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「とりあえずもう帰ろうぜ! こんな人混みは久々だから疲れた」
因果関係はともかく、こんな人混みの中に入り込むのが久々なのも疲れたのも本当の事だったが、それよりも何よりも一刻も早く帰りたい、この場から立ち去りたいという思いだけが俺を突き動かしていた。幸いデザイアも「そうじゃの」と同意してくれたし、ニーナやルサカはもとより拒否するような男ではない。
「もうアレスは王宮に行ってるんだっけ?」
「ええ、そのはずです」
「あの王様相手にどこまでやれるやらってところだが、俺達に出来る事と言えば待つ事だけだからな。とにかく無事を祈ろう」
こうして俺達は宿舎に戻ろうとしたが、間もなくその足を止める出来事が起こった。
「金属の擦れる音だ」
最初にそれを感知したのは野性的感覚に長けたルサカだった。俺には何も感じられなかったので何だと問いかけてみたところ「馬と鎧の音がする。それと足音も。馬は三頭いるな」と、そこまで感じている様子だった。何も見えないのによく分かるものだ。
「近づいてくる」
「何? あっ!」
ここに至って蹄の音が北の方角から聞こえてくるのが俺にもはっきりと分かった。ちょうど曲がり角の向こう側だ。行商人が道を歩かせているゆったりとした蹄の音とは全然違う。なるほど確かにこれは何事かと思うわ。
で、実際確認するために俺は角の方まで走った。すると目の前に突然黒いベールが現れた。うわあっ、回避出来んって! 近すぎる!
「ああっ!!」
「ぎゃあっ!!」
黒いベールと俺はどっちも石の路に尻餅をついた。角を曲がる祭はしっかり確認しましょうという典型的な衝突だった。
「ご、ごめんなさい!」
「ああ、いえ、俺もうっかりしてましたから。急ぎの用事なのですか?」
ぶつかった際にずれたベールの向こうから少しだけ顔が見えた。まだほんの子供のようで、その髪の色は鮮やかに咲いたシャクヤクを思わせるピンク色だった。
「ほ、本当にごめんなさい! では」
「ふふっ、どこへ行こうというのですかな?」
「ああっ!?」
気付いたら白い馬にまたがった銀色の鎧を纏った兵士が三人、俺とベールの少女を取り囲んでいた。あっ、これ俺がぶつかったせいでこの子は逃げそびれたパターンか。事情は分からないけど申し訳ない事をしたものだ。
「まったく手を焼かせてくれる。さっさと来るんだ」
「あの、すみませんがあなた方は何者なんですか? この子も嫌がってるみたいですし」
「無礼者!!」
ええっ、何で!? 兵士は俺に向かって怒鳴り散らしてきたけど何か悪い事言ったのか? 俺は事情が分からないから説明してもらおうと思っただけなのに。
「いえ、ですからあなた方は……」
「これを見て分からぬか?」
そう言うと兵士は胸を突き出してきた。そこには藤の花のレリーフが描かれていた。見事な技術だ。
「ええ、とても綺麗な紋章だと思います」
「ふざけるなよ貴様!!」
「落ち着け。では改めて聞くが貴様本当にこれが何を意味するのか知らないんだな?」
兵士の中でも一番位が高そうな、きっちりと整えられた口ひげを生やした男がいきり立つ兵士の一人を抑えて俺に聞いてきたが知らないものは知らない。だからそのように答えた。
「ふん、部外者か。ならば口出ししないでいただこうか」
口ひげの男はあからさまな侮蔑の色を込めまくった視線を俺に投げかけつつ、こう吐き捨てた。まあ確かに部外者ですけどね。ただベールの少女は俺の背中にしがみついて離れようとしなかった。その手は小刻みに震え、振動と恐怖心は俺の体にも、そして心にも確かに伝わってきた。
「じゃあこの子が何をしたって言うんです!」
「貴様如きが知る必要もなかろう。我々は国王直属の親衛隊である。ゆえに我々に楯突く者は国王に楯突くも同義。そのような無礼者を殺すのは国家として当然の責務である」
「ええっ、そんな! それはさすがに無理筋じゃないですか? いきなり殺すとかどうとか」
「部外者は口出しするなと言っただろう!!」
第一印象で「こいつら偉そうだな」と思っていたが想像以上に偉そうな受け答えだった。この高圧的なおっさんどもと震える少女、どちらに手を貸すべきか。それはもはや言うまでもないだろう。
「どうしたんです初さん。あれ、その修道女は?」
騒ぎを聞きつけてデザイアとニーナ、ルサカがこっちに来た。というかこの子修道女だったのか。確かにお固い服装で神様に祈りを捧げるにはふさわしい姿だとは思ってたけど。
「貴様らには関係のない話だ。さあ、さっさとそのお方を我々に引き渡せ。さもなくば血を見る事になるぞ!」
親衛隊は俺の仲間たちに対しても俺と同じ態度で恫喝してきたので、特にデザイアは露骨に目つきを歪めて、眉間にしわを寄せていた。
「まあこういう状態でね。どうも向こうはこっちの話を聞いてくれそうもないみたいなんだ。俺としても出来る事ならあんまり事を荒らげたくないんだけどねえ、ああいう態度されるとさすがにねえ」
「ふふっ、ハッセもわしと同じ気持ちのようじゃの。ルサカはどうじゃ?」
「俺も、そうだな。女に義理はないが偉そうにしてる奴は嫌いだ」
残ったニーナが反対するはずがない。ひょいと体を俺の後ろに踊らせて「じゃあ僕はこのお方の護衛に回ります。皆さん、頑張ってくださいね」と微笑んだ。これはもうやるしかあるまいよ。
向こうの親衛隊は三人。こっちで戦うのは俺とルサカとデザイアで三人。人数としてはぴったりだ。
「じゃあ俺は真ん中のヒゲとやる。デザイアさんは左、ルサカは右の奴とやる感じでいい?」
「うむ、それでよかろう」
「分かった」
ずっとちまちました罠に悩まされてきた旅路。そこでじわじわと溜まってきたストレスという名のマグマがここで大噴火した形だ。俺達の反抗的な態度に気付いた親衛隊は腰にぶら下げていたサーベルを抜いた。
「馬鹿め。素直にその娘を引き渡せば命だけは助けてやろうと思っていたものを」
「ほざくなよ。ダルビッシュ! ダルビッシュ来い!!」
怒りで充血した目をぎらつかせながら俺は叫んだ。次の瞬間、俺の三日月斧が目の前に現れた。この魔術に親衛隊は目を丸くしていたが「た、単なるハッタリだ! かかれ!」と平静を装ってから襲いかかってきた。
「相手は人間だし殺しはしないさ。でも!」
俺は少しずつ近づいてくる馬と親衛隊をつなぐ鐙と手綱を三日月斧の刃で切断した。本当は猛スピードで突っ込んできているのだろうが集中力が高まっていたので馬の突進さえも俺にとってはスローモーションにしか見えなかった。
「まずは人馬一体を解かせてもらう!」
続けて刃の部分を俺の体のほうに向けた。これは刃でうっかり切り裂いてしまわないようにという、言わば峰打ちのイメージだ。そして棒となった三日月斧で馬の上にいる親衛隊だけを強かに打ちのめした。
「ぐあああああ!!」
馬の上から転がり落ちた親衛隊の頬を俺は軽くひっぱたいた。それでも通常の人間にとっては絶望的なダメージとなる。吹っ飛んで壁に打ち付けられた親衛隊はもはや戦意を完全に喪失していた。とりあえず俺はノルマ達成だ。
視線を左にずらすと、デザイアは指から細いビームみたいなものを発射して攻撃していた。ああ、俺と戦った時はもっと極太のビームだったのに今はこの直径一ミリぐらいのビームがせいぜいなのかと愕然とした。
しかし両手の指十本から放射されるビームはとても美しい。その威力もなかなかのもので親衛隊のサーベルを跡形もなく蒸発させていた。
「光の精霊よ、奴の目に留まれ!」
右の手のひらを大きく開いたかと思うと、その手のひらの中央からやや太いビームが発射されて親衛隊の目を捕らえた。
「うああああああ! 見えない! 何も見えないぃぃぃ!!」
親衛隊は何やら苦しそうな表情で手を振り回したり当たり構わず振り向いて、千鳥足のまま全然見当違いの方向へと歩いて行った。すると俺が壊した塀のブロックだった破片に足を取られて転んだ。
「デザイアさん、あれは?」
「奴の目を使えなくしただけの事よ。二三日は真っ白にしか見えまい」
「ああ、何なんだ! 何なんだよおぉぉ……」
恐ろしい魔法だ。あの裏返った情けない声を上げて地を這いつくばりじたばたしている親衛隊の目には白色しか見えていないのだから。
「さすがに魔法使いって違うな。ところでルサカは?」
「ああ、あれも問題なかろう。そろそろ終わりそうじゃ」
ルサカは武力でぶちのめすしかなかった俺なんかよりかなりスマートな戦いを見せていた。何かルサカは馬のいななきみたいな叫びを発したかと思うと、馬がいきなり暴れだしたのだ。
「うわっ!! こらっ、言う事を聞くんだ! うわあああっ!!」
間もなく親衛隊は馬から振り落とされた。これもルサカが馬の言葉を喋ったからに違いなかった。
「こ、こいつら強すぎる! 逃げろぉっ!!」
親衛隊たちは恐れをなして逃亡。俺も偉そうな奴をぶっ倒して少しはスッキリしたし、これにて一件落着。めでたしめでたし、じゃないわ。あの黒いベールの女だ。親衛隊と言えば王様直属の兵隊なわけで、そんな奴らに追われるって事はただの女ではないのは明らか。
「片付きましたよお嬢さん」
「ありがとうございます。本当にありがとうございます」
「あんな奴らに追われている人を助けるのは当然の事です。でもお嬢さん、あなたはなぜ追われていたのですか?」
「それは……」
黒いベールの少女は首を左右に振って辺りを見回すような仕草をしていた。周囲には俺達の大立ち回りを嗅ぎつけた野次馬たちによって肉の壁が構築されていたので、確かに余計な事は言えない状況だ。
「ふむ、ここでは話せぬ事情があるのじゃろう」
「……」
デザイアの推測に少女は沈黙を貫いたが全体的な雰囲気は概ねその通りであるようだ。
「それなら、私達の泊まっている宿舎で話しましょうか。あそこなら聞き耳を立てる人もいないでしょうから」
「はい、お願いします」
俺の提案に少女は頷いた。そこには一片のやましさもなく、ただ俺の心には潔癖な正義感しかなかった。しかしそれがまさかあのような大それた事態を招くとは思いもよらぬ事であった。




