エピローグ
幼稚園の帰り道だったとはっきり記憶している。小学生になる当分前だったはずから三歳か四歳の頃だと思うが確証はない。夕暮れ、母に手を引かれて金型工場のシルエットが伸びる通園路を歩いていた。
「あんまり寄り道しちゃ駄目よ」
何が原因でどういう文脈でこれを言われたかとかそれからどう反応したとかは全部吹き飛んでいるのに、なぜかそこだけスポットライトに当たったようにポツンと頭の中に浮かんでは消えず、気がついたら俺の人生の羅針盤の一つとなっていた。
それから小学生になって六年間をつつがなく過ごし、そして今はブレザーを着込んで中学生をやっている。概ねあの時言われた通りの人間に成長したと言える。
まああくまでそれは原則であって、あれから十年近くのうちには親に言えない秘密の寄り道も何度かはしてきたけど、でもやっぱり通学路や駅までの道、それと友達の家までの道以外を歩くのは少し怖くさえ感じてしまう。
また、精神的にもあまり寄り道しなかった結果いささか無口に成長してしまった。考えることは色々ある。でもそれをあえて口にするより行動で示したほうが楽でいいとかそういうベクトルで作用するのだ。悪癖ではある、間違いなく。心の中のひとりごとばっかり増えてしまうのだから。
初瀬顕真。苗字の読みは「はつせ」だけど訛って同級生からは「ハッセ」とよく呼ばれている。ちなみに名前はこれで「あきまさ」と読む。「けんしん」ではない。「けんま」でもない。何の取り柄もない中学ニ年生だ。
中には「何の取り柄もない」などと自称しながらも何故か女にもてたりするけしからぬ輩もこの広い世界には存在しているようだが、俺に関しては本当に、残念ながら本当に何の取り柄もない。
スポーツは得意じゃない。リフティングは三回ぐらいしか出来ないし小学生の頃は逆上がりも満足に出来なかったし。
真面目に教科書なんかを読み込んできたので勉強の成績はそこそこ健闘しているが、上には上がいるものでトップクラスではあるもののトップにはいささか遠いってところだ。サッカーのジュニアユースにいながらナチュラルに成績も学年トップの古谷くんとかああいう文武両道の天才には勝てません。
顔も、形状自体はそれなりに整っているはずだし決して悪くはないと我ながら思うんだけど、あんまりもてない。となるとやはり性格か。女子からは意外と優しいみたいに言われる事はあるけど、基本的には「一応存在は認識してるけど実際どんな人なのかよく分からない」程度の存在である。酷い分析だが客観的に見てそうならざるを得ないから仕方ない。
また、それを是正するガッツにも欠けている。いい人止まりなら別にそれでいいじゃんと妥協してしまう。要はもてようという努力をあまりしないわけで、それでは意外性の男、スーパーサブがせいぜいなのも当然だ。
もちろん伝説的な一族の血を引いているはずもない。両親ともに公務員の家庭に生まれてお兄ちゃんが一人いる。お兄ちゃんは運動神経いいのに何でこっちには遺伝されなかったのか。それとお兄ちゃんの机の三番目の引き出しにいけない小説や漫画雑誌が隠されてるのも知っている。
「顕真ー、食べ終わったらちゃんとお皿も洗ってね」
「うん分かったー」
今日もいつもと同じように公共放送を横目に食パンと目玉焼きを牛乳で流し込んだ後、カバンを持って家を出た。昨日のうちに教科書や体操服、ジャージもちゃんと準備しているし流し台に置いてあった弁当箱もちゃんと回収してジャージバッグに詰めた。忘れ物などあろうはずがない。
こうして昨日とも一昨日とも大して変わらない、ベルトコンベアで運ばれるだけの日常が今日もまた続くとその時までは思っていた。まだ寒さが残る季節の割に雲ひとつなく、水彩画の絵の具を伸ばしたような青色が空一面に広がる爽やかな朝だった。
横断歩道を渡ってからニつ目の角を右折すればすぐ学校は見えてくるがそんな事は意識するまでもない。見ているのか見ていないのかで言うと信号が青に変わったのをしっかり認知したので見えてはいたのだろうが。横断歩道を渡るのも無意識の中にあった。
誰もいないと思って生まれる前に生まれた歌を口ずさむ。そんな緩やかな空気は鋭いクラクションとエンジン音によって切り裂かれた。
「なっ!?」
何だと思って衝撃の発信源である右に視線を向けると、目の前に大きく迫ったトラックが、次の瞬間には急に遠ざかっていった。
いや、逆だ。俺のほうがトラックの野郎に吹っ飛ばされたんだ。急ブレーキでタイヤが削れる音までは聞こえたからそれを認識できたが、それ以降は何も聞こえなくなった。
次に俺の視線に映ったのは雲ひとつない青空だった。こんなに澄み渡った世界にどうやら俺は必要とされていなかったんだなとこの歳になってようやく悟った。
「あっ、死んだわ俺……」
真実を理解した瞬間、体中に言いようのない衝撃が加わった。ああ、これトラックが衝突したからね。俺はなぜか妙に客観的に自分の最期を看取っていた。
力を入れようとしても入らない。足で踏ん張ろうとしても文字通り地に足がついてないから踏ん張れない。
今、俺は空を飛んでいる。まるで風と友達となったみたいだ。
こんな感覚、今までなかった。それとも忘れていたのかな。子供の頃はもっと自由だった気がするけど多分気のせいなんだろうな。
ずっと寄り道とかしてこなかった。それはそれで間違いじゃなかったとは思うけどその分もっと自由になれた自分の可能性を無意識のうちに縛ってきたのかも知れない。
野の山を駆けて花と戯れ、ひらひらと飛び回る蝶々に挨拶を告げる。そんなとりとめのないビジョンがあちらこちらに浮かんでは消える。これは夢だろうか? 自問自答したが答えは分かりきっている。こんなの夢以外にありえるものか。
でも気分は決して悪くなかった。夢なら夢で構わない。ただ暖かくて心地よくて、出来ればずっとこんな空想に包まれて過ごせたらどれだけ良かっただろうか。
しかし永遠なんてものはこの世に存在しないもので、そんな暖かな光景は後頭部への強い衝撃とともに終わりを告げた。青の次は赤で目が覆われて何も見えない。とても辛く苦しい。
でもすぐに痛みは感じなくなった。そのうち全身の力が抜けていく感覚がしたかと思うと視界がだんだん狭まってきた。
誰だって死ぬのは初めてだなので「前に経験したから大丈夫」ってならないのが辛い。でもそんな俺でもこれで終わりって事ぐらいは理解できたので閉ざされていく世界をこじ開ける努力もせず、なるように任せた。
かくして俺の命は齢十三にして尽き果てた。さよなら現世。今度生まれ変わったら、せめてもてたいな。