序
「山本千帆さん、赤ちゃんは、100パーセント、ミュータントです」
産婦人科医の声は、
ひどく上ずっていた。
16週目の胎児の画像は、
大きな頭を両手で隠し、膝を抱いて羊水の中に浮かんでいる。
座高は10センチ、体重は100グラムに満たないが、人間としてのパーツは全て出来上がっていた。
ただし、両肩甲骨に変形が見られた。
体外へ隆起し5本に分かれて曲線を描いている。
これは翼に見える。
いや、翼以外の何物でもなかった。
千帆は看護師に唐突に抱擁された。
「無事出産されるまで、私が、担当させていただきます」
千帆は、これは夢では無いと実感する。
胎児がミュータントである可能性は15パーセントと、最初に言われた。
それは僅かな期待しか持てない数値だった。
「現在のところ、3月10日に受精した胎児の98パーセントがミュータントだとデーターがでています」
医者は可能性がある妊婦に告げて、受精日に誤りはないかを聞く。
千帆は10日の可能性もあるが、その前後かもしれないと答えた。
受胎の日も、父親が誰かも、分からない
3月10日、この国が壊滅的な被害を受けた日だ。
平成の大津波が、人々の記憶から遠い過去になる前に
再び津波が、太平洋側の広い範囲を襲った。
その規模は、考えられる最悪を遙かに超えていた。
死者の数はおよそ、120万。
<超津波>と名付けられた。
終わらない悪夢の中にいるようだと国中の人々が感じていた。
電気、水道、交通網、が国の30パーセントのエリアで停止した。
だが通信網だけは正常に機能した。
マスコミや個人が被災現場に、すみやかにドローンを飛ばした。
おかげで、被災現場の生々しい光景を誰もが目にしてしまった。
建物が崩壊し、車が流され、地形が崩れていく鮮明な画像を人々は見た。
無残な死の一部始終を克明に見てしまった。
見るに堪えがたい地獄絵巻には、どれにも、鳥が映り込んでいた。
鳩、カラス、雀、かもめ、鷺……。
見慣れた鳥類は、人類があっけなく死に行く様を、
悠々と安全な場所で眺めているかのようだった。
「この国はもう終わった」
誰もがそう思った。
富裕層はこの国を捨てる準備を始めた。
そうでない大半の人々は、縮こまって悪夢が過ぎるのを待っていた。
被害者の割合が多すぎては、励ますモノも助ける力もない。
最初に、胎児に翼が確認されたのは
超津波から3ヶ月がすぎ、国中が現実の困難を知ってしまった。
つまり最悪の時期だった。
20××年6月。
国の多くの産科で同じ異常現象があった。
まず、症例の無い異形だとエコー画像を見た医者は、驚く。
もちろん、妊婦も看護師も一緒に見たにちがいない。
正常ではない胎児を奇形とは呼ばなかった。
とても、なんだか美しく見えた。
均整の取れた身体に小さな翼。
「これは……エンジェル?」
誰もが、同じ言葉を呟いた。
翌年の早春に、翼のある赤ん坊が2701人、産まれた。
その年に産まれた100万の365分の1に近い数だった。
つまり、<超津波>がこの国を襲った日に受精したと思われる子供は、翼を持っていたのだ。




