学園生活2
「ミュータントでショウタに敵う奴はいないな」
五組と六組が一緒の、体育の授業が終わるとセイジがつぶやいた。
<戦いごっこ>のルールは、自分の剣で相手の剣を折る。ただそれだけ。
剣が折れたら敗者となる。
簡単なようだが、発砲スチロール製の剣だ。
相手の剣だけ折るためには俊敏で的確な動きが必要だった。
「そう、なんだけど、アイツラは手強い」
アイツラとは、矢沢兄弟のことだ。
ミュータントでない飛べない二人は地上で、戦いを挑んで舞い降りてくるミュータントに応戦するだけ。
それでも、翔汰は一度も矢沢兄弟の剣を折れない。
二人の動きは旧人類のくせに、早い。
勝てない、のが翔汰には、面白かった。
入学式でカイの血を吸う姿を目撃したというのに、
矢沢浩一への憎しみも敵意も忘れていた。
面白い遊び相手だとしか、今は認知していない。
矢沢浩一は、翔汰や清司と同じクラスにいた。
大男で、見た目は怖い感じがする。
しかし、寡黙だが、常に穏やかな笑みを浮かべ、
時折、
「俺はみんなより、年くってるから」
と、年上で有ることを、自虐ネタにする。
つまり、いい奴だった。
クラスでは「おっさん」と呼ばれ一番の人気者だった。
「田坂ショウタ、お前は、ほぼ完璧なんだ。唯一の死角は左後ろ斜め下だな」
と、
いつの間にか矢沢教諭が、その大きな体を折り曲げ、翔汰に小声で囁いている。
翔汰はアドバイスに深く頷く。
矢沢教諭は、矢沢浩一によく似ていた。
容姿も、しゃべり方も、
外見の威圧感に恐縮しているような、優しげな佇まいも。
「吉川来夏、お前は左側が弱い。何でか? 自分で思い当たることはないか?」
ラナは矢沢浩一に肩を抱かれても、振りほどかない。
「……あ、俺、視力が左右めっちゃ差がある。そのせいかも」
素直に答える。
ラナも、矢沢兄弟の、飛べない旧人類と見くびれない、圧倒的な身体能力の高さを知っていた。
「じゃあ、俺はどうです? 俺の死角は多すぎて言えませんかね」
青司は、矢沢教諭に聞く。
「奥地清司、力抜くな。……死角なんかないくせに」
と、清司の頭を一叩きして……行ってしまった。
「あはは」
翔汰が大笑いする。
清司は矢沢の言葉と、翔汰が笑ってるのに、気まずい。
「セイジ、手抜き、してんの、丸わかり、なんだって」
翔汰は面白くて仕方ないという風に言って笑う。
「そうなんだ」
と、ラナも笑う。
矢沢兄弟との<戦いごっこ>が面白くて、
セイジの手抜きの訳までは考えない。
「ショウタ、さすがだな、ダントツなんだ」
屋上で、嬉々として今日の体育の授業の話をすると、
鷹志は目尻を下げた。
「もっと強いミュータントと空中戦やりたいけどさ」
……鷹志と、戦いたい。
黒い大きな翼で舞う姿が見たい。
「じゃあ、ショウタは、体育が一番のお気に入りなんだな」
「まあ、そうかな。けど、音楽部も、まあまあかな」
翔汰はピアノに惹かれて、弾いてみようとした
しかし、すぐに無理だと諦めた。
次に、音色が気に入ったフルートを吹いてみた。
これは容易く扱えた。
銀の冷たい手触りも気に入った。
「それで、女はどうなんだ? ミュータントでない女は、やっぱ、全部無理か?」
(この夜に限って、鷹志は質問めいたことばかり言っていたと、後になって翔汰は思った)
「音楽部にも、五組にも、いい女はいないのか」
重要な事であるかのように問われて、
「不細工なんだけど、隣の香川幸は、面白い、かな」
と、翔汰は答えた。
「旧人類の女だからな、不細工に見えるんだな」
鷹志は頷く。
翔汰の頭に香川幸の顔が浮かぶ。
不細工、という表現は適切ではなかった。
「左の目を斜めに走る傷があって、左目閉じてるんだ」
「隻眼か?ゲームキャラみたいな女なんだ」
「うん」
香川幸は入学式から一週間後に初めて登校した。
「その女の、見た目が面白いわけ?」
「そうじゃない。……あいつ、誰とも喋らないんだ」
幸が授業で教師に答える以外、クラスメイトと話すのを見たことがない。
「それって、普通だろ? 顔面にデカいハンディあって、新学期のスタートに出遅れた。わざわざ声かける奴、いない。……お前、そういう痛い女子だから、隣で見てて、面白いのか?」
……ちがう、と翔汰は直ぐに心の中では否定した。
しかし、何故、香川幸に興味を抱いているか、説明する言葉を選ぶのに、数秒かかってしまった。
それ程に、幸の存在は自分の中で重いのだと気づく数秒でもあった。
「面白いのは、アイツが、周りにいる人間の存在を無視してるからだ。ああいうの、俺初めて見た。隣に座ってる俺の存在を、全然、意識していないんだ」
香川幸は、この世界に自分しか存在していないかのように、自由にゆったりと動く。
時折ため息をついたり、足を組み替えたり、頬杖をついたり、当たり前のしぐさの一つ一つが開放的で 屈託がなく……つまり、眺めていて心地良かった。
「右目は横に長くて睫が長いな。いっつも半開きで眠そうな感じ」
翔汰は聞かれもしないのに、香川幸について語っていた。
「声は……アルトかな。静かで耳から入って下腹に届くような、不思議な声なんだ」
「面白そうな女だな。見てみたかったな」
鷹志の声が、背後の高い位置から降りてきた。
幸の事をぺらぺら喋ったのが、不意に恥ずかしくなり、
翔汰は天を仰いだ。
大きな赤い満月が、夜空に有った。
「月、デカすぎ、大地震の前触れかなあ」
と思わず大きな声がでた。
しかし、答える声はない。
(じゃあ、そろそろ寝るか)
いつもなら言う言葉もなく、
鷹志は消えていた。




