秘密の通路
「セイジ、どうしたの?」
チョーカーの締めつめが緩んだと思ったら、側に里奈がいた。
(ゴメンナサイ)
口に浮かべた笑みと裏腹に、瞳が潤んでる。
「大丈夫、何でもないさ」
清司は里奈の肩を抱く。
二人は、今のところ、学園で唯一のミュータントと一般性のカップルだった。
「あいつは、お前が気に入ってるリナは、人間じゃない。ミュータントだ」
……来夏が、言い出したのは、十日前だった。
映研部の部屋でのことだ。
平川のシナリオ通りに、地上でリナを後ろから羽交い締めにし、三メートルゆっくり飛翔するシーンを 撮ったあと、
上気した顔を清司に触れるほど寄せて、囁いた。
「なにそれ?」
清司も薄々解っていた。
が、里奈への疑問を誰にも言う気はなかった。
感情の抑制ができない来夏には、特に隠したかった。
(コイツ、感づいたのか? 何でだ。めちゃマズイ)
「リナがミュータント? ホントか? 人間の女じゃなくてミュータントの女ってこと」
冗談を聞いたように笑って見せた。
そうすれば、来夏は、何を知ったか喋るだろう。
「驚くなよ、リナは女じゃないぞ。あの胸は作り物なんだよ。笑っちゃうぜ。お前だってリナをハグしたら一発で感じるさ。おぞましい旧人類じゃない、俺たちの仲間だと」
正体を気取られたと、里奈は知っていた。
それで、放課後、清司と来夏が寮に戻る道のりを付いてきた。
……自身の秘密を暴露するために。
「時間が無いからね、歩きながら説明する」
「ワタシは超地震で津波に浚われた町で……無法地帯で育ったの」
瓦礫と死体が延々と続く海岸から近い町。
鉄道は復旧せず、商店も学校も電気も止まったまま。
僅かに生き残った人々は、生まれ故郷を捨てた。そんな無人の、廃墟の町に、日本中から流れてくる人々が存在した。
超地震以前にホームレスだった者だ。
「母は山本千帆って名前だった。ミュータントを生む確率が高いので大きな病院でワタシを産んだけど……退院を待たずに私を連れて病院から逃げたの」
山本千帆は極貧の家で生まれ、義務教育を終える頃には川崎で身体を売って生きていた。
被災したのも安ホテルの中だった。
「だからさ、父親もわかんないの。それがミュータントの母ってことで、テレビに映ったり、学者に囲まれたりで、怖かったんだ」
山本千帆は川崎に戻ったが、街は津波被害エリアで瓦礫の山に変わり果てていた。
「でもね、超地震から一年の間に瓦礫の中に小さな集落ができていたの」
瓦礫の中には、使える価値のある物が沢山あった。
半壊した家は、工夫すれば充分暮らす事が出来た。
スーパーや量販店から流れ出た商品の中に、レトルト、缶詰と、海水をかぶっても影響のないのが、と んでもない量存在した。
ホームレスが集まってきたのも無理はない。
まだ十八歳の千帆は、女が少ない中、とても大切にされた。
母以上にミュータントの赤ん坊は大切に扱われた。
男たちは毎晩酒盛り。いくらでも酒はあった。
食べ物も新鮮な野菜と果物以外は何でもあった。
もちろん死体の山もあった。被害が大きすぎて自衛隊もボランティアも来なかった。
食料が底をつくと、金属や宝石を探し集め金に換えた。
そして、売るモノが無くなってしまうと、
「この子の羽根一枚で、何万にもなるらしい」
誰かが言い出した。
自堕落な暮らしに慣れた母親は、何の躊躇もなく幼いミュータントの羽根を毟った。
「結局、全部毟られてね。新しいのが生えても直ぐ毟られて……そのうちに生えなくなって、翼自体が退化していったの。多分、羽根がなくて飛べない状態で成長したから」
やがて盗品売買から足が付き、ホームレスグループは一斉検挙された。
里奈は七歳だった。
「病院で色々検査されて、翼を取る手術を受けた。
役に立たない、邪魔な突起物でしかなかったから。
その後はね、信州にある施設で育ったの。とても大切にされたよ。
勉強も何人もの先生が教えてくれた……身体の異常が分かったのは二次成長の頃」
思春期に入っても、全く男性化しなかったという。
「でね、女になる手術を受けたの。ドクターが言ってたよ。ミュータントの翼は、性ホルモンと大きく関係してるんじゃないかって」
「じゃあ、お前はミュータントの……どっちかっていうと女なんだな」
来夏は、遠慮無く里奈の胸を触る。
「ばか、触らないでよ」
里奈はその手を、笑って払いのけた。
清司は、羽根を毟られる、幼いミュータントをイメージすると、同情せずにはいられない。
それに、里奈が七歳からいたという施設と、自分が居た場所とは同じではないかと思った。
だが、来夏が居るので聞かなかった。
「セイジ、何やってる、早く来いよ」
食堂の入り口で来夏が叫んでいる。
「リナも来いよ」
来夏は、ミュータントと分かってから、里奈に親しげに声を掛けるようになった。
里奈は呼ばれて駆けていく。
清司を見もしないで。
来夏と並んで立ち、笑顔で何か話して……二人で行ってしまった。
食堂を見渡せば、自分しか居ない。
山田礼子も香川幸もいない。
出入り口へ行くのを見てないのに。
(調理室にも出入り口があって、そっから出たのか? 教室に行くにも、職員室にも、遠回りなのに)
不思議に思い、調理室の中を、カウンター越しに覗く。
食堂のオバサンの一人が
「どうしたの?」
と聞きにくる。
「うん、山田先生が入って行ったから、何でかな、と思って」
見たように言ってみる。
オバサンは、誰も聞いていないのを確認して
「女の子と二人で、奥のエレベーターに乗ったよ。内緒だけどね、上の学園長室と直通なんだよ」
「……秘密の通路なんだ」
「それがさあ、先週ぐらいから、毎日あの二人で、大量の生肉を運んでるんだよ。……ライオンでも飼ってるのかって、皆、気味悪がってる」
「ライオン? まさか」
清司は走って教室に戻りながら、考えた。
生肉は何の餌か?
学園長室に、先週から……。
消えたタナトスと関係あるのか?




