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Winged<翼ある者>  作者: 仙堂ルリコ
23/50

学園長室1

山田礼子は

エレベーターで最上階にあがると、インターホンを押した。


「タカシ様のお食事を持って参りました」

 しばらくしてドアが開き、

 車椅子を自力で操り、学園長リカルド・カストロが姿を現した。


「アリガトウ。あとは私がやるから、君たちは教室に戻りなさい」

 カストロはステンレス製の鍋が載ったキャスターに手を掛けた。


「今日は、午後は授業が無いので、お手伝いしたいんですが……」

 礼子は願いを乞うように頭を下げた。


「オレもタカシに会いたい。授業サボったっていいじゃんか。今更、授業とか言うなよ」

 香川幸は学園長に乱暴な言葉を投げつける。

 だがその目は、今にも涙が溢れそうに潤んでいる。


「……ソウカ。ただ覚悟して欲しい。息子は、彼自身が予想していたより、ずっと変化が早いのだ」

 ドアの奥はプライベートルームだった。

 この部屋は天井が高い。

 窓も大きい。

 神戸の街が一望できる。

 だが、きっちりと、ブラインドが下ろされている。


明るい照明の下で黒い影が動く。

室内の空気も大きく動く。


「うわ、いきなり入って来んなよ、オレ、パンツ履いてないんだぞ」

 鷹志は、礼子と幸の姿を見るなり、大きな羽根を広げ、素早く動き……背中を見せる位置に静止した。


「お前、すっぽんぽんか。見せろよ、身体がそんなに大きくなってるんなら、<男の子の大切なトコロ>もメッチャ、デカいんだろ」

 幸は、

 三メートルを超える身長になっている鷹志を、正面から見ようとする。

「この馬鹿、お前、一応女だろ。リナの方がよっぽど女らしいや」

 鷹志は笑っている。

 カストロの目尻も下がる。


「リナもな、お前がライン読まないから心配してるんだよ」

 幸は膝を抱えて、股間を隠して座る鷹志の翼に指先だけ触れて、

 静かな、涙混じりの声で言った。


「あのさ、こんな太い指じゃ、スマホの操作、無理なんだって」

 右の翼の間から,鷹志は自分の手を見せる。

 ヒトの二倍の大きさの手を……。


「タカシはもう、ピアノは弾けないんだ」

 父は哀れみを抑えて、何でも無い風に言う。


「学園長、では、夏期休暇の前に、この部屋では窮屈になるのでしょうか?」

 山田礼子の質問に、カストロは即答できない。

 父にかわり鷹志が、

「そういうこと。デカくなりすぎて、此処から出られなかったら最悪。今の倍になれば、窓から出られない」


「礼子君、不測の事態だが、タカシが此処から長野の<巣>に飛び立つ日は近いね」


「では、その前に鷹志様の存在を説明する資料が……新たな、青い翼のミュータントのサンプルが必要なんですね」

「前のサンプルの両親がテレビに出てたね。……明日からマスコミが詰めかける。想定していたより、全てが前倒しの日程になりそうだ」

「それは、鷹志様の変化が、大きな地殻変動の前触れという仮定も含めてですか?」


鷹志カストロは

青い翼のミュータントの胎児が確認される前に、この世に生まれ出た。


最悪の自然災害の、被害の全貌さえ、まだわかってはいなかった。


リカルド・カスロトは津波で二人の子と下半身の機能を失った。

悲劇の中、狂わず生きれたのは、身重だった妻の存在があったからだ。

妻と生まれてくる赤ん坊が

地獄に灯る唯一の希望だった。


しかし妻は、子供二人亡くしたショックで、

何も口にせず衰弱していた。

副作用のある薬を、胎児より母体を守るために、やむを得ず使った。

高齢出産でもあったので、

流産の危機、妊娠中毒症、高血圧、とリスクは複数あった。


(健常でないかもしれません。正常だった胎児のカタチが変形してきてるんです。今の段階では、ごらんにならない方がいいと思います)

 胎児の映像は、ドクターの判断で両親には隠された。

(重度の奇形です。それに、大きすぎます。これ異常を育つと母体が危険です。中絶を決断されるなら時間の猶予はあまりありません)

やがて、深刻な事実を告知された。

しかし、廃人のように惚けてみえる妻は、絶対に産まなければならないと、

その点だけは譲らなかった。

カストロも、どんな障害を抱えようが、どんな短い命であろうが、父としてこの手で抱きたいと願った。

赤ん坊は母体を壊すほど育つ前に産まれた。

早産だが充分育って。


医者は上半身の奇形と言った。

産まれてきた赤ん坊の姿は、

その言葉どおり、上半身に異物がくっついていた。

しかし美しかった。

いずれ均整の取れた身体になるであろう

長い手足と整った顔立ち。

そして漆黒の美しい翼。


出産に立ち会った医師と看護師は

しばらく震えて声も出なかった。

未だかつて、この世界で誰も見なかった赤ん坊を見たのだから。

……ただし、現実世界で未知というだけで

翼は黒いが、カタチは、絵画やバーチャルの世界では見慣れた、<キューピット>そのもの、だった。


 

翼のある子は、あまりに衝撃的で公表を避けられた。

が、世界中から医学者、生物学者がスポンサー付きで鷹志を見にやってきた。

国境を超えた<異形の新人類>を観察するチームが早々にできあがったのだ。


やがて、次々に青い翼のミュータントの胎児が確認されると、プロジェクトは拡大されていった。


その陰で、鷹志の母は出産時のショックで精神が崩壊してしまった。


カトリックだった母は、鷹志を、一目見て、

「おお、なんてこと、この子はまるで、デビルじゃないの」

叫んだきり、二度と口をきかなかった。

(廃人になり、それから入院生活を送っている)


父は息子の黒い翼から、悪魔を連想しなかった。

<鷲>の翼に見えた。

母国メキシコの……国旗に描かれた<アステカ伝説>の導き鳥に。

まだ小さい<鷲>だから、<鷹>と名付けられた。



カストロは、妻の姪にあたる山田礼子に母親替わりを頼んだ。

礼子は、当時、高校教師になって二年目だった。

震災で家族を亡くし、自身も片手と片足を損傷した。


鷹志に群がった、最先端の医療技術を持った若い医者達が、礼子の新しい金属の足と手を作ったのだ。


鷹志は発達が早く知能が高かった。

文字が一通り読めると、その知識欲は旺盛で、

とりわけ生物図鑑に興味を示した。


「ダーウィンは、間違ってるよ」

お気に入りの進化論の本を何度も読み、

きっぱり言ったのは八歳の時だ。


「全然、逆だよ。地球上の生物は単純な下等なモノから進化していったんじゃ無い。完璧な生物が解体して生み出したんだよ」


「どうして、そう思うの?」

礼子の問いに、鷹志はすぐには答えなかった。

正確に伝えるための<比喩>を探していたのだ。


「ボクは知ってるからだよ。蟻や蜘蛛の脳には、予め彼らの巣を造る設計図が組み込まれてる……それと同じように、ボクは知ってるんだ」


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