KEEP ON RUNNING
太陽の光すら届かない深い森の中を、俺はただひたすら走り続けていた。
足音と吐く息が一定のリズムを取って跳ねまわっている。それ以外の音は何もない。いや、実際には鳥や獣の鳴き声ぐらいしていただろうが、そんなものも聞こえないぐらいに、俺の意識は走るだけに向けられていた。
これを課せられたのもまた授業の一環だ。というのもつまり、普通の実戦の授業が終わった後で「明日は帰還の練習をする」と言われたのが始まりだった。
「帰還?」
聞き覚えのないカリキュラムに、俺の視線はニーナを求めた。ニーナは相変わらず「この世界に暮らしているならそれぐらいは知っていて当然」と言わんばかりの自然な笑顔で説明してくれた。
「なるほど、敵陣から単独で戻ってくるために山中や森の中をひたすら走って突破する例の授業がついに解禁されるんですね。名物ですしね、楽しみですね」
「ふうむ、そうだな」
内心では「へえ、そんな事するのか」と思っていてもそんな事はおくびにも出さず、さも最初から理解していたかのようにニーナに相槌を打った。実際皆のリアクションも「ついに来たか」とかそんなものだったし。
特にワクワクしていたのがラメニルスだった。いわく「お兄ちゃんが手紙でもよく言うとった」らしい。ああ、確かにイルラスはこういうの得意そうだからな。体力は有り余っているし。
かく言う俺だが、はっきり言って長距離走はあんまり得意じゃなかった。いや、別にクラスでも一応真ん中よりは余裕で上の方ではあったのだが、恵まれた身体能力を誇る上位陣と比較するといささか寂しいものもあり、つまり得意でも苦手でもないって程度だな。
帰宅部でそれなら自分で自分を褒めてもいいところだったろうが、これでも一応陸上部だったからね。無論長距離の練習とかもしておきながらこれはねえ。球技大会のソフトボールでヒット打てず守ればエラーやらかす野球部とか、そういうレベルだ。
でもでも、今の俺はあの頃と違うからな。何ってったって体力強化されてるもんな。それに稲妻勇士としての規則正しい鍛錬生活によってスタミナは大いに身についているはずだ。実際毎日のようにバトルしたり、良薬は口に苦しの精神であんまり美味しくもない野菜とか食べまくってるわけだし。
実際この世界の野菜はやけに苦かったり酸っぱさが強調されてたりで、品種改良はあんまりされてないんだろうなって思う。穀物なんかもほとんど味がない、ぼそぼそしたものを腹にかっこむだけみたいなものだし。
日々を普通に生きる事も大変な世界だ。だから皆に色々さり気なく聞いてみても兄や弟が幼くして亡くなったみたいな話が普通に連発するがそれを特別な事だとは誰も思っていない。ユーレンとかボールを作ってもらってる最中に「本当は六男だったのですが兄は皆一年生きられなかったと聞かされた事があります。弟も二人はそうやって死んでいきました」とか独り言のようにぶっこんできたけど、それも語り口に悲惨さはなかった。むしろ自分は今を生きられている幸福を神様に感謝しているように思えた。やはり世界が違うものだ。
ただ実際別の世界に移ったのだからそれぐらいのカルチャーギャップがあるのは想定内。日本にいた頃は三日月斧を振り回すような生き方をする日が来るとは欠片たりとも想像していなかった。だからこそ、あの頃の生き方と何もかもが違っているからこそ逆に対応も簡単だった。地続きな部分が何もないから、だったら郷に入ればって事でこっちのやり方をそっくり真似ればいいと割り切れたからだ。
でもただ走るだけとかねえ。日本でもやれる事だからねえ。泳ぐのもそうだったけど、あれは結構得意分野だったから。走るのはそうでもない。大会でも地区大会の予選でボロ負けするのがデフォルトだったし。
でも陸上部はいいよ。ゴールデンウィークにはもう試合出られるんだから。例えば野球部なら九人、サッカー部なら十一人と決まっている。控え選手が出場の可能性もあるが、基本的にはその九人とか十一人に入れないと座って眺めるだけの仕事になるわけだ。
上級生もいるし、同級生だって今まで鍛えてきたような奴らとは立ち位置からして違う。そういう奴らと争って、全校生徒で九番目以内に野球が上手くなれるか、十一番目以内にサッカーを上手くやれるか。それが出来なきゃ三年間球拾いの無残な青春を送らなければならない。そんなの馬鹿だ。情熱の浪費だ。
苦しい練習を耐えられるのはそれを発揮出来る場所があるからだと思うけど、その場所が与えられないのに苦しい練習に耐えるなんて、少なくとも俺には無理だった。単にボールの扱いが下手糞だからとか僻みとかそういうのじゃなくてね。
そこで陸上部。走る事なら俺にだって出来るさ。それにトレーニングしたらかなり露骨にタイムが縮む。結果にコミットするって奴だな。それがはっきりと見えてくるのがまた楽しいし、試合で色とりどりのユニフォームが咲き乱れる中で力を試すのもまた良いものだ。大抵は俺より速いのだが、たまに遅い奴もいるし。
まあそんな事はどうでもいいとして、その「帰還」を行う当日はまず、ドライフルーツ入りシリアルを牛乳に浸して掻っ込む朝食が終わると早速全員がグラウンドに呼び出された。そして船に乗ってポーラティスの濠から出て、そこに用意されていた大きな馬車に全員乗って山へと登った。
四頭の馬に引かれる馬車だが、さすがにサイズが大きいので進むのも非常にゆったりしているように感じられた。パカパカと蹄の音が規則的に響き、車輪が石畳を踏みつける度に生まれる振動もまたタイミングが完璧なほどに一致しているので心地よい。
ましてや今日は秋の空。半袖でいるとほんの少し肌寒さを感じないでもないけど、上に重ねる必要はない程度のほのぼのとした日差しが開け放たれた窓から降り注いでくる。我らがリーダーのヘサッキなんかはその光を利用して何やら読書なんかしている。内容は、多分歴史書だろう。話の合間によくこっちの歴史的な有名人の逸話とかを挿入してくるから。
アレサンドロとイルラスは薄い木の板を隔ててお互いに向き合い、チェスのようなボードゲームに興じている。馬車の内部はガタガタ揺れるのであの立体的な駒は倒れたり場所がずれたりしないのだろうかと思ってよく見ると、駒の足の部分に棒が生えていた。それぞれのマスの真ん中には穴が空いているので、そこに差し込むから多少の振動ではびくともしないのだろう。
「ぐむむ……」
「二十秒経過」
「……っしゃあ! ここじゃ!」
「はい騎兵討ち取ったり」
「あっ!」
概ねアレサンドロ優勢みたいだ。風が窓から俺たち十五人を通り抜けて去っていき、「待った待った! 今のは手が滑って変なマスに入ったから無効じゃ」などというみっともない怒鳴り声を流し去っていった。俺は何となく風の行く先に目を向けたところ、緑の葉に囲まれた鮮やかなイエローが飛び込んできた。
「なあニーナよ、あの黄色いのは何って果実だい?」
「いいえ初さん、あれは果実じゃないですよ」
「えっ、本当に? まさかまさか」
俺はニーナの言葉をにわかには信じられなかった。だって緑の葉の隙間から少しくすんだ黄色の果実が実っているようにしか見えなかったから。
でも俺の言う事よりニーナの言う事のほうが正しいほうが多いから目を細めてもっと頑張って見たら、確かに違っていた。
「ああ、あれ葉っぱ? 紅葉なの?」
「そうです。北方桜って言われています。日差しの当たり方によって先に色づく葉が出るんですよ。もう少し経つと全体が黄色に染まるんですけどね」
「変な色づき方するもんだな。って、桜? あれが? じゃあ春には花を咲かせるの?」
「もちろん。ずっと先の話ですけどね」
「ふーん、そっか。花をねえ。ふふっ」
周りの目もあるのであんまり極端に態度に出すのは避けたが、これ以降俺の歩く歩幅がちょっと大きくなった事ぐらいは自覚出来ていた。この世界で生き残る楽しみが一つ増えたからだ。
結局ね、産み落とされたこの世界で俺は何も知りはしないんだ。だから知りたいと思うし、知ればもっと知りたいと願う。それが人生のモチベーションになるものだから。何もかもを知った風に装う人生なんて、きっと面白く無いだろうから。




