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今、目の前に高い壁がそびえ立っている。この世の闇を全てかき集めたかのように黒く染まる石壁の向こうからにょっきりと飛び出しているのは、バベルの塔が神様に邪魔されず完成していたならばこのような光景だったのだろうと思わせる太いタワーであった。
「まるで空に伸ばした腕のようだ。この世の全てを掴みとらんとする野心の現れに見えてくる」
アレサンドロの詩的な表現はなかなかにナイスだったが、確かに邪悪な存在感は抜群。その威容にびびったわけじゃないと信じたいが、思いついてしまったのだから仕方がない。今更何をという気持ちも分かるがとりあえず口に出してみた。
「そう言えばさ、俺達の求めるものってジェスターの泉から湧き出るっていう、呪いを治す水なんだよね?」
「そうだ。そのために多くの犠牲を払ってまでここまで辿り着いたのだ。後は魔王デザイアを討つだけだ」
「それだよそれ。もしかするとだよ、魔王に泉の水をちょっとだけ分けてくださいって頼んだらいいんじゃないの? 案外認めてくれるかも知れないし、それならわざわざ倒す必要なんて」
「駄目です!!」
突如右耳に飛び込んできた金切り声に俺は思わず「うわあっ!」と声を上げた。本当にびっくりしたけど、あんな声を出したのがピアニーだった事が一番の驚きだった。
「あの邪悪なる魔王デザイアがそのような軟弱な願いを許すとでも思っているんですか!」
「い、いや、あの、そのですね、ええと、とにかく……」
「何が言いたいんですか!!」
強気な態度に押されるとどうも弱いのが俺の習性だが、こういう時にモゴモゴと不明瞭な事しか言えないのは勇者としてあまりにも情けなさすぎるぞ。でも「ちょ、ちょっと待ってちょっと待ってね」とかあたふたしている間にどうにか考えをまとめてみた。
「ですからね、どうせなら流す血は少ないほうがいいかなと思いまして。復讐に次ぐ復讐なんて事になったらそれこそ永遠に続く戦いになってしまうわけでそういうのでは優しい世界にいつまでたってもたどり着けないはずですし……」
「何が優しい世界ですか! いいですか? あの邪悪なる魔王がこの世界に存在する限りそんなものは永久に訪れません。この私も魔王に虐げられた者の一人です。率直に言います。私は魔王を恨んでいます。もっと率直言うとあなた方を魔王の打倒に利用しようとしました。それは謝ります」
「い、いえ、別に謝るような事では……」
「世界のために、そして私のためにも魔王を倒して下さい。お願いします!」
その時、ピアニーの青い瞳がぎらりと輝いた気がした。次の瞬間、何としても魔王を打倒せねばという決意がふつふつと高まってくるのを強く感じた。
「分かりました。やりましょう。魔王デザイアの征伐なくして優しい世界は来ないのならば、俺も全身全霊をかけて戦いましょう」
「ありがとうございます。さあ、進みましょう。魔王まではもう少しです」
目の前には巨大な城門が大きく口を開けて俺達を待ち構えている。「罠はないよね」とピアニーに尋ねたところそういうのはないという回答が帰ってきたので俺は一番前で堂々と歩いて行った。
本当に何もなかった。
城の中は異様なほどにガランとしていた。人っ子一人いる気配がないしモンスターもうめき声もまったく聞こえない。その代わりに紫色のカーペットが敷かれた階段が俺達を招くように備えられていた。魔王はこの上にいるのだろうか。
前や後ろ、それに横も警戒しながら一歩一歩ゆっくりと階段を上がっていった。両手には当然三日月斧を強く握りしめながらだ。いつどんな形で敵が襲ってくるか分からない。その警戒心が俺の足を重くさせ、心の体力をすり減らせた。
「さあいつ出てくるか敵幹部!」
しかし本当に何もないまま最上階まで辿りつけた。うーん、魔王としてこれはどうなんだろう、もっと仕掛けがあってもおかしくないだろうに。なんとか四天王とかもいないし、案外人望ないんだろうか。
いや、俺がRPG脳に支配されすぎなのが悪いのだろう。大体四天王とか、その一人目は我々の中で最弱とか、ゲームバランスの関係で最弱扱いの敵がむしろ一番難敵に感じるとか、四天王をはるかに凌ぐ実力のラスボスはパーティーが充実しすぎて単なるリンチになるとか。そんなうまくいくものでもない。
それはともかく、階段が尽きた階には灰色の扉がこれ見よがしにでんと構えていた。縁には青い灯火がメラメラと揺れている。少し不気味だがこの前にいるのは単なる人物ではないのだからそれも当然だろう。
「この向こうに魔王が?」
アレサンドロの質問に対してピアニーは小さくともはっきりと、首を縦に振った。
「行くしかなかろう、三人で」
「いえ、あの、私は……」
いざ出陣というところで急に失速するようなピアニーの答えに何だそれと思ったが「私の魔力はまだデザイアには及ばないので迷惑をかけるだけなので残ります」などと言われると多分そうなんだろうと納得させられるものがあった。結局扉をくぐるのは俺とアレサンドロの二人って事になった。
「じゃあ、行こうか」
「ああ。ピアニーさん、僕達にもしもの事があればその時は何のためらいもなく逃げて下さい。今まさに命を捨てようとする僕が言うのも何ですが、やはり人間生きてこそですから」
「分かりました。ご武運をお祈りいたします。神と精霊の祝福があらん事を」
ここであろうことか、ピアニーはアレサンドロの額に、ああ、その紅く柔らかな唇をそっと添わせた。ず、ずるいぞ。何たる光景か。そんなのってないよ。でもここで「俺にはしてくれないの?」とせがむほうが男としてよっぽどみっともないので我慢した。
「それとハッセさんもお気をつけて」
「……うん」
泣かないよ。勇者だもの。でも見ないふりぐらいはしてもいいでしょ。二人の姿が痛すぎてって感じだ。妥協と諦念が作り出した醜悪な薄ら笑いを浮かべる今の俺の顔を見て好きになってくれる女なんて、どんな世界であってもおそらく存在しないだろう。
でもでも、それぐらい祝福出来ずして何が男だって話でもあるし。そもそもアレサンドロは俺より顔も性格も格上だし仕方ない。キスされても平然としているアレサンドロは俺がこんなみみっちい事を考えてるとは夢にも思うまい。
「このみっともなさが俺の真実の姿だ!」
こんな風に、ありのままを太陽の下に晒す事が出来ればどれだけ楽だろうか。でもそれは出来ない。なぜなら、俺は勇者としてこの世界に送り出されたからだ。それに俺にも意地がある。かくなる上は実力でアレサンドロを凌駕するしかないじゃないか。
「じゃあアレス、そろそろ行こうかな?」
「そうだな。まずはこの扉を開こう。じゃあ掛け声に合わせてね。せえのっ!」
「それっ!」
俺とアレサンドロは力いっぱいに石の扉を押した。地鳴りのような重々しい音とともに扉は開かれ、紫色のカーペットの続く道が現れた。
「この向こうに魔王がいるというのか……」
やはりアレサンドロも緊張しているらしく、そこはかとなく声が震えていた。いや、アレサンドロに限ってびびるなんて事はないだろうし、武者震いってやつだろう。いや、勇者奮いか?
ともかく、キスに慣れた男でも俺と同じように心が震えているのだから、俺の心は軽くなった。
「そういう話だな。頑張ろうね、そして何としても君のお父さんを救うんだ」
「うむ。さあ魔王よ、僕達はお前に用がある! この声が聞こえるなら姿を現せ!」
アレサンドロがこう叫んだ直後、風が通り抜けるようなゴウゴウとした音が響いたかと思うと、突然はっきりとした声が耳に届いた。
「ここまで来る人間も久しぶりじゃの。ワシこそがデザイアじゃ。群衆どもからは魔王とも呼ばれておる」
それにしてもデザイア。情熱、じゃなくて欲望の名を冠する魔王の割には案外しわがれた声だった。イメージとしてはもっとハリのあるダークな低音だったが。
「人間を虐げし魔王よ、今日こそお前の最期だ!」
「貴様が何者かは知らぬが随分と若い、そして愚かな人間であるようじゃの。よかろう、その蛮勇に敬意を表してワシ自らが葬ってやるとしよう」
するといきなり目の前に黄色の鮮烈な光が爆発した。思わず目を瞑ったが光が収まった後も眼の奥に残像が残ってクラクラしてきそうだ。
「礼儀知らずの小童どもめ。ワシが三千年培った魔力に敵うとでも思っておるのか?」
ようやく回復した両目でしっかりと見据えた先には黒いマントの上に白髪が海に打ちつける波のようにのたうっていた。これが本当の白髪三千丈って奴か。いや、でも三千丈ってどれぐらいなんだ。とにかく、白髪は腰どころか地面寸前まで伸びきっている。
前髪の部分は左右に払っているので顔もはっきりと確認できたが、心臓が凍りそうになった。まるで骸骨に髪の毛が生えているみたいだったからだ。
しかし本当に恐ろしいのはその何もかもを睥睨するかのような目つきの鋭さだ。冷たい。まるで氷のナイフで刺されたような恐怖心を抱かせる瞳だ。
「負ける気でいるのならここまで来たりはしないさ。勝負だ!」
「愚か者め! 炎の精霊よ、渦となりて奴らを包め!」
ひるまないアレサンドロは本当に凄いと思うけど、早速魔王デザイアは魔法を唱えてきた。一瞬にして俺の視線は全て赤に染まった。前も横も後ろも炎に包まれて、俺とアレサンドロはすっかりと囲まれてしまった。




