続・KEEP ON RUNNING
そんな事を考えているうちに山頂に到着した。坂道に差し掛かってからおおよそ三十分程度だろうか。あえて言うと、想像以上にあっさり到着したなってところだ。外はまさに風光明媚、心地よい風が右へ左へと行き交って緑が音を立てて揺れている。
「へえ、これはまたいいところだなあ。どんな山奥に連れて行かれるかと思ったよ」
「ザガ山って言うんですよ。ポーラティスを取り囲む山の中でも緩やかな方で、一番標高は大体五百メートルぐらいですね」
「ふうん、そんなもんか。それならまさにピクニックみたいなもんじゃないか。皆も和気藹々だ」
ゴルディとキリアムは互いが互いの背中を押してウォーミングアップしている。実際はジャイアンとスネ夫みたいな関係性なのに、今はあの二人が兄弟みたいに見えた。で、実際に魂の兄弟をやっている奴らは、弟に兄が心得なんかを諭していた。
「とにかく何が起こっても立ち止まるな。わしから言えるのはそれだけじゃ」
「うん、ぼく、頑張るよ!」
「よし、その意気じゃ! まあラネなら大丈夫じゃろうがの」
余裕そうなのに随分真剣だなと、その時は軽く考えていたがもしも時間を巻き戻せるなら俺もこれに加わっておきたかった。マロールとユーレン、それにザペラも何やら笑いながらお話している。どうせろくでもない会合なんだろう。そして俺はと言うと、木々の隙間から広がる景色を眺めていた。
やっぱりポーラティスは高いところから見下ろすに限る。この山頂からはあの綺麗なサークルがかっちりと見えるのでまさしく絶好のビューポイントに思えたからだ。まあ多少木々が視界を邪魔してない事もないけど、そんなのは些細な問題だ。
「平和だねえ」
「今はね。もうすぐ始まりますよ」
あまりにも穏やかすぎて、眠気さえ疼きだした瞬間、大声の爆音が弛緩した空気を切り裂いた。
「よし、皆聞け!」
先生の声に反応して、それまでは背中を伸ばしたり和やかにお話などしていた稲妻勇士全員が真剣な表情を整えながら振り向いた。無論、俺もだ。それはいよいよ本番開始という合図だった。
「例えば敵の拠点に潜入して課された任務を果たしたとする。しかし使命はそれで終わりではない。我々稲妻勇士は戦場では命を惜しまぬ戦いを見せるべきだが、それは死に向かう事を意味しない。死ぬ気で戦い、そして生き延びてこそ真の稲妻勇士となるのだ」
帰還を前に、先生は色々と訓示を垂れて下さった。まったくもってありがたいお話なので、最初の方は真剣に聞いていたが、やっぱり内容が精神論だとすぐに集中力を欠いてしまうもので途中からはあんまり覚えていない。
ともかく最終的にはこういう話になった。
「生き延びるために必要なのは敵の追手から逃げ切る体力と気力の持続にある。だから今回は山の中、一人だけで下山してふもとにあるこの位置まで帰還する事。これがお前たちの任務だ。分かったな!」
「はい!」
バサッと広げられた大きな地図の南方には赤いマークが付けられていた。これから先生は馬車でそのポイントへ向かう。そして俺達は走り、そのゴールを目指す。つまりはこれが帰還の訓練だ。つまりはロードレースだな。それなら話は早いと俺はほくそ笑んだ。これでも元陸上部だからな。そういうのは慣れている。
そしてくじを引いてスタート位置を決めた。その結果、俺は九番目を引き当てた。ちょうど向きで言うと南側だったので俺は内心で安堵した。つまりはまっすぐ進んでいけばゴールなわけだろう。この時はその程度のものだと思っていた。実際は孤独のロングランの開始になるとも気付かずに。
「ではこれより、帰還、開始!」
先生の手が打ち鳴らされた瞬間、俺達はまさに稲妻のように一斉に四方八方へと全力疾走を開始した。「背中からは敵が追ってきていると思え」という教えに忠実に従うならば、これ以外の解などなかった。
俺は最初の、時間にすると多分二分とかそこらだったと思うけどそこまではマロールと同じ道だったので一緒に走っていた。
「まさかお前の横になるとはなあ」
「これは奇遇な運命ってもんやろなあ。でな、そんな運命ついでにちょっと勝負せえへんか?」
「勝負?」
「せや! どっちが先に陣地に辿り着けるかもやけど、どっちが分かれ道に早く着くか、とかな?」
並走していたマロールが、自慢の長髪を波立たせながら何やら話しかけてきたが、さすがにここまで髪が長いと走る邪魔になりそうだ。それはともかく、先方の提案に関しては俺としても受けない理由はなかったのでためらいなく「おうさ」と応えた。
「でもいんちきはするなよ! ちゃんと体力で競おうぜ。魔法とか小賢しい逃げの一手なんてねえ、まさか草の民マロール・ミュルクほどの男が使うはずもないと思うけど」
「ふっ、当然やろ。それでもうちが勝てるんやから」
「ほう、なかなかの自信過剰! だが俺だって下り坂は得意だ。負けないよ!」
俺はストライドを広げて跳ねるように坂を下っていった。マロールは逆に足をほとんど上げずにスイスイと進んでいた。お互い負けじと抜きつ抜かれつの、長距離走のラストスパートをいきなり演じていたが決着が着くまでに分かれ道に差し掛かったがここまではどちらが優勢とも言いがたかった。
「とりあえずは、引き分けやな。しっかしひょろひょろな体格の割に案外速いんやな。見直したわ」
「ありがとね。俺としてはむしろマロールのほうこそさすがだなって思ったよ。じゃあ俺は右で」
「うちは左やな! ほな、お先!」
「おう! 陣地でな!」
陸上競技は個人競技とされているけど、やっぱり一人でやるより競い合う仲間、ライバル達と一緒のほうがずっと楽しいものだ。その仲間と離れて、本当に孤独な疾走が始まった。そしてその旅路は、今に至るまで終わる気配を見せていない。
「はあ、はあ。さすがにきついぞ。今どこをどう進んでいるのかさっぱりだし、終わりが見えないのは辛いな」
山の中をひとりぼっち。それでも俺は止まる事なく、ひたすら前進を続けていた。地図がないし、土地勘もまったくない獣道。何か考えると、振り返ると立ち止まっていただろう。走れと言われれば走り続けていたかったから、振り向きもせずただ前だけを見つめてここまで来た。しかし、そんな俺の心を砕く光景がそこには広がっていた。
「なぜだ! 登り坂だ……!」
とにかく道を下っていけば降りられるという安易な考えのもと、それを実行し続けた結果眼前に訪れた無残な現実。引き潮のような音を立てて心が萎えていくのがはっきりと分かった。
それでも進むしかなかろうと登り坂を踏みしめたが、一歩ずつパワーが失われていき、ついには途中でとぼとぼと歩くのと同じようなスピードになってしまった。それでも立ち止まる事だけはすまいと歯を食いしばった。
しかしこうなったらもう駄目だ。今までは感じられなかった不安や焦燥が肉体の疲労を俺に自覚させる。ああ、足が動いてくれない。進もうと思って力を振り絞ったつもりでいてもその努力は空虚な結果をもたらすのみだ。
「これは、駄目だな。もう体が動いてくれる気がしないぞ」
そしてついに坂の途中、俺は膝に手をついて立ち止まった。固まった関節が足をもつれされ、俺の背中は土の中に埋もれた。深緑の彼方に見え隠れするうっすらと白い雲が嫌味なほどに透き通って見えた。俺はただじっとしたまま、それを凝視していた。いや、正確に言うとじっとするしかなかったのだ。肉体を動かすスタミナが完全に切れていたのだから。
足の指一つさえ自分の意志が働かない。まったく無残な姿だ。それでも人間ならば、地面に倒れ伏す俺がそれでもまだ生きていると見分けが付くだろう。しかしこの山の中を支配する野生生物にとってはどうだろうか。今の俺なんて単なる肉塊、死体と変わらない存在だろう。
「今猛獣でも襲って来られたらなすすべもなく食いちぎられてしまうんだろうな。最強の力を授けられても所詮は人間の肉体しか持ってないんだからな。そのうち俺も死ぬんだけど、こんなところでよく分からない動物に襲われて死ぬのは嫌だな。せめて意味のある死に方がいいや」
悲観的な将来を頭の中に描くと、でもなぜか逆に心が軽くなった気がした。これはもしかするとと思って脚に力を込めたが、無駄な努力に終わった。心のスタミナはともかく、体のスタミナはもうちょっと放っておかないと回復しないようだ。
ならばそうするしかなかろう。俺は背中で大地と一つに繋がった姿のまま、ただひたすら雲が流れるのを見つめていた。




