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「そもそもね、わざとじゃないんだよ。人間があんな簡単に吹っ飛ぶとは思ってなかったから。君のお父さんには気の毒なことをしたって、俺だって後悔してはいるんだよ」
「……」
「まあ、何だ。色々あってこうなったがこの出会いだって多分運命とかそういうものだと思うんだ」
「……」
「何と言うのかな。きっかけがああいう事であってもだ、出会った以上はもっとこう、お互いに触れ合うべき部分は触れ合ったほうがいいと言うのかな。うん、心の交流って大事だと思うな」
「……」
「……いや、まあ、嫌ならそれでもいいんだけど……」
宿舎にて、俺は壮大な一人相撲を演じていた。何と話しかけてもルサカは口を開かない。まあ当たり前と言えば当たり前か。こいつのお父さんを一発で気絶させたのは他でもない俺だからな。言わば不倶戴天の敵。そんな奴に馴れ馴れしく話しかけられたところで応えるはずもないか。
沈黙が気まずい。
天使は天使で「もうちょっと世界情勢を視察してくる」などと言って中身だけ飛んでいったから今は肉体という入れ物が無造作に転がってるだけとなっている。この天使は丁寧な口調なのに何となく生意気な奴だけど、こう動かなけりゃやっぱ綺麗な顔してるな。
サラサラとした金髪は耳を隠すほどに伸びており、まつげもいやみったらしいほどに長い。身長は大体130cm前後だと思う。クラスでも真ん中から少し前目だった俺と比べてもはっきりとした身長差があるんだから、本当にちっちゃいんだよな。余計な筋肉も脂肪もないスラリとした肉体と水も弾きそうなつややかな肌からは白い後光さえ浮かんできそうだ。
ああ、それといい加減天使って言い方を続けるのもどうかと思うのでそろそろ名前を覚えてやろう。確か、ニーナだったっけ。思えば女みたいな名前だな。でもこいつを女だと思えた事はなかった。何だろう、これは。
全体的な雰囲気が女じゃないんだよな。綺麗な顔してるけど、あくまで美しい少年ってラインで女っぽさは奇妙なぐらいに皆無で、不思議な感覚だ。
そして今はそんな天使の微笑みを待ち遠しく思う。早く帰ってきてくれよニーナ。俺一人じゃあもう間が持たないよ。それで俺に色々なことを教えておくれよ。
でも今はそれもままならないので、せめてどうにかルサカの心を開きたいと思った。元の世界だったら絶対沈黙を保っていたけど、こっちの世界じゃあ勇者だからな。勇者がぼっちでいてはならない。
「男ならそんなすねた態度を取るもんじゃないぜ」
ルサカはちょっとだけ鋭い視線をこちらへ向けたが、すぐ元に戻した。確かにこれは我ながら自分を棚に上げた無責任な発言だったと思う。多少効果はあったもののあんまり言ってると自分に突き刺さってくるので連発は出来ない。じゃあ作戦変更だ。
「そうだ。みんなが帰ってきたらお風呂に入ろう。汚れを洗い流すんだ」
今度はもうちょっと長く視線をこちらに向けてくれた。ただその視線には疑問符が多分に含まれていた。俺が何を言ったのか理解しかねているみたいだった。
「お風呂ってのはね、ちょっと熱いお湯につかるんだ。気持ちいいもんだぞ。それに臭いだって取れる」
「……変な奴だな」
呆れ返ったようなつぶやき。でもそれが俺にはとても嬉しく思えた。ああ、やっと喋ってくれた。だから調子に乗っちゃうぞ。
「そう言えばこっちの世界って俺の知ってるお風呂とかあるのかな。石鹸とかも。シャンプーやリンスは別にいいとしても。いや、お前のゴワゴワな髪を洗うにはむしろ必須かもな」
「俺はお前の言ってる言葉がまったく分からない」
言われて初めて気付いたがルサカの言うことはもっともだ。風呂も知らないならそれの付属品も知らないに決まっている。そもそもこの世界にちゃんと存在するのかも不明だし。そんな謎単語が連発されると混乱もやむなしか。
「ああ、ごめん。俺はここからずっと東の果てにある島国の出身だ。だから風習なんかもこの辺りとは全然違うんだ。無駄に混乱させたかな?」
「俺はこれからどうなる?」
やっぱり俺の言葉はあんまり聞いていなかったのかなとは思ったが、別にそれはそれで良かった。今大事なのはルサカが心を開いてくれつつあるみたいだって事だけだから。
「アーベンさんもお前を咎めるつもりはないって言ってたし大丈夫だろ?」
「父ちゃんがいなくなれば俺は一人だ。故郷も知らないし母ちゃんの顔も見たことがない」
暗い森ではあんなにギラついて見えたオレンジ色の瞳は光を失い、弱々しく下を向いていた。出会って大した交流はなくても乗りかかった船だ。どうせなら悲しい人を笑顔にさせたいと思うものだろう。だから俺もルサカをそうしたかった。
そのためにはどうすべきかちょっと真面目に考えたが、だからと言って妙案が浮かぶものでもない。でも何か言ってあげないとルサカは辛くなるだろうから、何かを言うだけの事はした。
「うーん、じゃあ無責任な事を言うけどあんまり悪いことばっかり考えても良い展望なんて開けてこないから今は考えないほうがいいかも知れんよ。でももしそういう事になったら、俺が何とかしてあげるから」
「本当に?」
「ああ。俺は、嘘をつきたくない男だから」
今、本当に無責任な発言をしたのだがルサカが「そうか」と笑うまでは行かなかったが少しだけ安心したような表情を見せると、それだけで俺の心も何となく安らいで「言ってよかった」と強く感じた。
「俺も男だしお前も男だ。だからこれは男同士の約束だ。俺だって男の約束を破りはしないさ」
「男の約束、か……。それなら信じられるな。それで、その……えっと、お前の名前何だっけ」
「俺の名前は初瀬顕真って言うんだ。よろしくな。ハッセって言われる事が多いからお前もそう言ってくれていいよ」
「そうか、じゃあハッセ。俺はお前の、もっと色々なことが聞きたい。どこで一体そんな力をつけたんだ?」
「ああ、それはな……」
険の取れた口調と目つきで俺に話しかけてくるルサカに俺も心を開いて色々話したかったが、ここで「ああ、よく寝た」などと言いながら天使が帰ってきた。
動かなかった肉体が突如命を吹き返したように動き始める。確かに知らない人からすると眠りから醒めたとしか思えないだろうから、無用な混乱を防ぐためにもそんな言い訳じみた演技が必要なのだろう。
「よう、お目覚めか。それで、どうなんだ」
「今は特に言うこともないですよ。マーブルクまでの道も概ね障害はないようですし、順調に行けば明日にも……」
「明日にも俺は投獄、か」
高い声ばかりが響いていた中、突如割り込んで来たのは地鳴りのような低音であった。どうやらルサカの父も気絶から目覚めたらしい。
「ちっ、まったく俺も焼きが回ったもんだぜ。こんなガキに力負けするとはな」
本当なら「でもあなたが勝てなくても当然なんです。だって俺は神様からチートパワーもらったんだから」などと言いたかったがどう見ても嫌味にしかならないので自重して、代わりに「勝負は時の運ですから」みたいな生ぬるい表情を浮かべた。
「まあ好きにするがいいさ。俺だって今まで好きにやって来たんだからここらが潮時だろうよ。牢屋にでもどこにでもぶち込んでくれればいい。それと我が息子よ」
「はい」
「くだらない事は考えるなよ。お前は俺がいなくても生きられるように育てたつもりだ。強く生きろよ」
「父ちゃん……」
ルサカの父は俺にやられて捕らえられたという現状をしっかり認識しており、すっかり観念しているようだった。この台詞もまるで自分が死ぬ事さえも覚悟しているかのように響いた。
「うん、俺も強く生きる。それともう決まってるんだ。ハッセと一緒に……」
「ハッセ? このガキの事か」
「あんなに強いんだ。それに男の約束だってした。俺ももっと強くなるから、だから父ちゃんも死なないで」
「そうか、その意気だぞルサカ! そしてハッセとやら、俺の先の事は分からんが息子を頼む」
まずいな。想像以上に話が大きくなってしまった。ルサカの父も「これで安心だ」みたいな表情になってるし。
でもまあ確かにその場のノリで男の約束なんてものを持ちだした俺も悪かった。今になって「いえ、あれは口からでまかせです」なんて言えるはずもなく、何となく笑った表情を作って何も言えなかった。ああ、なんて無責任な男なんだ。でももう後戻りできない。
しばらくすると馬車を調達したアーベンさんも戻ってきた。まずは腹ごしらえという事で何かの鳥の脚を焼いたものとフスクというぶどうのような果物から絞りとったという紫色のジュースを口に含んだ。
ついでにここでローカルルールを決めておこうと思う。例えばこっちの世界におけるフスクの果実は元いた世界におけるぶどうと大体同じと言える。ゆえに今後フスクが出てきた場合、表記は全部ぶどうに統一する。同様に例えば「豚に似たこっちの世界の生物」「トマトみたいなこっちの世界の野菜」が出てきた場合もそれぞれ豚、トマトと表現する。他のものも全部同じだ。とにかく固有名詞連発されると俺も頭がこんがらかるし、物事はシンプルなほうがいいものだから。閑話休題。
「ふっ、これが最後の晩餐ってやつか。あの頃と比べるとしけてやがるが今の俺には適任よ」
「まだ死にはせんじゃろ。もしそうなりそうならば助命を嘆願するつもりでおる」
「おっさんよ、俺はお前の命を狙った男だ。なのに随分優しいもんだな」
「不要な血は見たくない性分での。それにそっちの坊やも苦しむ」
「俺は大丈夫だ。ハッセについていく。それでこれからは悪いこともせず生き抜くよう頑張る」
ルサカのきっぱりとした物言いに、アーベンさんは「そうかそうか」と目を細めた。もう既成事実となってしまったものは仕方ないか。今更覆されるものでもなかろうし。俺はいい加減腹を決めて「ええ、アーベンさんがいないうちに話し合ってそう決めたんです」と補足した。
アーベンさんは「それはいい」と納得したようだった。本当にいいのか? 本当にそれでいいと思ってるのか? でも最後のストッパーになる可能性があったアーベンさんもこれだからな。どうやら運命はそう定められているらしい。
「これで全ては決まったな。それにしてもお主は運がなかったものじゃな。ワシなど襲っても持っているのはノミとハンマー、そしてワシの命ぐらいのもので金目の物などありはしなかった」
「ああ、しかもやたらと強いガキに絡まれてご覧の有様よ。笑いたきゃ笑うがいいさ、無様な山賊の末路をよ」
一寸先は闇。自嘲的な山賊の捨て台詞に笑う要素は何もなかった。それにしてもこっちの鳥肉は筋が多いな。硬いので食べるのが大変だが、その分噛めば噛むほどじんわりと風味が染み出てきて、美味しい。いつまでもチューチューとエキスを吸い取りたくなる濃厚な味は大量生産されているブロイラーとは一味も二味も違う。
ぶどうジュースも最初口に入れた時は酸っぱさがきついように感じたがすぐに慣れた。アーベンさんに話を聞いたところ、これはその辺の屋台ですぐ手に入る程度のものであるらしい。案外食べ物に関してはしっかりしてるもんなんだなと感心した。
「明日になればマーブルクに着きますかね?」
「うむ。何の障害もなければ昼頃には到着しているはずじゃ」
「そうですか……。それならいいですけど……」
ここで急に頭の回転が鈍くなった。元々そうだろとかそういう話じゃなくて、普段以上に脳の働きがスローモーになっているのだ。
食欲が満たされたので今度は別の欲求、睡眠欲がむくむくと頭をもたげてきたのが原因だ。思えば今日一日、色々あったな。でも総括するにはまだ早い。とにかく今の俺に出来る事と言えば眠る事以外にない。実際これ以上脳を使おうと思っても動かないから、しっかりオーバーホールさせるに限るってもんだ。
日程の確認が終わったらすぐ、俺は手を合わせて「了解しました。ではおやすみなさい」と言ってすぐ寝室へと向かった。バタリと身を沈めたベッドは少し硬くて畳に倒れ込んだ感覚だった。
それから数秒、俺の意識はレム睡眠の彼方へと飛んでいった。