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「ようし、着いたぞ。ワシは到着の手続きをしてくるから、もうしばらく待っておれよ」
「はい、分かりました」
ようやく到着、マーブルク。どうせ脱走もないのでどんな景色か見てみようと馬車から飛び出したところまず目に飛び込んできたのは、白い石造りのタワーだった。
土台は縦に長いピラミッドで、その上に屋根付きの建物がくっついてるという、港とか海沿いにある常夜灯が大きくなったみたいなデザインだ。
タワーの入口付近には三本の旗が風になびいている。右から赤地に剣を手にしたドラゴンと王冠が描かれているもの、黒地に赤い鳥の紋章が描かれているもの、赤と水色のストライプ模様の旗だ。
「ようやく到着しましたね。ほら、見えますかあの赤い旗。あれこそがドラガニアの国旗です」
「赤いって、あの竜の旗?」
「そうです。ドラガニアは竜の国として知られていますからね、あの紋章はこの国の誇りなんです」
「へえ、それじゃああの縞々のほうは何の旗だい?」
「そっちはマーブルクの市旗ですよ。ドラガニアの一員であると示す赤色とマーブルクにおいて伝統的に尊ばれてきた水色を組み合わせたものです」
「なるほどね。綺麗な色合いだな。真ん中の黒いのは?」
「あれはフェリス同盟の旗です。赤い鳥は同盟の象徴であるフェニックスの紋章です」
ここに王様、じゃなくてマーブルク領主がいるのかなと思ったがニーナが言うにはそうではなくて逆側にあるらしい。そこで逆側に目を向けたところ、とんがり屋根が何本も空に向かって伸びるケルン大聖堂とクレムリンを足して二で割ったような建物がでんとそびえ立っていた。
まさに威容。人智の粋を尽くしたかのような堂々たる存在感に俺の心は強く揺さぶされた。
「これはまた……。凄い建物だな。これがマーブルクの中心か」
「はい。これこそがマーブルク庁舎、通称『銀の森』。領主はここに住んで政務を取り仕切っているんですよ」
「なるほどね。都庁、いや、国会議事堂ぐらいにも見えるなあ」
「元の世界で言うと確かにそれぐらいの存在ですね」
非常に存在感のある建物だ。しかもその存在感の足元では人々が出入りしている。時が止まった遺跡などではなく、まさに今も生きている現役バリバリの生命感溢れる建物だ。しばらくすると「銀の森」の入り口からアーベンさんが戻ってきた。
「手続きは終わった。じゃがその前に、まずはこの賊を起こさねばな」
「そうですね。ルサカ頼む」
「分かった」
本当は俺が起こしても良かったのだが下手に頬をぶつなどしたらまた危険なダメージを与えてしまう危険性が高いのでルサカに任せた。ゆさゆさと体を数回揺さぶると親父は大あくびして「もう着いたのか。思ったより早かったな」と周囲を見回した。そして息子の顔を抱きしめるようにぐっと掴むと、別れの言葉を述べた。
「人生勝つ奴がいれば俺みたいに負ける奴もいる。ルサカよ、父親と言っても俺はお前に何もしてあげられなかった屑だ。好きに生きればいいし、俺を忘れてくれてもいい」
「父ちゃん……。忘れられるわけ、ない……」
「ただ、あんまり泣くなよ男なら。幸いお前にはハッセがいる。あいつの言う事をしっかり聞いて、強くなれよ」
「うん!」
一筋、ルサカの瞳からこぼれ落ちた無色透明の宝石が頬をつたって膝に砕けた。
「そしてハッセ、俺の息子を頼む」
「はい、分かりました。出来るだけのことはしてみせます」
「後はもう言うこともねえな。アーベンさんよ、お前を襲ったのは過ちだったが、これもまた運命だったと受け入れるさ」
「その潔さを他に活かせばあるいは……。じゃがもう遅すぎたようじゃの。息子はそうならねば良いが」
「そうだな。そういう意味でも頃合だったって事だ。さあ、行ってくれ」
ルサカの父の言葉にアーベンさんは深くうなずき、馬に鞭を入れた。馬車はまたゆっくりと動き始めて、赤茶けた煉瓦色の門を通り抜けた。黒いマントを身に付けた兵士が厳しい顔でこちらを睨んでいるので緊張してしまう。
まずはアーベンさんが出て行った。
「おお、無事来てくれたかアーベン殿。山賊に襲われたとの報告を受けたので心配しておったぞ」
「恐縮です領主様。しかし幸い無事でございます。これもまた神の定めでありましょう」
「そうだな。とにかく疲れが癒えたら早速作業にとりかかってくれたまえ。既に準備は整っている」
「分かりました」
アーベンさんをねぎらう領主の声は案外甲高かった。領主って言うからいい年の男だろうと思い込んでいた俺からすると、一番大きかったのは戸惑いだった。ああ、そう来たかという。
「あれ、ここの領主って女の人なの?」
「もうちょっと静かにしていましょう」
ニーナに質問したらこう返されたので、俺は言われた通り静かにしていた。アーベンさんと領主の会話があれこれと続き、他には兵士と思われる硬質な足音ばかりが聞こえる。
秋空のように澄み渡った爽やかさとナチュラルな伸びやかさを湛えた領主の声としわがれてはいるが己の誇りに一点の曇もない確信に満ちた職人の声の応酬はそのうち「お前を守ったという勇者の男」の話になだれ込んだ。
しわがれた声が「実はここに連れてきているのです」と響いたらすかさず「ならば顔を見せてくれ」という凛とした声が返ってきた。「御意」。ここでアーベンさんが馬車の中まで来た。
「領主様が会いたいとの事だ」
「はい、聞いていました。すぐ行きます」
俺は高鳴る胸を抑えきれず、馬車から勢い良く飛び降りた。どのような素敵なレディが領主なのか。俺は緊張と一寸の勇気を抱きながら馬車を降りた。
「ほう、君がその勇者か」
やたらと馬鹿でかい椅子の上から身を乗り出す華奢な体躯の最上部で完熟したオリーブの実のように黒い瞳が好奇心できらめいていたのがまず何よりも印象的だった。
青い前髪をオイルで無理に撫で付けた、ちょうどオールバックに近い髪型。後ろ髪は伸びていないようだ。きりりと鋭い聡明そうな目つきは概ね予想通りであったが、ついでに眉毛もかなりきりりとしている。そして服装はブルーのローブだかマントに半ズボン。
これが女じゃなさそうな事はさすがに一目で分かる。じゃあ子供が領主やってるのか? ぱっと見俺と同じぐらいか、下手したら年下の可能性さえあるような子供が王国屈指の大都会の領主を?
それは無理だろうと思うのだが、でもよっぽど才能あるんならそういう事もあるのかもしれないし、大体こっちの世界ではこれぐらいが常識なのかもとか考えるときりがない。
とにかく、想像以上の若さに俺はうろたえるばかりだった。何をどう言えばいいのか、多少の脳内シミュレーションも簡単に吹っ飛んで自分の唇が乾いていくのを何もせず見つめるだけとなってしまった。
「ふうむ、本当に僕と同じぐらいの年齢に見えるな。君がハッセだね?」
「え、ええ。そうですけど」
偉い人と会うのだから口調は丁寧に、なんて意識すればするほど怪しげな日本語になってしまう。「そうですけど」ってのはさすがに丁寧語じゃあないよなあ。でもどう言えばよかったのか。ああ、アドリブに弱い欠点があらわだ。
「話はアーベンから聞いたぞ。君がいなければこの大陸一の鎧鍛冶が永遠に失われるところであった。同じ男として敬意を表する」
「偶然通りかかったところ襲われていたから。本当にそれだけだったんです」
「なるほど。その勇気、まさに勇者たる者にふさわしい資質だな。新たなる勇者の来訪を僕は心より歓迎するよ。しかし奇妙な服装をしているな。それは一体どこの民族衣装なのだ?」
「え、ええっと、それはですね……」
ああ、駄目だ。ただでさえ緊張してるのにその上で嘘をつこうなんて。蘇我倉山田石川麻呂の気持ちがよく分かる。そりゃあ震えるし嫌な汗がバクバク出るよ、これは。
「どうしたのだ?」
「い、いえ、あのですね、やはり領主様と会うって事ですので緊張みたいな事をですね……」
「何とまあ、硬い言い回しだな。年も同じくらいだろう? 忌憚なく行こうじゃないか」
「は、はあ。出来るだけはそうします」
偉い人は得てしてああいう事を言うらしいが、だからと言っていきなりタメ口に移行するのも態度が悪いだろうし、どうもぎこちなくなってしまうものだ。しかし忌憚なくと言った領主の心は本物であったらしく、俺について色々聞いてきた。
「ハッセとやら。君がどこから来たんだい?」
「はい、ええと、東の果てです。非常に遠いところから来たので、ええ、なにぶんフェリス同盟やマーブルクを訪れるのは初めてなので勝手も分かりませんし、今後どうするかもまだ決まってはいないのですがとにかく、ええ……」
この辺はもう自分で何を言ってるかも分からないくらい混乱していた。何か言わないでいるほうがよっぽど不審なわけだからどうにか浮かんだばかりの言葉を根こそぎ掴んでは出しただけだ。でもそんな適当な言葉にも領主は興味を持ってくれたらしい。別にいいのに。
「へえっ、東の果てとな! ティアムなのか?」
「いえそうじゃなくて、その向こうの海にある島の出身です」
「海か。僕はまだ海を見たことのないのだが、君は海とともに育ったのだな」
いや、そこまでは近くないんだけど。松戸ってむしろ内陸にあるわけだし。でも国自体が内陸なドラガニアからすると国境が海に面しているだけで全然違うんだろうな。
「おっと、まだ僕の自己紹介をしていなかったな。すまない。僕はアレサンドロ・マイル。アレスと呼んでくれ。今は父に変わってマーブルク領主の代理を務めている。よろしく」
代理って何だと思いつつもそれを顔に出すのもまずいので、雑念を飲み込みつつ「こちらこそよろしくお願いします、アレス」と返事をした。初対面なのに呼び捨てで呼ぶのは大いなる勇気を伴ったが、アレサンドロは満面の笑みで俺の勇気に報いてくれた。これで良かったんだな、きっと。
「これで君と僕は友達だな。そして僕の敬愛する友ははるか遠方より来たという。マーブルクは都会だし、不安もあるだろう? だからこの街について僕が教えてやろう!」
「ええ、本当ですか? ああ、ありがとうございます!」
俺は土下座さえしたい気持ちだった。今後どうするかなどまったく決まっていなかったのにいきなりこんな超巨大なコネクションを得られるとは相当ついてるぜ。
こっちの世界に来た昨日も偶然アーベンさんがいたからどうにかなったが、もし通りがかってなかったらどうなっていたのか。とりあえず昨日は野宿確定だっただろう。考えただけで寒気が襲ってきた。
「では行ってくる。アーベン、オリハルコン鉱石は別の部屋にある。フィールが案内してくれるだろう」
「そうか。腕が鳴るのう」
アレサンドロの隣にいた男が「こちらでございます」とねっとりとした声でアーベンさんをどこかの部屋に連れて行った。あれがフィールって人なんだろうけど、正直何と言うか、これ以上考察すると悪口しか出て来ないだろうから自重しよう。
いや、人を見た目で判断するのはいけない事だって俺も当然知っている。でもあのフィールって人ほど胡散臭い人間がこの世にいていいのだろうかというルックスだったので逆に驚いた。
身長はアレサンドロの1.5倍ぐらいあって威圧感があるが、目は蛇のように細く狡猾な印象を与える。髪型もやけに脂ぎったオールバックでどこか不気味だし。俗な言い方をすると、きもい。でもあそこにいるって事は優秀で忠実な大臣なんだろうから、ここまでにしておかねば。
「では僕は行ってくる。ハッセ、付いて来い!」
「はい!」
ただそんな事はどうでもよくって、とりあえずアレサンドロは間違いなく良い奴だって事は俺にでも分かる。今はそれだけで十分だ。
俺みたいにいちいちうだうだしない、竹を割ったような性格ってのはまさにこういう人間の事を言うのだろう。誰とでも気兼ねなく接する事の難しさは前の世界で嫌というほど思い知っている。でもそういう我ながら気持ち悪い部分もどうにか直していかないと瞬く間に死ぬだろうし、頑張ろう俺。
そんな事をやっぱりうだうだと考えながら、俺はアレサンドロの背中を追った。