ。
完成形が人類だと思い込んでるから、逆の可能性を考えられなかったんだね。
地球が動いているのに何世紀も気づかなかったのと同じように。
……僕は知ってるんだよ。
地球上の生命体全てが、
ボクと同じカタチの……空を舞い、地上を歩き、海に潜れる生物の退化した残骸だと」
「タカシ様は、ご自分が、どれほど大きくなるか分かっているのですか?」
礼子は長野の<巣>を頭に描いた。
四十階建てのビルが隠れる高さの囲いがある。
「正直、最大値は全然わからない。でも……大地震が近いのは感じてる」
「それはどこだ? アメリカか? アジア大陸か?」
この幸の質問には、カストロが答えた。
「タカシは、全ての大陸と言っている。人類の歴史が始まって以来、未曾有の自然災害だと。この小さな 島国も、例外では無い。が、我が国の被害エリアは前の超地震と重なる。
いまだ手つかずで、復興を諦めた廃墟が再び津波に襲われるのだ。つまり、大きな影響はないのだ。
国の中枢部は揺るがない。
タカシの予測が現実になれば、世界中がパニックになるだろうが、唯一日本に限っては、国家として正 常に機能し続けられる」
「学園長は、その、地球規模の大災害の後、各国の政府は統治不可能になる。軍事力が世界を支配すると、確信されてるのですね、そして……」
「先生、そんなの当たり前じゃないか」
幸は、礼子の話に割って入る。
「ゲームとか、映画で見慣れた世界だろ。
バーチャル世界の未来図が似通ってるのは、人間の頭に浮かぶ想像とか空想も、実は、蟻が巣の作り方 を知ってるように、遺伝子レベルで最初から持ってる記憶なんだと、……タカシが教えてくれた」
ミュータントは、まるで<エンジェル>と世界中で称されたが、逆だとも、鷹志は幸に教えた。
人類は遺伝子レベルで、ミュータントを知っていた。(蟻や蜂が巣の作り方を知っているように)
その記憶が<天使像>を生み出したのだと。
礼子は幸には答えず、再びカストロに尋ねる。
「タカシ様は、他国からみれば核兵器並の脅威と見なされ、攻撃対象になる、と思ってらっしゃるのです ね」
カストロは黙って頷いた。
礼子は、カストロの思惑が納得できない。
ミュータントの中でも、特別な唯一無二の存在の、黒いミュータントを、巨大化したからという理由 で、怪物扱いして攻撃するだろうかと首を傾げる。
「我々が、ミュータントは奇形では無く、先祖返りだと立証できれば、鷹志様を守れるとも、信じておられるのでしょう?」
カストロは、答えあぐねて、しばらく目を閉じ……そして困ったような視線を鷹志に向ける。
「時間稼ぎにはなる。オレが育つまでの」
答えると、鷹志は黒い、とても大きな翼を広げ、生肉入りの鍋に先を触れる。
「で? オレは昼飯食っても、いいのかな?」
「すっかり忘れてた。悪かったな。遠慮無く食えよ」
幸は、
鍋の載ったキャスターを鷹志の手が届く場所まで動かす。
鷹志は背中を向け<食事>を始める。
飢えていたのか、肉をむさぼる咀嚼音は絶え間なく続く。
「生肉しか食えないのか?」
幸は、誰にともなく聞く。
それが、どれだけ厄介な事態か、理解してはいない。
「変化が始まってから、つまり急に大きくなってから、タカシは生肉しか受け付けなくなってね。これは 自分でも想定していなかったようだ」
「長野の、食料貯蔵庫に、大型の冷凍庫を手配しました。もちろん肉の仕入れ先も確保しています。タカシ様が体調10メートルになっても、対応できます」
体長10メートル。
礼子が頭に描ける鷹志の最大の大きさだ。
地球上に現存する哺乳類を基準とした予測だ。
まだ、知らなかった。
鷹志の為に用意した<巣>の高い塀が
巨大化した時点では、
かろうじて足首まで隠す程度の、高さでしかないことを。




