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本当に大変だったけどそれも一日眠ったから過去の話となった。今日、ようやくパレストリーナ王国の偉い人と謁見出来る。
とは言っても実際に会うのはアレサンドロやその側近の偉い人であって、俺やニーナ、ルサカにデザイアは基本暇だ。ただアレサンドロ周辺の緊張感が凄かったのでのんべんだらりと過ごす、とは行きそうになかった。
何と言っても朝食を食べ終えると「これから正装に着替える」と言ってなかなか部屋から出てこないのだから。大体三十分はかかっただろうか。
「や、やあハッセ。似合うかな、これ?」
ゆっくりとした足取りで現れたアレサンドロだが、いつもの伸びやかさを欠いたどこか弱々しい声からは明らかな緊張が見て取れた。だが縁に純白の差し色がなされているコバルトブルーのローブは発色も綺麗でさすが正装という格調の高さだった。だから俺も感じたことを素直に言葉にするだけで良かった。
「えっと、うん、とても、とても似合ってると思うよ」
「そうかい? ふふ、そうかな? ははっ。あまり着る機会がないものだから、どうにも慣れずに困るのだが」
「こういうローブは千年以上も昔からの伝統的な衣装で、今となっては普段着として使うものではありまでんがこういった重要な儀式や会談の時にはあえて着込む事もあるんです」
ニーナの説明を聞く限り日本における紋付きの羽織袴みたいなものかなと推察した。日本の礼服とは言うものの着た記憶がない。可能性があるとしたら七五三の時だが、どうだったか。アルバムとか定期的に見返さないとすぐに忘れてしまうものだ。
小学、確か三年生の時だったと思うけど、誰かの結婚式に出席したが、あれは子供用のスーツみたいなやつだった。短パンで、蝶ネクタイを結ばれて、料理が結構美味しかった記憶はある。でもあれは誰の結婚式だったんだろう。
まあこの程度は普段から無意識なので普通に生きてても忘れていただろうからまだいい。しかしそのうち前の世界の常識も全部忘れてしまうのだろうかと思うと少し怖くなる。
「それにしてもアレス、君が着る衣装で似合わないものなんてあろうはずがないのに何で急に問いかけてきたんだい?」
「それは、ね。他でもない君の言葉を聞きたかったからさ」
「そうか。でも君なら似合わない服なんてないんじゃないかな? それに君がその言葉を望むなら俺は何度だって言ってあげてもいいんだよ」
「いや、一度だけでいいんだ。大事な言葉だから、それだけで僕の心は十分に満たされたから」
よく分からないけどとりあえず似合ってるのは確かだしどうでもいいか。
「そう言えばアレスは会見に行くとして俺達はどうするんだ。 付き添い? 待機?」
「あっ、そうだ。今から国王一家が朝の挨拶をするそうです。初さんはどうします? 見に行きます?」
アレサンドロの緊張を見るに今は一人にさせておいたほうが良さそうだとニーナは察したのだろう、いきなりこんな提案をしてきたので俺は首を縦に振った。
「じゃあ、俺はそういう事だから。まあ緊張するなってのは無理なのは当然だけど、何と言えばいいのかな。頑張れ? うーん、無責任だけど、とにかくうまくいくことを祈ってるよ」
「ああ、僕も最善を尽くすさ。それじゃ、いってらっしゃい」
「うん、行ってきます」
俺と天使と野生児と魔王の暇組はこうして宿舎を出てあの藤の花を模した彫刻が美しい王宮まで歩いた。そこにはすでに黒山の人だかりが出来ていた。信心深きパレストリーナ国民がざっと見たところ数千人かあるいはそれ以上も集まっている。
しかし彼らの行動だけで言うとそれほど熱狂的ではなかった。くだらない揉め事を起こさないようにあくまで粛々と、国王が姿を見せるのを真面目に待っているようだった。しばらくするとトランペットの勇壮なファンファーレが鳴り響いた。
「我らが偉大なる王、王の中の王、トワナ統一にふさわしき血脈と能力を開祖ユルゲルト王より引き継ぐメルクリシス王のおなりである! 者共、頭を下げよ!」
門の近くにいた衛兵と思しき鎧に身を固めたいかにも屈強そうな筋肉の塊がこう叫んだ。国民は「国王万歳!」と口々に叫び、両手を上げていた。きょろきょろとそれを確認した俺達も流れに身を任せるように万歳した。
「さあ王様が現れますよ。あの門の上のバルコニーです」
ニーナがそう言うので俺は目線を高くした。窓にうっすらとしたシルエットが浮かんだかと思うとしだいに大きく、はっきりとしてきた。そして二人の男女が姿を見せた。一番右の人物は身長が高く、左はまだ子供のようだった。
「メルクリシス国王万歳!」
「パカバーナ国母万歳!」
人々が口々にこれらの名前を叫んだので両者がどのような地位にいるか分かった。と言うか王様はまだ子供なのか。ただどうもこっちの世界において少年王とか、年若い存在が権力を握るのは珍しい事態ではなさそうだからな。
結局先代の王が早くに亡くなったら子供が王様にならざるを得ないものだし、領主代理を立派に務めていたアレサンドロも同じようなものと言えば同じようなものだから、特にこっちの世界においてはそんなもんなんだろうと納得する範囲の出来事なんだろう。
それにしても右側ことパカバーナ国母と呼ばれた女は相当趣味が悪そうだ。顔面をハンマーで思いっきり叩いても表面がひび割れるだけで素肌には一切傷がつかなさそうな厚塗りのグロテスクな化粧からしていきなり浮世離れした恐怖の対象にしか見えない。
ファッションはテンの毛皮か何かだろうか、少し黄色がかった白色のファーを首元に巻きつけているのがまず目に飛び込んでくる。とても暑そうだ。多分無理してそう。その周辺には赤や青、緑色の大小様々な宝石がぎっちりと散りばめられている。本人の体型と合わせて、ボディプレスされたらとても痛そうだ。
本当に、こう、あんまり率直に言うと単なる悪口になるから言いたくはないんだけど、まあ控え目に言うとでっぷりした壺みたいな体つきに毛皮がもさもさな服で、しかも顔はお面みたいなものだからね。とんでもない組み合わせで悪い夢に出てきそうだ。
そして肝心の国王は、ピンク色の豊かな頭髪がふわっとS字状にカーブしており、柔らかそうだったが左の頬が奇妙に膨れ上がっていた。まるで昨日あたり誰かに頬を殴られた後のような……。
「ま、まさか、ねえ。いや、そんな……」
「どうしたんだハッセ」
「いや、何でもないんだよルサカ。ほら、そろそろ王様が挨拶するからそっちに集中!」
「お、おう」
いや、そんなはずはない。確かに年齢は同じくらいだったような気もするが、髪の毛の色も違うし、きっと他人の空似だ。そうに決まっている。大体王様ともあろうものがあんなところにいるわけがない。気分はもはや暴れん坊将軍の悪役だった。しかし現実は重く厳しいものだった。それは王様が口を開いた瞬間判明した。
「民衆よ、よくぞ集まってくれた。統一パレストリーナ王国四代目国王であり開祖ユルゲルト王の血も最も濃く受け継ぐメルクリシス・ソラン・オメガトロスは諸君らの繁栄を常に願い続けるぞ」
挨拶の言葉だが、この声は明らかに聞いたことがある。あの時と比べるとまだ声を張り上げてはいるがどこかねっとりとした、寝ぼけたような力が入りきらない声質。そう言えば昨日のあいつはメルと名乗っていたがこの国王はメルクリシスでそれを略したとすれば……!
頭おかしいんじゃねえの、あいつ。何で王様のくせに怪しげな下町に出没して春を鬻ぐような振る舞いをしてしまうのか。と言うか教育はどうなってるんだ厚塗りババア。しかしだらだら続く挨拶の内容はと言うと、王様じゃなくて母であるパカバーナを妙に持ち上げてる内容なのが気になった。
いや、冷静に考えて王様はまだ子供だし実際に母親が摂政として実際に政務を執行していると想像するのは容易。でもそれなら王様を立たせるぐらいの思いやりは必要なのではとも思ったが、多分単純に自己顕示欲が凄いってパターンなんだろう。
お話の節々に「パレストリーナ王国は私が育てた」と言わんばかりの枕詞をつけているわけだし。まああの見た目だからね。そのまんまと言えばそのまんまか。
例えば先日どこやらで水害が発生した、みたいな事を言った際に「国母パカバーナの提案で余が巫女たちと祈祷したらすぐに雨が止んだ」みたいな事を言ってた。これなんかも別に自発的に祈祷したでいいものをいちいちこう言ってる、あるいは言わせてるわけだから。
そういうのが長々と続いているが大抵は国母様凄い! みたいな内容で早くも眠たくなってきた。メルクリシス国王もまたこれをまったく無感情で読み上げているだけという操り人形丸出しな態度だし。
それでも王の言葉に民衆は熱狂している。ううん、あれで案外カリスマ性とかあるんだろうか。それかサクラ動員して拍手とか歓声のタイミングを仕切ってるとか。
などと思っているとメルクリシス王が俺の方を見つめてきた。偶然なのか? いや、違う。間違いなく数千の中から俺だけを見つめている。声も当初の張りがなくなって甘くとろけるような声になっているし。
勘弁してくれよ。もう二度と出会う事がないと思っていた男と何でこんな短期的なタイミングで再会しなきゃならないんだ。頼むから変なこと言わないでくれ王様。俺はただそう願いながら時が過ぎるのを待った。幸い、親も民もいる中なので俺に向けるのは視線だけのまま挨拶は終わった。
「ふう、やっと終わったか」
額を拭った右の手のひらは汗でびしょ濡れになっていた。あんな心臓がすくみ上がる事はそうない。蛇に睨まれた蛙の気分を散々味わった。
そうなると不安なのは今日の交渉だ。アレサンドロは大丈夫だろうか。あんなのとちゃんとした話し合い出来るんだろうか。今後の道程は天気と裏腹に見通しが悪そうだった。




