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三人目~まわる夕日と一緒に~

そして三人目  その12「交渉」


 その数、38社。

 下請38社との信用が崩れ去り、今や督促こそすれ以前の様なお追従は無い。金を払ってこそ客、貰ってこそのサービス、当たり前である。しかし38社の全てに仕事を断られては、私は何もできない。


「社長の所にあと155万の未払金があるのは、重々承知しています。本当に申し訳ありません」お詫びから入る他はない。

「しかしながら入金の予定も無く、借入もできず、今は払うに払えないのが実情です」

「ふざけちゃ困りますよ。ウチは実際に工事をしてるんだから、お宅の客先に行ってでも貰いますよ」もっともだ。しかし、どうぞとも言えない。

「ウチは申し訳ありませんが、売掛金の全ては回収済みか相殺済みです。もう貰えるものは、ありません」

「て事はさ、ウチに払わなきゃいけない金を使っちまってもう無いと、そういう事か?」。そういう事である。

「はい、経費人件費等、私も経費削減等の手を打つのが遅過ぎました」。太山や闇金の事を言っても仕方ない。

「ふざけるなよ!あと155万!どうしてくれるんだ!高利貸しから借りてでも払えよ!」。既に使いまくって、弁護士を入れたとも言えない。

「本当に申し訳ありません。これで先の話が何も無ければ、もうここで会社を止めたい位の現状です。そうでなくてもさっきの話の様に、社長がウチのお客さんの所に行けば取引を切られてウチは終わりです」


 下請の社長は、黙って聞いている。

 早朝から訪ねた為、最初は無かった日差しが今登り、みるみる私の顔を照らして行く。私は構わず続けた。

「ところが幸い、お客さんの中にはこんなウチに仕事をくれる方もいます。実際今度の仕事は…」私はカバンから図面を取り出して広げた。現場打合せの後、私が鉛筆で補足を入れた、詳細なものだ。

「社長の所の狭小地用の機械が無ければ、仕事になりません」社長は図面をまるで表彰状の様に持直し、舐める様に見ている。

 社長が持つ図面で一度隠れた朝日が、それが地平線とばかりにぐいぐい登ってくる。

「まぁそうだな。関東でもあのクラスの機械があるのは、ウチの他にはそう無いよ」社長が再び図面を卓上に戻した。輝く朝日が、まともに私の顔を直撃する。

 私は図面越しにテーブルに平手を置き、ぐいっと力を入れた。

「その通りです。だから、お願いがあります!」もう一度ウチの下で仕事をして欲しい事、その代わり支払いは客先からのスライドで、ウチのサイトは使わない。更にこの仕事であがるウチの利益の半額を、未払金の払いに充てる。

「全てお渡しするのが筋でしょうが、それでは私が生活できません。この条件でいかがですか?」

 社長は了承した。このまま未払金が残り続けるよりは、仕事もできて残金も減る。



こうして下請各社を回り、あるいは呼び、話をしてようやく5社との付き合いを再開できるようになった。


 5社あれば十分だ。


 施工業者の次は、材料である。これはまず懇意にしている顧客がその材料を仕入れ、少し利益を取って貰ってからウチに卸すやり方で話がついた。ウチの利益は減少するが、顧客にすれば売上も上がり、数パーセントとは言え口銭も発生する。


 良し、できる。ウチはまだ死んではいない。借金が減った訳でも、未払金のカタがついた訳でもない。相変わらず元社員は困窮を訴え、太山はうるさい。「うるさい」を「五月蠅」と書きたい位である。

 しかし仕事ができるなら、何とかなるさ。いざとなれば投資の金は諦めて、太山を切ろう。いや、刀で切るのではなく契約を解除しよう。

 私は辞めた一部の社員に連絡を取った。事の次第を話した。一人が言った。

「やりましょう。俺だって自分がいた会社、潰したくないですから」ありがたい、と思った。二人で現場に行き、相談しながら見積りを作った。懐かしい作業だ。


 やがて一件の現場の受注が、決まった。利益は15%程度である。私達二人の当座しのぎと、やってくれる下請さんにも未払金を少し減らせる。

 着工1週間前、設計事務所と工務店、そして私達の三社で打合せが決まった。朝八時半、集合である。


「設計と元請さんはいいよなぁ、地元だから。こっちは六時半起きだね」

「いやぁ俺なんか五時ですよ」。前夜、笑いながら話し合った。

 しかし眠い目をこすりこすり現場に行ってみても、誰も来ない。

 私達は、顔を見合わせた。土曜日の住宅街である。あたりはシンとして、人影も無い。聞こえるのは遠くの電車の音の他は、雀達のさえずりだけである。

「時間、過ぎたな。元請に電話してみるか」電話での話は、眠気も何もかも吹き飛ぶような内容だった。



そして三人目  その13「倒産」


「あ、おはようございます!森沢です。打合せの現地に来てますが…」

「あれ?森沢さんの会社、潰れたって言うから設計にもキャンセルしといたよ」


 工務店担当者の、あっけらかんとした言葉に声も無かった。ようやく気を取り直して「いや、何をおっしゃいます、この通り潰れてないですよ」ウチは手形も小切手も無い。

 だから不渡りも無い。むしろ不渡りを出して完全に潰れた方がどんなにいいか、とも思った事がある。だが今は気持ちを前向きにして、こうして頑張っているのだ。どうしてそんな話になるのだろう。


「いや、エス何とかって所から、債権譲渡通知が会社に来てさぁ。あぁ、これは倒産したんだねって話に…」

「ちょっと待って下さい。いつの話ですか?」「昨日だよ」

 昨日と言えば、午後から大手町の国税局に呼び出されていた。そのエス何とかと言う所は、事業者金融である。


 取調べ中に電話が掛かってきていたので、電源を切って折り返しをしていなかった。取調べが終わったのは夜の9時を回っていたし、金曜の晩の事、月曜に電話しようと思っていた。今月も利息だけを振り込んで、元金を払わなかったから“不履行だ、手続きだ”と騒いでたっけ。


 本当にやりやがったな。

 しかし今はそれどころではない。私は工務店の担当者に必死で食い下がった。

「いや実際倒産していないから、こうして朝から現場に来てるんです」

「だって債権譲渡したなんて、電話もくれなかったじゃない?」

 できる訳がない。譲渡した覚えも無いのだ。


 契約の時に「万一書類を間違えたら大変なんで、念の為です」とか言って、白紙のコピー用紙にゴム印とハンコをついていたが、あれがそうに違いないと思った。

「現場だってもうすぐ着工なんですから、話は後にするにしても、打合せはしといた方が…」尚も言い掛ける私を、担当者は遮った。

「いずれにしたって、会社がもう森沢さんの所は取引停止だって言ってるから。じゃ」

 電話は切れた。私は呆然自失した。抗議しようにも、金融屋は今日も明日も休みだ。怒りでは無かった。絶望感だった。立ち直ったつもりの心が、積み直しかけていたものが、土崩瓦解する音が聞こえた。


「どうしたんですか」同行していた元社員が聞いた。

「キャンセルだそうだ」私は顔も向けず、答えた。

「え?設計さんの都合ですか?」現場の端にいたから、聞こえていなかったのだろう。

「いや、元請さんの都合だな、強いて言えば。帰ろう」

「早起きしたのになあ。じゃ俺、別の客と打合せがありますから、これで移動しますね」

「わかった」

「改めて打合せが決まったら、教えて下さい」

「わかった」

 しかし、そんな日はもう来ないのだ。

 

 私は電車を乗り継ぎ、会社に戻った。だが何件も掛かってくる電話に対応する為、何度も電車を降りなければならなかった。


 債権譲渡通知は、ありとあらゆる取引先に送付されていたのだ。驚いたお客さん達が、次々電話してきた。私は事情を、可能な限り正直に説明した。いつもの倍以上の時間を掛けて会社に戻ると、現場で別れた元社員が先に着いていた。


「社長、俺のお客さんの所にこんなのが来てましたよ!何ですか?これ」見るまでもなく、債権譲渡通知である。


 株式会社森沢パイルは澤田ホーム株式会社に対する売掛債権を、株式会社エスパイア商事に譲渡した。譲渡債権は今年の3月から五年後の9月までの間に発生する売掛の全額、とある。その間に森沢パイルに支払いをしたとしても、エスパイアに譲られた債権は消えないから注意されたし、ともある。


 これが全部の取引先に郵送されたのか。私は改めて愕然とした。

「社長!」呼ばれて我に返り、事情を話した。


 昨年東京物産と言うノンバンクから450万円を借入した。分割返済を続けていたが東京物産は解散し、エスパイア商事がその債権を譲り受けた。一方ウチは月を追う毎に苦しくなり、遂に先月の支払日に利息しか払えなかった。

 エスパイアの担当者は口調険しく、元金の支払いを迫った。翌日がウチのまとまった入金日だった事から、1日遅れで元金を入金し事無きを得た。

 だが今月も利息しか払えず、しかも入金は先に述べた通りに押さえられて入らず、遂に元金が払えないままになっている。わずかではあるが、利息分プラスアルファ程度の金額を振り込んでいるんだし、今は現金が無いが仕事をして来月は間に合わせるから、今月は待ってくれと頼んだ。

 しかし入れられず、約束通りに払えないなら法的手続きを執る、と言われていた。最後の電話に出る事が出来なかったのは、国税局の取調室にいたからだ。そこで連絡を絶ったと思ったのだろう。内容証明の発送に踏み切った訳である。


「それにしても全部の取引先を教えたんですか?」

「いや今の新しい会社とは、借用書の切り替えしかしていない筈だ。債権譲渡契約なんかした覚えは、無いんだよ。取引先を全て教えた覚えも無い。全く困ったもんだ」

 電話を掛けてきてくれるお客さんは、まだいい。掛けて来ない所は、二度と電話も見積りも無いだろう。今、話を進めている工事案件、全てが白紙に戻った。

 新しい仕事も、もうあり得ないだろう。私は自席に戻り、腕組みした。


「今朝の打合せキャンセルも、原因はこれですね?」私は、無言で肯いた。元社員も、そのまましばらく無言でいたが「今日は帰ります」とだけ言って出ていった。

 彼とて、二度と来ないだろう。


 一瞬の煌めきだった。自分はまだ死んでいない、と仕事の楽しさに胸を躍らせた。砂上の楼閣、それもほんの一刹那の事だった。いい夢を見た、と言うべきだろうか。

 弁護士に相談して対処する方法も考えた。しかし、これからどうするか?よりもそうした通知が来たと言う、それだけで取引はできないと言われ意味が無いと知った。


 これでもう、全ての道は閉ざされたのだ。




そして三人目  最終話「崩壊」


 月が変わり、10月になった。

 デンさんが入水して9ヶ月、鈴木さんが轢死して7ヶ月。

 三人目としては、遅い決断だったかも知れない。


 私は完全に、破れたのだ。


 机に突っ伏していると、メールが来た。先月で退職した、さっきとは別の元社員からだった。


「そろそろ限界です。毎日うんざりするほど嫁に責められています。先月分はまだともかくとして、先々月分もあと半分、頂いていない件です。嫁は知り合いの弁護士に、相談しているみたいです。

 事実、年の近い子供三人をまともに育てるのは、異常に金がかかります。嫁は元々パニック障害持ちですし弱い所がありますから、住宅ローンやカードの督促状が郵便で届く度に隠れて泣いています。今の状況で支払えないのは、私も営業でしたから良く解っています。

 ですから、倒産を考えて貰えないでしょうか?会社が倒産すれば、賃金未払いの立て替えで国が八割程度を負担してくれるそうです。もう、うんざりです」


 彼は営業マンとして、二年間ウチで働いた。こまめに動く所がお客さん受けした。

 また殊に「土をいじる」事には彼なりのこだわりがあり、私はその「こだわり方」が欠点でもあるが、同時にそれを補って余りある長所だと思っていた。面接の時から、変わっていた。「僕は地盤が好きで、地盤を愛しているんです」と言った。

 地盤改良工事を専門とする彼は、地盤と親しみ地盤とは人が勝つ事ができない大自然、と思っている。支持杭工事を専門とする私は、軟弱地盤は倒すべき敵であり、硬質の支持層はお互い譲らぬ好敵手だと思っている。


 考え方は違うが、そのこだわり方が私は好きだった。面接当日、即採用した。彼がいたからこそ、私は本業の他に不動産業をやろうと思ったのだ。

 溺愛する様に信頼した、と言っていい。

 会社のとどめが債権譲渡通知なら、このメールは私個人の精神的なとどめと言えた。屍の様に帰宅し、何かを食べて、寝た。何を食べたかすら、覚えていない。


 現場の無い日は朝7時に起きていたが、起きたとて何をするのだ?と思い二度寝した。9時過ぎ、私は木偶の坊の様に出社。以前は社員の手前もあり、遅刻には気を付けていたっけな。


 馬鹿馬鹿しくて、仕方なかった。


 会社の電話も携帯電話も、ひっきりなしに鳴る。全て督促の電話である。イヒヒと無人の事務所で狂人の様に笑い、電話が鳴り終わるのを待っては放り出す。また鳴る。今度はメールである。土にこだわりの、元社員だ。


「嫁が子供達を連れて、実家に帰りました。嫁の親父から連絡があり、明日までにまとまった金を作って迎えに来なければ離婚して貰う、と。さすがに途方に暮れて、近所を意味も無く歩いています。

 どうにか借金してでも、払って貰えませんか?払う意思があるのは判りますが、私は優先順位が低いのでしょうか?

 ダメなら後は法に任せます。社長もその方が気がラクでしょう」


 大丈夫だよ、心配しなくても潰れる、いや実際潰れているよ。これ以上何をどうしろってんだよ。


 太山からもメールが来た。案件打合せ、至急要す、とある。私はフラフラと不動産の店舗に入った。

 こんな案件も、またこんな案件もある。決まればこんなに儲かる。それもこれも、金を貰えるかどうかだよ、さぁいつ払うんだよ?

 結局は督促だ。儲け話をちらつかせて金を出させ、そうして何も無い。やり方が同じですよ、フトヤマさん。


 私は外へ出た。ただ、歩いた。


 俺は何か悪い事をしたのか?いや、金が払えない、その一点でもう憎むべき極悪人なんだ。金の切れ目ってなぁ、こんなに恐ろしいもんだったんだなぁ。


 もはや札など持っていない。ポケットには小銭のみである。ポケットに手を突っ込んで、小銭をいじった。


 チャラチャラ音がする。「金」、か。お前達って、凄いんだなあ。


 チャラチャラ、チャラチャラ、ただ音をさせながら歩いた。横断歩道も交差点も、お構い無しだ。


 チャラチャラ、チャラチャラ、全ての神経は小銭の音に集中している。


 チャラチャラ、チャラチャラ、10月とは言え汗ばむ陽気は続く。もう夕方なのに、汗が垂れる。


 チャラチャラ、チャラチャラ、ふと見上げた目にまともに夕陽が飛び込んだ。


 あ、と目を逸らしたその先には、大きなクラクション。


 運転手が目と口を最大限に開いてハンドルをきる姿が、スローモーションで見えた。刹那後、夕焼けを逆さに見ながら、デンさんの声を聞いた気がした。




エピローグ「日常」


 夕方の秋葉原。


「それにしても、社長があんな形で死ぬなんてね」レモンサワーを片手に、私服の男達が話している。


「うん、驚いたよ」


「まぁでも、会社が良かった頃には世話になったよな」


「うん」


「でもさ、素人が不動産なんて始めて俺達給料も貰えなかったんだぜ」


「しかし会社が潰れたから何とか国から補填して貰えたじゃないか。失業保険だって辞める時に給料額を社長が水増ししてくれたから、結構貰えてるし」


「それはそれだよ。あん時は実際苦しかったよ。うちの家なんか離婚の危機だったからね」


「俺も最後、もう一回社長と仕事しようと思ったんだけど、売上を押さえられちゃってね」


「あぁ聞いたよ、それ。前のお客さんから電話来たよ」


「ひどかったよなぁ」


「あぁ」


「そうだな」


「参ったよな」 口々にそう言って、それぞれの酒を空けた。



「まぁでも、最後は死んでくれて却ってすっきり物事が片付いたんじゃない?」


「お前、そんな言い方するなよ」一人が色めきたった。


「まぁまぁ、でも感情は別にして、金も入って来て片付いたって点では、そうかもな」


「ただ、聞いた話だけど、本当に交通事故なのかそれとも自殺なのか、社長の遺族と保険会社がまだ揉めてるって話だぜ」


「自殺は無いだろう」


「いいや、わかんないよ」


「俺の最後のメール、返事が無くてさ。まさかあれが原因かな?」


「そんな事無いだろう」 一同は、笑った。


「それにしても、奥さんも大変だよな」


「うん、そうだけど俺達別に何もできないし」


「そりゃそうだ。悪いけどそれは関係無いからなぁ」新しい酒が来て、皆それぞれを手にした。無言である。一人が沈黙を破った。


「それでも一時期世話になった社長だ。悪く言うのはよそう」


「そうだな」


「そういやお前、転職先が決まったんだって?」一人が話題を変えた。


「あぁ前の取引先の中央興業開発の担当者が誘ってくれたんだ」


「良かったなぁ、あそこはウチでも一番良い客だったからな」


“ウチ”と言う言葉に、その場の全員が引っ掛かったが、誰もそれを口にはしなかった。


「祝いだ、飲もう!」「おう!」「乾杯!」彼らは、居酒屋の喧騒に馴染み埋もれた。




池袋の夜半。


「森沢が交通事故で死んだの、知ってる?」太山はホッピーを空けながら、森沢と共通の友人に聞いた。


「えぇ、ニュースで見ましたよ。びっくりしちゃって」太山に呼び出された男は、横浜で不動産業を営んでいる。


「いやぁあいつにも随分良くしてやってさ。仕事も教えてやって、金が足りない時なんか俺の家まで担保にして融通してやってたのになぁ」


「そうだったんですか?」


「そうだよ!」太山は唇を曲げて語気を強めてから、ふと口調を和らげた。


「まぁ死んじまったからにはしょうがないよね。友達だと思って、借用書も取ってなかったからな」


「太山さん、面倒見がいいから・・」


「いやいやお人好しなだけさ。それにしても、これから儲けさせてやれる案件がいっぱいあるのにな。惜しい事をしたよ」


「案件ですか?」


「あぁ例えばこれは俺が自分の金で押さえている足立の土地なんだけど」太山はカバンから資料を出して、男に見せた。


「こことここは俺が今、個人的に850万の手付けを出して押さえている。この・・」と図面を指差し


「この1軒が同意すれば、まぁ早く言えば地上げなんだが、同意すれば10億で買う大手がいる」


「10億ですか!」男は目を剥いて食い入るように図面を見た。太山は口の端に笑みを浮かべ続ける。


「ところがこの1軒が落ちたも同然なんだが、手付けの金が無い。俺の金はさっきも言った通り森沢に貸したり、隣の家なんかに850万入れてて、さすがの俺も手持ちが無い。ここに300万入れればまとまるんだがな。その金を森沢が作る筈だったんだ」


「そうでしたか」


「あぁ俺もアドバイザーとしてあの会社に出入りしたからには、この位の働きはしなくちゃと思ってね。ま、別に基本給や決まった報酬とかは貰ってなかったから、森沢に義理は無いんだけど、まぁ、気持ちだね」


「ほんとに太山さんは義理堅いからなぁ」


「いやいや、それが男だよ。関わるならそれ位の気持ちが無いとね。しかし300万を森沢が用意すれば、10億分の仲介手数料だったんだがなぁ。あいつ、もう少し生きていれば・・」


「それでこの後、どうするんですか?」


「うん、悩んでるんだが、今まで使った850万といろんな経費で100万位、それだけだと行って来いだから利益で50万位乗せて、合計1000万でどこか地上げができる会社に権利を譲ろうかと思ってるんだ」


「え!そしたら仲介手数料は?」


「まぁそりゃあ、貰えないよね。でもあと300万だから惜しいんだが、ちょっと金が続かなくてね」太山は深いため息をついて見せた。「二年がかりでここまでまとめたんだが・・」



男は生ビールを注文しながら「太山さん、その300万、俺が出しますよ!」


「え!本当かい!?」


「もちろんです。それだけじゃなくて、太山さんが個人で突っ込んでる850万と経費100万、それもウチで出しますよ。その代わりウチだって宅建業者ですから、仲介はウチで入らせて下さい」


「ああ、出してくれるんならそりゃもちろんそうするさ!でもあんまり時間が無いんだ。森沢が作る作ると言って引っ張りやがってさぁ。もう少し時間があれば俺だってたかが300万位、作って見せるんだけどね」太山はホッピーの“ナカ”を注文した。チラと男を見ると、熱心に住宅地図を睨んでいる。


「実は明後日までに権利を譲るか、300万用意するかの、瀬戸際なんだよ。もっと早く社長に相談すれば良かったよ」呼び方が、「社長」になった。勝負所である。


「大丈夫ですよ。明日の朝一番で振り込みますよ」太山は小躍りしたくなる気持ちを押し殺して、冷静に諭すように答えた。


「いやいや、地上げだからさ、あんまり金の流れの証拠を残すと、もし揉めた時に社長の会社の免許に傷が付くよ。地主だって俺の顔しか知らないし、俺を信用して応じる話になってるからね。俺が現金で預かるよ」


「分かりました。じゃ、とりあえず押さえに使う300万、明日の、そうしたら10:00に池袋の新しくできたルノアールで渡しますよ」


「わかった、10:00だね。よし、二人で組んで儲けようぜ」


「えぇよろしくお願いします!」二人は店を変えようと、肩を並べて歩き出した。


「何だか森沢さんには悪い気がしますが、でも捨てるには惜しい話ですからね」


「そりゃそうさ、死んじまったんだ。遠慮は無用さ」行きつけのキャバクラの前で立ち止まり、男を促して入った。




「死んだやつが、馬鹿なのさ」




太山の呟きは、しかし店の喧騒に紛れて誰の耳にも届かなかった。


(完)

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