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稲妻勇士  作者: 沼田政信
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 小川に到着した俺は手に付着した血を洗い流すと、すぐにその手のひらを使って水を掬い上げ、喉にかっこんだ。冷たさが五臓六腑にしみわたる。肉体の安寧を得た時、心もまた余裕を持ち始めた。


「ふう、まずは現状を正しく把握せねば」


 ここで初めて俺は自分の持ち物を確認した。


 まず学校指定のカバンがある。中には教科書やノートが入っている。それと筆箱も。前の世界で死んだ時の持ち物だな。しかし今となっては必要性の薄いものばかりだ。


 特に社会の教科書とかこっちの世界じゃ無用の長物としか言い様がないぞ。今更鎌倉時代の文化を覚えたところで何になろうか。国語や英語も同じだ。暇つぶしには使えるだろうが。


 それとジャージバッグも持っている。中には体操服とジャージが一着づつ入っている。今はブレザーを着ているのだが、ここはジメジメしてて嫌な汗がにじみ出るのでいっそ普段みたいにジャージに着替えたほうがいいかもと考えたが着替えてる最中に襲われて死んだら馬鹿なのでもうしばらくは我慢しよう。


「それにしても、こんなものばっかりがあってもなあ。せめてスマホとかあればなあ」

「スマホって、こっちの世界でどうやって電波受信するんです? コンセントもありませんよ?」


 天使のくせに無茶苦茶俗な事を言うんだな。でも内容は至極もっともで反論しようがない。


 仮に持ってきてたとしてもどうせインターネットに繋がってないんじゃ問題にぶち当たった時に調べる事もままならないし、この世に一台しかないんじゃ通話も出来ないし、あったところで電池が切れるのを待つだけだったからなくても良かった。


「いや、でもそこをどうにかするのが天使の仕事じゃないのか?」

「それは範囲外ですよ、さすがに。初さんのキャリアはどこです? ドコモ?」

「いや、ソフトバンク」

「じゃあ孫さんに言ってください。異世界まで電波届くようにしてくださいって。ほら、Twitter使えばダイレクトにメッセージを伝えられますよ?」

「うーん、やめとく。聞いてくれたとしても工事とか大変そうだし。そもそもスマホ持ってきてないんだから仮定の話ばっかりするのも虚しいだけだ」


 という訳でメカ頼りは諦めた。そう言えば学校に携帯電話を持ってきてはいけないって先生が言うので素直に家に置いて学校へ行くのが俺の流儀なのだが、そういう杓子定規な奴は学年でも少数派だったな。


 杓子定規と言えば下着の色とか指定してくる昭和の残りカスみたいな謎校則。これもまあ体育のある日ぐらいしか守らないのだが今日はちょうど体育があるからな。まあ仕方ないってものよ。どうでもいいけど。


「でも水の音っていいもんだな。ここが魔窟だって事さえ忘れさせてくれる安らぎがある」

「そうですね」


 そして安心していると急にお腹が空いてきた。幸いジャージバッグの中にお弁当はあるので、今日はこれを食べた。冷めたソーセージ、柔らかすぎるご飯、ふやけたアスパラガス。いつもとそう変わらない、何でもないはずの中身だ。


「いただきます」


 両手を合わせてから食べる慣習ももう十年続けているので無意識のうちに動いてしまう。半分ほど食べ終えたところで急に喉が閉まるような感覚がしたかと思うと頬を濡れた感覚がゆっくりと伝った。


「もうこれを作ってくれたお母さんには会えないんだなあ……」


 こんな事、言葉にするんじゃなかった。しかしもう遅い。後悔先に立たずとはまさにこれだ。言わずとも分かっていたはずの真実が急に現実味を帯びて俺に襲いかかってきた。


 目頭が急速に熱くなってくる。男だから、勇者だからとどうにか堪えようと努力してはみたものの無駄だった。俺は声を上げて涙が溢れるままに任せた。泣きながら食べる昼ごはんなんておいしくも何ともないけど、もうどうにもならない。


 もうどうにもならないと言えば失神パフォーマンスで有名なオックスのラストシングルだが、よくもまあこんなタイトルを付けたものだと感心してしまう。


 他にはリンドバーグのラストシングル「it's too late」も酷い。痛々しいシチュエーションの歌詞に地味な曲、そしてこの絶望的なタイトル。確かに最後の方は売上ボロボロでインディーズまで落ちたから「遅すぎた」ってのは実感なんだろうけど、そこはもっと嘘でもいいから綺麗な別れを演出されても良かったのでは……。まあ結局復活したんだけどね。


 それはともかく、破裂した水道管のように涙が次から次へと噴き出して止まらない。涙はこぼれるものじゃないんだと初めて知ったようだった。弦をこするような嗚咽を漏らしながら、俺は米粒一つ残さず食べ尽くした。「ごちそうさまでした」と言った後もまだしばらく涙は止まる気配を見せなかった。


「……もう戻れないんだな。でもこれ以上は泣いても……。行かねば」


 どうにかこのように考えられるようになるにはどれほどの時間を要しただろう。時間を計ろうにも時計はなく、太陽を見ようにも木々と霧に囲まれて薄暗くもやもやした光しか差しては来なかった。


「気が済みましたか?」


 天使は微笑んで俺に声を掛けた。俺が涙を流している間、余計な事をせずただそこにいてくれたんだなと思うとちょっとだけ情けなくもあり、でもそれ以上にありがたいと思った。


「うん。全部が全部ってわけじゃないけど、いつまでもここにいる訳にはいかないから」

「そこまで気付かれたなら十分です。さあ、行きましょう」

「そうだね。でもどこへ?」

「街です。僕についてきてください」

「分かった。ああ、カバンは俺が持つよ。元々俺の荷物だから」

「了解です」


 天使は暗い森の中もまるで自分の庭であるかのようにずいずいと進んでいった。俺はカバンを持たない左手で天使の手首を強く握っていた。暗闇の中、一人でいない事が幸せだと強く実感しながら俺は天使の導くままに進んでいった。


 しかししばらく歩いているとようやく精神的にも余裕が出てきたので、ちょっと気がついたことを声に出してみた。


「そう言えばさ、お前この世界じゃ飛べないのか?」

「残念ですが。あれは天界専用の能力で、実体を伴う人間体となると能力もそれなりに制限されてしまうのです。その代わり、ほらっ」


 そう言うと天使は5mほどジャンプしたかと思うとその最高到達点で静止した。あれっ、やっぱり飛べてるんじゃあ……?


「違いますよ。下も見てください」


 天使がそういうので目線を下げてみると、天使の肉体が倒れていた。どうしたのかと駆け寄り、体を揺すってみたもののぴくりとも動かない。まるで死体だ。


「いわゆる幽体離脱に近い状態ですよ。他の人には僕が急に倒れたようにしか見えないけど初さんにだけは、今だと空に浮かんでいる僕の魂が見えるんです」

「は、はあ、そうなんだな」

「戻ろうと思えばいつでも戻れます。こんな風にね」


 そう言うと天使の魂は地面へ降りて行き、倒れていた肉体と一体化した。まもなくその肉体には暖かさが戻り、そして目は開き自分の力ですっくと立ち上がった。


「この機能は結構便利なんですよ。初さんもうまく活用してくださいね」

「お、おう、考えておくよ」


 我ながら適当で雑な返事だったと思う。今はどう使うべきかとかさっぱり思い浮かばないが、先方がああ言ってるのだから無視するわけにもいかないし。正直混乱しているが、とにかく今は森を脱出するのが先決だ。


 元に戻った天使の案内でまたしばらく歩いていると、ようやく道が見えてきた。道とは言っても木を切って開いただけで舗装も何もされていないが、明らかに人の手が加えられていると分かるだけでも心強かった。


「良かった。ようやく人間の痕跡が見つかったよ。一生魔窟で過ごすんじゃないかって不安だったけど、そうはならなさそうだね」

「そうですね。あっ、静かに! なにか聴こえてきません?」


 そうは言っても特に聞こえてこなかったので地面に耳を当ててみたところ確かに遠くから何かの、でこぼこ道を無理やり車輪で押し通ってるようなガラガラという音が響いていた。そしてそれは次第に近づいてくる。


 しかしそれは安泰を告げる雰囲気ではなかった。いきなりドーンという爆発音が鳴り響いて、馬の嘶きのような叫び声とともにガラガラと何かが崩れるような音も耳に届いたからだ。


「これは何の音だ? 戦いでもあるのか?」

「戦いというより、馬車が山賊か何かに襲われているのでしょう」

「へえ、そりゃあ一大事だ。勇者ならば行くしかあるまいよ!!」


 俺は居ても立ってもいられないとばかりに音の方向へ走っていった。

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