おまけ 帰還
「それにしても、皆無事に生きてて良かったですね!」
「ああ、そうだな」
粗い舗装の石畳に削られて車輪が軋んでいる。壁の向こうから響くニーナのわざとらしいハイテンションが一層白々しく思えるのは何も空がどんよりと薄暗い雲に覆われているからだけではあるまい。
ビーム直撃で命を落としたという事になっていたニーナだが、実は生きていた。いや、これほど予定調和な奇跡もそうないだろう。それはともかく、奇跡的に生存していたという事になっているニーナが魔王の塔に駆け込んできたのは戦いが終わった直後、沈黙が場を支配していた中だった。
アレサンドロは「生きていたのか! 良かった。本当に良かった……」と涙を流して天使の小さな四肢を包み込むように抱きしめていたが、こうなる事をとっくに知っていた俺としてはどう反応するのが正解なのか本当に悩んだ。笑っても嘘だし泣いても嘘だから。
「あの攻撃は何とか回避したんです。ただちょっとした魔法を使いましてね、すぐには出られなかったんですよ」
よくもまあこんな大嘘をペラペラと吹けるものだと感心してしまう。天使の心臓には間違いなく毛がもっさりと生えている事だろう。
今はまた御者として鞭を叩いているが、この小生意気な天使に操られているのは馬だけじゃないみたいだ。俺もまた御されているうちの一人、あるいは一匹ってところなんだろうな。
それでもニーナは大事なパートナーだ。かく言う俺もこの世界じゃとんだ大嘘つきだし、何だかんだで一番頼れるのはこいつにならざるを得ないから。
「それにしてもいい山だったな。また行きたい」
まるで甘美な思い出であるかのように目を細めてうっとりと、ルサカはあの戦いを振り返っている。このルサカも城に駆けつけてきたタイミングはニーナと一緒だった。道の途中で落ち合ったものと思われる。
「ああ、ルサカもやっぱり無事だったんだな」
「当たり前だ。危害を加えるような奴なんてあそこにはいなかったからな」
「どういうことだ? 明らかに敵に囲まれてただろうに」
俺の疑問にもルサカは平然として「あいつらは敵じゃない。友達になった」と答えた。つまりあのわけわからんモンスターどもを手懐けたらしいのだ。
どうもこの野生児には猛獣使いの才能があるようだ。本人は猛獣と人間の間をさまよっているが、かえってそっちのほうが猛獣の気持ちが分かるって事なのか。
「色々あったけどとにかく、この水を手に入れられたからいいんだ。後は早くマーブルクに戻らないとな」
「そうだな。お父さんも今戦っているんだから、一刻も早く救わないとね」
アレサンドロが膝の上で抱きしめている革袋の中には魔王の塔のもう少し先にあったジェスターの泉から汲んだ水がたっぷりと入っている。これを飲めばアレサンドロのお父さんにかけられた呪いも解けるはずだ。
それにしてもジェスターの泉は凄かった。玉虫色に輝く岩の窪みにたまっている水の色は純白で、一体何がどういう作用でこのような色合いになっているのか俺には見当がつかなかった。理科の成績があんまり良くなかった俺には理解出来ない領域だ。多分科学というより魔法の領域なんだろうけど、そっちもそっちでむしろまったく分からないけど。
とにかくアレサンドロは強かった。俺にとってはいつでも明るく、そして力強いリーダーだった。あれで十歳なんてありえない事だ。十三歳の俺よりよっぽど大人だし、皆を引っ張っていく役割にふさわしい男の中の男だ。
それでいて革袋を抱きしめる姿はたおやかで、どれだけ勇ましい心を持っているとしても彼はあくまでも少年なんだとそよ風が肌に触れるようにそっと、しかし確かにささやいているようだった。
末っ子だった俺も兄になったかのような慈しみを持って、その朗らかさを守りたいとどうにかここまで戦ってきた。そして今、アレサンドロがそっと浮かべる満ち足りた微笑みこそ俺が本当に待ち望んでいた光景だった。
この世界に勇者として送り込まれた俺だ。誰に頼まれなくても勇者をやってみせるつもりだったが、でもやっぱり誰かに信頼されるのはいいことだから。アレサンドロがいる。それだけで俺は強くなれたと思う。
とまあ、ここまではいい。ニーナ、ルサカ、そしてアレサンドロ。最初からこの旅路をともに歩んできた仲間たちだ。
しかしだ、これは一体どうしてこんな事になってしまったのか。
「ふぉほほ、そろそろアイシスかの? この辺りまで来るのも久方ぶりじゃな」
ピアニーは、もういない。その代わりになぜかこの馬車に乗り込んでいるのは肩までかかる銀の髪をなびかせ、いつもにっこり笑っているような釣り目をさらに細めながら窓の外の景色を楽しんでいる男だった。身長はルサカと同じかちょっと低いぐらいで、見た目だけで言うと概ね八歳前後ってところだろうか。
「前に訪れたのはいつ頃だったのでしょうか?」
「あの頃はまだアイシスではなくララビリアと呼ばれておったのお。確かもうニ千七百年ほど前じゃったか」
「ララビリア。確か大昔はそう言われてたんだったな」
「古代帝国時代の名称ですね! 先住民族を平定したガルファンドル・ララビル将軍を讃えてララビリアと呼ばれていたという」
「アレサンドロ、じゃったかの。お主はよく物を知っておるのう。しかしこの辺りもよくぞ栄えたものよ。ワシが知っておった頃は芦が生い茂り鳥や獣の中で人間がひっそりと暮らしておったものじゃったが、今ではそれが一面の石畳じゃからのう」
こいつの話にアレサンドロもルサカも興味津々だ。俺にとってはまったく意味不明な歴史の講義に目を輝かせている。そしてニーナまでもが馬に鞭を入れながらその輪に加わってきた。
「時が流れれば世界も変わるものですよね、デザイアさん」
かつて魔王と呼ばれた男の成れの果てがここにいる。
「そうじゃのう。ワシもあの頃の野心がこの年にして再び燃え上がってくるようじゃ。失った力はもはや戻らぬ。じゃが、この世界ならワシもまた楽しめそうじゃ」
俺が三日月斧で切り裂いたお陰で魔王を魔王たらしめていた禍々しいオーラはほとんど消え去った。肉体を肥大化させていたオーラが抜けた後に残されたのはこのような子供そのもののような姿であったのだ。
それにしてもマントだけになったかと思ったらいきなり声が聞こえた時は本当にびっくりしたな。ちょうどシチュエーションとしてはピアニーが反目の理由を叫んだ直後だった。
「もはや恨みはない。そしてワシは敗れた。この若者の手によって。強い仲間を見つけたものじゃの、ピアニー」
「お父様!」
単なる布にしか見えなかったマントがいきなり自立したので俺はびっくりした。しかも聞こえてくる声も変だった。あの重々しいしわがれ声はどこへやら、やけに元気よくてざらついた昭和っぽい少年声がマントの中から聞こえてきたのだから。
最初はマントそのものが喋っているのかと思った。それこそ魔法で命を吹き込まれたマントとかあってもおかしくなさそうだし。しかし声の主は紛れもなくマントに包まれていた、小型化した魔王デザイアその人であった。
「ワシの負けじゃ。それにしても知らぬうちにワシを凌ぐ強者がこの世界に現れていたとは愉快な事よ。ところで名前を聞いておらんかったの」
「え、ええ。初瀬顕真って言います」
「ふうむ、ハッセとやら。お主がいかにしてその力を得たのかは知らぬが、このワシが歩んだ三千年を見事に否定しおったの」
「ええっ! いえ、そんな、俺はそんなつもりでは……」
こんな言い方をされて顔面が青くならない奴はいないと思う。しかしさすが三千年生きてきただけあってデザイアは寛容だった。
「いや、良い。ワシに敵うものはこの世におらぬと倦んでおったからの。慢心は敗北を招く。当然の事じゃ」
口調は今まで通り老人っぽいのに声は田舎の少年って感じでかなり奇妙だ。そして顔もしわがれた骸骨だったものが熟したトマトのように丸々としているし、髪もくすんだ白髪ではなく輝きを取り戻している。デザイアはただ縮んだだけでなく明らかに若返っているのだ。
「三千年の間に溜め込んだ力はほとんど流出した。また一からやり直しじゃの」
「お父様、しかし……」
「ピアニーよ。もはやワシはお前以下の力しか持ってはおらぬ。力あるものが支配するのは道理。ゆえにピアニーよ。ワシに代わってこの城の主となってはくれぬか?」
「……分かりました。立派に役目を果たしてみせます」
「それでこそ我が娘じゃ。ところでワシは再び力を蓄えるための旅をしようと思う。ハッセよ、ワシを連れて行ってはくれぬか?」
何か勝手に話を進められた挙句こんな提案をされても正直困る。とりあえず「アレサンドロがいいと言ったら」と逃げたものの、肝心要のアレサンドロは一秒のためらいもなく「願ってもいない事で大歓迎です! 是非ともに行きましょう!」と両手を広げて興奮気味にまくしたてた。
「えっ、本当にそれでいいのかいアレス? そうは言っても魔王なんだろう。あんまり邪悪な事になっても困るし」
「ワシを見くびるなよ。意味のない殺生はせぬ。ただ力を追い求めたいだけじゃ」
「デザイアもああ言ってるし、大丈夫だよ」
この清々しさよ。相変わらずアレサンドロが何かを決める時って根拠がいまいち読めないんだよな。しかも即決出来る。これが本当に凄いと思う。俺っていつもうだうだ悩むからな。ただアレサンドロがいいって言うんなら俺としても積極的に否定する理由はない。
それに冷静に考えて魔王以上に素性不明で、そのくせ力だけは強い俺のほうが危険な存在となりうるはずなのに平気で受け入れてくれたのがアレサンドロという人間なんだから。やっぱり器の大きさがプールとお猪口ぐらい違うって事なのかな。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやって奴だ。まさにフェニックス。
なお、俺達がここまで来た本来の目的であるジェスターの泉の件についてだが、デザイアに話してみたところあっさりと「汲んでいって良いぞ」という答えをもらった。
「そもそも拒否しようと思った事なんぞ一度もない。ただ城に来るのはワシに挑戦しようとする腕自慢ばかりじゃったからの。お前たちもそれかと思っておった」
やっぱりそもそも戦う必要がなかったんじゃないかと思うと本当に骨折り損だったのだが、もう終わった事だ。今は一刻も早くこの水を届けることだけ。
そのうち石畳の揺れが小さくなってきた。ゼノラビアの首都アイシスまではもう少しだ。
今回で魔王編は終わり。ご愛読ありがとうございました。次の王国編(仮題)は二十話近くになる予定です。投稿は十一月ぐらいになります。




