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「草の民マロール・ミュルク。あなたこそどうしてここに?」
俺の記憶の欠落を埋めるように説明口調で語りかけたのはもちろんニーナだ。ああ、確かにそんな名前だったな。草の民ってのも、確かこっちの忍者みたいなものだったっけとか、色々記憶が蘇ってきた。
あれから色々あったからな。本気で死にそうなほど酷い目にもあったし、最近はコードネームを覚えるのに脳の容量を使ったから反応鈍くなってたけど、決して忘れ去ったわけではないのだ。
「ああ、それな。あんまり大きな声じゃ言えへんのやけど、まあ皆さんと同じや。もちろん我先にと争う気はあらへんで」
「じゃあ、今は敵じゃないって認識でいいのか?」
「当然や。敵の敵は味方やで」
てらいのないマロールの物言いに俺はどっと肩の荷が下りた。とにかくこれ以上敵が増えるのが一番面倒だから、そうじゃないんならもう何だって構わないという、ただそれだけだった。
「いや、まずいまずい! 見張りに声聞かれてるかも」
「それは大丈夫や。見張りの皆さんはおねんねしてもらってはるから」
「おねんね?」
「せや。うちがやったんやで、凄いやろ? 褒めて褒めて」
無論、文字通りの意味で眠っているのではない事ぐらいは俺でも分かる。問題はその内実で、殺したのか気絶で済ませたかは、まあ聞かぬが花だろう。しかしこの無邪気さよ。でも人間、本質的に困った顔や怒った顔よりも笑った顔を見たいものだから、マロールの笑顔は俺の心を素直にさせた。
「それじゃあもう余計な事を考える必要ないわけだな。良かった。ところでマロールはフィールがどこにいるかとか知ってるの?」
「その前に褒めてや」
そういえばこいつはちょっと面倒臭い性格だったのも思い出した。まあ口で言うだけならただなので俺は思いっきりおべんちゃらをぶちまけた。
「凄いよマロール、君は天才だ!」
「よう分かっとるやん。ああ、質問はな、当然知っとるで。昨日までは別の所やったんやけど今は移ってんねん。こっちや」
マロールに右手を引かれて廊下を逆に進もうとしたところ別の手に左手を引き止められた。
「待て道化師。この男の言葉を信じられるのか?」
このイレギュラーな状況においても冷静だったのはデザイアだった。顔の仮面は真っ黒でちびりそうだったが、その分言葉の真実味が重倍増しになっていた。
「相手は草の民じゃぞ。素直に真実だけ話すとは到底思えなくての」
「へえ、言ってくれるやんあんちゃん。名前何ってえの?」
マロールは機嫌を損ねたようで舌打ちしつつ威嚇するような口調でこう聞いたがさすがにデザイア年の功、恫喝にも慌てず「故あって名前は言えぬ。あえて呼びたいなら悪魔と呼べば良い」などと本来の設定を忘れない演技を見せてくれた。危なかった。後一歩で「何言ってるのデザイアさん」と本名を言ってしまうところだった。
「ふうん、まあ疑われるのもしゃーないか。ただうちが嘘つく意味なんてあらへんで? 罠ならそんなまどろっこしい事せんで、とっくに後ろから切り裂いてるから」
マロールは自信満々だ。その言葉の真偽はともかく、ああも確信を持って語られると「じゃあ本当なのかな?」と思ってしまうのは人間の心理として自然だと思う。
「どうする? 先方はああ言ってることだし」
「しかしあやつは元々我々の暗殺に赴いた者。単純に信じられまいよ」
「俺もそう思う。あいつは何を考えているのか見えない。罠だったらどうするんだ?」
デザイアとルサカはこの申し出を心から信じようとはしていなかった。俺より人生経験豊富なこの二人が言うとまた説得力あって「やっぱ罠なのかな」という気持ちがむくむくと首をもたげてくる。ああ、どうすればいいんだ。
「じゃあ、こうすればいいでしょう。分割」
「へえ、ニ、じゃなくて天使よ、それはどういう事だい?」
「はっきり言ってあのマロールの言うことは真偽どちらとも判断つきませんからね、現状は。しかし幸い僕達は四人います。それを二手に分けて一方は当初の目的地へ向かい、もう一方はマロールについていく」
「なるほど、確かに現時点ではそれが一番合理的かの」
「それでどう分ける?」
ニーナの提案にデザイアとルサカも乗ってきた。後は振り分けだが、マロールを疑っていたデザイアとルサカの二人は元のルートを探って、俺とニーナがマロールについていくって事で決着した。シンプルかつ的確な分割と言えるだろう。
「マロールはかなりの手練ですからね。罠だとすればそれを打ち破るには相当の実力が必要となるはずですから。頑張りましょうね道化師」
「ううん、責任重大だなあ。ちょっと怖くなってくる」
「今更怖気づいても仕方なかろう道化師よ。無論、わしらの行く道にもどのような罠が待ち受けているとも知れぬ。お互い万全の注意を払わねばの」
「そうだね。事が済めば宮殿の外で落ち合おう」
「了解!」
こうして俺達の意思は決定したその旨をマロールに伝えたところ「それでもええで」との事だったので俺とニーナはマロールの導きによって足跡を反転させた。心細くはあるが、とにかく今は信じる他にない。それにニーナもいるし、きっと大丈夫だよね。
光なき道を俺達三人は進んだ。デザイアがいないからそうなるのも仕方ないのだが、見えないものを見ようとしてやっぱり見えないって本当に嫌なものだ。心臓の鼓動が鼓膜に響きすぎる。ああ、肌も震えてしまう。決して寒気を感じるわけでもないのに。
無意識のうち、俺はニーナの手を強く握っていた。ニーナは何も言わずにただ握り返してくれた。この暖かさに俺は恐怖心に抗う元気を少しだけ取り戻した。
「そう言えばあれはもう一昨日やったかな。ハッセ、路地裏を泣きながら走っとったなあ。あれは何だったん?」
「なっ、何の事かなあ? 俺にはさっぱり。大体ハッセなる人物が誰なのかもさっぱり……」
「いや、確かにあれはハッセやったで。『もう嫌!』とか言いながら暴走しとったやろ?」
「余計な詮索はいらんでしょ」
「ふっ、せやな」
ああ、ばれてる。あの暗黒体験が。顔がほてるのを感じる。恥ずかしくて泣いてしまいそうだけど、ここで泣いても仕方ないので忘れる事にだけ注力した。そのうちマロールが立ち止まり、「ここや」と石の階段を指差した。
「フィールは地下の部屋におんねん。事実上の幽閉なんやけどな」
「ふむ。では僕から行きましょう。次にマロール、最後に道化師の順で頼みます」
「天使が最初でいいの?」
「大丈夫ですよ。真打ちは最後に登場するものですから」
この順番はマロールが変な動きをしても上下の二人で押さえつけられるようにというニーナの深謀遠慮だった。それにニーナの場合は罠とかにやられても復活出来るからな。これは人外の特権と言える。
階段はそこそこ長かったが、ここでは変な動きなどはなかった。そして到着した地下は、ひんやりとした湿気が嫌な匂いを醸し出していた。コツンコツンと響く石と靴の合わさる音も冷えている。石の壁が延々と続く中、何やら声が聞こえてきた。
「ああ、もう駄目だ絶望だ! こんなはずじゃなかったのに……」
神経質な金切り声が不気味に響く。「フィールの声です」とニーナがそっと囁いた。神経をやられているかのようなヒステリックさが痛々しい事この上なかった。
「じきにあいつらが来る。その時俺は殺される。ああ、どうしてこんな事に。私はただパカバーナの言葉に従っただけなのに」
かすかに差し込む灯火の光がちらりと顔を写したが、無造作に伸びた白髪を振り回して発狂したかのように閉じ込められた室内をうろうろしている。俺が見た時はむしろ過剰なくらい黒々としていたはずだが、恐怖のあまり色が抜けてしまったのだろうか。
それと政治家特有の油でオールバックっぽく固めてないから、落ち武者みたいなざんばら髪になっていて、それが一層みすぼらしさを強調している。
時々周囲をきょろきょろと見回して、何かを極度に恐れているみたいだ。マーブルクで優秀な大臣だったはずなのに、その面影はもはやない。
「ほな、うちの仕事始めるで。君らはそこで見といてな」
マロールが元気いっぱいに右腕を回転させながらこのように言った。前髪を右に払うと、「風の精霊、頼むで」と囁いた。すると強い風が吹き荒れて壁をギシギシと揺らした。
「う、うわあ何だ!」
俺達も限界ギリギリだったが一番驚倒していたのがフィールで、とんでもない慌てふためきっぷりだった。そしてその風に煽られた灯火が消えて視界がゼロになった。
「ぎゃああああああああああああ!!!!」
次の瞬間、絶叫が響いた。何が起こったのだ。しばらくすると足元に水が流れる感触がした。しばらくすると灯火は再点灯した。その水の色は赤かった。
「逆賊フィール征伐。任務完了や」
早い。あまりにも鮮やかだ。両手にナイフ、と言うよりむしろアイスピックみたいに細長い針のようなブレードを逆手に持ったマロールがたたずんでいる。奴がいつの間に独房へ侵入したのかさえまるで分からなかった。暗転から絶叫までほとんど間がなかったのだから、まさに神業的スピード。
かくしてフィールは倒れた。でもめでたしめでたしで締めるには引っかかりしか残っていなかった。




