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「この霧は単なる自然現象ではありませんよ」
戦いの最中、いきなり美しい調べが奏でられたのを俺の耳はキャッチした。この声はニーナだなってすぐに分かった。何度も聞いた声だからな。すっかり覚えてしまったよ。まああんな麗しい声をそう簡単に忘れられるものでもないのだが。
しかしあいつはどこにいるのか。俺は首を左右させてその姿を探したが霧が濃すぎて何も見えなかった。そうしているうちにも敵の攻撃が肉体に入って痛いのだが、今はそんな事はどうでも良かった。
「くっ、どこだニーナ」
「どこにいてもいいでしょう。聞こえているならそのままで十分です」
「またそういう事を!」
相変わらず割り切った考え方に文句の一つも言いたくなったが、考えてみると実際それもそうなので目で見るのは諦めた。実際この状況じゃ見ようとしてもどうせ無駄だからな。
「それでニーナよ、この霧は一体どういうことなんだ? 単なる自然現象じゃないって」
「ええ。これはですね、初さんと一緒に呼ばれたキリアムが水の精霊を用いて作り出したんですよ」
「キリアム……、ああ、そう言えばいたな」
ずっとゴルディばっかりが喋っていたのですっかり忘れていたが、ここには今バトルになだれ込んでいる俺とゴルディ以外にもう一人いたんだった。あの器量がいささかよろしからぬ少年が確かキリアムだったが、彼について俺の知る事は何一つとしてなかった。
「それでそのキリアムは何でそんな事をしてるんだ?」
「それはもちろん、この戦いを優位に進めるためですよ。ゴルディとキリアムは貴族同士で昔からの知り合いなんです。だからこういったコンビプレーもお手の物なんです」
「それはまたやっかいな。と言うか最初からそういう前提でこれは仕組まれたって事かよ!」
「そうなりますね。加えて言うとゴルディのバーロン家はドラガニア南部を代表する大都市であるハルパーの領主の子で、キリアムのメッサー家は同じくドラガニア南部にあるザガンという、まあ衛星都市のような小さな街の領主の子ですからね。ヒエラルキーにおいてはゴルディのほうが親分でキリアムは子分という関係がずっと続いていたみたいですね」
妙に事情通なニーナの説明に俺は聞き入っていたが、そんなのんびりした態度を許さないのがゴルディの鞭さばきだ。物理的な痛みが俺をファイターに戻す。
「興味深い話だったけど今は感心してる場合じゃないな。それでどうすればいいんだ。キリアムをぶっ飛ばせばいい?」
「いえ、それは無駄です。キリアムを気絶させても彼自身が霧を晴らすよう精霊に指示を出さなければ晴れませんから」
「ううむ、そうか。じゃあニーナ、お前の技でどうにかならないか? 今日の試験の奴とかさ」
「それも無理ですね。今こっちに来てるのは霊魂だけですから。肉体がなければ物理的な干渉は出来ないんですよ」
じゃあ駄目じゃん、と俺は叫んだ。こうしている間にも鞭は容赦なく俺の肉体をえぐっている。
「冷静になるんですよ、初さん。たとえ霧で見えなくても向こうは手に持った物理的な武器で攻撃しているんです」
「お、俺はいつでも冷静だあっ!」
「物理的なものならばその手で受け止められるはず! 初さんなら出来ます!」
明らかにテンパっている俺に向かってニーナのアドバイスは具体的なものと言うより精神訓話の要素が強かったが、ただとにかく今はそうするしかないので「おう!」と頷いた。こうなったら後は集中するのみ。
「初瀬顕真、俺はやれる。初瀬顕真、俺はやれる。初瀬顕真、俺はやれる……!」
俺は心の中で同じ言葉を何度もつぶやいた。
刹那、風を切る音が響いたかと思ったが、次の瞬間には俺の肉体をえぐっていた。くっ、駄目だ、早すぎる。いや、まだだ。まだ俺の集中力が足りないからこんな事になるんだ。
そもそもこの濃霧だ。なのに未だに目で見ようという思いを捨てきれていない。これはいけない。両の目に映る風景に囚われ過ぎないように、風や空気から存在を感じるように、俺はこの星のエナジーを体に集めるニュアンスで佇んだ。
「そこだ!!」
なぜか分かった。俺は言葉よりも速く、右手を肩の高さまで上げて開いた手のひらを閉じた。そこに掴んだのは雲でも霧でもない、金属と弦の確かな冷たい質感だった。
「な、なぜ!?」
「もらったあ!!」
ラインの向こうでは明らかに動揺するゴルディの姿が、目には見えずとも確かに浮かんでいた。すかさず、俺は力強くこの鞭を引っ張った。最初は抵抗もあったがそれでも構わず引っ張ると、ついにタガが外れたかのように深く引けるようになった。
つまりゴルディはその両足の踏ん張りが効かなくなって倒れたのだ。生憎馬鹿力においては稲妻勇士といえどこの俺に敵うはずもないからな。ゴルディだって鍛えてきただろうが、まさか俺がこれほどのパワーを持っていたとは思わなかっただろう。見た目的にもね。
無論、綱引きじゃないので引っ張っただけで終わりじゃない。形勢逆転したからには間髪入れず次の攻撃に入らねばな。
「このおっ! 散々チクチクやられた分のお返しだ! これでもくらえ!」
「ああっ、うわっ、やめっ、くそう!!」
ドサリと地面に倒れる感覚がしたほうへと俺はラグビーのタックルのようなためらいのなさで飛び込んだ。腹部には確かに人間の感触があったので、それに向かって俺は拳を振り上げた。
「ええい、ここまでか! キリアム!!」
「水の精霊よ、霧を晴らせ!!」
ゴルディの叫びに呼応してキリアムが水の精霊に指示を出した。するとあっという間に俺の視界を遮っていた濃霧はまさにその名の通り霧散していった。ああ、やっと前が見えるようになった。
「あっ!?」
俺は思わず驚愕の声を上げた。そこにはハアハアと息を切らすゴルディの美しい顔が眼前3cmで飛び込んできたからだ。近いって、近すぎるって。それは吐息が首に触れるほどに迫っていた。
「くっ、君は……!」
地面から強い視線で俺を見つめるゴルディと一瞬目があった時、なぜか妙に恥ずかしくなった。多分顔も真っ赤になってしまった事だろう。靄がかかったシルエットが晴れた先には二人で一つのシルエットとなっていたのだから。
「ご、ごめん!!」
俺は慌てて飛び跳ねるようにその場から立ち上がった。続いてゴルディもゆっくりと立ち上がったが、両足をまっすぐ伸ばす体力はないようだった。これは結構ダメージ受けてるみたいだ。
ああ、それにつけても綺麗な瞳だ。ニーナもそうだけど、あんな冬空よりも澄み渡った瞳で見つめられるとまるで俺の体が空に吸い込まれるみたいな感覚になって、翼もないのに空を飛んだ感覚になって。別に空を飛んだ事なんてないのにね。ううむ、とても動揺しているな。
「ふ、ふふっ、なかなかやるものだな。確かにバビロを倒しただけはある」
「ええ、それはどうも……」
「俺はただ君の力を確かめたかったからそのようにしたまでだ。他意はない」
これは、正直後付けの言い訳にしか俺の耳には響かなかった。どう見ても闇討ちでしょ、これは。かねてからの知り合いであったバビロもコネで入学させようと思ったら俺みたいなどこの馬の骨とも知れぬ男にやられて目的を果たせなくなったからってこんな陰険なやり口を。
いや、でも冷静に考えて稲妻勇士って確か実力だけじゃなくて心も大事な要素だったはずだ。だからもしかすると、本当に彼は純粋に力を見たかっただけなのかもという思いもまた俺の脳裏に去来した。むしろそうであってほしいと願った。
「夏が終われば君は俺の仲間となるわけだ。これからは、ぐうっ!!」
そもそも息も絶え絶えという様子で喋っていたゴルディであったが、ついには口から血を吐き出すに至った。腹部を抑えている。霧の中で取っ組み合いになった時、力任せに殴った部分が多分彼のお腹あたりだったのだろう。
俺は慌てて「大丈夫ですか!?」と駆け寄ったが、それははっきりと拒絶された。
「君の付けた傷だろう!」
「えっ、うん、そうだね。ごめん」
「そんな言葉が聞きたいんじゃない! くっ、ぐぐっ! はあ、はあ。また会おう!」
かすれた声もそのままに、吐き捨てるように発された言葉と鋭い目つきに俺は気圧されて思わずとしゅんとしてしまった。ゴルディ・バーロン。なかなかに激しいプライドの持ち主であるらしい。誰の肩も借りず、一人でどこかへと戻っていった。結構ダメージ大きそうなのに。
「ゴルディ様をよくも傷めつけてくれましたね。でもあなた、強いですね。僕はキリアム・メッサー。ザガン領主リューファー・メッサーの子です。そして今日は試験に合格しましたから、僕達は稲妻勇士の仲間になりますね。これからよろしく!」
「お、おう。こちらこそよろしくね」
ここに連れて来られたもう一人の男はゴルディの姿が完全に見えなくなってから話しかけてきた。その男キリアムは、この感じだと結構良い奴なのかもしれない。
家柄は立派みたいだけどゴルディとかバビロみたいな変なプライドもないみたいだし。俺は素直な微笑みを浮かべてキリアムが差し出す手を握り返した。貴族でも、皆がこうならいいのにね。
俺とキリアムは元いた場所へと一緒に戻った。それでもう少しお話を聞いた。そこにゴルディはいなかった。稲妻勇士筆頭のヘサッキにそれを尋ねてみると「私の指示したものではないのでどこにいるかは分からない。彼は彼の信念があるからな」との事だった。案外管理雑なんだな。いや、個人主義と言うべきなのか。
そして太陽が完全に沈み大地が青から銀色に変わろうとするところで解散。今日のところはポーラティスに泊まって、翌日はここまで来るのに使った馬車を返してもらいマーブルクへと帰った。




