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稲妻勇士  作者: 沼田政信
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 スッキリとした目覚めには似つかわしくない曇天が東方の西端を覆っていた。麦のおかゆが朝食だったが、それを食べた後はやる事がなかったのでひたすら時が経つのを待つのみだ。そうなると分かっていたからおかゆもおいしく感じられなかった。


「ねえちょっと、ものは提案なんだけど、いい?」

「うん、何だハッセ? とりあえずどうぞ」

「ありがとうアレス。まず、今日は何もやる事ないよね」

「ああ、会見は明日だからな」

「そこでだけどね、素振りぐらいはしたいからちょっと外に出てもいい?」


 俺の提案にアレサンドロはううむと考え込んでしまった。無理もない。この街にどのような罠が仕掛けられているのかも分からない状態で迂闊に隙を見せては付け込まれる可能性は大。


 しかしこう提案したのが他でもない俺であり、その目的もそこそこ理にかなっている上に油断とは無縁の言葉に思えるので「本来なら駄目と言いたいが今回に限っては例外もありでは」と悩んでいるのだ。


「うん、まあ危険だって事は俺でも理解してるつもりだから。駄目なら駄目でもいいよ」

「ふうむ、そうだな。一人では危険だが、誰かが付いているのなら」

「それならわしが」


 アレサンドロの案が出てから一秒もしないタイミングで元気よく手を上げたのはデザイアだった。重々しい口調とは裏腹のキンキンした声に、アレサンドロは晴れやかな微笑みを見せた。


「ではデザイアさんお願いします。これに限らず、基本的には単独行動は控えるように」

「了解した」

「頑張ってくださいね」

「うん」


 でも本当のところ、三日月斧の素振りなんて口実に過ぎなくて、とにかくこの街をちょっとうろついてみたいななんて思ってみただけなのだ。本当ならニーナと一緒ならどうにでもなっただろうが、なぜかデザイアと行動する事になってしまった。これは俺としても正直意外だった。


「それでハッセよ、いつ頃行くつもりじゃ?」

「ううん、それはですね。とりあえずお腹がこなれたらにします。その時が来たら知らせるので」

「うむ、承知した。どれほどの鍛錬を課しておるのか楽しみじゃの」

「は、はい……」


 足取り軽く食堂から自分の部屋へと戻っていったデザイアには悪いが、素振りなんてものは俺が何も習熟していないからするものであって、これを見たところで俺の力の源が判明するはずがない。むしろ「なんでこんなのに負けたのか」という思いを深めるばかりだろう。


 ああ、仮初めの実力者とてこの世界には勇者として生まれた俺だ。出来ることならば誰も失望させたくはなかった。でももうこうなった以上今更拒否も出来ないし、とにかく覚悟を決めるしかない。


 それにしても単なる素振りに一体何でこんな精神をすり減らす必要があるのか。もっとうまく生きられたらこうはならなかったろうに。勇者ならば颯爽と生きてみたいものだったが、所詮は平凡な中学生上がり。生まれ変わったところで性根は何も変わっていないのだからこれも当然の結果か。俺は自分の性根を思い深くため息を付いた。


 そして午前十時、ようやく外出した。空は分厚い雲の合間を縫ってところどころ細い光が漏れていた。まずは適当な場所を探すという名目で街中を散策した。


「ふふ、かねてからお主とは一度じっくり話をしたいと思っておった」

「そうですか」

「このわしを負かした男じゃ。一体どのようにしてそれほどの力を得たのか」

「別に、それは、まあ何と申しましょうか……」

「隠す事もなかろう。それほどの力量は一朝一夕で手に入れられるものでもない。それは誇るべき結果じゃろう」

「まあ、一般論で言うとそうなんですけどね」


 ここで本当の事を言うのも何だし、かと言って「鍛えたから」などと口からでまかせをほざくのも無理だし。適当に濁そうにも結構グイグイと追求してくるから苦しい旅路となった。


「まあ、ちょっと変な言い方になるかも知れませんけど、これは言わば天命、とでも言いますかね」

「天命?」

「はい。この世界に生を受けて、その手に握られていたのは勇者になるという宿命のようなもので、今の俺はそれに従って生きているようなものなんです」

「ふうむ」

「また妙なこと言いますけど、勇者になりたいと思ってなったと言うより勇者になるしかなかったんですよ。ううん、これで言いたいことが伝わったとは思いませんが、まあそういう事なんです」


 嘘は言ってない、つもりだがかなりふわふわとした言辞を弄すのみであって、言ってる俺もよく分かってないのだから当然デザイアにも伝わってはいないのだろう。


 でも結局のところ何で自分がこうなったかなんてのは、それこそ宿命とか運命とか、そういうやたらとスケールだけは馬鹿でかいけどそれそのものに触れることさえままならない何かに操られた結果だとしか言い様がないってのは紛れもない実感だから、真実に誠意を持って接するとこうならざるを得ないのだ。


 デザイアは強くありたいと願い続けて頑張って強くなった。それを倒した俺は強くなりたいとそんなに思わず、ただ力をぽんと与えられたからそれを行使しただけだった。何の正当性もない実力だけに、努力の末に力を身に付けたデザイアとお話していると何とも申し訳なくなる。


「まあそんな事はいいとして、とりあえず今度はあっちのほうへ行ってみましょうか」

「そうじゃの」


 とりあえず南の方へと歩いて行った。王宮からは離れた川沿いで、何となくジメジメした雰囲気が下町っぽいというか、治安悪そうな区画だった。


「ウィー、だから俺は言ってやったのさ」

「ヒック、くかかかかザマアねえや! 大体よお、俺様相手にあの程度のなあ」


 朝っぱらだというのに酒浸りのいけない大人たちが大声で武勇伝を張り上げている。世にも恐ろしい光景だ。そっと目をそらして別の方へ行きましょうと言いかけた時、左袖を引かれる感触がしたので振り向いたらそこにはこの光景に似つかわしくない存在が佇んでいた。


「あのっ! そこのあんたさあ!」


 何か物欲しげな、とろんとした高音が俺の耳に響く。黒いベールとマントで全身を覆い隠されて魔術師みたいな姿だが身長は俺より明らかに低くてニーナと同じくらいだろうか。香水なのか、ツンとした匂いが鼻に突き刺さってくる。


「君は誰? どうしてこんなところに?」

「あたいメル。あんたにあたいを買ってほしいのさ! ねえ、いいでしょう?」


 そう言い終えるとベールとマントをカビの生えた地面に放り投げた。メルと名乗ったその少女はきつくパーマのかかった黒髪を左側だけ伸ばしており、体をゆるく包んだだけの赤い布は少し風が吹いただけでもはらはらとほぐれてしまいそうだった。


 胸部のつっかかりにも乏しいし。それに丈も短くて少し動けば見えてはいけない部分が見えてきそうでとても危なっかしい。それと危なっかしいと言えば目だ。透き通った銀色の瞳は寒気を感じるほどに何も映っておらず、この荒んだ場にはどこか似つかわしくなかった。


 京劇の女性みたいに分厚く塗りたくられた化粧によって素顔が覆い隠されているのが残念である反面、少し不気味とも言えるミステリアスさが泥のような情欲を煽ってくるようだった。


「いや、いやいや、いやいやいや! ちょっと待ってねちょっと待って! 冷静になろう冷静に。まず君ねえ、そもそもいくつだい? そんなちっちゃな子がそんな事しちゃいけないよ」

「ええーっ、そんなのどうでもいいじゃない。あたいの体はもう使えるんだから別にいくつだって」

「いや、だからそうじゃなくって! デ、デザイアさんは!?」


 振り向いてみたらデザイアは年の功で危険を察知していたからだろう、いつの間にかこの場から姿を消していた。さすがだな。いや、感心してる場合じゃない。かなりのピンチだぞこれは。


 色々なものが膨らんで俺の頭はパンクしそうだが、その中からわずかに残された冷静さを必死に取り出して俺はとりあえずこの場を脱出する事だけ考えた。


「いや、やっぱり駄目だよ駄目! それに俺は今金を持ってないし!」

「お金なんてどうでもいいの。あたい、今はあんたとやりたいって、それだけの気分だから」


 ゆらゆらとした口調に反して素早い動きでメルの右手が俺の股間を強襲する。


「ほうら、こんなに熱くなってる」


 確かにその通りの状況なわけで、何か泣きたい気分だ。ああ、メルの肉体から漂ってくるきつすぎる香水の匂いが俺の理性を一秒ごとに奪っていくようだ。


「ビクビク震えてて可愛いじゃない。あんたの硬くなってるやつもさ」

「本当にもう、やめて……」

「んふっ、素敵な反応。ゾクゾクするわあ。ああ、あたいも熱くなってきたみたい……」


 溶けるようなメルの声に思わず俺の視線が短すぎるスカートと素肌の境目へと向けられた。もういっそここでなくすべきものをなくしてもいいとさえ思った。しかしその瞬間、俺は見つかってはいけないもの、スカートの中央付近にあってはならない突起物を発見してしまったのだ。


「えっ、あれっ、それって……」

「ううん、なぁにぃ?」

「き、君は、君はもしかして男の子なのかい?」

「何を今更? これをぶら下げた女がいると思って? でもいいじゃない。女なんて挿れることしか出来ないけどあたいは挿れるのも挿れられるのもいけるんだから」


 このふざけきったメルの言葉は俺の何かを決定的に誘発した。顔が真っ赤になってとてつもない恥ずかしさが荒波となって心全体を洗い流した後、どうしようもない破壊衝動に襲われた。


「なめんじゃねえぞこの糞ホモ野郎!!」

「ああんっ!!」


 その瞬間、もはや俺は人間ではなく野獣と化していた。心に救う衝動の赴くまま、俺はメルの顔面を思いっきり叩きつけた。轟音とともに壁の煉瓦が叩き割れて粉塵が舞う。


「しまったやりすぎた!」


 荒々しい呼吸の中、ようやく理性が戻った俺はようやく後悔という心を思い出した。さすがに力を入れすぎた。もしかして死んでしまったんじゃないかと思うと心が締め付けられ、頭に上り切っていた血が一斉に引いていくのが分かった。


「んふふ、痛いじゃない」


 良かった、生きてた。メルの左頬は不自然にふくれており、それでも表情は殴られる前とまったく変わっていなかったのがとても不気味だった。


「あたいの大事が顔がもうめちゃめちゃね。でもいいの。あたい悪い子だからおしおきされて当然だもの。でもまだまだ足りないわね。ああ、お願い! もっとぶって! あたいの顔が二度と戻らなくなるまで叩きつけて! そして体全身に愛の証を刻みつけて最後はあたいを殺してほしいの! そうしたらね、あたいは愛に囲まれて死ねるって事でしょう。だから殺して! 出来る限り痛くて苦しくてむごたらしい姿を晒すようにじっくりといたぶって!!」


 ごめんなさい本当にごめんなさい、無理です。この変態を殴り続ければ、まあ殺すことは可能だと思うけど「もうこんな理解が追いつかない変態と関わるのは金輪際御免こうむる」という感情だけが今の俺のすべてとなっていた。


「……もう嫌!! 目の前から消えてくれよ!!」

「ああっ! そうよ! もっと強く!!」


 足にまといつくメルをどうにか蹴散らすと、再び立ち上がってくる前に走って走って、どうにか遁走に成功した。


 走って走って、ひたすら走って、心臓が痛くなるまで走った。気付いたらどこなのかも分からない区画に迷いこんでいた。顔がベタベタした感覚がしたので拭うと涙と鼻水でぐしょぐしょになっていた。


 その後、どこに逃げていたのか分からないデザイアとどうにか合流出来たが、俺のただならぬ様子を察していただいたか、何があったかは聞いてこなかった。三日月斧の訓練以上にハードな社会勉強だった。

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