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三人目~もがきもがく~

そして三人目 その5「末期」


 盆休みが明けて、世間のサラリーマン達は休み明けの挨拶に回っていた。

 今年の夏は、ひどい暑さであった。酷暑と言う言葉に肯いてしまう。元々汗かきの私は滴る汗を大きなタオルで何度も拭い、弁護士事務所の前に立った。

 池袋サンシャインの中にある見栄えのするオフィスだった。ホームページによればいろんな人気番組に出演し「闇金と戦う弁護士」として、その交渉の様子が動画で紹介されていた。私は期待に胸を膨らませた。

 受付から応接ルームに案内された。部屋をパーテーションで細かく区切り、幾つもの部屋に分割されている。よほど来訪者が多いのであろう。しかし照明が明るいので救われた。


 これで暗かったら、安手の風俗店である。

 随分、待たされた。待つ間、この弁護士事務所を紹介する薄い漫画の冊子を三冊渡された。私はそれを読んだ。非常にさわやかな弁護士が、いともスムーズに事件をさばいていくストーリーだ。三冊とも読んだが、それでも誰も来なかった。

 “タバコが吸いたいなぁ”。

 出された麦茶も飲み終わり小さく呟いた時、ようやく黒ぶちの眼鏡をかけた男性が現れた。「お待たせしました」私は立ち上がり、「いえ、よろしくお願いします」。柄にもなく、緊張していた。弁護士かと思ったが、「事務員の金田です」と名乗った。「私の方で書類を確認させて頂きまして、後ほど弁護士が参ります」。


 眼鏡の事務員が書類を確認している間、私は申込書のようなものを書いていた。時折質問が入り、私は書類を書く手を休めずにそれらの質問に答えた。


「これは、150万円ほど必要になります」。私は書類を書く手を止めた。

「150万、ですか?」

「そうですね、負債総額も思ったより多いので」とてもそんな金は無い。十分の一も、無い。しかし高利貸し、闇金の支払日は今日だ。迷っている暇は無い。この時は5件の闇金から借金を重ねていた。

 闇金独特の計算方法が判らず、本来の元金が幾らで、今まで幾ら利息を払ったのかも解らなくなっていた。末期症状である。


「せめて闇金だけでも、何とかなりませんか?」。私は、哀願していた。何しろ10万程度しか持っていないのだ。利息にもならない。今夜から始まるであろう更なる取り立てを思うと、とても平常ではいられなかった。




そして三人目 その6「闇金」


 高利貸し、闇金融、わけてもいわゆる「090金融」の連中には、特徴がある。

 風体、身なりは、実は様々である。いかにも暴力金融らしい恰好もいれば、クールビズが当たり前のこの酷暑の中、いついかなる時でもネクタイに背広まで着用しているグループもいる。

「俺はお客さんと会う時は、まるで銀行マンのように接しろって下の連中にも言ってるんすよ」話し言葉はとても銀行マンではないな、と思ったが黙っていた。

 売掛買掛の資料を見ながら、「社長、これなんて読むんすかね?」指差す先には「相殺」と書いてあった。読み方と仕組みを、私は説明した。


 そんな彼らの共通点は、必ずと言っていいほど皆が皆、なぜか顔に傷があるのだ。入ったばかりの新人で、今日は集金だけ来ましたと言っていた傷の無い若い衆も、次に会った時には額に絆創膏を貼っていた。「どうかしたの?」と聞くと、「いや、ちょっとしくっちまって、デカいガラスの灰皿、投げ付けられました」。

 みんなそうやって増えていくんだろうか。その日は私も時間があり、いろいろ話したせいだろう、その若い衆から後日電話が来た。

「俺、会社辞めました」

「あぁ、そうなんだ。俺が言うのもなんだけど、その方がいいよ。次は何をやるんだい?」

 闇金になる前は、現場で職人をやっていた彼だ。また現場に戻るならいいのに、と思った。

「別の会社で今度は使いっパじゃなくて、お客を持てるようになったんすよ!社長!俺から借りて下さい!前いた所よりは安くします!手数料なしで、30パーでOKっす!」


 その「前いた所」には、概ね10日で35%程度の利息を払っていた。最初に借りた契約は額面100万、手取りは65万、そこから手数料で5万引かれる。都合60万の残りである。そして10日後には100万にして返済しなければならない。返せなければ“ジャンプ”と言って利息だけ払う。それは35万だったり40万だったり、その都度相談だが結局言いなりで金を払う事になる。


 一か月借りたままだと、3回利息を払う。35万の利息が3回で105万。手数料だの交通費だので、10万位余計に払わされたので115万。借りた手取りは60万。一か月で完済をする為には、実質元金60万に対し利息総額115万、合わせて175万を払わねばならない。そんな闇金を5件も使ったのだ。良く考えてみれば、そりゃあ金も無くなるわな、と思った。

 給料日と入金日が重なり、入金ズレが午後三時に発覚する。私は社員を待たせて新宿に出掛ける。闇金から金を借り、駆け戻ってみると社員は誰もいない。待ちくたびれて「月曜でいいです」とメールが来ていた。


 太山の娘が、アメリカに留学していると言う。今日金を送らないと、留学自体がダメになると言う。私は闇金を地元の喫茶店に呼んで金を借り、太山に渡す。しかし振り込みに行くでもなく、ウチの会社のパソコンでブログをあげてたりしている。

 自分が何をしているのか、全然分からなくなっていた。天を仰いでも焼けつく日差しが照るだけである。闇金達は、しかし不思議がっていた。しつこく借入歴や過去の経歴を聞いたものだ。

「普通、自分達が来るとみんなちょっとビビるんすよ」「そうだろうね」

「社長は何でそんなに普通に俺らに交渉できるんです?」

「だって高いんだもん、安くしてよ」

「いや俺らも金主に顔立たないんで」

「じゃいいわ、金は要らんから帰るわ」本当に帰った事もある。


 それでもやっぱり闇金である。一人二人ならまだしも顔に傷がある連中が5件、顔を知っている人数は12人。そんな連中が会社に自宅に客先に押し掛けて来たら、と思うとどう防衛したら良いやら、その時は見当もつかなかった。

「何とかこの5件だけでも、対処して頂けませんか?」ホームページによれば、この法律事務所は闇金にには滅法強いのである。だから選んだのだ。「何とかお願いします」

「それは可能ですよ。それにだいたい彼らは弁護士が介入するとすぐ抵抗しなくなります」

「嫌がらせとか無いんでしょうか」

「そうですね、ウチでは数千件、同様の事件を扱っていますが、そういう事が起きたのは稀ですね。まぁまず大丈夫ですよ。安心して下さい」事務員は笑みを浮かべてそう言った。


 私はほっとした。これだけでも落ち着いたら、毎日がだいぶ違うと思った。事務員は続けた。

「闇金1件につきまして、6万円の費用が掛かります。5件ですから30万円、これは税別です」さすが事務員、事務的である。

「費用が無いようでしたら、分割も可能です。10回払いでよろしければ今日は着手金として税込52,500円、残りは3万円ずつ分割で最終回に端数調整します。よろしいでしょうか?今日は5万程度、ありますか?」

「あの、ホームページで着手金無料キャンペーンとあるのを見たんですが」セコイが、真剣である。

「あれは過払い金の返還請求事件に限ります。森沢さんの場合は適用されません」この人まで借金取りに思えてきた。

「分かりました、では闇金対処だけ、お願いします」。事務員は書類の中から闇金に関するものだけを抜き取ると、部屋を出て行った。


 待つ間に、携帯が鳴った。闇金である。私は、出なかった。二回目、三回目、やはり出なかった。四回目、私は携帯の電源を切った。




そして三人目  その7「熱波」



 ようやく私と同年代と思われる弁護士が来た。いかにも忙しげに質問をしてくる。私は正直に答えた。

「分かりました。今日が支払日のものもあるから、今日で全件介入だね。こちらから全て介入の電話を入れます。森沢さんにも当然電話が掛かってきますから」

「はい、何と言えば・・」

「出ないで下さい。今後、彼らとの交渉窓口は当事務所1本に絞ります。知らない番号から掛けてきて出てしまった場合も、そうと判ったら何も言わずに切って下さい。そしてその番号を私どもに教えて下さい」

「分かりました」

「会社や自宅に嫌がらせをするケースも、多々あります。ためらわずに110番して下さい。御家族にも徹底して下さい。隣の住民などに嫌がらせをしてきたケースも以前ありました。こういった事は防ぎようが無いので、耐えるしかありません。負けて交渉を自分でしようとしたり、抗議したりすると彼らの思うツボです。絶対しゃべらないで下さい」

 自分が耳なし芳一に思えてきた。私はともかく家族は大丈夫だろうか。不安が募った。しかしふと思うと、先程の事務員の話とはだいぶ違う。

「また勧誘も増えます。何しろ借りさせようとします。決して借りないで下さい」

「分かりました」

「御家族にも連絡して、心構えをしっかりして貰って下さい」まるでサスペンスドラマの登場人物にでもなった気がした。不安からくる、高揚感である。

「私達も全力で戦いますので、その点は心丈夫でいて下さい。私達からの電話には必ず出て下さい」弁護士は胸を張って、笑顔を見せた。

「さて費用ですが、5社ですから合計で30万掛かって、これは税別です」さっき聞いたが、私は黙って肯いた。

「この程度の金額ですとあまり長くできないので、まあ5回の分割になります。今日は6万、残り4回、毎月6万ずつですね。払えますか?」話が、違う。が、散々脅された後であり、この弁護士に頼まなければ今日から何をされるか分からない。

「分かりました」承諾するしかない。闇金の条件を飲んだ時と同じ心境だった。

「月々のお支払いが無かった場合、闇金との交渉を打ち切ります。しっかりお願いします」私は、肯くしかない。

「本当なら会社も個人も破産申請した方が簡単なんですがね。なに、破産と言っても昔の様なイメージのものではありません。皆さん、明るく再スタートしてますよ。えー、森沢さんの負債総額ですと、そうですな、最低でも200万は掛かりますね」


 “簡単”との理由で勧められたのもさることながら、どうして事務員の説明といちいち違うのだろう。そんなに金が欲しいのか、と反射的に思った。しかしそれを口にする事はできなかった。弁護士だって商売だ。当の事務員は、弁護士の横で心なしか小さくなっている。私が抗弁しないので、ほっとしている事だろう。

「いえ、今回は闇金だけ、お願いします。時期が来るようでしたら、後の事も相談します」相談する気は無いが、そう言った。

「一度に済ませた方が、結局は安いですがねぇ。無理をし過ぎて後になると、破産したくてもできなくなりますよ」そんなに破産させたいのだろうか。

「良く考えてみますが、何しろ今日は闇金が気掛かりなんです」

 弁護士と事務員は出て行った。入れ替わりに書類係りの男性が来て、これも極めて事務的に契約書などを作成した。

 その書類係りと先ほどの事務員に見送られて、私は事務所を出た。弁護士は出て来なかった。私はそれだけ、しょぼい客なのだろう。何だかあの弁護士とは二度と会う事はないような、おかしな予感がした。


 長く冷房で冷やされた身体を、熱波が包んだ。血液が見る見る膨れて行くような感覚がして、私は軽いめまいを覚えた。何しろどうあれ、手続きは終わりである。しかし終わったのは手続きだけで、これからが新しい展開の始まりである事は私も解っていたつもりであった。




そして三人目  その8「国税」


 突然弁護士に介入された闇金達は、やはり当然のように私の会社や携帯に電話してきた。私は言われた通り出ないようにして、何日の何時にどの闇金から電話があったかを弁護士事務所の事務員に報告した。やがて電話も鳴らなくなった。会社や自宅に訪ねて来る事もなく、私をはじめ大げさに口酸っぱく警告された家内も拍子抜け気味だった。

 こんなにあっさり引くのなら、もっと早くに弁護士を頼むべきだったと後悔した。


 しかしこれで会社の状態が好転するかと言えば、何一つ変わらない。闇金が無くなった分だけ、首が締まる速度が緩んだだけである。下請さん達からは、相変わらず猛烈な請求が来る。

 中でも鋼材やセメントなどを販売している材料屋さんと、重機を持っている施工屋さんは強硬に交渉してきた。どちらも神奈川県の会社である。それは偶然にしても、二社ともまるで示し合わせた様に「債権譲渡契約書」を持ち出してきた。材料屋さんは月々30万円の分割払いに応じる。不履行の場合、債権譲渡通知を客先に送ると言うもの。私は承諾し、契約した。施工屋さんは私が提案した月々50万円ずつの提示を却下。約700万円、全額一括払いを譲らない。とても払える金額ではないが、二人一組で会社を訪れ、「手ぶらでは帰れない」と契約を迫った。物言いこそ大人しいが、目的を達するまでは腰が上がる事はなさそうだった。

私はやむを得ず契約書にサインした。次の入金で、全額は無理でも60%程度は払える見込みがあった。一括ではないが、その位払えばまた相談に乗ってくれる言質は取れた。


 ところが悪く転がっている時には次から次へと悪い事が起こり、連鎖し絡み合い二重三重の板挟みとなる。日一日と、いや半日や一時間の間に状況はどんどん悪化する。

 私は60%どころか、1円も払えなかった。当然先方は立腹し交渉の余地もなく、即日債権譲渡通知を内容証明で私の顧客に送達した。出した先はウチの会社の売上の半分以上を占める、お得意中のお得意先である。何度も訪問しお詫びし、交渉を重ねた。しかし大手の事、ウチは取引停止となってしまった。自動的に月の仕事の半分以上は、消滅した。更にまだ貰える予定だった約800万円の入金が消えた。


 途方に暮れて帰社すると、他の下請さんの社長が待っていた。事務所に入って貰ってお詫びし、事情を話していると、携帯が鳴る。社会保険料を滞納しているので、年金事務所からの督促である。切らない内から会社の固定電話が鳴る。出ればノンバンクである。高利ではないので弁護士は介入させていない。元金が払えず、やむなく利息のみを振り込んだが納得していないのだ。

やはり事情を話してお詫びしていると、内容証明郵便が届いた。退職した社員からである。未払いの給料を払わなければ、労働基準監督署に訴える他、法的手続きを取る、と言うものだ。

 訪問していた下請の社長も呆れ顔で、「また来るから」と言い残して帰って行った。

 仕事など、とてもできない。潰れる会社ってのはこんなもんなのかな、と一人呟く。


 それでもこれから始まる仕事が二つあった。どちらも1000万近い仕事であり、利益もそれなりに取れる予定だ。それらの仕事をやって、そうしたら少し楽になる。


 翌朝出社して図面の整理をしていると突然訪問してきた三人組があった。

出て見ると身分証を出して見せた。

「国税局です。査察ですので、御協力をお願いします」。私は応接セットに通して、首をかしげて見せた。

「国税さんって、儲かってる会社に来るもんじゃないんですか?」

「いや、ある会社さんの調査をしておりまして、まあ反面調査です」

 しかし調査が進むにつれ、当初3人だったものが7人に増え、本格的な調べに入っていった。私は約一週間、仕事にもならず社内で質問攻めにあう事になった。

 受注工作資金として、裏金を作っていたのでないか、と疑いを掛けられたのだ。



そして三人目  その9「殺意」


 この国税局とのやり取りも、仲間の会社に巻きこまれる形で、業界仲間の反目・造反などいろんな事が巻き起こった。


 しかしここでその出来事ややり取りを再現するつもりはない。ただ私の時間が大幅に潰れ、仕事に十分な時間が取れず、何より反面調査とかで客先の数件にも調査が入った。そうして期待していた仕事が、無くなってしまったのだ。簡単に言うとウチの会社を外して行われる事になった。

「分かりました。協力会社を紹介しますので、直接取引して下さい。前金で頂いていた分はお返しします。ただ今は苦しくて払えませんので、しばらく猶予を頂きたいのです」

 私は絶望感に打ちひしがれながら、そう言った。それでもこのお客さんから次の仕事が貰えれば、前金の返金もそこから相殺と言う方法が取れる。だがこの感じでは、もはや二度と取引して貰えまい。何より協力会社を紹介してしまえば、金銭的にはウチを使う理由は無くなる。

 もう何も無くなった。


 ウチの受注金額のまま下請さんに受注して貰い、当初決めていた下請さんとの取決め額を引いた差額をバックして貰う手もあった。つまり売上は捨てても、利益だけは守るやり方である。ところが下請さんは今回の経緯に加え、一度も取引の無い所との初契約であり、全額前金を要求してきた。おかしな話ではない。私だって初取引は警戒する。与信が立たなければ、前金で工事代金を頂戴しリスクを避ける。


 だがお客さんの言い分も、また判る。


「当初はお宅との契約で、前金も一部だが渡していた。残金は当社の支払いサイトで請求から40日後で良かった。それがお宅の都合で下請さんと直接やる事になり、前金は返すと言ってもすぐには払えないと言う。その上、お宅と決めたそのままの金額で、それも全額前払いなんておかしくないか?」

 おっしゃる通りである。結局お客さんの立場では、当初の取り決めに私が返せない前金の額を足した金額の全てを工事前に負担する事になる。


 お客さんにとっては、こんな馬鹿な話は無い。私は悩んだが、話がまとまらず着工が遅延したり頓挫したりする事態は何としても避けねばならないと思った。お客さんにも、何よりも何も関係の無い建築主、つまりお施主さんにも大変な迷惑を掛ける事になるからだ。まとめる方法は一つしかないが、それは私にとっては苦渋の決断である。


 悩みながら会社に戻ると、未払いのある別の下請さんが待ち伏せしているのが見えた。探偵ではない、単なる工事会社の社長だ。私に50mも手前から、張り込みを発見された。私はしかし、応対する気になれなかった。悪いが、それどころではないのだ。

 私は自分の会社が見える川沿いの土手に登った。座りこんで会社を見れば下請の社長は、止めてあるウチの車を覗きこんだり、明かりの消えているウチの窓を見上げたり、手持無沙汰に煙草をふかしたりしている。


 “あの人だって、必死なんだ”それは解っていても、腰を上げる事はできなかった。私も煙草に火を付けて、ゆっくりと吹かした。


 不動産部の人件費や経費、物件投資、それに太山に勧められて購入し、未だ売れない物件の購入資金、全て計算するとざっと6000万円になる。それ以外に不動産部を立ち上げたからと一般ユーザー向けの宣伝やイベントも打った。その経費で概ね1000万。合計7000万円を不動産部に使った事になる。

 その為に下請さんの支払い、社員の給料、自分の生活費は勿論、ありとあらゆるものが払えなくなった。資金繰りが苦しい時に頼っていた定例会の親分も、3000万を返さなきゃ新しい貸金には応じられないと言う。当たり前である。全ては、私の責任だ。

 あれもこれも、やらねばならない事は山ほどあるがどれも手につかない。

 私が事故で死ねば、会社に8000万円が入る保険に入っていた事を思い出した。ただ事故と言っても、もう現場は無い。何より現場で死んだら、お客に迷惑が掛かる。ウチの会社は3階だ。窓拭きでもやって、誤って落ちるか。3階ではしかし、怪我はしても死なない可能性の方が高いな。


 取りとめもない考えを巡らせていると、いつの間にか下請の社長は消えていた。今日の所は、諦めたのであろう。私は会社に入った。

 自分の机に向かいながら、以前趣味で購入した居合刀が目に入った。どうせ死ぬなら、不動産アドバイザーの太山を殺そう、と思った。居合刀であり真剣ではないが、切っ先は十分に鋭い。

 刺せるはずである。

 私は刀を抜き、鈍く光る刀身を見やった。




そして三人目  その10「失意」


 と、その時、会社のドアを激しく叩く者があった。

不意を突かれた私は、これ以上もないほど驚いた。刀を鞘に納め、鍵を開けると二人の男が倒れ込む様に入って来た。

 国税局の二人である。

「どうしたんですか?」と私が尋ねると、「社長こそどうしたんです?窓に不穏な影が写ったのを、たまたま見て驚いたんですよ!」

 たまたま見たのか見張っていたのか、そんな事はどうでも良かった。私はただ“まずい所を見つかった”と、母親に自慰でも見つけられた子供の様に恥ずかしかった。


 実際にはまずくも恥ずかしくもないのである。刀は居合刀で真剣ではない。喉元や腹に当てていた訳でもない。ただ鞘を払って眺めていただけである。人を殺そうと思っていた事など、言わなきゃ誰にも判らない。私の殺意はこの国税局の憎めない二人の若者によって、遂にうやむやになってしまった。夜半とはいえ気温は30度を下らない毎日、この二人は張り込みを続けた上エレベーターの無いビルの三階まで階段を駆け上がって来たのだ。

 驚きから恥ずかしさへ、そして二人を思って今は安定した私は「いや、眺めていただけですよ。私も帰る所ですから、外へでましょう」と促した。

「本当に帰られますか?大丈夫ですか?」二人はまだ心配している。

 私は、笑った。

 その顔に安心したのか、二人はようやく帰った。その後も尾行したかどうかは、私には判らない。本当にまずいのは、その報告を聞いた国税局の上司の誤った判断だった。


 翌朝九時になるや否や訪ねてきた上司は「死んでまでかばおうとするのは、誰なんです?」と言ったものだ。受注工作資金の裏金作りを誰かの指示で行ったが、私がその人を庇うべく調査ではだんんまりを決め込み、果ては自殺しようとした、と見たらしい。

 見立て違いも甚だしいが、本当の事を言う訳にもいかない。庇う者はいない、裏金作りも事実無根と、今までの主張を繰り返した。

 太山は国税局によって命拾いした格好だ。


 血が下がった頭で考えれば彼を殺したとて、誰に何が伝わるものでもない。会社が潰れたやつあたりか逆恨みと思われて、私は気が狂った極悪人、彼は善良な気の毒な人になるだろう。ましてや残される家族を思えば、やはり殺害はできなかった。私の家族は「人殺しの妻・子」の烙印を押されて人生を歩まねばならぬ。また彼の家族も犯罪被害者の遺族である。どうあれ彼の家族に罪は無い。

 どちらかが、あるいは二人とも死んでも、私と彼の遺恨は形を変えて遺族の間に生き続けてしまう。

 悶々としつつも、しかし激烈な取り立てに追われる毎日は、変わらなかった。闇金が消えても、安穏とした日々は戻らない。



 未払金が残る下請さんは38社を数えた。また、複合機や車のリース、ノンバンク、更には現金を借り受けた個人に、退職した社員。彼らは彼らで、必死に回収しなければならないのだ。

もうダメだ、もうダメだ、と思いつつ毎日は矢の様に過ぎ去る。


 自分のアドザイザー料が遅延している事に激昂した太山は、不動産部の売上である仲介手数料収入を全て直接自分のものとして会社に入れなくなった。お客さんに無理強いしてでも、会社への振り込みを避け、現金で手数料を払わせた。果ては売買の手付けを、自分で持って行ってしまった。

 手付け金は、預かり金である。お客さんの住宅ローンが通らなかった場合、返還するべきものである。ウチが売主の物件とは言え、返せない事態になってしまえば大変な事になってしまう。


「大丈夫だよ。あの客は通るよ」。太山は何の根拠もなく言い放った。

「これでウチのスタッフに払えるよ。どうもありがとう」

私がリスクを主張すると

「自分の信用が無くなるのはしょうがなねぇよ。ただそれで俺の下の連中が、家賃がカードが払えないってなったらさ、どう責任取る?死んで詫びるくらいして貰わねぇとさ。俺はそれ位の覚悟はしてるよ」と言った。

 だから私にも死ね、とでも言うのだろうか。私が道連れを諦めたから、あんたはそうやって唇をひん曲げて文句が言える。彼は腹が立った時、ひどく唇を曲げてモノを言うクセがあるのだ。

 そうしてお客のローンは通らず、売買契約は白紙に戻った。契約書により私は手付け金を「即座に」返還しなければ、ならない。


 太山に言うと「手付金が返せない?そりゃあ、使っちゃうからだよ。取っとくのなんか、不動産屋として常識だよ」と言った。忘れているのだ。自分がどんな金を持って行ったのか、忘れているのだ。


 私は次の工事の入金まで、返還を引き延ばすしかなかった。そして入金はズレてしまい入らず、私は仕方なくあれほど止められていた闇金を、また使った。10日後、再び利息が払えずに追いまくられる日がやってきた。

「不動産部も売上を作ってくれないと、本当に死んじゃいますよ、このまんまじゃ」。太山に言った。

「社長たるもの常に三ヶ月後を見据えて資金繰りしなきゃ。それに不動産の収益なんて水ものだから、資金繰りになんか入れちゃダメだよ。死んじゃうって言われても、そりゃ工事部の売上が落ちてるからだろ?俺のせいじゃないよ」


 唇が、曲がってきた。「それに明後日はまた報酬の支払日だけど、今月は91万、払えるんだろうね」。91万?あなた、今月幾ら会社に入れたの?ゼロでしょ?ゼロ売上の顧問料が、91万?払えなきゃ死ね?そうかい死ねと言うなら死にましょう。もういいや。死んでカタがつくなら、死んでもいいさ。


 10月を目前にしても、未だ汗ばむ夜の街に、私は出た。

 保険金も、もう要らない。ただ死ぬ事だけを、考えていた。




そして三人目  その11「希望」


 ぶらぶら歩いた。デンさんの様に海に行こうか。デンさんが沈んだ2月の海は、さぞかし冷たかったであろう。それを思えば、9月下旬とは言えこの猛暑、今は逆に気持ちがいいかも知れない。

 でも東京湾なんか、臭いだろうな。下水も混じっていたら、汚ないだろう。湖にするか。いや、富栄養化の進んだ緑の水になんか、入りたくない。


 樹海は、どうだ?森林浴と洒落てそのまま帰らず、獣に食われれば食物連鎖の一端を担い「無駄死に」の無駄加減も軽くなるのではないか。いや、死んでから喰われるならまだしも、生きたまんま肉をちぎられ骨を砕かれるなんざ、想像するだに身の毛がよだつ。それに大体、どこに行くにしても、もはや交通費が底を尽いている。近場で死ななければ、ならない。


 鈴木さんの様に、思い切り良く線路に落ちるか。いや電車を止めたら、1分幾らで莫大な損害賠償請求が遺族に及ぶ、と聞いた事がある。鈴木さんの遺族がどうしたか知らないが、私の遺族の場合、仮に保険金が出たとしてもとても払えそうにない。


 私はいつしか、やはり自分の会社に戻っていた。自席について、社内を見回す。

かつてここに十数人の社員が働き、机を並べて話し合い笑い合いしていた。みんなで飲みに行くのが楽しくて、良く仕事を片付けさせては遊びに行ったっけ。まぶたでせき止められた涙は、鼻水になって流れ落ちた。鼻をかむと本来の通りに両の目から、待っていた様に流れた。誰もいないのだ、我慢も要らない。このまま朝になった所で、誰も出勤などしてこない。


どうせ、

誰も、

いないのだ。


 それでもやっぱり手放しで泣く訳にはいかない気がして、私は涙を拭った。“仕事に破れ、金が払えない者は、やはり死なねばならぬのか”?

 

 誰もいなくて良かったのかも知れない。衝動に任せて、私は気が狂った様に暴れた。机を引っくり返し、それが何だろうと手に触れるを幸いに投げつけた。狂った様に、ではなく、狂っていたのであろう。

 会社の固定電話が鳴り、私は目を覚ました。いつの間にか会社の床で眠ってしまったらしい。どうせ何かの督促だろうと思ったが、出てみると顧客だった。

「営業の山川さん、携帯が通じないんでそちらに電話したんですが」

 そりゃそうだ。彼は既に退職して、会社支給だった携帯電話は回収され私の引き出しに入っている。

「それはすみません。私でよろしければ、承ります」もう死ぬ所です、とは言えなかった。


 用件は新しい工事について打合せをしたい、と言うものだった。私は訪問日時のアポを取り電話を切った。翌日、現場で汗にまみれて打合せをした。一般の住宅建設工事だったが、地形の面から難易度の高い工事である。

 私は夢中で調査し、寸法を取り、打合せした。腹から声が出た。あぁ、俺はやっぱり現場が好きなんだな、と実感した。途中、太山からつまらないメールが再三入った。どうでもいい、と思った。邪魔するな!


 帰社して見積りを作っていると、携帯が鳴った。別の顧客である。8年前に独立した時、飛び込み営業で獲得したお客さんだ。やはり担当営業に連絡がつかないから、私の携帯に連絡したと言う。

 私は翌日打合せの約束をして、手帳にその予定を入れた。手帳に仕事の予定を入れるなんて久しぶりだった。胸がワクワクするのが分かった。やっぱり仕事が好きなんだな、仕事ができる限りは生きていたい、と思った。


 夕方にはファックスで図面が届いた。別の顧客である。ありがたい事だ、と思った。お客さん達は私を忘れてはいないのだ、と嬉しかった。


 私は翌日から、下請さん達との交渉を開始した。どんなにお客さん達が仕事をくれても、作業をしてくれる下請さん達がいなければ何もできないのだ。

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