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稲妻勇士  作者: 沼田政信
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個人授業

 魔法学の授業は俺にとって退屈を持て余す空白にしかならない。


「それじゃあハッセよ、君には聞こえないのかい? 恵みの雨から囁きかける水の精霊の穏やかな微笑みが。脈打つ大地のうねりを共に作り出した風と地の叫び声さえも!」


 俺がまったく魔法を使えない、精霊の意味さえ分かっていないと判明した時に我らがリーダーであるヘサッキはこんなポエミーな表現で問い詰めてきたが、まさしく感覚の違いというものであろう。囁きかける微笑みって何だよ聞こえるわけないだろ。


 と言うかこっちの世界の住人たちはそんな精霊の声とか聞こえているのか? そんなものが毎日聞こえてたら絶対発狂する自信あるぜ。


「本当に不思議な男だな、君は。精霊の声さえ聞こえず、しかもその強さを持ち得ているのだから。一体どうやってそんな力を手に入れたんだ?」

「うん、まあ、色々とね……」


 こっちからするとそっちこそ見えもしない精霊を用いるだなんて、一体どうやってそんな力を手に入れたんだって逆に質問のひとつでもしたくなるところだ。


「普通のやり方とは違うやり方で得たものだし、かく言う俺自身もよく分からない部分だっていっぱいあるんだから、ましてや人に説明なんてね」

「そうか。まあ、卒業する頃には君も魔法の一つや二つ使えるようになってるよ、きっと。先生方の指導によってね。おっと噂をすれば影だ」


 まだ休み時間が終わるまで少しあるというのに黒に近い紫色のローブ、これは勇者学校の教師が規定によって常に着衣しているものだが、つまりは次の授業である魔法学のパーム・クイルト先生がいつもより早く教室に現れたのだ。


「ハッセ君、ハッセ君はいますか?」

「あっ、はい。ここに」

「ああ、いたいた。ちょっと、こっち来てくれるかしら」

「分かりました。じゃあヘサッキよそういう事で」


 パーム先生はいつも通りにふんわりと穏やかな声で俺を招いた。俺はヘサッキに会釈をしてから腰を掛けていた机から小さく飛び降りて廊下まで出た。しかしなぜ呼ばれたのか分からなかった。何か悪い事をした覚えもないのに。


「もうちょっとこっちへ。人のいない所がいいわね」


 俺の手をとって廊下の奥まで進んでいく。パーム先生の手はひんやりとしているが握るとたおやかな弾力があって、何だか心地良い感触だ。


 肩にかかるかかからないかというブラウンの髪の毛が一歩進むごとにふわりと揺れる。同じく歩く度にゆさゆさとたおやかな振動を残すのは紫紺のローブだ。そしてその挙動は常に一筋縄ではいかない柔軟性を秘めている。


 体全体、肌色を見せないように囲い込んでいるかのような禁欲的な紫紺越しにもはっきりと確認できる胸部の膨らみ。


 ローブを止める金色のボタンは内側からの物理的プレッシャーによって角度が歪んでおり、不意に後ろから強く押せばホウセンカのようにぱちんと弾けてしまわないかと意味不明な心配をしてしまうほどだ。


「なかなか不思議な事です。私の指導が悪いのか、ハッセ君だけはまったく魔力の発露が、予兆さえ見られないのですから」


 うつむく先生の瞳は眼鏡の反射に遮られてこちらからは確認出来ない。この眼鏡は元々視力が悪くなってきたと悩んでいたところにユーレンが作って渡したものだと前に話していた。


 その時の先生はとても嬉しそうだったが、作ったユーレンは「あれは簡易版ですからね」と醒めた口調で事もなげに言い放つのみであった。


 じゃあユーレンが考える本格的な眼鏡はどんなものかと言うと、一回見た事があるけど基本的には旧日本軍の皆さんがかけてそうなまんまるなレンズの眼鏡なのだが、横から見るとフレームの厚みが物凄い事になっている。


 そこには三つぐらいダイヤルがついていて、ユーレンはそれを適宜くるくると回しながら図面を引いていた。ダイヤルを回した時に響くキリキリという張り詰めた音とチョークで線を引く音がひっきりなしに響く様は異様な緊迫感に包まれており戦場さながらであった。


 具体的にどのようなメカニズムなのかは知らないけど、多分倍率を変えてよく見られるようになったりするんだろう。目に顕微鏡をつけているようなものか。まあ高性能なのはそうだけど、とにかく重たそうで使い勝手はかなり悪そうだった。一方で簡易版のほうは普通の眼鏡なのでむしろ安心する。


「それで先生考えたんだけど、一つだけ良いやり方があるの」

「良いやり方?」

「ええ」


 そう言うと先生はまた念入りに左右を見回し、周囲に誰もいないかを改めて確認していた。そんなに聴かれるとまずいものなのだろうか。


「驚いても声は出さないでね。そのやり方はね……」


 ここまで言ったところで先生の唇は俺の右耳に迫った。吐息が生み出した風は瞬く間に嵐となって俺の体を硬直させた。


「これは私の生まれた地方に古くから伝わる風習だけど、魔力の劣る者に魔力を授けるには、魔力のある異性と契りを交わすのが最も効果があるとされているの。それも初めての契りであればその効果は限りなきものだって」

「ええっ」


 震えながらもどうにか焦点を合わせ、視線を右に寄せた。


「破廉恥な女と見下さないでね。でも先生、ハッセ君になら十八年守り通してきた、命よりも大切なものを捧げてもいいって思ってるの。一目見た時からずっと……」

「ええ、それは、また光栄な話で……」

「でもハッセ君の心が同意しないとそれは意味を成さないの。ハッセ君の根種と私の愛で満たされた秘液が混ざり合う事で魔力として効力を発揮するの。ハッセ君は私の事、どう思ってるの?」

「ええ、そりゃあ、俺だってまんざらでもないと言いましょうか……。先生はずっと綺麗だとは思っていましたし、あの、ええ……。先生がそう思われるなら俺も……」

「そんな中途半端じゃ駄目。もっとはっきりした言葉で言ってほしいの」


 ここまで言われてすごすごと引き返せるはずがない。震えてくれるな肉体よ。俺はありったけの誠実な勇気を込めて先生と向き合った。


「俺は先生の事を愛しています。だから俺も守ってきたものを先生に捧げたいです」


 ああ言っちゃった言っちゃった。それにつけても心臓よ、なぜにかくもうるさく跳ね回るのか。もしもこの鼓動を先生に聴かれたらと思うと恥ずかしくて死んでしまいそうだ。


「嬉しい。じゃあ早速今日、放課後に校舎裏で。でもこの事を誰かに話すと魔力が完全に行き渡らなくなるから誰にも言わないでね。それと仕草で感付かれても駄目だから。何もなかったように授業も受けてね。それじゃあ、魔法の授業でまた会いましょうね」

「は、はい!」


 そこまで言うと先生は相変わらず小さくカールした髪の毛をふわふわとしならせつつ影の向こうへと消えていった。一人残された俺はしばらく動く事さえ出来なかった。高鳴る興奮のあまり完全に脳がショートしていたからだ。


 鏡を見て確認したわけじゃないがきっと顔は真っ赤に染まっている事だろう。とりあえず歩こうと思ったらまっすぐに進んでくれない。未だに心臓の鼓動が大きく響きすぎているからだ。


 しかししばらく経つと俺の胸の中にまた新たな感情がこみ上げてきた。それは暖かく、そして輝かしき感情であった。


「ハッセ、何だったんだ?」

「いや、何でもないよ。ふふっ」


 教室に戻るとヘサッキが声をかけてきた。俺としては事もなげに答えるつもりだったが思わず笑みがこぼれてしまう。ヘサッキは「そうか」とあっさり話を切り上げてくれたので助かった。これ以上追求されると話してはいけないと止められた事を話してしまいそうだったからだ。


「はい皆さんいますか。これから授業を始めますので席についてくださーい」


 その数分後、パーム先生は何もなかったかのように教室に入ってきた。柔らかな微笑みと少しのんびりした口調はいつもと何も変わらないようだ。しかし俺は先生のように完璧に、密会の余韻を消し去る事は出来なかった。その顔を見るたびに近い未来に実現するであろう甘い姿を思い浮かべてしまうからだ。


 どんな姿で、どんな声で、そしてどんな感じ方でその時を迎えるのだろうか。ああ、時が流れ去るのが遅すぎる。


「ハッセ君、どうしたの? 体調が悪いようなら休んでもいいですよ」

「はっ、はい。いいえ、な、何も変わりありませんよ!」

「そうですか? なら良かったです。では授業を続けますよ。水の精霊についてですが……」


 先生のように平然としているって本当に難しいものだ。授業はいつもにまして上の空。そして放課後、俺は勇んで指定された場所へと向かった。その先に訪れるのは素晴らしき瞬間だと疑いすらせずに。

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