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稲妻勇士  作者: 沼田政信
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 とにかく俺はニーナからの伝言通り、南から二番目の路地裏へと急いだ。でも走るのもちょっとはしたないので早歩きで急いだ。陸上競技に競歩ってあるが、あれもよく分からない競技だと思う。普通の歩き方とは違って何かくねくねしてるし。


 そう言えばせっかく買ったばっかりの三日月斧は持ってきていない。それだけ焦っていたのだが、それ以上にまだ三日月斧と俺との間に信頼関係が構築されていないって事だ。


 もっと使い込んでいけばうっかり忘れるなんて事はなくなるはずだから。しかしそれには時間がかかるわけで、実際使った事もない武器をいきなり振り回すような事態になったらそれこそ末期だ。


「初さん!!」


 そんな事を考えていると一閃、絶叫が俺の耳をつんざいた。声の主は間違いなくあいつだと確信できた。そもそも俺を初さんと呼ぶのは世界であいつだけしかいないから。


「ニーナなのか!? どこだ?」

「へへへ、ここよ」


 俺に返事をよこしたのは今まで聞いたことのないグロテスクな音域、粘着質な低音だった。見るとニーナとルサカは茶色いボロボロのポンチョみたいなマントを纏った二人の男の腕の中にいた。


 男の一人は脂ぎった黒髪をビシッと整えているものの青白い肌の色とくっきり出た頬の線がいかにも不健康そうで、もう一人は体格はいいがいかにも粗暴そうなスキンヘッドだった。で、スキンヘッドが二人の首根っこを掴んでいる。


「やあ初さん、こんにちは」

「こんにちはじゃないだろニーナ! これは一体どういう事だ?」

「ふん、知れたこと。俺達は商品になりそうな人間を奴隷商人に売り払うブローカーだ」

「そしていい商品がかかったってわけだ。この臭い方は返してやろう」

「ハッセ!!」


 臭い方ことルサカはあっさり解放された。湿った路地を突っ走ってきたルサカはジャンプして俺の方へ飛び込んできた。


 でもルサカの顔ときたら、涙と鼻水でぐじゃぐじゃになってて正直あんまり触りたくなかったので本能的にスウェーしてかわしたところ、目の前の1cm先を通り抜けたかと思うと勢い余って鼻っ柱から石畳に突撃した。


「おっ、おいおい大丈夫か大丈夫か!?」

「大丈夫だ」


 噴水のようにドクドクと鼻血が出ているがルサカ的には大丈夫らしい。さすが山賊、多少の傷では動じない。俺なら泣いてただろうな。


 最近は収まったが一時期、やたらと鼻血が出る時期があった。特に触ったりもしていないのにいきなりたらりと濃い味の鼻水の感触がしたかと思ったら、大抵これは血だ。


 以前は抑え方が分かっていなかったのでバスの中で出血した時は持ってた袋を血まみれにしてしまい何か事件にでも巻き込まれたのかという有り様だったが、何度も何度も繰り返したので対処法もかなり覚えてきた。


 まずティッシュは別に必要ない。軽くうつむき、鼻の根っこあたりをそんなに強くなくつまんでいればそのうち止血する。「あっ、止血したな」ってタイミングもだんだん分かるようになった。


 そのタイミングで指を離すとしばらくは今にも再発しそうな雰囲気はあるけど、また血が出始めたら抑えればいいわけだし難しい事じゃない。脆くなっている皮膚を刺激しすぎないように人差し指でこすって止血を確認したら、後は舐めるなり水に流すなりすれば全ては終わる。


 まあそれはともかく、俺が探していたのは二人であってこの出血をあんまり気にしていない野生児一人だけではない。もう一人もきっちり返してもらわないとね。


「さて、その勢いでニーナも返していただけると幸いなんですけどね」

「そいつは無理な相談だな。俺達だって商売でやってんだ。こんな上玉は十年に一度、いや、百年に一度だぜ」

「この毛並み、体格、声、オーラ、全て完璧だ。こいつは最低でも金貨一万枚はいくぜ」

「い、一万枚!?」


 ここで俺がちゃんと驚けたのはニーナたちが馬車の中でこの世界の通貨単位について語っていたのを聞いていたからだ。それによると、ドラガニアを始めとするフェリス同盟には通貨単位として金貨、銀貨、銅貨があるらしい。


 その中で最も価値が高いのは金貨で、概ね金貨一枚で日本円における一万円ぐらいの価値があるらしい。それで言うと契約金一億円ってところか。文句なしのドラフト一位クラス。さすが天使だな。


「どうだ? しかも最低一万枚って相場だからもっと高騰するのはもはや確実。倍になるか三倍四倍だってある。そうなったら金を山分けしてもいいんだぜ?」


 青白い方のブローカーが何やら手練手管を用いてきたが、そもそも天使なくして俺の異世界ライフはままならぬ。この交渉は最初から決裂以外にありえなかった。


「申し訳ないがお断りだね。ニーナはね、金があればどうにかなるってそんな軽い存在じゃないんだよ。さあ、さっさと返しておくれ、今すぐに」


 忌まわしき誘拐事件を解決するには結局力づくしかあるまい。にじり寄って奪還しようとしたところ、スキンヘッドのブローカーが懐からナイフを取り出した。


「それ以上近づくとこいつが死ぬことになるぞ」


 ナイフをニーナの胸に突きつけながらこのように脅迫してきた。でも本当のところそれ以上の過激な行為をする気がなさそうだった。


 しかしそれも当然。だってあいつらがナイフを突きつけているのは最低一億円の価値がある男。それをこんなあっさりと捨てるはずがない。ニーナも怖がってるみたいな表情を浮かべているもののどうも演技くさい。だから俺も関係なく接近していった。


「く、来るな! 俺達は本気だぞ!!」

「俺も本気だ。さっさとニーナを解放しろ。さもなくば……」


 お前たちの命はない! と言いかけた瞬間、俺より早くルサカがブローカーに跳びかかっていった。


「ええっ、おい! 待てって!」

「よくもやってくれたな!! 死ねえっ!!」


 まるで野獣のような瞬発力で一気にブローカーとの差を詰めると、そのままスキンヘッドの胴体に体当たりした。


「ぐああっ!!」


 強烈な一撃にもんどり打つブローカー。しかしすぐ立ち上がって、顔を真赤にしながら「てめえふざけやがって!」と叫び、得物をめちゃくちゃに振り回していた。


 理性のない爆発的な暴力に対してルサカは腰を落として猫背気味の体勢になると、ナイフの斬撃を全てかわしていた。しかもそれはでまかせに体を動かしているだけではなく、間違いなくナイフの軌道を見極めた上でその切っ先より遠くに身を置いている。凄まじい動体視力と瞬発力だ。


「く、くそう! こうなりゃもうやけだ! 死ねえっ!!」

「無駄だ!」


 スキンヘッドがルサカに突進したもののルサカは自分の肉体を宙に浮かせてそれを回避した。曲芸師のような軽業でまたも空振りに終わったかに見えた攻撃。しかしこの狭い路地裏には他にも人がいたのを誰もが忘れていた。


「ううっ、くっ……!」

「ああ、ニーナ!!」


 ブローカーのナイフは路地裏の端にいたニーナの華奢な左胸を貫いていた。どくどくと溢れる赤い血が白い服を染めていく。


「ば、馬鹿な! なぜだニーナ!!」

「ひ、ひえええ……」


 ブローカーとしてもやはり殺すつもりはなかったらしく、己の愚行に今更ながら恐れおののいている。だが全てはもう遅い。


 最後に一瞬、ニーナは俺の方を振り向いて微笑んだ気がした。しかしあまりに一瞬だったのでそれは「そうであってほしい」と俺が望んだ幻覚だったのかもしれない。


 間もなく、天使は湿った石の上に倒れ伏した。その動きはまるで一秒が無限大のように、スローモーションにでもかかったかのように見えた。


 そしてどさりと無機質な音が響く。翼のない天使はもう、動かない。

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