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「馬車は壊した。もう逃げられないぞ」
「金になるもんだけ置いてさっさと失せな! 無駄な抵抗しねえなら殺す気はねえ」
「それはならぬ。ワシが運ぶものを奪われるぐらいならお前たちに殺されたほうがましじゃ!」
「おうおうおう、言ってくれるじゃねえか! じゃあ望み通り、ぶっ殺してやるよ!」
駆けつけてみるとそこには三つの影が怒号をぶつけあっていた。そのうち二つは頭から耳が生えていたので、人が熊に襲われているのかと最初は思った。
でもよく見ると熊の皮を服として使っているだけだった。熊の皮は腹部が真一文字に切り裂かれており、頭部はフードのように使われているからいわば熊柄のパーカーといった雰囲気だ。
前脚は腕に通し、後脚は後ろから回して股間あたりで結ばれ、見えてはいけない部分をギリギリで隠している。でもちょっとジャンプしたり、足を大きく開くとポロリしそうで相当危なっかしいファッションだ。
そして臭い。とびきり臭い。獣の臭いがぷんぷんして気分が悪くなるくらいだ。何かをなすりつけられたような肌は泥のようにくすんだ色で、多分これが臭いの元でもあるんだろう。
「あの臭い方は何者だ?」
「あれはこの森一帯を根城にしている山賊ですね」
「ふうん、やっぱ山賊か。まあ山賊か悪いマタギかってところだしなあ。そりゃあそうなるよなあ」
ボサボサの長髪にヒゲを生やした大きい方がボスか。服の間から大きく露出した腹部はパンパンに膨らんでいる。小さい方はそいつの息子か何かだろうか。まだ声変わりもしていないのにぶっきらぼうな口調はすっかり山賊のそれだ。
そしてその二人に迫られているおっさんもヒゲ男だが、白髪交じりの頭髪は全体的に短く刈り込まれており茶色の服装も地味だが清潔感がある。勇者たる俺はどちらに手を貸すべきか、まあ言うまでもないだろう。俺はさっと割り込んで、出来るだけ大声で叫んだ。
「はいはい双方そこまで! 一応お互いの話をざっと聞いてはみたけど明らかにお前らが悪い」
「んんっ!? なんだぁてめえはいきなり現れやがって!!」
無駄に馴れ馴れしく登場したのはいいけど山賊のボスから思いっきり睨まれたので心臓がすくみあがった。でも大丈夫だ。俺は勇者のはずだから、いざバトルとなってもきっと勝てるはずだし。平静を装って俺は言葉を連ねた。
「いや、そりゃあね、山賊さんもそれがお仕事だから強奪とかもまあ別に絶対にやめろとかそういうわけじゃないんですけどね、まあ今回は大目に見てあげましょうって感じで……」
「てめえ何が言いてえんだよ! ぶっ殺すぞ!」
「ああ、ですから、だからですねえ……」
心を伝えるとは難しいものだ。俺の言い方が悪いのもそれはあるだろうけど、どうもこの山賊さんには全然伝わってないみたいだ。面倒くさいし、とりあえず戦う事にした。山賊の大きい方に向かっておもむろに近づくと、その膨らんだ腹部をちょっと力入れて押した。
「こういう事ですよ」
「なっ、うおおおお!?」
次の瞬間、ドーンといい音がしたかと思うと山賊の大きい方は道を外れて大木の幹に叩きつけられていた。10mぐらいは飛んだかな。軽く押しただけでもこれか。想像以上の威力だったが表情においては可能な限り平静を装った。でも知らない人がこんなのを見て平気でいられるはずもなかった。
「う、うわああああ化け物だああああ!!」
小さい方は両手を上げて一目散に逃げ去ろうとしたので「ちょっと待てよ」と言ったところ、素直に止まってくれた。大変よろしい。やっぱり人間、素直が一番だ。
「ご、ごめんなさい! 何でもしますから命だけは助けてくださいお願いします!」
涙もよだれも何もかも垂れ流しで怯えきってる小さい方に向かって「そんなに恐れないで」とは言ったものの、そんな言葉だけで恐怖心が失せるはずもなくずっとブルブル震えていた。さすがにかわいそうになったので、俺は可能な限り優しい口調を作ってみた。
「別に君を殺して食おうってわけじゃないんだから、恐れなくてもいいじゃないか。俺は化け物じゃなくて単なる人間、君達と同じ人種なんだから。それでまず聞くけど君の名前は?」
「は、はい! 俺はルサカって言います。父ちゃんと一緒に山賊やってます」
「ふうん、じゃああの大きい方はやっぱり君のお父さんなんだ。ああ、そうだ。ところで襲われた方ですけど、大丈夫ですか?」
「う、うむ……」
とは言うものの身なりが綺麗な方のおっさんも俺の力が飛び抜けすぎているので警戒しているようだった。無理もない事ではあるが。
「お若いの、そなたが何者は知らんが感謝するぞ。これでワシも多少は遅れるものの無事到着出来そうじゃからの」
「それは何よりです。ああ、そういえばあなたの名前を聞いていませんでしたね。俺は初瀬顕真って言います」
「ハッセ・アキマサ? 不思議な名前じゃな。聞いたことのない響きじゃ。ワシの名前はアーベン。ジャニョで甲冑師をやっておる」
ここでいつの間にか俺の後ろにいた天使が「ジャニョと言えばスバラルト山脈の中腹にある村ですね。確かあそこは良質の鉱石が採取出来るので鎧を作る職人が多く住んでいると聞いた事があります」などと説明口調で話に加わってきた。
天使の話を受けて俺はさも最初からジャニョという村を知っているという前提であるかのように「では、ジャニョからどこへ向かおうとしていたのですか?」と問いかけた。
「知れた事。この道の先にある街と言えばマーブルクの他になかろうよ。ワシはマーブルクの領主様に新しい鎧を作るために呼ばれたのじゃ。ワシがここに持っているのは鎧を作るための道具だけじゃ。じゃが、それはワシの命よりも重いものなのじゃ」
「ご、ごめんなさい! 本当にそんな事知らなかったんです!」
単なるおっさんと思いきや実は領主とか偉い人とつながりがあったと知ったルサカは頭を地面に擦り付けて謝っていた。気の毒な光景だ。いや、悪いのは山賊行為の方なんだがあそこまで弱った姿を見せられるとさすがに心が痛む。
「結果的には無事だったしワシはお前を咎めるつもりはない。ただ、親父さんのほうは捕縛させてもらうぞ」
「そ、そんな……」
「馬車も壊れた。それを見た領主様は何事かと思い、軍を動員しての犯人探しが始まるじゃろう。結局遅かれ早かれじゃ。下手に逃げると憎しみも重なるが今ならまだ軽い罪で済もう」
これはアーベンの言うことが多分正しいだろう。それはルサカも頭では理解していたようで、でも心情的には複雑なところもありそうだった。
「とりあえずこっちは一件落着としてですね、これからどうするんですか? まだ森の中ですし馬車もありませんし」
「歩くしかなかろうよ」
「ですよね」
物理的に他の結論はありえないわけで、俺としても微笑みを浮かべながら受け入れる以外になかった。今までも結構歩いてきたのに、また歩く事になるのか。まあ電車や自動車があるわけないし仕方ないね。
気絶しているルサカの父は馬の背中に乗せて、マーブルクへの道程を走破する事になった。
「それで天使よ、この森を抜けて街までどれくらいかかるんだ?」
「大体二時間ぐらいですね」
「うへえ」
聞くんじゃなかったと多少後悔したがもはや後の祭り。だが幸い時計はない。とにかく延々、歩くという作業を繰り返していけば二時間ぐらいあっという間に過ぎていくものだから、今は歩く機械になりきろうと覚悟を決めた。
道中、ルサカは無言のままずっと俯いていた。俺にとっては汚い山賊でもこいつにとってはかけがえのない父親で、その父親が今檻の中への道を一直線に進んでいる。でも自分には何も出来ない。オレンジの瞳から時々涙がこぼれていた。
男の涙なんて誰にも見せたくないだろうに。気の毒なので見張りを仰せつかってるにも関わらずそっと視線を外した。それでも逃げようとは思わないようだ。まあこいつの父は未だに気絶しているし、一人逃げたところでどうにもならないと悔しさを噛み締めているところなんだろうな。いささか同情してしまう。
「初さん、そろそろいいところに入りますよ」
「いいところ? あっ、これは……!」
黙々と歩いていたらいきなり天使に声を掛けられたので少し先を見てみると、石畳で舗装された道が広がっていた。明確な人の気配だ。
もう少しで人外魔境から人間の世界へ戻れる。そう考えただけで俺の勇気は百倍に膨れ上がった。コツンコツンという硬質な足音が一歩響くだけで心も跳ねる。俺は無意識のうちに好きな歌を口ずさんでいた。
「(道中で俺は気休めのために元の世界でかつて流行したという歌を口ずさんでいたが著作権があるので歌詞は自主規制)」
そこからさらに歩くと鬱蒼とした森は失せて見通しのいい草原が広がる丘に出くわした。その丘から景色を見たところ、オレンジ色の屋根がずらりと広がっていた。街だ! 人が住んでいる街が見えてきた!
「アーベンさん、ここがマーブルクですか?」
「まさかマーブルクがこんな小さいわけがなかろう。ここは町外れの小さな村じゃ。しかし今日はここで泊まるしかあるまい。日も暮れてきたし、馬車も調達せんとな」
まあそう都合良くはいかないよなあとは思いつつ、小さな村であれ人里に突入出来ただけで嬉しかった。化け物だけが友達なんて生き方は勘弁だからね。
「この宿の主人かの? ワシらはこういう者じゃが」
ロビーでアーベンさんは手のひらをぱっと広げたかと思うと主人は目を丸くして「ええどうぞお泊まり下さい!」と慌てたように部屋に催促した。とりあえず泊まっていいようだ。
案内された部屋は結構広くてベッドもふかふか。間違いなくいい部屋だ。アーベンさんのコネクションの立派さに助けられっぱなしだな。
「ではワシはこれから夕食と馬車の調達に向かう。ハッセよ、お主は二人をよく見張っておくのじゃぞ」
「はい、分かりました。じゃあいってらっしゃい」
こういった後で「いってらっしゃいって丁寧口調としてセーフなんだろうか」と思ったが他にどう言えばいいのかってなるとまったく不明だし、多分このままでいいんだろう。
一日で色々あったが、ようやく落ち着けた。一応見張りという任務も与えられたが気絶したままの大きい方と何も喋る気が起きないであろう小さい方を見張るのは簡単だった。