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命を落としても天界に拾われ、一躍異世界へと雄飛した俺。天界からしばらく落下していると地面が見えてきたので俺はくるりと身を翻した。ばっちりと着地してみせると、そこは薄暗い森の中だった。
常に霧が立ち込めており太陽の光も当たらずジメジメした臭いが全体から漂っており、気分のいい場所ではない。
「ああーっ、大当たりですよ初さん! いきなりモンスターの巣に降り立ちました!」
「えっ、何それは!?」
それはどういう事だと辺りを見回すと、確かに見たこともないような異形の生物が目をぎらつかせ、牙を剥いている。縄張りにずけずけと入り込んで荒らした俺という存在を排除せんと既に臨戦態勢を整えているようだ。
やらなければやられる。平和な日本で暮らしてきた俺でもそれぐらいは理解出来るほど奴らは殺気立っていた。
「と言うか君さあ、何でまだここにいるんだ?」
「そんなの当たり前でしょう。僕はこの世界における初さんのナビゲーターなんですから。道に迷ったり、色々大変なこととかもあるでしょうからその時は僕に任せてくれればいいんです。それよりモンスターが襲ってきますよ? 早く戦わないと!」
「戦うってさ、武器も何もないのにどうやって戦うんだよ!?」
そりゃあ勇者だから戦う必要があるのは当たり前だ。しかしこっちの世界に降り立って即バトルはさすがに想定してなかったぞ。そんな俺の焦りを知ってか知らずかナビゲーターはあくまでも冷静だった。
「肉体強化されてるって言ったでしょう。今は武器もありませんがこのレベルのモンスターなら徒手空拳で問題ありませんよ。ほらほら来た来た! 荷物は僕が持ちますから」
そう言うと天使は俺の両腕を塞いでいたカバンとジャージバッグを奪った。こういう死ぬ時持ってた荷物もちゃんとこっちまで持っていけてるんだな。でも着ている服も持っていけてる以上カバンも当然、とか考えてる間に敵がこっちを睨みつけてきた。
一瞬太った人間かと思ったが、よく見ると顔が豚にしか見えない。しかも肌の色はやけに毒々しいピンク色。ああ、もしかするとこれが噂に名高いオークって奴なのか?
俺は正直少し感激していた。生で見るのは初めてだったから。女騎士なら襲われるだろうけど俺は男だし多分大丈夫だろう、とか思っていたら普通に攻撃を仕掛けてきた。しかも意外と足が速い。
「ブモオオオオオオオオオオ!!!!」
「うわあっ!? ちょっと待てって!!」
当然相手は待ってくれるはずもなく、仕掛けてきた体当たりは俺の胴体に直撃した。しかしちょっと踏ん張っただけで意外とあっさり受け止められた。
「ブオッ!?」
オークは目を剥き驚いたような表情を浮かべているが、それで全力としたら拍子抜けもいいところだ。トラックどころか、小学生の頃滑り台でタイヤを転がして遊んでたのが間違って俺に直撃した時のほうがよっぽど痛かったぜ。
「は、ははっ、何だいそれは? とんだ見掛け倒しじゃないか! よーし、じゃあ今度はこっちから行くぞ。それっ!」
俺は落ちていた小石を拾うとサイドスローの要領でスナップを効かせて投げつけた。すると灰色だった石がにわかに七色の燐光を放ったかと思うと、猛烈な勢いでオークの顔面を突き抜けた。
「ブモオオオオオオオオン!!」
地鳴りのような最期の咆哮とともにその巨躯は崩れ落ち、二度と動けなくなった。あれ、思ったよりあっけなく終わったぞ。それともこのオークさんはそんなに弱かったのか?
「油断しないで! また来ますよ!」
「むうっ!」
続いて鋭いくちばしを持った、カラスが大きくなったようなモンスターが突進してきた。しかしオークの時とは違って奇襲じゃないので敵の攻撃を最初から見ることができた。そしてその時俺は、我ながら驚愕すべき光景に出会った。
敵の動きがあまりにも遅く見えるのだ。まるでスローモーションのようにのろのろ動く突進を回避するのはまったく難しい事ではなかった。
「とろいぜこいつ!」
くるりと方向転換して、再び突進するモンスターだが、相変わらずのろのろした動きだったので俺は両手の拳を合わせて叩き落とした。骨の砕ける嫌な音がしたかと思うと、指が返り血で染まっていた。
「いやあお見事! 素晴らしい戦いでしたよ」
「お、おうっ。そうか」
他のモンスターはいつの間にか姿を消していた。実力の違いを野性の本能で察知したのだろう。まあ何にせよありがたい話だ。モンスター相手と言ってもあんまり殺しまくるのは気分のいいもんじゃないし。
「それにしても、今の敵は弱いから助かったな。あんなスローな動きじゃなけりゃどうなってたか」
「ふふっ、そうじゃないんですよ、初さん。あなたが容易く突進を回避したあのカラスのようなモンスター、その飛行速度は音より速いんですよ!」
「まさかご冗談を! あんなとろとろとした動きだったのに?」
肩をすくめて苦笑する俺とは対照的に、天使はその短い両腕をバタバタを動かしながら必死に訴えかけてきた。
「それが強化なんです! パワーやスピードだけじゃなくて、例えば動体視力や反応速度、耳の良さとかそういう部分も今までとは全然違ってきてるんですよ。凄いでしょう? これが神様の力なんです!」
「ふうん、そりゃあ凄い。いやあ、本当にチートだなあ」
なぜか異様に熱のこもった天使の説明に俺は気圧されつつもぼんやりと納得した。言われてみると確かにそうなのかも。だとしたら俺は相当強いって事になるし、そうなれば確かにもてそうだ。うん、頑張ろう俺。
でもちょっと変なことに気付いた。動体視力が良くなったのはいい。でも普段の生活もあんなスローモーションで見えるのか? それだとちょっと嫌な感じだな。
「大丈夫です。今回みたいに戦う時にしかスローには見えません」
「ああ、そう。なら良かった」
「つまり集中力なんですよ。のんべんだらりと暮らしていればそうはなりません。命を賭けた場面において心からそれを見つめようと思えば見えるようになります」
「集中力か。俺に一番欠けていたものだな。ははっ、でもまあ良かったよ。とりあえず窮地は脱したって事だろ?」
「そうなりますね。当分は襲ってくるモンスターもないでしょう」
死んでからこの世界に降り立っていきなりモンスターに襲われてそれと戦って、ここで俺は初めて安心という感情を取り戻した。全身の力が抜けていくのが分かる。大きなため息をついて、俺の背中は太い木の幹にもたれかかった。
「とりあえず手を洗いたいな。返り血でベトベトだ」
「そうですね。もう少し南下すると小川が流れていますから、そこに行きましょうか」
「そうだな。じゃあ、案内してくれるかな?」
「もちろん!」
荷物は天使に持たせたまま、俺は小川に向かって歩み始めた。道中は概ね平和だったが、命知らずにも挑んできたモンスターも何匹かいたので、それは蹴散らした。目の前に蚊が飛んでいたのでぱちんと手を叩いて潰す感覚でオークみたいなデカブツを追い払えるのだから我ながら恐ろしい話だ。
でもそれで心が晴れるはずもない。例えばこいつらが人里を荒らすようなモンスターなら勇者として勇敢に戦って何も恥じる事はなかっただろう。でも今回は逆で、俺がこいつらの棲み家を荒らしまわってるだけだからな。むしろ罪悪感さえ感じてしまう。
だからさっさと脱出して人間のいる場所までたどり着きたい。そうすれば多少は落ち着いて物事を考えられるだろうから。力があってもそれは人間界の中で使わねば意味はないし。
畜生道に堕ちるために俺はこの世界に来たわけじゃない。だから俺は人間であるために手を洗おうと思うのだ。
今回からの話は全十話の予定で、今回はその一話目ということで1/10というタイトルがついています。明日更新する話は2/10となりますが途中で話数が増減する可能性もあります。