続々・KEEP ON RUNNING
「ああ、青いブルーベリーが実ってるんだな」
それからどれほど経ったろうか。でもこういうのは自分で自覚する以上に短かったりするものだが、とにかく感覚的には一時間ぐらいは過ぎ去ったかも知れないと思う。ようやく真上以外に視線を向けられる程度のガッツが回復してきたので全身に力を込めてみたところ、無事に立ち上がれた。
「よし、試合再開だ。心身の体力は大分戻ってきてるし、まずはこの坂道だな。しっかり攻略せねばな」
俺は道の脇に実っていたブルーベリーを鷲掴みにすると、口に含んでみた。果汁一滴で口の形がイって発音する時と同じになるぐらい酸っぱかったが、萎えていた脳味噌を活性化させるにはこれぐらいきつい刺激のほうがかえって良かった。肉体の隅々にまでガッツが行き渡ってくるのがはっきりと分かる。そしてそれが何よりも嬉しかった。まだ行けるぞ、俺は。心からそう思えたから。
覚悟を決めた俺は、憎らしく佇む坂道を強く睨みつけてながら一歩、また一歩、その足を進めていった。もはやどこに辿り着くとかそんな事はどうでも良くて、いや、どうでも良くはないけど、とにかく前へ進めという家なき子のようなバイタリティだけが俺の心を支配していた。
歩くこと一分程度か。ついに坂道の頂点にまで到達した。正直思った以上に短かった。振り返ってみると、想像以上に短くて勾配もしょぼい坂道だったのには思わず拍子抜けしてしまった。
「ふっ、登り詰めてみるとこんなものか。まったくどうかしてる。心が弱るとこんな小さな坂道でさえ足を取られるもんだなあ」
普段であれば何もないまま、スキップするような勢いで数十秒かからない程度だろう。しかしそれも振り返る余裕が心の中に芽生えたからこそ分かり得る事実だった。あのまま倒れたままじゃ、坂がどの程度だったかも分からなかっただろうから。
「まあいいさ。それが分かったならもう恐れる事なんてない。どれほど遅れたかな。さっさと追い付かなきゃな」
俺は再び訪れた下り坂を全速力で駆け下りた。湿った風さえ今の俺の勢いの前では心地良い涼風に思える。余計な事はもはや考えなくていい。ただ目の前にある道を体当たりで駆け抜けていくだけで、そしてそれがこんなにも楽しいなんて。道が広がっていれば世界の裏側までも走っていけそうな気がした。
しかししばらく走っていると空気読まない物体が俺の道を塞いでいた。何やら黒くて大きなトカゲみたいなのがのろのろと動いていたのだ。何のクリーチャーだよ貴様。俺の倍ぐらいありそうな長身の相手にも関わらず臆することなく「どけよ」と叫んでみたが、所詮爬虫類風情に日本語を理解出来るはずもなかった。
「ちっ、聞き分けのない野郎だ。ガタイがいいからっていい気になりやがって」
ここでうっかり立ち止まったり、うっかり座り込んだりすると膝や腰がぐっと重くなるものなのでそうしないため、俺は黒いのが塞いでいる前をジョグのペースでぐるぐるしながら対策を練っていた。その姿はさながら動くのをやめると死ぬマグロのようだった。ただ結論はあっさりと出ていて、向こうがどいてくれるならありがたいけどそうじゃないなら戦うしかないと早い段階で決意していた。
黒い奴はこちらを振り向いてギャーギャーと喚き散らしながらこちらの方に顔を伸ばしてきた。長い首の先についた地割れのような赤くて細い目が俺を睨む。分かったからどけよ。しかしそんな俺の思いが通じる雰囲気は皆無だった。
「ならば仕方なかろう! ダルビッシュ! ダルビッシュ来い!」
今までずっと走ってて脳内にドーパミンが程よく分泌されてきた頃合だったし、俺はバイトの対応にケチつけるクレーマーのごとく強気になっていた。三日月斧を召喚すると、まずは刃のないほうで横腹を叩いた。
これで奴がどっか行ってくれたらそれ以上の強硬手段は取らない予定だった。しかし先方はこれを無礼な攻撃と認識したらしく、口を大きく開いて鋭い牙を披瀝してきた。生意気な。だがこうなったら戦うしかないだろう。俺は三日月斧を強く握ってから数歩後退すると、勢いをつけて巨体に向けて突撃した。
「押し通る!!」
「ギュグオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
「はあああああああああああああああああ!!!!」
高まる集中力が敵の攻撃をスローに見せた。敵の顎を三日月斧の柄で叩いて閉じさせると、すかさず腹部に斬りかかった。
一刀両断。
俺の武器は三日月斧であって刀ではないんだけど、まさにこの言葉を用いるのが適任なほどにさっくりと真っ二つになった。切り裂かれた胴体の向こう、俺は一瞬だけ確かに道を見た。しかし間もなく紫色の返り血が襲ってきた。
「ああもう、死んでなお生意気な! 肌もベトベトだし服も随分汚れてるし。まあ、いいか。障害は除かれた。また走るとするかな。頑張れ俺! ガッツあるのみだぞ!」
二つに離れた黒い胴体を振り返る事もなく、俺はただ走り続けた。
「ちと予定オーバーだな。まあいい、多分もうすぐだ。ゴールは近づいているのは確実だしね」
俺がそう認識したのは少しずつ坂道が緩やかになっているのが分かったからだ。それはつまり麓が近づいている証拠。ならば疲れただの何だの言ってる暇はない。俺は心に強めの鞭を打って、ストライドを広めた。そしてついに森を抜け、石畳の道が飛び込んできた。
「おお、やっと人間の営みが。長かった……!」
それを自覚した途端、急に足が重たくなってきた。もう少しだ、ここでくじけるなと自分に言い聞かせながら棒のようになった足を前へ前へと押し出すように走った。もうちょっと慎重に辺りを見回しながら探ると、目当ての馬車を見つけた。
「ああっ、いたいたって何だ!」
馬車から出てきたアレサンドロに向かって、俺は倒れ込んだ。我が盟友は俺の肉体をその胸でしっかりと受け止めてくれたが、随分驚いているようだった。主に俺の全身にかかった返り血に。
「お、おい大丈夫かハッセ!」
「疲れた……」
「そうだろうよ。まあ入りなよ」
うん、分かったとでも言えたら良かったけど、今の俺にはそんな体力すら尽き果てていたので頷きながら、でも客観的には首をガクガクさせていただけだったろうが、とにかく馬車まで誘導されるとすぐ床に倒れ込んだ。中には俺以外の稲妻勇士全員がいた。やはり最後尾か。でもまあ、今は無事にゴールしたという安堵感だけが俺を包み込んでいた。とても幸福な気持ちだった。
「おい、それどうしたんだ? その返り血!」
「なんか黒いのがいたから斬ったの。邪魔だったから」
「黒いのって、まさか邪黒龍じゃないよな?」
「知らん。トカゲみたいなの……。ああ、眠たい……。頭が働かない……」
そして俺は目を閉じ、深い眠りへと落ちていった。再び目を開けた時は、もう次の日になっていた。随分疲れていたんだなと改めてその道程に思いを馳せた。
で、ついでに称号ももらっていた。よく分からないけどあの黒いのはそんなに強いものだったらしく、それを屠った俺は「屠龍勇者」となったらしい。英語で言うとドラゴンスレイヤー。うむ、これは格好良いぞ。
というかあれドラゴンだったのか。戦ってる最中はまったく気付かなかったな。そもそも戦ったという自覚さえ希薄なわけだし。でもあんまりガタイも大きくなかったし、多分ドラゴンの中では弱っちいほうなんだろうと勝手に納得してみせた。
ついでに俺の三日月斧は「黒龍を切り裂きしもの」とかいう称号を得た。だから単なる三日月斧じゃなくて「黒龍の三日月斧」みたいに言われるようになったらしい。これまた強そうだ。でもまあ、三日月斧は三日月斧だ。あんまり価値が出すぎるのも困る。
例えば人里に現れた迷惑な熊を射殺したとして、それが「熊殺しの銃」とか言われてプレミア化するものでもないだろう。気にしなきゃいいんだけど、俺の心はそういうのを気にするタイプだから、ならばいっそ何もなかったほうが気楽という発想だ。つまりね、誰がどう言おうが俺は俺だし三日月斧は三日月斧、ドサクサでドラゴン一匹屠った程度で何か変わるもんじゃないって事だ。
「だからこれからも頼むぜ、俺の三日月斧」
自分の部屋で俺の相棒に向けてそう話しかけた時、無機質な刃がかすかに光り輝いた気がした。もちろん三日月斧は喋らないし感情もない。でもその時は心があるように思えてならなかった。
始まりはいまいち不純な理由だったとはいえ選びあった仲だ。せめて武器がその本領を発揮する場所では最高に輝かせてやるさと心に誓った。
次は寒くなってきたから衣替え、みたいな話になる予定です。




