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カランカランと高らかに鳴り響く鐘の音が俺のまぶたの重みを払いのけた。窓を開けると爽やかな風が部屋の中をぐるりと駆け巡って、眠気に馴染んだ俺の肉体を目覚めさせる。
「んんっ! ああっ。ふふっ、もうこんな時間かあ」
俺はわけもなく笑顔になり太陽や風、小鳥たちに向かって元気よく朝の挨拶をしてみた。フェリス同盟の首都ポーラティスで迎えた朝は快適そのものだった。
宿の人が部屋に送ってくれたお粥とリンゴが朝食として支給されたが、これがなかなか美味しかった。リンゴは程よい硬さが歯に当たる度心地良いリズムを生み出して、一回噛むごとに体内へ活気がチャージされていくのが分かる。そんな事だけで今日はいけそうだって気になってくるのだから不思議なものだ。
「本試験は九時から始まりますので、それまでには所定の位置まで集合しておいてください」
顔も見えないけど、食事を運んでくれた係の人がこのように言ってくれた。この宿に泊まっているのは全員受験生なので、俺以外の皆も彼の落ち着いたトーンながらもしっかり響き渡る声に耳を澄ましている事だろう。
それで今何時なのかなと部屋に立てかけてある時計を見たところ、今が何時何分だかさっぱり分からなかった。ダイヤルに刻まれたインデックスはおそらくこっちの世界の数字なんだろうけど、そもそもこれを読めないのだからあんまり意味がない。どうしよう。
「いや、冷静になれ。落ち着けよ俺。焦る事はない。少なくともまだ九時にはなっていないはずなのだから」
ああ、ここまではいい気分で来てたのに一気に緊張の度合いが高まってしまった。心臓の鼓動は次第に大きくなってこの狭い部屋全体を振動させているみたいに思える。
「常識的に考えて時計の一番上が始まりだから、そこから今の文字が何番目かを見れば今が何時かだって分かるはずだ」
それで見たところ、今は七番目の文字辺りに短針がかかっていた。だから今は七時台のはず。ならまだ大丈夫だな。大きく深呼吸すると、少しは心も落ち着いてきた。
でも朝の時間はあっという間に過ぎていくからもたもたしてはいられない。体操服を着込み、三日月斧を握りしめる。これでもう準備は終わりなのだが、この状態でももう少し時間がありそうなので動かずにいた。じっと待つのは辛いけど、緊張感なく本番に間に合わなくなるよりましだ。
「さてと、お時間ですよってな頃合だな。行くとしようか」
短針が八つ目の数字に差し掛かった時、俺は立ち上がった。三日月斧とこの命だけが今の俺の荷物だから忘れ物などあろうはずもない。自分に与えられた力は十分なんだから後はハートを大きく持てば大丈夫だろうと、五十年代の巨人にでもなった気分で勢い良く扉を開き、大股で廊下を闊歩した。
扉を出るとすぐに運河が広がっている。入り組んだ場所になくて本当に良かった。少しでもここの角を右に曲がって、とかあったらばっちり迷子になってただろうから。俺は目の前に泊まっている渡し船に乗って指定された会場へと向かった。
「受験生の皆さんはこの船に乗ってくださいねー! 後三人来れば出ますよー!」
口ひげがダンディーな船頭のおじさんもこう言ってる事だし、同乗するのは俺と同じ目的のため各地から集った猛者ばかり、だと思う。皆俺と同じか若いくらいの少年ばかりだし、そいつら大体武器持ってるし。その中でも俺の馬鹿でかい三日月斧は注目に値する得物であったらしく、睨みつけるような視線を全身に受けての船出だった。
「何だあの馬鹿でかい武器は」
「なかなか味な得物持ってるじゃねえか」
まあ、注目を集める事自体も少し気恥ずかしさってあるのだが、それ以上にこの敵意に満ちた視線にはまいってしまう。彼らにとって俺は自分の勝利を邪魔する敵でしかなく、何するものぞという敵愾心がこの鋭さを生み出しているのだろう。
ただ今の俺がニーナやルサカ、デザイアと一緒にいないのと同様、こいつらも元々仲良くて一緒に受験する仲間とはバラバラの時間を指定されていたらしく、特に会話なんかはなかった。だから船の雰囲気はかなりどんより冷え冷えとしている。呉越同舟ってまさにこれだろうな。
船は静かに運河を滑り、壁が白く塗られている区画に到着した。ここはいわゆる文教区で、勇者学校もこの白い区画に存在しているのだ。もちろんここに満載されている受験生は全員それを知っている。だから今までとは異なる意味における緊張感が船いっぱいに広がった。いよいよ本番間近という張り詰めたオーラだ。
「はい到着しました。皆さん頑張ってくださいね」
赤いチョッキを来た船頭さんは陽気に声を掛けて俺達を降ろした。俺は「とうっ!」などと気合を入れつつ無駄にジャンプして桟橋に着地してみたが、あからさまに「何遊んでやがる」みたいな視線を背中から受けたのが分かってちょっと恥ずかしかった。
後は集団に付いて行けば正しい会場まで導いてくれるだろうという事で、さり気なく後方へとポジションを移したところ、大体五分ほどで到着した。
「ここが試験会場か……」
そこに広がっていたのは意外にも風そよぐ夏の草原であった。山も谷もなく、ただ草の生えた平原が見えないほどに続いている。片隅に白い石で出来た三階建ての建物があるくらいで、ほとんど何もない光景には本当に驚いた。
大体この王都ポーラティスは全て人の手が加えられた都市ではなかったのか。だから建物がぎっしりと敷き詰められているイメージを持っていた。しかし実際はこんな自然しかない区画も存在している。開発が追い付いていないわけではなく、意図的にこのようなスペースを創りだしたのだろうが。
一応先に言っておくが、俺達が会場を間違えたわけではない。すでにこの草原には「我こそが真の勇者となる者だ」と血気盛んな受験生が山ほどいたからだ。そして俺のよく知った声も。
「おはようございます初さん!」
「ああっ、ニーナか! 良かった会えて」
見知らぬ街にひとりぼっちがしばらく続いたからニーナの澄んだ声がいつも以上に優しく響いた。その福音が告げるにはすでにニーナやルサカ、それにデザイアも到着していて俺を待っていたらしい。うーん、いつもより早めに動いたつもりが、皆朝が早いものだな。
「それにしてもいよいよだな。昨日はいきなり隔離されてどうなるかと思ったよ」
「ふふっ、僕がいなくてもよく眠れたみたいですね」
「おう! 至って快調ってところよ! まさにあしたへアタックってな気分かな。はっはっは」
「昨日の夜、変な事とかしてませんよね?」
「な、そ、そんな事関係ないだろう! だ、大体、ねえ、昨日は一人でいたんだよ。そんなここでは口に出来ない事とか絶対やってないって……」
何だか全部見透かされているみたいで思わず赤面した。それはともかく、体調が良好なのは間違いない。これでいきなり風邪とか引いてたら本当無様だったけどね、幸いそうはならなかった。俺の肉体を司る精神のほうも案外弱くないものだなと少し見直した。
「おっ、ハッセやんけ! 久しぶりやなあ!!」
そんな時、不意に背中を強く二三度叩かれたので俺はびくってなった。しかしこの馴れ馴れしい関西弁を操る人間を、俺は知らないわけではなかった。あんまり会いたくはなかったけど。
「お、お前はマロール・ミュルクか!? なんでここに」
まさかまたこいつの顔を見る事になるとは思わなかった。草の民と呼ばれる暗殺集団の一員で風の精霊を自在に操る男マロール・ミュルクは、お得意の満面の笑みを絶やさぬままぐいぐいと俺に顔を寄せて来る。たちまち俺の視界は奴の褐色をした肌に塗りつぶされた。
「またまた今更! そんなんハッセ、君のお陰に決まっとるやろ?」
「俺の? どういう事?」
「君もとぼけるのが上手いなあ。まあ本当のところを教えたるわ。はっきり言ってね、悔しかったんや。うちは草の民でも無敵やった。最強やとうぬぼれとった。でも君に負けた事で上には上がおるんやなとはっきり理解出来たわけや。だから君には感謝しとるで」
はあ、そうですか。勝手に感謝されてもちょっと困るのだが。
「うちかてもっと鍛えなアカンって分かったからな。ちょうどええ機会やし、しばらく暗殺稼業は打ち切って修行に出ようっちゅう事になったんや。もちろん長老様にも許可は得とるで。ふうん、上手く行ったらうちらで手を組む事になるんやな」
「ああ、そうだな。そうなるといいよね」
だってこいつかなり強かったからな。出来るだけ敵に回したくないから、合法的に味方が増えるなら俺としても大歓迎だった。多少性格がうざくてもその程度はさしたる問題ではない。
「そろそろ九時になりますから、あっちに集まりましょう」
「おう、そうだな。じゃあマロールも」
「分かったで」
とりあえず俺はニーナに導かれて皆がいる辺りに合流した。何か一つ余計なものが加わったけどそれはひとまず気にしないでおこう。




