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翌朝、すっきりとした目覚めとはいかなかった。いや、目覚め自体はすっきりとしていた。しかしそれをすっきりさせないものが俺の頭の中に巣食っていたからどうにもならない。
今となっては他に手段があったのではないか、あんなタイミングでする必要なんてなかったのではと否定的な感情ばかりが浮かんでしまい、結局残ったのは虚しさばかりという有り様だ。
「おはようございます」
「ああニーナか」
意気地なしな返事だった。ニーナは天使なのでその理由を深く聞いてきたりはしなかった。でもアレサンドロは天使じゃないので「どうしたんだい?」と聞いてきたので俺は「やっぱ疲れてんのかな。長旅だし」などと適当な事をほざいた。
「まだまだ先は長いからな。疲れたなら休んでいればいい」
ああ、その真っ直ぐな目で見つめられると自分の浅ましさに顔が赤くなる。俺はそんな人間じゃないのに、と言えたらどれだけ楽だろうか。
でも俺もここまで来て情けない事は言えない。せめてアレサンドロの前では勇者をやっていたいし、それはルサカにもそうだ。生臭いところを見せるもんじゃない。俺にもプライドはある。
でもでも、プライドがあっても欲求があるのは人間として自然な生理現象と言えるものであるし、例えば今朝食でオートミールのお粥を食べているのだが、この食欲ってのも理由がどうこうじゃなくて時間がたったらお腹が空くし、お腹が空いたら食べたくなるのは人間という名の動物が生きるための道理だ。睡眠もそう。そしてもう一つだって例外ではないはずなんだ。
だから俺は変態じゃないし空気が読めてないわけでもない。そういう生理現象なんだと、やっぱり強がるには他の面子にそういう欲求がなさそうな分厳しいものがあった。
どうせなら知らずしてこっちの世界にまで来ればよかったのか。でもそれのために他のすべてを忘れていいかと聞かれると一秒のためらいもなく答えるだろう。「嫌だ」と。
ならば受け入れるしかない。欲望を胸に秘めて、そして俺がここにいる。でも駄目だよなあ、やっぱ。ほら、なかなかエナジーは止まらないものだから。ひっそりとやるだけなら別にいいけどいつ感情が暴発するものやら。そういう形で奇形に育ったりはしないかとか、自分で自分を心配してしまう。
「ごちそうさま。ああ、それとアレス、出発の前にちょっと時間をくれないか」
「うんっ? 何かあるのか?」
「ちょっと素振りしてくる」
そうして俺は馬車の中に立てかけておいた三日月斧を両手に宿の裏口からちょっと広い草原に出た。じっとしていると余計な考えばかり浮かんでしまうからとにかく体を動かしたくなったのだ。
「ええい! たあっ! とうっ!」
力いっぱいに振り回すがどうもしっくりこない。もっとこう、うまく振れた時は風をまっすぐ切り裂くような感覚があるはずだがそれがない。これでは煩悩も振り払えまい。
力はあってもまだそれが俺に馴染んでいない。得物の大きさに振り回されるばかりだ。これじゃあ素手で戦ったほうが今はましだな。
「やっぱ見栄えだけで武器選ぶんじゃなかったかな」
そんな言葉が思わず口から飛び出した。しかし後悔先に立たず。もはや武器を選ぶという段階ではない。俺のほうが武器に合わせる時だ。三日月斧が駄目なら剣に替えようとかメイスにしようとか、そういうメンタルで何かを習熟出来るものでもないしね。
思えば今回の魔王征伐はいい機会だ。実戦で鍛える機会を得たのだから。それに相手は人間じゃないから容赦する必要もない。これで敵をバシッとやっつけて格好が付けば本物の勇者を恥じらうことなく名乗る事も出来るだろう。
結局はこの世界も己の精進あるのみだ。ただ元の世界と違うのは俺には力があると自分で確信できる事。それは大事だ。と言うか元の世界でも俺はもっと自分に自信を持つべきだった。変に恐れることなく心を晒すべきだった。これこそ後悔先に立たずだが。
まったく、手を止めたらまたこんなくだらないことを考えてしまう。ままならぬものだ。俺は煮え切らない自分にため息を付いて、宿の部屋に戻った。
「要件は終わったかい?」
「ああ、とりあえずはね。じゃあ、行こうか」
「よし、出発だ!」
朝日が穏やかなうちに馬車はエスパニスを出た。アレサンドロのよると今日は順調に行けばこのガジェを超えてゼノラビアに到着出来るだろうってところらしい。昨日はドラガニアからギザミア、そしてガジェまで到達したのだが今日はほぼずっとガジェ横断で終わるとのことだ。
昨日の夕方に超えたセドヤ川はその中流において東に大きく屈曲しており、ガジェの首都エスパニスはその曲がった部分に存在しているのだが、三本目の川でガジェとゼノラビアの国境線ともなっているサンタンジェ川は西に曲がった形状となっている。
つまりエスパニスからゼノラビアは膨らみから膨らみを通る必要があって、直線距離で言うとガジェで最も離れていると言える。
また、ギザミアは本当に真っ直ぐ西に進んだだけなので最短距離でガジェまで辿りつけたが、ガジェではルート的にもやや北上しつつ西に進むのでちょっと長くなるという事だ。
直線距離が短いルートはないでもないらしいが、道が狭く整備も甘いとの事で結局急がば回れとなるようだ。
「とりあえずしばらくはガジェって事だろ? 平和ならいいんだけどな。この辺は行ったことないから分からんよ」
「ガジェも大丈夫だ。フェリス同盟とはそもそも平和を守るための同盟なのだから。国土はそれぞれ小さいものの、その小さな国土を守り切るだけの兵力はどこも備えてある」
アレサンドロは自信満々にこう答えた。確かに勇者を養成する機関とかあるぐらいだし自衛には結構力入れてるようだからな。でも俺はここでまた別の疑問が浮かんだ。
「そうか。そう言えば兵士と勇者ってのはまた違うの? どっちも戦うんだろ?」
「兵士とは主にその国に仕えているが勇者はもっと自由な存在だ。勇者は常に正しき心を持ち、その心に従い正義を行使するのが役目となる。この世界で最も気高くある者こそが勇者を名乗るにふさわしく、そう生きられない勇者が現れた時は他の勇者が一致団結して討たねばならぬ」
アレサンドロの答えはこのようなものだった。自由な存在はいいが、気高い心を持っていないといけないなんて言われると途端に厳しくなってくるな。
「だから……」
「んっ?」
「だから、万が一僕がまかり間違ってしまった時はハッセ、君に討たれたいものだ」
そんな事を迫真で言われても正直困るぞ。俺は苦笑いを浮かべつつ「君ほどの人間が間違いを起こすわけないと信じたいがな。どっちかというと俺のほうがやらかしそうだし、その時はアレスが討ってくれるんだろ?」と返した。
「だって俺はね、この広い世界であてのない俺を信じてくれたアレスを信じているから」
「僕も君のことを一目見た瞬間から信じられる男だと思っていたんだ」
「へえ、何で?」
「それはね、君の瞳が透き通っていたからだよ。偽りのない男かそうでないかなんて、それだけで十分だ」
ええ、それだけかよ。古い小説でも厳しい理由だな。大体俺の目ってそんな綺麗だっけ。いや、仮に綺麗に見えたとしてもその内実たるや……。ああ、やっぱり昨夜あんな事をしでかすような俺に勇者は荷が重すぎたのかも知れない。涙が出そうだ。
でも理由が意味不明でも、とにかく俺を信じてくれている人がここに存在している。それは本当に幸いだとも思った。純粋で真面目なアレサンドロの瞳こそ凡百の宝石を軽く凌ぐ美しさと強さを兼ね備えた輝きを見せていて俺には痛いほどだが、それを彼は自覚していないみたいだ。少年だなって思う。
そもそも本当はアレサンドロだって今の地位になりたくてなったわけじゃないようだからな。父が倒れて不本意ながら領主をやっていたが心の底で願っていたものと言えば俺と同じだったのかもしれない。
人は誰しも生まれた瞬間から社会的役割を持つものだが、この世界においては根無し草である俺にも役割があるとすれば、それはアレサンドロの友達になるって事なのかも知れない。
もしそうだとすれば、俺はあの真っ直ぐな瞳を曇らせたくはない。期待を裏切りたくはない。勇者としてふさわしい人格に成長せねばと心の底から思った。
昼食はガジェの中部にあるガントという都市で取った。ここ自体はそんなに大きな街ではなかった。そもそもガジェ自体が全体的に田舎と言うか、ギザミアほど舗道も整備されているわけじゃなかったので馬車の振動が大きく、そこはちょっとしんどかった。
それに風景も例えば北部に広がるスバラルト山脈も岩肌が露出してやけにゴツゴツとしていたり、逆に延々と草原が広がっているだけだったりでちょっと寂しいものがあった。川もあまりないのであまり起伏がなく単調な感じ。
「ガジェは平野が少ないからね。畑を作るにも一苦労なんだよ」
アレサンドロがこう言ってた。やはり農業は盛んじゃないんだな。ただ動物は時々見かけた。体が真っ黒な牛が草原を駆け回る姿はよく見たし、そいつらの大群が茶色いチョッキを着た牧童の指示に従って道を横切るので待ちぼうけを食らった事も二三度あった。
景色自体は単調でもそういう牛や、時々羊の群れはいいアクセントとなってくれたので退屈ではなかった。やっぱり松戸じゃあそんな見るものでもないからな。
松戸と比べるまでもなく、ドラガニアやギザミアと比べてもガジェは田舎っぽい。空が広くて牧歌的な雰囲気で、これはこれでいい場所だなとは思う。でもやっぱり暮らすなら都会だよなあってのはどうしても抗えない本音だが。
午後も概ね同じような光景の中を馬車は進み、そろそろ太陽が西に傾いてきたってところでようやくサンタンジェ川に到着した。しかし間もなく太陽は雲に隠された。しかもかなりどす黒い雲で、これは一雨来そうだと俺でも分かった。
「さて、ここは今までみたいにあっさりとは行かないぞ。フェリス同盟とは違うからな」
アレサンドロはそう言って馬車から外に出たので俺とルサカもそれに続いた。国境の管理者に対してはアレサンドロが説明していたので彼に任せ、俺は近くの広場で三日月斧の素振りをした。でもそもそも柄をどうやって握るのかも不明だからな。
今はイメージとしては鍬を振り下ろすように振っているがどうも腰が座っていない気がする。まさに小手先だけと言うか、軽いスイングしか出来ていない感じだ。武術の本とかあればいいんだけど。
しかしそれはもっと落ち着いてから勉強すればいいだろうし、今は最低限でも使えたら問題ないだろう。俺チートだし、この斧も勝手にオリハルコン製になってるから、放っておいてもモンスターなんて怖くない、よね多分。
「要件は終わったぞ。いよいよゼノラビアだ!」
「そうか、すぐ戻る」
軽くかいた汗を右腕で払いつつ、俺はアレサンドロの声に導かれて小走りした。西方の大国ゼノラビア。そしてこの北に目的地がある。旅はこれからが本番となる。




