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とにもかくにも、西方の大国ゼノラビアの首都アイシスで大量の路銀を得たので、俺達は翌日からまた馬車の旅を再開させた。しかし今までのように西へと向かうのではなく北へ北へと向かう旅路だ。
寒い寒い北へと向かう。そういう心理的なものもあるのかも知れないが、今日の旅路は途中までとても寂しく感じられた。
いや、心理だけではなく寂しい風景が延々と続いていたのは間違いなく事実だった。とにかく街が少なくて、たまに見えてくる村もやけに小さくてまさに寒村と言うしかない、みすぼらしい有様だった。
首都アイシスは多分マーブルク以上の都会だった。しかしアイシスから離れれば離れるほど加速度的にみすぼらしくなっていく街並みを見ると、変な感想になるが「色々大変なんだなあ」と思った。富の分配とか、あんまり上手く行ってないみたいだ。
今までドラガニア、ギザミア、ガジェ、ゼノラビアと通ってきたが、アベレージとして一番裕福と言うか、しっかり整っている国はギザミアだろう。あそこは道もやたらと綺麗だったし、ロードサイドの小さな村の割に建物も立派なものが多いように見えた。
その次がドラガニアかな。マーブルクはとても都会だったが、田舎にもそこそこ立派な建物はあったし。ガジェはその辺と比べると質実剛健と言うか、そこまで賑やかな国ではなかったがエスパニスはコンパクトシティって感じのいい雰囲気の街だったし道もそれなりに整備されていた。
ゼノラビアは首都周辺は凄かったけど、ちょっと離れるとこのガタガタっぷりだからな。ただ冷静に考えてマーブルクからエスパニスを経てアイシスと、首都三つを貫くルート沿いがきっちり整備されているのは当然の話じゃないかとも思った。
でももっと冷静に考えてサンタンジェ川を越えてゼノラビアを進む道もアイシス寸前になるまであんまり整備されてなかった事を思い出した。やっぱりゼノラビアは首都近辺以外手を抜いてるみたいだ。
それと窓から景色を見て気付いたのは畑が少ないって事だった。ガジェからアイシスまでの道は延々と麦畑が広がっていたがこの辺りはそれも少ないし、あるいはガジェみたいに牛の放牧もほとんどなされていないようだった。人や動物に出くわす事もほとんどない。
白っぽくていかにも栄養に乏しそうな土の色に半分染まった名も知らぬ草がちょぼちょぼと生えている、荒野としか言いようのない風景がずっと広がっている。大小の岩がいくつも無造作に転がっておりちょっと秋吉台っぽいけど、あれをもっとボロボロにした感じだ。
それに天気もまずい。出発した頃はいい天気だった。しかし次第に青空には白いものが多くなっていき、やがてそれは仄暗く変色していった。
「天気大丈夫かな?」
「確かにいつ降りだしてもおかしくなさそうだな」
アレサンドロも不安がっている。雲行きは良くないが、それはあくまで天気だけの話であって俺達の道程がそうであるとは誰も言ってはいない。でも不安だ。また雨が降るようだとニーナも困るだろうから俺は心のなかで小さなてるてる坊主を掲げた。
高い建物も木も何もないから見晴らしはいい。ただ北のほうを見ても山のシルエットがうっすらとしか見えないので目的地にはまだ遠いなと再確認するばかり。道路は未整備なのでがたがた揺れるし、何とも言えず退屈な午前だった。
しかし運命は流転する。
もう名前すら覚えていない小さな村にある店で昼食のパンとえんどう豆を補給してしばらくだった。「ああっ、危ない!」というニーナの声が響いたかと思うと馬車は急停止した。大きく揺れたので俺はアレサンドロのほうへと倒れ込んでしまった。
「あっ、ごめん」
「大丈夫だ。しかし何が起こったのかな?」
アレサンドロは素早く馬車から降りたので俺もそれに続いた。ルサカはまったく慌てずにまぶたをこすっていた。
「どうしたんだニーナくん! いきなり停まったりして」
「ええ、実はですね……。これをご覧ください」
そこに立っていたのは俺がこの世界において本当に探していたはずの、しかしまったく出会えずに次第に忘れそうになっていた存在、少女であった。
見たところ俺よりもちょっと年上で、大体十五六ってところだろう。この辺りの民族衣装なのだろうか、丈の長いコートの下から紫色のゆったりとしたズボンが柔らかな曲線を描いている。腰までまっすぐに伸びるクリムゾンレッドの髪とサファイアのように深く青い瞳が強く輝くのが印象的だった。
そして何より輝いているのはその胸部において著しく発達した二つの膨らみ。これこそ今目の前にいる人物が素晴らしい性別の持ち主であるとあらゆる言葉を連ねるよりも雄弁に示していた。女だけど。
まあ細かいことを言うとちょっと色黒だなあとか身長が高過ぎて今の俺以上なのはどうなんだろうとか、ほんのちょっとだけ気になったが胸のでかいは七難隠すと言うし問題ない。
漢字一文字で言うと「凛」ってところだろう。目つきだってよく見ると第一印象ほど鋭くなくてむしろ柔らかな曲線によって構成されているので本当はもっと優しそうな雰囲気が出てもいいはずだ。
しかしあまりにもまっすぐな視線に代表される全身から漂うきりりとした芯の強さが女性的真実である曲線美を覆い隠しているようだ。それは彼女の表面上の美を取り除いた上でも溢れ出る本質的な輝きに他ならない。
「あ、あなたは……?」
「私のピアニーと言います。ある事情があって故郷より逃げ出したのです。お願いします! 私を連れて行ってください!」
おおっ! これは願ったり叶ったりの展開! ピアニーの透き通った中にもどこか神秘的なメゾソプラノの声で切実にこんな事言われたらどんな男だって一秒のためらいもなく「分かりました。ではお乗りください」と言い出すだろうと思った。
しかしアレサンドロは信じられない事に「それは出来ません」などとほざきやがった。何でだ! 俺は叫びたかった。しかしピアニーのほうが同じような言葉をもっと上品な言い回しでぶつけてくれたので俺は暴発せずに済んだ。
「もしも僕が単なる行商人か旅行者であればあなたの願いを聞き入れたでしょう。しかし今、僕達はグロス山へ向かっています。言うまでもない事ですがその周辺は魔王デザイアが支配しており、当然彼らと戦う事にもなります。そのような危険な旅路にあなたを連れて行く事など出来ません」
ああ、そうだった。まあ確かにその通りだなあ。魔窟スバラルト山脈にこんな美しい女性を連れて行くわけにはいかないよなあと俺は理屈としてはよく理解した。
しかし納得は出来なかった。何とか連れて行く手段はないかと思っていたが、ピアニーも諦めていなかった。
「ということはあなた達はグロス山に向かい、魔王デザイアを倒しに行こうとしているのですか?」
「そうなりますね。あなたの事情は分かりませんが、危険に巻き込む事はしたくありません」
「いえ、それならばこそ、なおさら私を連れて行ってください! 幸い私は地理にも詳しいですし、きっとお役に立ちます。魔法だって使えます。お願いします! どうか私もデザイアの征伐に加えてください!」
意外にも乗り気な態度にアレサンドロはどうしたものかと困っていたので肩を押すべく「まあ彼女が連れて行って欲しいと言ってるんだから。仲間は多いに越したことはないだろ?」と背中から語りかけてみた。頼む、決断してくれアレサンドロ!
しかしアレサンドロはなおも腕を組みながら深く考え込んでいた。さすがは領主代理。こういう時でも慎重だ。しかしなおも「お願いします」と頭を下げるピアニーに根負けしたようで、渋々ながらも「分かりました。では馬車にお乗り下さい」と手を差し伸べた。やったぜ。
馬車は曇り空の中を再び進み始めた。
「よろしくお願いします」
控え目に頭を下げるピアニー。俺は「こちらこそ」と答えつつ返す刀で「俺の名前は初瀬顕真って言います」などと自己紹介した。
しかしどうにも変に緊張してしまうな。単純に女に話しかけるのも苦手だったのに、ましてやこんなかわいい女の子だからなあ。いや、男として心臓の鼓動が早くならないほうが嘘だろう。
だからアレサンドロとルサカとニーナは皆嘘つきだと思う。こいつら何であんなに平然としていられるんだ。ただこの状況だと俺が少数派となってて、なんか色好みの変態みたいになってるのがとてもきつい。お前らももっと興奮してくれよ、頼むから。
「それにしても解せないのはなぜあなたが魔王のいる場所へ向かおうとするのか。僕達はジェスターの泉に向かっているのですが、ピアニーさんは何か理由でも?」
「ええ、そ、それは……」
アレサンドロの問いに対してピアニーは目を伏せて言い淀んでいた。俺は「まあ理由を言いたくなければ別に言わなくても」と助け舟を出した。
「大体相手は魔王なんだから、そりゃあ何か理由の一つや二つあってもおかしくないんじゃないの?」
「それもそうか。出すぎたことを申して失礼しました、ピアニーさん」
「いえ、私は……。ただとにかくデザイアだけは何としても討たねばならないのです」
魔王デザイアについて語るときのピアニーはどこか強い感情がこもっているようだった。一体何があったのか。そのうち馬車はゼルタという村に到着した。
「ようやくここまで辿り着いたか。このゼルタ村はゼノラビアの最北端。つまりこれより北には魔物の棲み家が広がっているという事だ」
アレサンドロもさすがに厳粛な顔つきになっていた。人間界と魔界の境界線上にある村まで辿り着いたとなると当然緊張感も出てくるもので、この世界に詳しくない俺でさえも思わず生唾を飲み込むほどだった。
そんな危険が隣接した場所なので村の周囲には石を積み重ねて作った防壁が二重に備えられており、巨木に備え付けられた鳥小屋のような見張り台には何人かが交代で、一秒欠かさず北方の動向をチェックしている。
人口はそれほど多くないこの村は、最前線に置かれた軍事的拠点という雰囲気さえ漂っている。しかも今日の曇天と合わせて暗くて寒くてどんよりとした空気が濃厚で、それだけで参ってしまいそうだった。夕食もあんまり美味しくないし。
「この辺りは料理とかに凝ってる余裕もないからね。食べられるだけ儲けものだよ」
「まあ、それもそうだね……」
しおれた野菜とぼそぼそとした食感の豆をつまんでいた時、いきなりガランガランと鐘の音が響いた。
「な、なんだあっ!!」
「この鐘の音は魔物出現の音です!」
「ま、魔物があっ!?」
ニーナの答えに俺はいささか気が動転した。だが俺はこの世界で勇者をやるために生まれたのだ。勇敢さを見せねばと武器を手にして表に出た。しかし結果的には取り越し苦労に終わった。幸いモンスターは近くを通っただけですぐ山へと戻っていったらしい。まったく思わせぶりな敵さんだ。
「しかし恐ろしいところだな。こんなにあっさり魔物が出てくるなんて」
「だが僕達はそんな魔物の巣に飛び込むのだからな」
「そうだな。改めて心を決めなきゃな」
覚悟はしていたはずだったが、厳しい戦いになりそうだと俺は改めて肌で理解出来た。この直後、とりあえずおやすみとなったが俺はすぐに眠ることなど出来なかった。ああ、ピアニーは俺達と別の寝室だ。まあそこは当然ね。
ピアニーがいるというその事実だけで俺の心には温かな南風が吹き抜けていくようだった。正直怖さはある。でも彼女のためにも俺はきっと今まで以上に頑張れる。必ずや魔王デザイアを倒そうと改めて心に誓った。




